船上大乱闘、触手ベクトルを書き換えろ
「ガァァァァァァァッ!!」
大渦から現れた深海のエラー魔獣が、巨大な触手で飛竜船のマストをへし折ろうとする。
「させぬわッ!!」
宙を舞ったセレスティア王女が、魔剣を一閃。空間ごと切り裂くような白銀の閃光が触手を両断し、巨大な肉片がどちゃりと甲板に落ちて紫の血(魔素)をぶちまけた。
だが、切っても切っても触手は渦の下から無限に湧き上がってくる。
「エレナ殿、右舷の氷壁がもちませんぞ!」
「くっ……全魔力を防御結界に注いでいます! アッシュ様の、10分間の『再構築の儀(パッチ処理)』が完了するまで、何としてもこの船を護り抜くのです!!」
エレナが必死に杖を振るい、船が渦に吸い込まれないように海面に広大な氷原を作り出そうとしている。神務庁の騎士団や、温泉で寝返った元・暗殺部隊の魔法使いたちも、全員が死に物狂いで氷結魔法や雷魔法を乱射していた。
「アッシュ神!! 我らの命に代えても、神の絶対なる儀式(10分のダウンロード)を遂行していただきます!!」
ゼノンが血まみれになりながら叫ぶ。
……ち、違うんだ、儀式じゃないんだ。ただ俺の権限が落ちてるせいで、大容量の修正ファイルにダウンロード制限がかかってて、プログレスバーがちっとも進まないだけなんだ!
【System:空間修正パッチをダウンロード中……】
【完了まで:[ 6分 30秒 ]】
【現在の進捗:[ 35% ]】
俺は船の舳先で、冷や汗どころか脂汗まで流しながら虚空(システムUI)を睨みつけていた。
目の前で、ヒロインたちがボロボロになりながら巨大魔獣の群れと死闘を繰り広げている。俺は【YES】ボタンを押しただけで、あとは本当にシステム処理を『待っている』だけなのだ。
この何もしない10分間──『パソコンの砂時計マークを見つめ続けるだけの時間』が、これほどまでに長く、そして罪悪感に満ちた地獄だとは思わなかった。
「うわあああっ!!」
騎士団の一人が触手に捕まり、空高く引き上げられた。
「アッシュ様、あの者を救うべく結界を一時解除します!」
「ダメだエレナ! 結界を解いたら船が渦に飲まれる!」
俺は叫んだ。だがこのままでは彼が食われる。
何か、修正パッチのダウンロードを阻害しない程度に使える『軽いコマンド』はないか!?
視界の端で、別の緑色のログが点滅している。
【System:Warning。対象『Sea_Monster_Tentacle』のベクトル軌道が、自船と衝突します】
これだ。ゴーレムの時と同じ『Rewrite(書き換え)』なら、極小の容量で即座に実行できる!
「Target:触手の移動ベクトル! Action:Rewrite! 方向を『真上』から『真下』へ反転!!」
俺が指示を叩き込んだ瞬間、騎士を掴んでいた触手があり得ない挙動を示した。空高く引き上げるはずの力が突然、深海へ向かって反転し、自らの腕をものすごい勢いで海女のように海底に叩きつけたのだ。
「ぐへらぁっ!?」と魔獣が変な鳴き声を上げ、騎士の体がフワリと宙に放り出されて甲板に着地する。
「お、おおおっ! アッシュ様の、目に見えぬ加護が!!」
「あの巨大な儀式の最中でありながら、我ら一人一人の命をも救ってくださるというのか!」
俺の『小手先のベクトルいじり(誤魔化し)』が、またしても神の奇跡として騎士団たちの士気を爆上がりさせてしまった。
「我に続け! 神の奇跡に恥じぬ働きを魅せよ!!」
セレスティア王女が雷光を纏って船首から飛び出し、巨大魔獣の本体(頭)めがけて特攻をかける。エレナの極大氷結魔法がそれを援護し、海一面の触手が吹き飛んでいく。
【System:空間修正パッチのダウンロード完了まで……】
【残り:[ 10秒 ]】
「いける……! あと少しだ!」
俺は限界を迎えた船のミシミシという悲鳴を聞きながら、プログレスバーが100%に達する瞬間に向けて、視界の【適応(Install)】ボタンをスタンバイした。
あと5秒、4、3、2──。
頼む、システム(監査AIのクソ野郎)、俺たちの命を……世界を救ってくれ!




