88.郵便配達員と鶏の照り焼き丼
ブリティシアに、機関車が本格的に走り出した頃。
郵便制度に、大きな改革が訪れた。
国内への手紙は距離に関係なく、一定重量まで同価格というシステムが誕生。
料金の安さに郵便量が一気に増え、わずか一年で約7600万通から約1億6900万通へと急成長した。
画期的なこの制度は、後に一人の留学生の手によって、極東の島国にも広がっていく事になる。
「ほらよ、今日はこれで最後だ」
「お、少ねえな!」
「良かったな、早くあがれるぞ」
白色の石材で覆われた整然とした外壁に、巨大な円柱が並ぶ正面玄関。
オフィスというよりは美術館のような外観をした巨大なギリシャ風建築は、ロンドール中央郵便局。
その郵便配達員室で行われたのは、仕分け済みの手紙の受け渡しだ。
「こいつは好都合だな」
青い制服の上着に、白いシャツ。
首元にはネクタイを締め、濃い色のズボンに革靴を履いた三十歳ほどの男は、配達員のデイヴィッド・リース。
一気に忙しくなった郵便局。
今では一日に複数回、局に戻っては新たな郵便物を持って出るというのが、彼の日常だ。
「まだ、ベルとかいうヤツを探しているのか?」
「まあな」
「宛先不明の手紙なんて追ってたら、せっかくの早上がりが台無しだぞ。差出人へ返送でいいだろ」
そう言って「寄こせ」と、手を伸ばす同僚。
しかしデイヴィッドは、首を振る。
「それはそうなんだけどよ……」
封筒に貼られた、世界最初の切手であるペニー・ブラック。
その横に書かれた『最重要!』の文字が、どうしても気にかかる。
「やっぱ、もう一回行ってくる!」
どうにか、受取人に届けられないか。
デイヴィッドは肩から革の郵便袋を提げると、局を駆け出した。
まだ『市』『町』『番』『号』という住所体系が完全に整っていないため、宛先は建物名や店名といった『目印』を頼りにしたものになる。
そしてそれが配達の難しさに、拍車をかけているのだ。
「よし、今度こそ……!」
少ない郵便物を先に片付けたデイヴィッドは、あらためて『最重要!』の手紙を取り出す。
「届け先は、パン屋の隣」
宛先の時点で、どの区画なのかは分かっている。ただし。
「そのパン屋が、見つからねえんだよなぁ……」
何度歩いてみても、パン屋がない。
デイヴィッドは近くにいた住民らしき人物に、声をかけてみる。
「ちょっといいか? この辺にパン屋はねえかな?」
「パン屋? ないなぁ」
「やっぱりか……そんならエブリン・ベルって人を知らねえか?」
「知らん」
「朝来た時と同じだな……」
宛先には確かに『カーターズ・ベイカーの隣』と書かれているが、店が見つからない。
さらに受取人の名前を聞いても、知らないと言われてしまう。
「何やってんだ?」
困っていると、そこに工場仕事帰りらしき一人の男がやって来た。
「パン屋を探してんだってさ」
「カーターズ・ベイカーっていうんだけど、知らねえか?」
デイヴィッドがたずねると、男は「ああ」と声をあげた。
「ここから三つほど道を進んだところだな、二年ほど前に店を閉めたんだよ」
「そういうことか……! 助かった、ありがとよ!」
パン屋が見つからなかった理由が、これで明確になった。
駆け出したデイヴィッドは言われた通り、三本の通りを横切って辺りの建物を確認。
そこには確かに、パンを入れていたのであろう『カーターズ』と書かれた木箱が放置されている、古びた建物があった。
さっそく、『隣』に位置する建物を確認していく。
「……どういうことだ?」
しかし、今度は受取人が見つからない。
デイヴィッドはパン屋の二つ隣にある一軒家に声をかけて、確かめることにした。
「ちょっといいか? この辺にエブリン・ベルっていう人が住んでいると思うんだけどよ、知らねえか?」
「ベル? そんなやつ知らないな」
「以前住んでたとか、そういう話は?」
「俺はここに十五年ほど住んでる。近辺の住民は皆知ってるけど、聞いたこともない名前だ」
「聞いたことすら……? そっか、あんがとな」
念のため少し範囲を広げて探してみるが、やはりベルという住人は見つからない。
それどころか、情報すら出てこなかった。
「……さすがにこれは、厳しいか」
『最重要!』と書かれた封筒を手にしたまま、デイヴィッドはため息をつく。
「今回は、仕方なかった」
自分に言い聞かせるようにつぶやいて、郵便局への道を歩き出す。
そして普段は通らない道を、進んで行くと――。
「なんだか、めずらしい店だな」
キツネの看板を掲げた、少し変わった造りの店。
一日歩き続けた身体が、空腹を訴えるように音を鳴らした。
「よし、せっかくの早上がりなんだ! 何か食ってくか!」
