89.仕立屋の起こした革命とトンテキ
ロンド-ルは、メイフェリア地区の北部。
そこは上流階級向けの住宅地だ。
また紳士たちの間で服飾に関する興味が高まったことを契機に、富裕層を顧客とする仕立て屋たちも、この一帯に集まり始めていた。
そんな仕立て屋の一人である、エリオット・マーロウ。
若く腕も良い彼の店に、一人の男がやって来た。
「やあエリオット君、調子はどうだい?」
「ランメルさん……っ! いつもありがとうございますっ!」
ダンディを絵に描いたような、お洒落な男の名はジョージ・ライアン・ランメル。
服好きなこの高年紳士は、仕立て屋を支援するほどの『着道楽』だ。
「今日は、どうされたんですか?」
「なに、これから友人たちとの食事会でね。その前に様子を見に来たんだよ」
「本当ですか! ありがとうございますっ!」
手土産にと持って来てくれたのは、トワイトニングの上等な茶葉。
まるで孫を思う祖父のようだが、その選択はやはり洒落ている。
「店の方はどうだい?」
「変わらず、細々という感じですね……申し訳ありません。潰れかけの仕立て屋の子だった僕なんかに、これだけの支援をしてもらっているのに」
「気にすることはない。いい腕をしているんだから、これからもがんばってくれたまえよ」
ランメルは笑顔でそう言って、エリオットの肩を叩く。そして。
「私は年齢のせいか最近『着疲れ』しやすくなっていてね、今日は少し憂鬱だよ」
苦笑いしながら、首をすくめてみせた。
上流階級の正装である、密度の高い硬めのウールを使ったフロックコートは、タキシードの裾を前後共にヒザまで伸ばしたような形状。
その中に、同じ生地で合わせた厚手のベストを着込む。
そして高い襟のシャツに、スカーフ。
座れば腰回りが窮屈で、腕も動かしづらいため、食事の時は邪魔となり、どうにも着疲れしてしまう。
「とはいえ、品格を捨てるわけにはいかないからね」
長い裾がどれほど邪魔でも、品格のためにコートを着たまま食事をするのが、ブリティシアの上流階級だ。
「……大丈夫ですか?」
『年齢のせいか』という言葉に少し、悲しさを覚える。
エリオットにとってランメルは恩人であり、同時に祖父のような存在なのだ。
「品位を失わず、それでいて一日中着ていられる。ラウンジでも気軽に使えるような服が、あればいいんだけどねぇ」
そんなことを言いながらランメルは、食事会のために店を出て行く。
「君は良い腕をしているし、まだ時間がある。自分を信じて、ゆっくり進んでいけばいい」
「はいっ、ありがとうございます……っ!」
エリオットは去って行く老紳士の背に、深く頭を下げて見送った。
「もっと普段から着られて、品格のあるものか……」
友人との食事の後に行われる、ラウンジでの歓談。
そんな場ですら着疲れしてしまうというランメルの言葉が、気にかかる。
「なんとか、かなえられないだろうか……」
潰れかけの仕立て屋の子だった自分を見出し、仕立て屋を続けられるよう支援をしてくれているランメル。
仕事はまだ、細々としたものに過ぎない。
それでもランメルが元気なうちに何か恩返しができないかと、エリオットはいつも考えている。
そんな中で、偶然耳にした願望。
恩人への感謝の気持ちと、良い物を作りたいという情熱が自然と湧き上がってくる。
「品位を残しつつ、もっと日常使いに優れた服……」
エリオットはヒントを求めて、街へと繰り出した。
「何か、何かないか……」
街のゆく人たちの格好を見ながら、通りを進む。
他でもないランメルの言葉に、「街で人からジロジロ見られないくらいの、こだわりが良い」というものがある。
奇抜なことをすれば、良いというわけではない。
だからこそ、難しい。
メイフェリアをゆく上流階級の着こなし、シティ・オブ・ロンドールで働く中産階級の装い、そして生活に密着した労働者階級の格好。
わずかな差異にまで目を凝らしながら歩くエリオットが、その店に目を留めるのは当然だった。
「街に溶け込んでいるけど……よく見ると少しずつ違ってる」
『みけ』の外観は落ち着いているが、各所の趣が少しずつ変わっている。
エリオットは気になって、店のドアを開いた。
「いらっしゃいませ」
やって来たのは、まるで上流階級の令嬢の様な立ち姿をしたマリア。
見れば店内の雰囲気も、どこか変わっている。
まだ見ぬ空気感に、わずかに気持ちが跳ねるような感覚。
「ご注文は、いかがなさいますか?」
「見たこともない料理も多いな……よし、この豚料理にしよう。これを頼む」
「トンテキですね、かしこまりました」
丁寧に頭を下げて、去って行くマリア。
やはりこの店はたたずまいからして少し変わっていて、エリオットは辺りを見回してみる。
