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第二章『完璧な笑顔だったようです』

「みてみておかあさん!この写真ほんとに存在するの!?」


 子供。幼い子供。まだ明るげな性格に、その純粋な眼差しがその幼さを証明している。

 元気な足取りで華々しい廊下を走り抜き、大きなドアを勢いよく開け、ふかふかなベッドに飛び込む。


「あら、また勝手に父の書庫に入ったでしょ?」


「あ、ごめんなさい!でも、気になる本は見てもいいよっておとうさんが……」


 その子供は小さく体を縮ませた。その頭に暖かく柔らかい手の温もりが感じる。


「まったく、別に見ちゃいけないってわけじゃないけど……」


 おかあさん、と呼ばれるその女性は、その子供が持っている本に眉を顰めた後、心配する眼差しで上目遣いの子供の目を見る。


「……おかあさん?」


「ううん、なんでも。ただ、その本相当難しい文章で書かれているわよね?」


「心配、してるの?僕、ちゃんと読めてるよ?」


「なら、いいけど……」


 母として、教育面で悩ましい問題があった。難しい本を多読することが果たしていいのか。一般的な子供には、童話などを読ませて道徳心を積ませた方がいいのではないか。

 対して、父はそれを肯定していた。己の血を受け継ぐ人間として、この教育は間違っていないと。ダメと言われると逆にしたくなる子供心を利用し、わざと書庫にたくさんの難読の本を置いた。