そう決めて、デイヴィッドは店のドアを開いた。
「いらっしゃいませ」
優しい声と共に、穏やかな笑みでやって来たのはマリア。
「こちらのお席へどうぞ」
その綺麗な所作に驚きながらも、デイヴィッドはカウンター席に腰を下ろす。
「ご注文は、いかがなさいますか?」
「今日も歩いたからな。何か食べがいのある肉料理とかが欲しいところだが……」
デイヴィッドはカウンター席の客が、うまそうにエールを飲んでいるのを発見。
思わず目を留めた。
「あとエールを……いや、やっぱいい」
「お仕事中ですか?」
「…………まあな」
「それでしたら、鶏の照り焼き丼はいかがでしょうか」
「鶏か。よし、そんならそいつを頼む」
「かしこまりました。少々お待ちください」
オーダーを伝えに行くマリアを見送って、息をつくデイヴィッド。
郵便袋に一枚だけ残った封筒を、じっと見つめていると――。
「お待たせいたしました。こちら鶏の照り焼き丼でございます」
「こりゃ、すげえな……」
思わず声をあげてしまった。
丼には、艶やかな白米。
その上には、こんがり焼き目のついた鶏もも肉が、たっぷりと並んでいる。
表面には甘辛いタレが見事な照りを作り、ところどころに焼けた皮の焦げ目がのぞいていた。
仕上げに散らされた刻み海苔が黒々とした彩りを添え、天辺には細かく刻んだ青ネギが鎮座している。
鼻をくすぐるのは、醤油と砂糖が焼けた甘く香ばしい匂いだ。
そこに鶏肉から立ち上る脂の香りが重なって、食欲を激しくかき立ててくる。
「なんて、うまそうな匂いなんだ……」
初めて嗅ぐその香りは、あまりにも魅力的だった。
思わず鶏肉を一切れ取り上げて、口に放り込む。
「う、おおおおっ!?」
表面は香ばしく焼き上がっているのに、噛めば中から肉汁がじゅわりとにじみ出す。
その旨味は甘辛いタレの濃厚な味わいと混ざって、一気に口内へと広がっていく。
醤油の塩気と砂糖のまろやかな甘さは、焼けた鶏の香ばしさを見事に引き立てている。
「すんげえ! こんなに柔らかくて、こんなにもうまい肉があんのか!」
思わずもれる叫び。
そこへ青ネギの爽やかな香りと、ほんのわずかな辛味が重なった。
柔らかな鶏肉の食感、その間に感じるシャキッとした歯触りが心地いい。
そのまま白米を頬張ると、甘いタレとの異常なまでの相性の良さを、これでもかと思い知らされる。
そして噛むほどに、米の甘さは鶏の旨味と一つになっていく。
そこに、刻み海苔の風味がふわり。
磯の香りが甘いタレの濃さをわずかに和らげて、後味に軽やかな香ばしさを残してくれる。
甘辛い鶏、爽やかなネギ、香ばしい海苔、全てを受け止める白米。
気がつけば、手が止まらない。
濃い味のタレと香ばしい鶏肉は、疲れた身体に「もっと食べろ」と訴えかけてくるような力強さがある。
「さいっこうだな、こいつは! 店主、めちゃくちゃうめえよ!」
「ありがとうございます」
甘辛ダレをまとった白米を男らしくかき込んだデイヴィッドは、歓喜と感嘆の声を上げた。
「うまい上に、食べがいもある……! それなのに重くねえ!」
すっかり満足して、大きく息をつくデイヴィッド。
水を一杯飲み干した後、その手に封筒を取り出した。
「お手紙ですかっ?」
興味深そうに尋ねてきたのは、エマ。
「……ああ、見ての通り配達員だからな」
「私も仕送りとお手紙を、よく故郷に送っているんです。いつもありがとうございますっ」
にこにこと笑うエマに、デイヴィッドは思わず問いかける。
「やっぱ、手紙が届くとうれしいよな」
「はい、うれしいですっ」
「大事な手紙は、人生にだって関わることがあるもんな」
「はいっ」
「そう……だよな」
差出人の名前を見ると、一緒に書かれた住所は遠方のものだ。
遥か遠くの町から、どうしても伝えたいことがあるのだろう。
『最重要!』の文字が、どうしても目につく。
「ああーっ! もうっ!!」
突然声を上げたデイヴィッドに、首をかしげるエマ。
一度は諦めかけたのに、再び気持ちがはやり出してしまった。
「この手紙は宛先が曖昧で、このままじゃ返送するしかねえんだ」
「そうなんですか……?」
「でも、やっぱどうしても届けてやりてえ! そもそも、重要じゃねえ手紙なんて一つもねえんだよ……っ!」
そう言い放って、デイヴィッドは立ち上がる。
「もう一度、探しに行ってくる!」
「はいっ、きっと見つかりますっ」
「はい、きっと」
エマとマリアに背を押され、店を駆け出していくデイヴィッド。
「またどうぞ」
達也も静かうなずいて、その背を見送った。
暗くなってきた街を照らすのは、ガス灯の放つ橙色の輝き。
