子犬の咆哮
朝日が俺の瞼をやさしく焦がし、目を開ける。肘には紙の感覚があり、頭を上げると教科書が散乱していた。
どうやら、あのあと帰って机で勉強しようとしたが、すぐに眠ってしまったらしい。考えることが多くて集中力がなくなり、仮眠をとろうとして見事に爆睡した、というところまで思い出したところで椅子から立った。
教科書とノートをまとめて鞄にしまい、部屋着を脱いで椅子の背もたれに置いた制服を手に取って着替える。
改めて見ると汚い部屋だ。いや、汚いというより物の多い部屋というべきか。壁の隅に設置されたベッドの上には、面倒臭くなって横になるのを防ぐために単語帳やら乗せており、壁には古めの絵画や暖色系の木材の壁棚には観葉植物を飾っていた。
後ろに振り向くと、八段ある長細い本棚が置いたあり、そこには賞状や試験勉強の本、模試試験の紙と読み切っていない本を縦や横に詰めて置いている。
左右には鏡と小さな収納棚があり、昔よく遊んでいたゲーム機やプロジェクター、余った充電器などが入っていて、左の窓は壁一面あるが、伸び腐った雑草が半分ほど占めている、などまぁ忙しい部屋だった。
捨てきれない性分なのだろうか、その物に例え小さな記憶のかけらでも、痕跡のあるものは残していた。
残り香を嫌がっていたのに優柔不断なところが、俺の昔も今も変わっていない、記憶には執着している部分のようで。
客観的に自分を滑稽に思い、そしてそれがとても心地よかった。
朝飯も食わずに靴紐を結び、玄関を出る。だから体が細いんだよ、と龍馬にいつかの時言われたような気がするが、朝はとても食欲が湧かず、反って一日の中で唯一好きな朝の時間を汚されるような気がするので、食うことはない。
紙飛行機の停留場まで歩くと、金貨を払って一番小さな一人用のを乗り、十分ほどで着く学校のある島まで、イヤホンを耳に押し込んで、涼しげで儚げな音楽を頭に流す。
転校生のひろみと登校中に会った際、彼女の助けの声が聞こえたのはちょうどイヤホンを家に忘れたからであり、少し手癖が悪くなるほど腹が立っていたので彼女にちょっかいを出していた。だがそれは例外であり、いつもの俺の朝はこうして涼風を浴びながら一人の時間に浸っている。
昼も夜も、変わらない。だが、教室に入って自分の机を見た瞬間、俺の平凡な日常は終止符を打たれたのだと気付かされた。
マッキーペンで汚く罵声を書かされてている。字体からして三人ほど。誰がやったのかはすぐに推測がつき、俺はあえてそれを残した。後に登校してきた龍馬やひろみに声をかけられるも、何もないと半分強行に離れさせた。
昼休みになり、俺は階段を登って、三年生の廊下に向かう。四日前と直前期でもあり、二年と三年で賑やかだった。中には購買で買った焼きそばパンやおにぎりなどの軽食を口に咥えながらノートを先輩と話している人も少なくなかった。
俺は人混みを避け、三年F組の前に立つと、案の定やつがいた。
「よぉ、来ると思ったぜチビ」
「反省文はちゃんと書きましたか?先輩」
「あぁもちろん。てめえの机にきっちりと俺の意思を書いたぜ」
「それはそれはご立派な字体でした。先生に見せてもよろしいですか?」
「別にいいぜ。何度お前が子犬のようにチクろうがな、俺はお前を認めない」
「認めない、とは?」
「はぁ?あの女のことに決まってんだろ。釣り合ってねぇから正そうとしてんだ」
「正す、か」
俺はそこで下品に、堪えられなかった笑い声を廊下に晒した。目の前のたつきは目に血を見せる。
「あ?」
「ひはッ、そうですよね。人には人の数ほどの正義があるんです。でもそれが、ちょっと面白くないですか?」
「なにが面白い?この人でなしが」
「だって、正義とか言いながらみんなころころ変えるじゃないですか?他人にすぐ感化され、過去の自分を無かったことにしてまでこれが俺だって言って、ぷはっ」
周りはとっくに静寂しており、俺の笑い声が反響する。反面、たつきは俺の前に怒りを募らせながら、周りの目と左右の男二人が抑えていて歯を噛んで声を抑える。
「あなたのその正すも、自分の惹かれる相手があってのことですよね?本当は考えもしないことのくせに、急に格好つけてるみたいで、」
お前もうやめろ、と目で訴える左右の男には目もくれず、ひたすらたつきを見上げて歪な唇を見せる。
「何が言いてぇ?」
「わからないんですか?薄っぺらいからすぐ塗り潰される。あなたは空っぽな人間で、脳みそには筋肉しか詰まってないってことですよ?」
二人の抑える力は強くなり、それでも止めきれずに、たつきの剛腕は俺の胸ぐらを掴んだ。
「誰に口聞いてんだてめぇ。殺されたいか?」
「ダメですよそれじゃあ。ここでやるんですか?人気のないところを選んで、君の仲間で囲んで、めったうちにした方が効果的です」
「はっ、なんだそりゃ?じゃあすぐにでも連れてやるよ。いいところがあるぜ?」
「待ってください。もっといい案が——」
俺の襟を掴んだその拳を喉仏に押し込んだ。俺は強く咳き込む。
「黙れ。調子乗ってるなお前。ひろみがてめぇに近づいてるからっていい気になるなよ」
「がっ……それは、ないですよ」
「はぁ?」
「俺は、ひろみに好かれてません。欲しいならどうぞって感じです」
「お前のものじゃねぇよ。これから俺のものにするやつで、まだ誰のものでもない。自己中心的だな、じこういち」
「では、直接ひろみから話を聞くのはどうでしょうか?もちろん、俺はあなたにつくよう説得もするつもりです。三人で話しましょう?」
「へぇーなるほどな」
襟を掴む力が緩くなり、俺はひどく咳き込む。膝をつき、涎を垂らしながらも決してたつきの目から離れない。
動かない俺を見下しながら、たつきはさらに人数を呼ぶ。
「それがお前の考えた案か?くだらねぇ。頭がいいとかなんとか噂されてるようだが、誰でも思いつきそうなことに賭けたな」
呼ばれた人数はたつきを、いや俺によってたかってくる。
「げほっ、ありゃりゃ、これは前手のかな?」
「男だろ?なぁ。力勝負で決着つけようじゃねぇか。女に頼るよりよっぽどいいと思うぞ?子犬」
貶すような笑い声が、台風の目のごとく俺の周りで吹いており、それは集まれば集まるほど荒れていくだろうと思わせるほどに悍しかった。そして、俺も抑えきれないにや顔を表に見せ、
「いいぜぇ。やってやるよ」
彼らにとってはただの子犬の叫声を言葉にした。