 さらに、その本のほとんどのテーマは外部世界を述べている。これはこの世界に産まれた子供の探究心をくすぐるには十分だった。


「それより見てよ!ほら、この島の下にはびっくりするくらいでーーっかい水が広がってるんだって!」


 小さな両手を大きく広げ、その広さを誇張する。その後、本をもう一度取り、「(うみ)」という文字に指差す。


「海って言うの!海!」


「それはぜひ見てみたいねぇ。どれくらい広いの?」


「そりゃもう東の地の何倍の何倍の何乗倍!この惑星のほぼ七割を占めてるほど!」


 ワクワクしながらはしゃぐ子供を見て、母は拳を唇に近づけ、小さく笑っている。

 一般的な家庭の幸せの一部。微笑ましい情景だった。その暖かな色に、真反対な色が介入する。


「みゆき!みゆきいるか!?」


 低い声。男性の声だ。慌ただしく開きっぱなしのドアから顔を出す。


「おとうさん?」


 首を傾げるその子供に反応できないくらい、大急ぎな出来事が起きたのだろう。まっすぐ母に目を合わせて伝える。


「ついに魔法の新しい部分が見えた!これは世紀の大発見だ!これで君のじゅ――」


「誰が頼んだのかしら?私は何もあなたに言ってないのだけれど?どうせ、また魔法の醜いところが出てきたのでしょう?それをあなたはいつも――」


「ち、違うんだよ!わからないのか?マイナスな部分が出て、初めてプラスが見えてくるんだよ。それに、今回は今までに類をみない波長だ!」


「私言ったよね?そんなものは捨てるべきだって。なんでまだ持っているの?」

「な、俺はみゆきのために、なんで君が拒否するんだ!?」

「だから頼んでないって、聞いてるの人の話?」


 興奮し、母の喜びの顔を見れると思った父は、この現状に絶望し、それを怒りに変えた。

 母はその父を真正面に否定した。強い言葉で拒んだ。だが、母の手はどこか震えていた。

 まだ幼い子供にはそれが理解ができなかった。なら、理解できるところだけでも導き、推測で埋めて最適の答えを出すと決めた。

 その小さな脳みそをフル回転し、取るべき行動をする。


「おとうさん!ぼくね、すっごい写真を見つけてさ!」


「あ!?今、その話をしてる場合じゃ――」


 父はある閃きをした。咄嗟に唇を閉じ、下手くそな笑顔を向けてくる。


「ほんとか?さすがは俺の息子だな。よし、どんな写真だ?俺の書庫でゆっくり話してやろう」


「ほんと!?やったー!」


 しゃがんで子供の手を取り、背中を丸めたまま立ち上がって部屋の外に連れて行く。


「まってあなた」


「あ?なんだよ。俺とは話したくないんだろ?ならこの話はやめる」


「おかあさん!ぼくまたたっくさんの楽しいお話持ってくるからね!」


「……あぁ、うん、」


 しばらく開けっぱなしのドアは小さな手が優しく閉ざした。

 それから多分、本当に行っちゃいけない場所に来たのだと、子供は本能で感じた。見たことのない鉄の通路を抜け、薄暗く、とても声の響く部屋の中に入る。

 中には、たくさんの試験管などの実験道具が散りばれられており、あとは、石がたくさんあった。


「どうだ?少し怖いか?」


「ううん……おかあさんのためだから」


「母想いなんだな。いい子だ。いい子なら、できるよな?」


 優しく、優しくその黒い試験管を子供の唇に寄せる。

 子供は理解していた。ここまでの流れ全てを。最後に決めつけのセリフを言って、


「うん!おとうさんの子だもん!」


 下手くそな笑顔を見せた。




「おかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさん」


 子供。幼い子供。まだ明るげな性格に、その真っ暗なビー玉のような瞳がその幼さを証明している。

 元気な足取りで華々しい廊下を走り抜き、大きなドアを勢いよく開け、ふかふかなベッドに飛び込み、自分の持っている試験管を女性の口に寄せる。


「……あら……また持ってきたの?」


「うん。早く飲んで?」


「……おかあさん、忘れたくないの……」


 母の心配する眼差しを子供は理解できなかった。


「……信じてるから。おかあさんもおとうさんも」


 ――子供は完璧な笑顔を向けた。












「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙ぁ゙ぁ゙!?」


 勢いよく上体身を起こす。

 頭が痛い。どこだ、ここ。

 真っ白な壁に茶色い木材の床。簡素な部屋とはこのことかと思わせるほどなにもない。

 強いて言えば、机にはそのまま開いてあるノートと参考書に、隣の本棚には大量の文庫本。新品の本が多く、どうやらこの部屋の本人は読み終わっていない本がありながらも、次々と気になる本を買っている大馬鹿者らしい。


「って俺の部屋か……」


 額から滲み出た変な汗を甲で拭く。足を床に着き、座ったまま鏡に映った自分の顔を見る。酷いあり様だ。


「なんだ、あの夢は」


 思い出すだけで吐き気を催す。だがなぜか、何度も見た現実だと錯覚を起こした。

 ようやくぼんやりとした脳みそが動いたのか、ずっと鳴り続いているスマホに気づく。

 七時二十分にセットしておいたアラームが八時半過ぎでも鳴っている。


「あぁ、くそ。遅刻だ」


 六時四十分から十分刻みのアラームを次々にスワイプして消すと、急いで洗面台に向かった。

 龍馬の顔が散らついてうざい。



 相変わらずの晴天だ。雲一つない舞台のおかけで、満遍なくこの小さな街を照らす。胃が浮くような感覚に苛まれている人間がいるにも関わらず、心地よい風が俺の汗を乾かす。


「えーっとたしか、」


 小さな町と言えど、道はいざこざで角から出てくる人にぶつかりかねない。それなら道を歩かなければいいだけだ。

 跳躍石(ちょうやくせき)。この世界なら誰もが持っている常備品だ。値段も手頃で、噛み心地がクセになると評判のグミ。グミだ。

 体に消化し取り込むと、本人の身体能力にもよるが、一定時間足の筋力が増強する。一般的には運搬業者などが使うものだが、俺みたいに屋根の上に乗って走る者ももちろんいるだろう。


 ほら、俺と同じようにあいつも屋根の上を走ってるみたいだ。

 同じ制服に、茶髪の男。運動神経がいいのか、俺の数段高く飛んでいる。


「って、あいつもしかして龍馬か?」


 俺の独り言に反応したのか、後ろを振り向きこちらに寄ってくる。


「え、孝一!?なにしてんだおまえ」


 お前が言うことか。いや、この場合はどちらも言えない立場だな。


「はぁーあ、まじこのグミ良くも悪くも手離せねぇな」


 なんだこいつ。遅刻してんのに悠長に世間話しようとしてるぞ。無視して先に行きたいのに普通についてきやがる。


「確かにこいつがありゃ紙飛行機の停留所にすぐ着けれる。神アイテムだ。だがな、もしこれがなけりゃパンを咥えた女子高生に角でぶつかるというラブコメ王道展開が来ないんだ」


「夢見すぎだろ。ていうか王道か?」


「外部世界じゃ王道らしいぜ。そこでぶつかった時はヒロインはツンデレだけど、その後二人がまさか同じ高校で思わぬ展開に巻き込まれ、」


「……おまえ、そんな恋愛好きだったのか?」


「妄想しない男子高校生は存在しない。異論は認めん」


 でたそれ。異論は認めん。誰もテメェの主張に興味ねぇよ。



 学校に着く頃にはもう九時十五分だ。一時間目の体育はすでに始まっており、男子の制服が教室の机上に散らばっている。


 男子は教室で着替えるが、女子はしっかり女子更衣室で着替えるからな。嗅ごうもんならすぐにでもゲイ野郎に昇格だ。


「なんだその目やめろ」


「それよりどうする……今から体育に行くか?」


「めんどくさい」


「俺もだ」


 やはりこいつとは気が合うな。人間として良くない部分で。


「ちなみに俺が読んだラノベではな、遅延証明書っていう電車が遅延した際の紙を渡すんだ」


「もういいよその話は」


 こいつらしくないな。恋愛とか興味なさそうなクセに紙飛行機で移動してる時もずっと話してたし。


「それでな、さっきぶつかった女子高生とこの空いた時間で学校案内してさ――」


「あそれより職員室いくぞ」


「あれそうだっけ」


 意図的に龍馬の話を中断して教室に背を向ける。

 職員室で二年生の先生に遅刻を報告した後、二人で屋上にでも向かった。


 廊下のチラシに少し目をやる。昼休みが長くて教室にいづらくなった時は、いつも廊下をふらふらと歩き回る。その時によく見るカレンダー。何度もその日程を見たおかげで、少し目を凝らせばだいたい思い出せる。


