特命状
白い天井が見える。柔らかい布の感触が全身に伝わり、頭が少し痛い。まばたきを何回かして意識を取り戻しながら、横になっていることに気づく。
「まだ起きないでください。痛みますよ」
女性の声だ。氷のようで、でも冷淡というにはあまり離れすぎていない声がけが聞こえる。
「クレゾール石けん水の匂いがする。いい香水だな。君以外のみんなも買いに行ったのか?」
「変な演技はしなくて大丈夫です。別に仕方なく私が看病してるってわけではないので」
こちらに顔を覗き込んで、平坦な目で見下ろしてくる。人間の顔は下から見ると不細工に見えるとどこかで聞いたことがあるが、彼女にとっては蚊帳の外だ。整った顔立ちに、綺麗な瞳と透き通った肌を備えており、この画角から捉えても一枚の芸術的な絵に見える。
「なにをそんなじっと見てるんですか」
「いや、脇役には重すぎるなって」
一つの躊躇もせずに、この人は俺のおでこに手を添えた。
「熱、あるんですか?」
「独り言だ。気にしないでくれ。お前にはもっと俺に対して気にすることがあると思うけどな」
「さっきも言ったんですけど、仕方なくやってるわけじゃないので。変な勘違いしないでください」
この人は西蓮寺なる。龍馬の一個下の妹だ。前に遭遇し、そこで起きたある出来事に、金輪際関わりたくないと思われても不自然ではないのだが、なるは自主的に保健室まで来たと言う。
「今、何時だ?あの後どうなった?」
「質問が多いですね。まずは言うべきことあるでしょ」
隣の丸椅子に座り、手を顎に乗せて見下してくる。窓から差し込んだ日の光がなるの眉毛を輝かせる。
「……迷惑かけた」
いや、まぁ、と首を傾げ、ため息をついたなるは、もういいです、と話を戻した。
「今は昼の二時。五時間目の真っ最中ですね。あの後どうなったのかはお兄ちゃんに聞いてください」
窓の外から笛やボールの蹴る音、生徒の掛け声が聞こえて来る。そういえば次は体育だったっけ。
「待て、お前は?って顔してますね。私は自習なので忍び寄ってここまで来ました」
「ほんと、そういうとこは兄と似てるんだな……」
一年にまで知ってるってことは、俺とあのリーダーの騒動の噂は相当広まったらしいな。鼻がまだジンジンする。
自習で思い出したけど、テストまでもう僅かしかない。だというのに、あの大柄な男に怒りを買うし、隣の後輩には気まずいし、考えることは山ほどあるな。
さらにスパイ——ひろみのことも調べないと。
「あの白髪の人、速いですね」
なるは窓の外をぼんやりと見ていて小さく呟いた。俺も上半身を起こして観察する。
「起きないでって、私言いましたよ」
「すまん。でも見たくてな」
あの女性ですか?となるに聞かれて、首を頷く。髪を結んでポニーテールにしており、瞬く間に何人も抜いていた。
「魔力でも使ってるんですかね?汗一つかいてるように見えませんけど」
「使ってたら体から蒸気出るだろ。一年の基礎ちゃんとやってるのか?」
「ふーん。彼女自身の力ってことですか?随分と肩入れしてますね。仲良いんですか?」
「一方的にだ」
怪訝な目で見られたので、また頭を枕に落とす。そういえば、なるはいつ教室に戻るのだろうか。
「おにい……ちゃん?」
龍馬の顔は青ざめていた。空気が冷たく感じる。
「孝一、これを、見てくれ」
龍馬の片手には、俺らのクラスの出席表と謎の黄ばんだ紙を持っており、その紙を眉を伏せながら渡してくる。
動揺、とはこのことなのだろうか。目が泳ぎ、肺が縮む感覚が体を蝕み、心臓音が頭を叩く。
「なん……だ……これ」
知らない言語の文字。それがずらりと横に並んでいた。一眼見てこの世界のものではないとわかる。
「——特命状だ」
「どこに、こんなものが?」
「教卓の下にあった。たまたま落ちてたチョークを下の棚にある箱に戻す時に目に入って」
先教室寄ったのか?と聞くと、龍馬は目を泳がせ、先生から戻る時に教卓の上にある出席表を持ってきてほしいと頼まれたからと言われる。
「これ、外世界の文字ですよね」
そうか。龍馬もだからなるも外世界出身。外の文字が読めるのか。
「わるい孝一……これ俺の国言語じゃないから読めないや」
「私読めますよ。見してください」
「なる頼む。翻訳してくれ」
「いいですよ。えーっと……本状を携える者、◼︎◼︎◼︎を王国直属の特命諜報員と認める。本人に与えられた任務の内容については、いかなる者にも開示してはならない……って、これ、何これ?」
スパイがこの学校に潜伏し、それがひろみだと言うことを互いに話し合った俺と龍馬とは一歩遅れて、翻訳したなるも唖然とする。
人物名のところは黒く塗りつぶされていた。だが、王国諜報局長官の印はしっかり押されており、本物の書類には疑いようがない。
三者共に疑問が浮かぶ。スパイを証明する物がなぜこうもわかりやすいところにあるのか。
「待て孝一。これをさ、先生とかお前の親に見せれば!」
「ダメだ、それはできない」
なんで!?と言う龍馬の口に、なるは手を添えて、
「先生だろうが誰だろうが、告発した場合、スパイの処分は最終的に先輩の親に委ねられる。そこが問題なんですよね?」
「あぁ……。多分、いや絶対父上は殺す決断をする。外世界に戻すなんて絶対あの人は許さない。だが、若者を殺害なんてしたら、いよいよここは外世界から恐れられる場所になる。戦争の引き金にだって」
「でもスパイを野放しにするってのか?それこそここが危なくなるんじゃないのか?」
「……」
どうすればいいのかなんて、わからなかった。自分の手が真っ赤になるのも、他人のも考えたくない。だが時間に余裕なんてないことも理解している。決断の時は、待ってはくれない。
「とりあえず今やるのは得策じゃない。これを見せるのがスパイの作戦なのかもしれないし、まずはこの黒染めにされたのを取り除けるか試した方がいい」
様子見、それで一旦話を終わらせたが、納得のできない空気が流れていた。