元パン屋の建物近くに戻ったデイヴィッドは、すぐさま聞き込みに入る。
「カーターズ・ベイカーの近くに住んでるエブリン・ベルを探してんだ! 何か知らねえか!?」
「知らないなぁ」
しかし、状況は変わらない。
宛先からも、受取人からも、情報は一切出てこない。
少しずつ元パン屋の建物から距離を取り、新たに聞き込みを続けてみるが、やはり結果は同じだ。
「そもそも、区画自体を書き間違ってるんか……?」
それならもう、どうしようもない。
デイヴィッドは手紙を街灯に照らして、じっと眺める。
するとそこに通りがかったのは、新聞売り帰りなのであろう少年。
「なあ、カーターズ・ベイカーって知ってるか?」
たずねると少年は首を傾げた。そして。
「知ってるよ。一年前にお店を締めちゃったんだよね」
「やっぱそうだよな……って、一年前?」
それはわずかな違いだが、これまで出てこなかったズレ。
デイヴィッドは、念のため聞いておく。
「その店って、あっちにあるやつだよな?」
「違うよ、向こうだよ」
少年が指差したのは、これまでデイヴィッドが駆け回っていた場所とはまるで反対側だ。
「……まさか、同じ区画に同名の店が二つあったのか!?」
それが区画の両端にあるのなら、この辺りの住民がエブリンの顔や名前を知らなくてもおかしくない。
「ありがとよ! 行ってみる!」
デイヴィッドは、少年が指差した通りへ向かって走り出す。
するとしばらく進んだ先に、確かに汚れたレンガ積みの煙突を持つ元店舗があった。そして。
その隣家に、灯るランプの光。
さっそくドアを叩くと、様子をうかがうような声が聞こえてきた。
「どちら様ですか?」
「配達だ! あんたエブリンだよな! 手紙が来てんだ!」
そう言うとドアが細く開き、その隙間から差出人を確認。
突然、女性が家を飛び出てきた。
「うおおっ!?」
「本当、あの子からだ!」
受け取った封筒から手紙を取り出すと、女性はすぐにその内容を読み始める。
そして、そのまま座り込んでしまう。
その様子を見て、思わずデイヴィッドは問いかける。
「……大丈夫か?」
「すみません、慌ててしまって。半年ほどの前の嵐の日から、商船乗りの息子から連絡が途切れていて……ずっと、心配で……」
「それは良かったな……ちなみに、なんて書かれてんだ?」
『最重要!』そんな文字を思い出して、問いかける。
「昔飼っていた猫に、そっくりな猫を見つけたって」
「なんだそれ!」
とても重要とは思えない内容に、思わず出る叫び。
それはどう考えても、どうでもいい世間話だ。しかし。
「良かった……無事で、本当に良かった……っ」
手紙を手に涙を浮かべる受取人を見て、デイヴィッドはそっと踵を返すことにした。
気づけば、早上がりどころか定刻すら過ぎてしまっている。
それでもデイヴィッドは、笑いながら道を引き返す。そして。
この日、二度目の『みけ』へ。
「いらっしゃいませーっ! あっ、どうでしたかっ!?」
「無事、届けられたよ」
「良かったです!」
エマはトレーを抱きしめ、うれしそうに一回転。
「店員さん。軽くつまめるものと、今度こそエールを頼む」
「はい、かしこまりました」
マリアにオーダーを通し、先ほどと同じカウンター席に着くデイヴィッド。
「ちゃんと届いて良かったですね! わたしも手紙を書きたくなっちゃいました!」
「なんだか……食べてうまかったもんの話ばっか書いてそうだな」
「中身を見たんですか!?」
「いや、エマちゃん見てりゃすぐに分かんだろ」
「ええっ!?」
「うふふ、あらまあ」
一杯やっていた荷受人夫アランの一声に、店内に笑い声が響き渡る。
そんな中でデイヴィッドは、エールを手に満足そうに笑う。
「……差出人がくだらねえ話を書いて寄こせるほど元気だってことが、あの人にとっちゃ何より大事だったんだろうなぁ」
驚くほどにうまい『みけ』のエール。
良い仕事ができた日の一杯は、もう格別だ。
「受取人にとって『最重要!』なのであれば……良かったよ」
産業革命によって、ブリティシアは世界一の先進国家となった。
蒸気船も機関車も、毎日のようにたくさんの物資を運び続けている。それでも。
そこに住む人々の思いをつないでいるのは、日々街を忙しく駆け回っている彼らなのだ。
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別名焼き鳥丼、大好物です……! あの甘いタレと焼き海苔の香りがたまりませんっ!
お読みいただきありがとうございました!
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