エマは動きが軽快で、マリアは端正だ。
そのコントラストだけでも、見ていて楽しい。
「お待たせいたしました。トンテキでございます」
「なんだ、これは……!」
やって来たマリアが料理を置くと、エリオットは目を奪われた。
その盛り付けの綺麗さに、思わず感性が刺激される。
皿の中央にはドンと、厚みのある豚ロース肉のステーキが一枚。
表面には香ばしい焼き目がつき、そこに照りのある濃い色のソースが、たっぷり絡んでいる。
切り込みを入れることで、焼いた時に硬くなるのを防いだ一枚肉。
その上には、ソースをまとった薄切りのニンニク盛り。
付け合わせにはキャベツの千切りと、厚切りのパンが添えられている。
「豚肉が、こんな御馳走のように……」
醤油の香ばしさに、重なるほんのりとした甘い匂い。
そこに焼けた豚肉の香りと、ニンニクの力強い香りが加われば、それだけで腹が減ってくる。
「本当にこれが、街の料理店の出す肉なのか……?」
厚みのある肉をナイフで一口大に切り分けて、フォークで口へ運ぶ。
すると噛んだ瞬間、豚肉の旨味と脂の甘みが肉汁となってあふれ出し、一気に口内に広がった。
「す、すごい……! こんな豊かな味わいは、初めてだ!」
表面には、濃厚な甘辛ダレがしっかりと絡んでいる。
醤油の香ばしさに砂糖とみりんが生み出すまろやかな甘み、そしてニンニクの風味が加わることで、濃い味なのに単調にはならない。
これが厚く豪華な豚肉を、見事な御馳走へと変えている。
柔らかくも、肉を食べているという感触もしっかりと味わえる加減で焼かれた肉。
噛むほどに出てくる豚肉そのものの旨味が、タレの味と重なれば、文句なしのおいしさが生まれる。
時々カリッと混ざるガーリックチップも、良いアクセント。
シャキッとしたキャベツの千切りに合わせても、また最高だ。
「これは、パンが進むぞ」
皿に残ったソースを見て、今度はパンを手に取る。
肉汁とタレが残ったところへさっそく押しつけると、柔らかなパンが褐色のソースを吸い込んでいく。
それを口に運べば――。
「素晴らしい……っ!」
香ばしいパンの風味に、豚肉の旨味と甘辛ダレが混ざった濃厚な味が加わる。
肉を食べ、パンでソースを味わい、また肉へ戻る。
一度食べ始めるともう、止めるタイミングが見つからない。
「……これは」
おいしい料理に、すっかり夢中になっていたエリオット。
不意に、思い至る。
フロックコートの長い裾はやはり、椅子の背や脚に引っかかり、ヒザ周りにも布が溜まって邪魔になる。
また身体のラインにしっかりと合うように作られているため、ナイフで肉を切る、フォークを口へ運ぶ、パンを取るといった腕を動かす動作の度に、とにかく肩や肘が引っ張られてしまう。
硬い生地による動きの制限も、馬鹿にできないレベルだ。
「これでは友人たちとの気軽な軽食が、憂鬱なものになってしまうというのもうなずける」
ランメルの言っていた『着疲れ』の意味が、今なら痛いほどよく分かる。
「なんだか、食べにくそうだな」
するとそんなエリオットの姿を見た達也が、何気なくそう言った。
「上着、預かろうか?」
「そういうわけにはいきませんよ。仕立て屋として、品位を捨てるわけには……」
「……なるほど」
エリオットの言葉に、うなずく達也。
あらためて、問いかける。
「食べる時にも綺麗に見える服なんてものは、作れないものなのか?」
「食べる時にも……綺麗に見える服……?」
エリオットの手が、止まった。
「言われてみれば、食事をすることを前提にした服を作ったことなんてなかったな……」
あらためて自身の格好を、見直してみる。
「立ち姿の美しさを追ったこのフロックコートは、食事には向いてない……」
もはやそれは、疑いようのない事実だ。
「でも……緩い服では品位が失われてしまう……」
サイズを大きくすれば、ある程度は楽になるだろう。
だがそれでは、見た目にも緩くなってしまう。
「やるのであれば、品位を保ちながら食事姿を美しく、それでいて快適にする一着。そんなことができるとは、とても……」
立ちはだかる大きな壁に、あらためてため息をつくエリオット。
「…………ん?」
その目が自然と、エマに留まった。
感じる、違和感。
「ご注文ですかっ?」
すると気づいたエマが、すぐに駆け寄ってきた。
とても軽やかなステップと共に。
「メイド服のスカートが、短いのか……?」
そこで気づいた、違和感の正体。
「実は、引っ掛けて破いちゃったんです……」
エマはちょっと恥ずかしそうな、笑みを浮かべる。
転んだ時に破けた、スカートの裾。
その時に思い切って、短く詰めることを選んだのだ。
「でも、動きやすいんですよっ」
