第一章『紙飛行機が飛んで』
青空の下、広大な空中の一部に身を置き、澄んだ空気を鼻で味わう。標高が高く、木や建物、地面などもないので、その清涼な風は私の体一面に吹き、乗っている大きな紙飛行機を軌道に乗せていく。
少し目を開ける。この小さな目に収まるはずのないだだっ広い世界を自分に浸透させていく感覚に溶け込む。
鮮明な空気を大きく吸って吐き、それによって身体中の汚い血液が少しは淡くなっていくのを感じるのが好きだった。
いつもこの感じで朝の時間を過ごしている。というか、基本この世界で朝紙飛行機に乗らない人なんてニートか赤ん坊くらいなのだが、俺は一般的で普通で平凡なこの朝が好きだ。
だが、今日は違った。斜め後ろから聞いたことのない人の声が聞こえる。
「あわっ、あわわ!たっ、助けてください!」
振り返ってみると、乗っている紙飛行機に慣れておらず、慌てふためいている女性が助けを求めていた。
着ている高級の制服に似合う綺麗な顔立ちに長い黒髪とあまり似合わないボロボロの靴。
舌打ちする以前に疑問を持つ。この世界で紙飛行機の操縦の仕方を知らない人なんて果たしているのか?例えで言うと自転車を漕れないと言っているようなもの。
それに、助けを求めている相手が誰なのか、わかっているのだろうか。
否、わかっていないのも当然だろうと、再度彼女の様子を見てため息をつく。
「落ち着いてください。紙飛行機がうまく曲がりきれていません」
彼女のどこに向かうかわからない斜めの軌道に近寄り、出し慣れない大きな声で言う。
彼女は、話しかけている男性が利用方法を知っているのだという安心と、迷惑をかけてしまっている少しの罪悪感が混ざり合っているように見えた。
「そ、そうだったんですね!どうすれば?」
「姿勢を正してください。向かうべき方向に体をゆっくり回せば自然に紙飛行機も動きます」
初めて自転車を乗る時を思い出す。自分の足が地についていないのに体が進んでいく慣れない感覚で、体重を斜めに向けてしまい変な方向に曲がってしまったことがよくあった。
彼女の様子はまさにそれだった。震えた両足に、へっぴり腰。
俺の言葉と口調を利用して緊張を解かせ、言われた通りにゆっくり頭を上げ、足を固定したまま腰を捻る。
すると、彼女の紙飛行機もゆっくりと行き先を変えた。
「あ、できました!すごい、自動で曲がってくれましたね!」
「そういう仕様になっています。慣れたら座りながらでもできますよ」
なるほど!という彼女の様子を確認したところで、わざと一呼吸を置かせた。その方がこの違和感からの推測を解消するための話題に円滑に進めれるからだ。
話したい内容は一つ。彼女がなぜ外部世界の人であるにも関わらず、この世界に入り込んだのかということだ。さらに言えば、彼女は派遣されたスパイなのだろう。
なら目的は何か。可能性が高いのは『魔力の残影』の情報収集、それかこの世界の転覆。
この推測は少し飛躍しすぎなのかもしれない。どちらにせよ、彼女は外部世界からの人物であることに変わりはない。
だが、私は怪訝な目を向けてはならない。彼女が警戒し、距離を置かれる可能性がある。空気を柔らかくするために、まずはたわいのない話から攻めていく。
「自己紹介まだでしたね。俺の名前は霧生孝一と申します。あなたの名前は?」
「私は雨宮ひろみと言います!えへへ、朝から迷惑かけてすみません」
「いえ、最初は皆こんなものですよ。人十何人も乗れる広さを持ったとしても、高所では慌てるのは普通です」
「はい……。高所恐怖症なのでとても怖かったです……」
彼女はゆっくり胸を撫で下ろして、「改めて見るとこれ本当にすごいですね」とアホみたいな様子で感心していた。
「そうですね。魔法による浮力と機動力を付与させたのでしょう」
「へー!やっぱりこの国って魔法あるんだ」
ものすごい嘘つきか。ただの天然か。それかどちらをも持った合わせ技か。とてもここの世界では言わないことを言ってきたな。
外部世界では『魔力の残影』はなく、研究不可能だ。紙飛行機に乗って移動するなどという物理法則から外れた非常識的行動を事前に練習することはできない。
逆に、この世界では一般的な乗り物として使われている。
したがって、そのような様子を表に出すのは何か裏づけがあるのか?
俺はここで少し踏み込んでみる。
「あまり慣れていないということは東の方出身でしょうか?難しくて困りますよね」
俺は嘘をつく。いや、正確には嘘はついていない。東は紙飛行機があまりないという虚偽の前提で話す。
東の地。具体的には、そこも紙飛行機は一般的な移動手段として使われている。学生などは安全面を考慮し、浮遊電車を利用することが許されているが、大半の利用者は裕福な家庭に育った者達だ。
見るからに貧相な靴を履いている彼女はまず利用しないと仮定して良いだろう。貧乏な方々は無論、東の地でも紙飛行機で利用するはずだ。
もし彼女を外部世界からのスパイだとし、この回答に、はい!全然わからなくて…などと自分の存在を隠すために肯定すれば、それは痛恨なミスを犯すことになる。なぜなら、身の丈に合わないお金の使い方をすることになり、矛盾になるからだ。
だが、東の地出身ではないと否定したらそれこそ文字通りの自己報告。彼女がスパイという線を濃くするだけだ。
故に、抜け道は主に二つ。一つは、東出身と嘘をつき、東の地では学校に登校できるほどの資金がなかったこと。
ボロボロの靴を履いていることも納得がつく。
だが、それは不可能だろう。というのも、この世界は学校に行くことが強制されており、借金をするなり、体を売るなりして金を用意にしなければならない。それほど支配、制限されている世界だということは、スパイでなくとも外部世界の一般人でも常識だ。
そしてもう一つはーー
そう考えているうちに彼女は回答をする。
「あ、いえ!私、この島嶼国家の者ではなくて、実はもっと外側の国から来た留学生なんです」
「なるほど、留学生なのですね」
そう、もう一つは外部からの留学生という立ち位置を利用すること。これは、スパイという断定はできない。
確かに、東の貧困な住民達は紙飛行機を利用しているという情報を先に収集していたのなら話は別だが、これ以上彼女をスパイなのではないかと疑うのは馬鹿馬鹿しいというものだ。
この学校は外部世界からの留学生を歓迎しており、実際留学生は少なくはない。一人一人をスパイとしていちいち考えるというのは、愚かな考えだ。さらに言えば臆病とも言えるだろう。
俺はひとまず、この疑いを捨てた。
「この学校は留学生に手厚な支援が送られますので、きっと充実した学校生活が送られると思いますよ」
「はい!ありがとうございます!」
また少しの沈黙が流れる。今度は意図的にではない。
もう彼女に興味がないからだ。
いや、というかなぜ俺は彼女に少し警戒していたのだろう?なぜ、最初から留学生という考え出なかったのか?
「またお礼させてくださいね」
校門の前で、彼女は優しく微笑んで別れを告げた。俺も軽く手を振り、この謎にへばりついてくる違和感に気づかないふりをした。




