第19話 応接室の服従契約
翌日、学園の『特別応接室』は戦場前夜みたいな空気だった。
上座には、豪奢な貴族服に身を包んだアルマンド侯爵——俺の父親が座っている。
そしてその背後には、護衛役の凄腕の魔法使いたちがズラリと並んでいる。
「遅いぞアッシュ。親を待たせるとは何事だ」
俺が部屋に入るなり、父親は苛立たしげに吐き捨てた。
「そのふざけた取り巻きはなんだ。部屋から出せ」
父親が睨みつけた先には、俺の両脇を固めるように立つエレナとレディス(なぜかこいつもついてきた)、さらにドアの外に控える数十人の『アッシュ親衛隊』の姿があった。
「私が呼んだんだ。彼らは俺の……えーと、学友だからな」
俺が適当にごまかすと、父親は鼻で笑った。
「学友? はんっ、所詮は貴様の『まやかしの力』に騙された間抜け共だろう。今日はお前を自邸に連れ帰るために来た。荷物をまとめろ」
「断る。俺は学園の寮を出る気はない」
「お前に拒否権などないのだ!!」
父親がドンッと机を叩いて立ち上がった。
「貴様が魔法省に媚びを売ろうと関係ない! 我がアルマンドの血を引く人間は、等しく私に従う義務がある。これを持て!」
父親が乱暴に机の上に投げ出したのは、赤黒い羊皮紙だった。
昨日のスパムメール(呪印プログラム)の物理媒体だ。
「それに血判を押せ。我が家への絶対の忠誠を誓う契約書だ!」
「……これ、中身は『服従の呪印』だろ。魔法省に禁止されてるやつじゃないか」
俺の言葉に、父親の顔色が変わった。
「な、なぜお前が呪印のことを……! いや、構わん! お前たち、アレを押さえつけて無理やりにでも血判を押させろ!!」
父親の背後にいた護衛の魔法使いたちが、一斉に俺に向かって飛び出してきた。
「アッシュ様!!」
——だが、俺が『YES(削除)』ボタンを押すよりも早く。
エレナとレディスが、凄まじい速度で父親たちと俺の間に割って入った。
「無礼者ッ! アッシュ様の御前にて暴力など、万死に値する!!」
レディスの声と共に、部屋の空気が一瞬で干上がるほどの高熱の炎陣が展開された。
「ひぃっ!?」
護衛の魔法使いたちが、その異常な魔力の波に圧倒されて尻餅をつく。
「な、なんだお前たちは! 我らがアルマンド侯爵家であると知っての狼藉か!」
父親が震える声で叫ぶ。
「アルマンド侯爵?」
今度はエレナが、氷のように冷たい声で言葉を発した。
その体から、特級魔獣すら震え上がるほどの恐ろしい冷気が立ち上っている。
「ええ、存じ上げておりますとも。アッシュ様のご出自なればこそ、我々も敬意を払うつもりでおりました」
エレナは一歩、机に向かって歩み寄り——机の上の『赤黒い羊皮紙』を、手にした杖で一突きにした。
パキパキパキッ!と音を立てて羊皮紙が凍りつき、直後に粉々に砕け散る。
「ああっ!? 高価な呪印が!!」
「しかし、あなた方はその敬意を受けるに値しない『俗物』にすぎなかった」
エレナの瞳には、神を冒涜された狂信者の、絶対零度の殺意が宿っていた。
「魔力ゼロという『無次元の力』に気づくこともできず。あまつさえ、その偉大なる神の魂を『血縁』などという下等な鎖で縛ろうとするとは……! あまりにも愚か! あまりにも無様!!」
「ひっ……!」
父親がエレナの気迫に押され、惨めに後ずさる。
「アッシュ様に代わり、この私が裁きを下します! アルマンドの家名ごと、この王都から凍りつけ!!」
「待て待て待てエレナああああ!!」
俺は慌ててエレナの杖を押さえ込んだ。
ここで彼女の最高魔法が放たれたら、父親たちは愚か、この応接室ごと学園の一部が吹き飛んでしまう。
【System:対象の大規模破壊プロセス(Ice_Age)のコンパイルを検知】
【System:強制終了を実行しますか? [YES/NO]】
「イエス! 頼むから止めてくれ!」
俺が心の中でパッチを当てると、エレナの杖に集束していた莫大な冷気が、シュンッと跡形もなく消え去った。
「……! あっ……アッシュ様……」
エレナがハッと我に返ったように俺を見る。
「す、申し訳ございません! 私としたことが、怒りに我を忘れて……。アッシュ様が大いなる慈悲をもって、あのような愚か者たちすらも『あえて』生かしておられるというのに……!」
エレナはその場にへたり込み、ボロボロと涙を流し始めた。
「私はまだ、神の御心に寄り添うことができていない未熟者……! どうか、どうかこの愚かな私に罰を……!」
「……」
俺はもう何も言わず、ただ静かに天を仰いだ。
一方、それを見ていた父親と護衛たちは。
「……あ、あの女の極大魔法を、まばたき一つせず、説教するわけでもなく、ただ『無』に帰した……?」
「なんという力……! 噂は本当だったのか……!?」
俺の『無次元の力』を底の底まで見せつけられ、完全に戦意を喪失してガタガタと震えていた。
その後、父親は「ひいぃぃっ!」と悲鳴を上げながら、護衛たちと共に脱兎のごとく部屋から逃げ去っていった。
俺は静寂の戻った部屋で、すり減った胃の痛みを抱えながら、
「……もう、俺はどこで暮らせばいいんだ」
と、ひとり涙を流すのだった。
だが、その絶望に浸る間もなく、翌日には王家の火種まで俺に降ってくる。