そう言って、楽しそうにくるっと一回転。
すると短くなったスカートの裾は軽く、ふわっと広がった。
「……そうか」
その瞬間、走る閃き。
「そういうことかっ!」
あらためてエマを見直して、確信する。
「裾が短くなれば、動きやすさは向上する。だがメイド服の楚々たる雰囲気は、決して失われていない!」
今までは『服を着た姿』ばかりを考えて、『服を着て生活する姿』までは考えていなかった。しかし。
「このやり方なら、上品さを残した普段着という方向性も、決して不可能じゃない!」
見つかった、一つの可能性。
気合が入ったエリオットは、勢いよく料理を食べ尽くして店を出る。
「うまかった! また来るよ!」
「あ、ありがとうございましたーっ!」
まだ食べ終えたばかりだというのに、エリオットはただの一度も止まることなく、自らの店へと駆け戻った。
「目指すのは、正装と普段着の中間だ!」
まずは生地選びから。
「従来のフロックコートに使う硬く密な生地ではなく、身体の動きに合わせてしなやかに馴染む、柔らかなウール!」
型を作り、仮縫いで成形。
ここまできたら木製の人型はお役御免、自ら身にまとって確認に入る。
「腕を前に出しやすいよう肩の可動域を確保して、ヒジを曲げやすい程度の余裕を作る……よし!」
時間は刻々と過ぎていく。
しかし、エリオットの情熱は止まらない。
「僕はこれまで、とにかく立ち姿ばかりを重視していた……だが今回は座る、前屈みになるといった動作も考慮する。そのカギになるのは……短い裾だ!」
エマのスカートを思い出しながら、さらなる試行錯誤を繰り返す。
そして夜が明ける頃には、一枚の新しい上着が完成していた。
「……できた」
それはサイズを大きくすることではなく、身体の動きを計算することで着やすくした、新たな一品。
「さっそくランメルさんに見てもらおう! ラウンジでも着られる、品格と快適さを併せ持った一着を!」
◆
「今日は嫌というほど聞かれたよ……その見事なジャケットは、どこの仕立てだってね」
「ほ、本当ですかっ!?」
フロックコートよりカジュアルで快適だが、品格はしっかりと感じられる。
そんな一着は、英国のダンディに見事にマッチ。
エリオットの仕立てた服を着て食事会へ向かったランメルは、あっという間に羨望の的になった。
「これで食事会の憂鬱から解放された。最高の仕事をしてくれた君に感謝するよ。これからは、忙しくなりそうだな」
「ありがとうございます……っ!」
少しでも恩返しができたことが、とにかくうれしい。
満面の笑みで頭を下げるエリオットに、ランメルは優しい笑みを見せる。
「さて、それじゃあ失礼しようかな。これからちょっと、リゾートに足を運ぶ予定があるんでね。もちろん――――こいつを着て行かせてもらうよ」
「はいっ! 行ってらっしゃいませ!」
ランメルは足取り軽く、『みけ』を出て行った。
店のドアが閉まると、エリオットは勢いよく顔を上げる。
「店主、メイドの二人……今日は僕に奢らせてくれ! 代金は全部僕が出すっ!」
「ええええーっ!? いいんですかっ!?」
その言葉に、うっかり跳び上がったエマ。
「あっ! で、でででもっ! 今は、お、お、お仕事中なので……っ!」
慌てて自我を取り戻し、だらしなくなってしまう顔をトレーで隠す。
「あらあらあら」
必死に食欲を抑えるクマに、「うふふ」と笑うマリア。
しかしその目はチラッと、工員ハリソンのエールをのぞき見ていた。
「……その気持ちだけで、十分だよ」
そんな二人にしっかり気づいた達也は、苦笑いしながら料理を続けるのだった。
達也の一言と、スカートの裾を切ったエマの存在。
こうして誕生した紳士服は、ラウンジスーツと呼ばれるようになる。
リラックスのために作られた新たな一着は、快適だが品格を失わない。
また正装ほど堅苦しくなく、普段着ほど砕けていないという利点が、商人や銀行家といった中産階級にも愛されるようになっていく。
「分かったよ店主、それなら」
「それなら?」
「仕立てが必要な時は、いつでも来てくれ。店の場所は――――『サヴィル・ロウ』だ」
それは英国を代表する、テーラリングの聖地。
この街で育まれた紳士服の文化は、時代も国境すらも越えていく。
そしていつの日か極東の島国にも伝わったその一着は、『背広』として広まっていくことになるのだった。
ご感想いただきました! ありがとうございます! 返信はご感想欄にてっ!
ニンニクの効いた甘辛ダレとあの脂の感じ、最高ですよねぇ……!
お読みいただきありがとうございました!
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