「そういえば修学旅行もう少しだよな?いつだっけ?」

「一ヶ月後の10月2日だ」


「あーそうそう。三泊だったよな」


 こんな感じで即答だ。早押しクイズなら一位いけるかもしれない。

 いやまて。修学旅行の日程は流石に記憶してるだろ。どんだけこいつはだらしないんだ。提出物は忘れるし、朝も起きるの遅いし。たしか龍馬って一個下で同じ学校の妹いたよな。


「そういや、お前の妹は起こしてくれなかったのか?」


 呆れた顔で後頭部をかきながら「あ?あいつか?」と言って、階段を登っていく。俺も後ろからついていきながら少しの違和感に気づく。


「一回起こしてくれたっぽいけど……すぐ行っちゃったわ」


「呆れたんじゃね」


「いや……最近あいつあんま元気ないように見えんだよな。なんか知ってるか?」


 肩をすくめ、ため息をついている龍馬に対し、俺は首を横に振る。

 珍しい、というか初めて見る目だ。兄としての心配だと思うが、こいつにも人間らしい感情があるんだな。


「情けねぇな家族一人の考えてることもわかんねぇなんて」


 龍馬は兄としての言動と行動をしてきたのだろう。聞かなくてもそれが伝わった。

 なら俺は?友としての言葉があるのではないか?


「なんだよらしくない顔して」

「え」


 え?俺の顔?らしくない顔してたのか?


「大丈夫だ。お前はお前のできることをしてればいい。隣で一緒にサボってくれるだけで嬉しいよ」


 掴みかけた物が泡となって消えた感じだ。言う側にならなきゃいけないつもりが、言われる側になってしまった。

 なのに俺は呆れたか?などという言葉を。


「ふぅー久しぶりに屋上来たなー」


 体を伸ばして何事もなかったように振る舞う龍馬。その小さな行動にもこいつの良さが現れている。

 俺は最近まで、いやついさっきまでこいつとほぼ同じだと思っていた。だが、龍馬の見えない部分、昨日ひろみの言っていた人としての感情を見ていくと、背景にあった彼の強さが垣間見えてくる。


「孝一も屋上よく来るか?」


「教室に戻りづらいときはたまに……」

 あ、そういえば俺。

「お前らしいな」


「屋上、連れてったっけ……」

「ん?」


 あ、と立ち止まった俺に対し、龍馬は聞き忘れかけていたことを思い出す。


「あ!そういえばあの転校生とのデートどうだった!?」


「デートじゃねぇよ……」


 最悪だ。今日一日中その話題を堰き止めようとしたのに、朝一に言われるなんて。

 言われたならもう言うしかない。これで隠したらしばらくこいつのニヤ顔が俺の視界に貼り付けられるからだ。


「なんか恋愛的なイベントは!?例えば思わず肩が触れてとかヒロインが転んだところを助けたら床ドンポーズになったりとか……ふふ、たらしもいいとこだな」


「だまれ」


 恋愛的なイベント?もちろん実体験はないし、小説もそこまで読んだこともないし、嘘も思いつかないな。


 恋愛的。人の心を揺さぶるっていう意味だよな。揺さぶられた。揺さぶった。俺かひろみのどっちでもいいなら一つあるが。


「お!?なんかあるのか!?」


「俺が王子っていうことを伝えた」


 アルミ素材の柵の上にカラスが一羽止まり、すぐにどっか飛んでいった。


「え……どこが恋愛的?」


 違ったか。


「てか言ったのかよ?いいのか?」


「あぁ別にいいさ。この世界のことそこまで知ってるわけじゃなかったし、性格や力量もなんとなく測れた。少なくとも帰国した時に誰かに言いふらすことはないだろう」


「いやそうじゃなくて」


 首を傾げる俺に、龍馬は目を泳がせる。

 合理的な部分ではなく、龍馬は精神的なところを窺っているのか。


「良くも悪くも慣れっこだ。それにあいつのバカさは見ただろ?」


「あんま本人いないところで悪口言うなって」


 変わらずのいつもの調子に安心したか、少し息を吐いてフェンスに背を向けながら両肘を置く。


「それで?他は?」


 他、なんだろう。もう何を言えばわかんないし、こいつのリアクションがよく出そうな話題を出すか。


「おれとひろみで今度の試験を勝負することになった」

「はぁ!?」


 うん。どうやら俺はダイレクトシュートしたらしい。

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