第二章『糞人間』
学校に着く頃にはもう九時十五分だ。一時間目の体育はすでに始まっており、男子の制服が教室の机上に散らばっている。
男子は教室で着替えるが、女子はしっかり女子更衣室で着替えるからな。嗅ごうもんならすぐにでもゲイ野郎に昇格だ。
「なんだその目やめろ」
「それよりどうする……今から体育に行くか?」
「めんどくさい」
「俺もだ」
やはりこいつとは気が合うな。人間として良くない部分で。
「ちなみに俺が読んだラノベではな、遅延証明書っていう電車が遅延した際の紙を渡すんだ」
「もういいよその話は」
こいつらしくないな。恋愛とか興味なさそうなクセに紙飛行機で移動してる時もずっと話してたし。
「それでな、さっきぶつかった女子高生とこの空いた時間で学校案内してさ――」
「あそれより職員室いくぞ」
「あれそうだっけ」
意図的に龍馬の話を中断して教室に背を向ける。
職員室で二年生の先生に遅刻を報告した後、二人で屋上にでも向かった。
廊下のチラシに少し目をやる。昼休みが長くて教室にいづらくなった時は、いつも廊下をふらふらと歩き回る。その時によく見るカレンダー。何度もその日程を見たおかげで、少し目を凝らせばだいたい思い出せる。
「そういえば修学旅行もう少しだよな?いつだっけ?」
「一ヶ月後の十月二日」
「あーそうそう。三泊だったよな」
こんな感じで即答だ。早押しクイズなら一位いけるかもしれない。
いやまて。修学旅行の日程は流石に記憶してるだろ。どんだけこいつはだらしないんだ。提出物は忘れるし、朝も起きるの遅いし。たしか龍馬って妹いたよな。一個下で同じ学校の。
「そういや、お前の妹は起こしてくれなかったのか?」
呆れた顔で後頭部をかきながら「あ?あいつか?」と言って、階段を登っていく。俺も後ろからついていきながら少しの違和感に気づく。
「一回起こしてくれたっぽいけど……すぐ行っちゃったわ」
「呆れたんじゃね」
「いや……最近あいつあんま元気ないように見えんだよな。なんか知ってるか?」
肩をすくめ、ため息をついている龍馬に対し、俺は首を横に振る。
珍しい、というか初めて見る目だ。兄としての心配だと思うが、こいつにも人間らしい感情があるんだな。
「情けねぇな家族一人の考えてることもわかんねぇなんて」
龍馬は兄としての言動と行動をしてきたのだろう。聞かなくてもそれが伝わった。
なら俺は?友としての言葉があるのではないか?
「なんだよらしくない顔して」
「え」
え?俺の顔?らしくない顔してたのか?
「大丈夫だ。お前はお前のできることをしてればいい。隣で一緒にサボってくれるだけで嬉しいよ」
掴みかけた物が泡となって消えた感じだ。言う側にならなきゃいけないつもりが、言われる側になってしまった。
なのに俺は呆れたか?などという言葉を。
「ふぅー久しぶりに屋上来たなー」
体を伸ばして何事もなかったように振る舞う龍馬。その小さな行動にもこいつの良さが現れている。
俺は最近まで、いやついさっきまでこいつとほぼ同じだと思っていた。だが、龍馬の見えない部分、昨日ひろみの言っていた人としての感情を見ていくと、背景にあった彼の強さが垣間見えてくる。
「孝一も屋上よく来るか?」
「教室に戻りづらいときはたまに……」
なら俺には感情はあるのだろうか。もちろんイラつく時もあればスカッとする時だってある。でも、それとは何かが違う、人の良心が通って灯る感情というものが、果たして俺には持ち合わせているのか。龍馬のように、人を照らす感情を。
「龍馬」
「ん?」
「——俺はお前みたいになれるのかな」
そう言いそうになって、硬く唇を結ぶ。
これは俺にしかわからないと思うが、ふと溢す自分の言葉が怖いのだ。俺は人を気遣う思考ができていない。だから、無神経な言葉や場違いな言葉を摩擦なく口から出てくるのだ。一般的に、人として、人を想う心持ちは子供の頃に育てられるはずなのだ。特にこの学校の生徒は限られた天才しかいないのだから、尚更だろう。
だが、俺は、俺の家庭は、正しさとは何かをひたすら教育されたもので、回りくどい感情を全て捨て去られたのだ。正しさこそが通るべき道であり、それが人間の生き方なのだと。別にこの哲学に対して疑問も否定も持っていない。
だから、わからないのだ。呆れたんじゃね、という戯言と同じように、自身の弱さを漏らす自分勝手な言葉を発していいのかわからないのだ。
そうして少し眉を落とす俺に気付いたのか、ため息をつく龍馬は、
「最近お前元気ないよな?昨日も目にクマができてたし」
「……昨日は寝不足だ」
「なら今日は?今は?」
「——」
「お前さ、俺に遠慮してる?お前そんなの似合わねえからやめとけ」
やっぱり、龍馬にもそう思われてたか。
「違うよ、なんて言おうか忘れただけ」
「嘘つけ」
鼻で笑った龍馬は、さらに肩をすくめて、
「なんだよ?話したいことあるなら言えって」
「ものすごくバカな質問だと思うが」
「別に期待してねぇよ。聞いてやるだけだ」
「そうか……」
声が震えるのを深呼吸してリセットする。
「俺にさ、俺……にはさ、感情ってあると思うか?」
「何言ってんだお前……」
ひらすらにその言葉が理解できないように龍馬は後頭部を雑に掻き、
「もしかしてちょっとカッコつけようとしてんのか?」
「は……ちがっ」
「あーじゃあなんだ、期待でもしてんのか?いや、むしろ逆か。お前は自分を卑下にする理由を無理やり掘り起こそうとしか見えない」
違うんだ龍馬。お前には、お前なりの強さがあって、俺にはそれが全く見当たらないのだ。
「まぁ確かにお前には謙遜とかそんなのなさそうだけどな」
信じるのが怖いのだ。俺にもなにか強さがあるんじゃないかって。信じながら他人の強さを見てまた絶望して、見直して、また自分に無理やり酔わせて、偽りの強さを取り繕って。
乾き切ったスポンジで例えるとわかりやすい。絞れば絞るほど水が出るが、それは事前に水分を吸収しているから。水分のないスポンジにどれだけ力を入れようが、雀の涙ほどしかでない。
なのに一目瞭然の物をひたすらに絞って、それで皆と肩を並べているとへらへら笑ってる自分がたまらなく気持ち悪いのだ。いっそ何もないと潔く受け止めた方がはるかに楽なんじゃないかって。
「でもな」
ふと顔を上げると、彼はさぞ俺を羨ましそうな目で見てきた。
「俺はお前が羨ましいよ」
「あぇ……?」
「この世界でもあの世界でも、みんな情けないクソして洒落た言葉で飾ろうとすんだ。お前くらいの裏表ないくらいが丁度いいよ」
「——」
まだ俺はその言葉を噛み砕けるほどの理解力がなかった。
龍馬はこのままの俺でもいいと肯定したが、ひろみは真逆なことを言っていた。一体、どちらが正しいのだ。
でも、いつかそれらをひっくるめて吸収しなければならないと、心の中で強く決心した。
屋上に涼しい風が吹く。ほんとに、久しぶりに来たきがする。行く機会なんてあまりないし。
あ、そういえば、
「屋上、連れてったっけ……」




