84.お抱え料理人と魔改造コーヒーゼリー
「……駄目だ! 思いつかない!!」
男は大量のレシピを広げたキッチン台を叩いて、悲鳴にも似た声を上げた。
「だが、栄えあるペンブルック家の名を汚すわけには……っ!」
悩んでいるのは、ジェフリー・クラウザー。
この家の台所を任されている、四十歳の料理人だ。
「そんなに思いつめなくてもいいんじゃないですかぁ? 貿易商にめずらしい果物の一つでも持って来させて、それでパイでも作ればいいんですよ」
「ダメだ! ペンブルック家の誉れは、そんなものでは守れない……!」
「相変わらず、お堅いなぁ」
苦笑いを浮かべるのは、ジェフリーの手伝いをすることが多いキッチンメイドのアニー。
まだ二十歳ほどの彼女は、大雑把な性格をしているようだ。
「やあ、調子はどうだい?」
そこにやって来たのは、一人の青年。
この家の当主である、ジュリアン・ペンブルック。
彼は質素であることが美徳とされるブリティシア上流階級の中で、数少ない食通の一人だ。
「食道楽の集まりともなると、やっぱり誰も見たことのない一品が華になる。面白いデザートを頼むよ」
「……はい! 必ずや期待に応えて見せます!」
「アニー、仕事をするからコーヒーを頼む。ジェフリーの邪魔はしないようにね」
「はーい」
そう言い残して、キッチンを出ていくジュリアン。
「ジュリアン様は『面白い物』を求めているんだからぁ、根を詰めてもしょうがないですよ」
「それでは、家名に傷がつくだろう……!」
「ほんと、硬いんだから……これでも飲んで、落ち着いてくださいね」
アニーはジェフリーの分もコーヒーを用意すると、キッチンを出て行った。
グルメな雇い主が仲間を呼んで開く、小さな集まり。
その良いネタになればそれでいいのだが、ジェフリーにはこの家の料理人である事への誇りがあり、また少し硬い一面があった。
「まだ誰もやってない事……まだ誰もやってない事……!」
アニーの淹れたコーヒーを飲みながら、様々なレシピを読み漁る。
「デザートなら今はゼリーが流行っているが……フルーツを使ったものはあらかた食べているはずだ。それなら、果物以外ではどうだ……?」
ジェフリーは辺りを見回してみる。そして。
「……はっ!」
今まさに口にしていたコーヒーに、その目をとめた。
さっそくその思いつきメモに記して、動き出す。
「コーヒーは冷えると香りが落ち着く。よってブラックで、強めに淹れることが大事だろう」
まずは通常より、濃く淹れたコーヒーを用意する。
「続けて牛の脚を煮だして作ったゼラチンを混ぜ、コーヒーを冷やし固める」
もちろん冷蔵に使うのは、上流階級ならではのアイスボックスだ。
こうして出来上がったのは、見たこともない黒色のゼリー。
「名付けてコーヒーゼリー! これは新しいぞ!!」
新たなデザートの完成に、思わず上がる意気。
ジェフリーは勢いのままにスプーンを取ると、さっそく一口。
「おおっ! これは……っ!」
思わず、感嘆の声を上げた。
「マズい!」
その味は決して、美味とは言い難いものだった。
「コーヒーの香りはやはり、冷やしてゼリーにすることで閉じてしまう。その事を考えて濃く抽出したが……香りだけが落ちたことで、苦みばかりが目立ってしまっている。さらに牛から取ったゼラチンの風味が邪魔をして、コーヒーの旨さが行方不明状態だ……!」
それは、見事なまでの失敗。
「そもそもコーヒーは、熱いものを楽しむ飲料じゃないか。それを食べようだなんて、奇をてらっただけの邪道。うまくいくはずがないんだ。そのうえゼリーは見た目の美しさが重視される。こんな真っ黒なものがよろこばれるはずがない。焦りのあまり、どうかしていたのかもしれないな……」
我に返ったジェフリーは、ため息をつきながら屋敷を出る。
その足は自然と、港の方へ。
「ここなら、見知らぬ食材もあるのだろう。だが適当な輸入食品を買ってごまかすことは、したくない……!」
お硬いジェフリーは、思い悩む。
そしてなんとなく持ち出してきた、コーヒーゼリーのメモを眺めてみる。すると。
「っ!」
噴きつけた風が、メモを吹き飛ばした。
仕方なく、ジェフリーは後を追う。
「……コーヒーゼリー?」
「どんな味がするんでしょうか……!」
飛んできたメモを拾ったのは、散歩中の達也とエマだった。
早くも目を輝かせているエマに、ジェフリーは少し恥ずかしそうにしながらメモを受け取る。
「期待するようなものじゃない。ゼリーにしたコーヒーなんていうキワモノが、おいしくなるわけがないんだ」
そう言って、メモを握り潰す。しかし。
「そんなことないですよ」
達也は、ハッキリとそう言った。
「明日ぜひ、店に来てください。おいしいコーヒーゼリーを作ってお待ちしています!」
「……なんだって?」
そう告げた『甘党』達也の目は、エマに負けないほど熱く燃えていた。
◆
「ここが『みけ』か……」
イーストエッジに建つ、キツネの看板が目印の料理店。
「コーヒーゼリー。大したものになるとは、到底思えないが……」
それでも新たなデザートがどうしても必要なジェフリーは、すがるような思いで店のドアを開く。
「いらっしゃいませーっ! あっ、昨日の!」
すぐに気づいたエマは、笑顔でジェフリーをカウンター席へと案内。
「達也さんっ!」
「お待ちしてましたよ」
めずらしく、妖しい笑みを浮かべみせる達也。
「コーヒーゼリーを食べさせてくれる……でいいのか?」
「はい、少々お待ちください」
達也はそう言って、冷やしておいたゼリーに生クリームを注ぎ込む。
「お待たせいたしました、コーヒーゼリーになります」
「なっ!?」
カウンターに乗せると、ジェフリーは驚愕した。
黒いゼリーなど、華やかさに欠けるばかりで上流階級の世界には合わないと思っていた。
しかしグラスに広がる生クリームの氷河に浮かぶ、流氷のようなコーヒーゼリーには不思議な美しさがある。
最後に乗せられたミントも、見事に上品さを醸し出しているではないか。
「これがあの、コーヒーゼリーなのか……?」
スプーンですくった瞬間、ゼリーは黒色のガラス細工のように美しい光を返してきた。
プルプルと震えるその一品を、そっと口に運んでみる。
「お、おおっ!?」
最初に感じるのは口内をなぞるゼリーの程よい柔らかさと、輪郭を持った冷たさだ。
そしてその奥から、コーヒーの豊潤な香りがふわりと立ち上がった。
「香りがしっかり立っている……! ひんやり冷たいのに、こんなにしっかりと……!!」
コーヒー特有の苦味はゼリーの柔らかい弾力に包まれていて優しく、滑らかに舌の上を通り過ぎていく。
それはゼリーに少量だけ入れられた砂糖の、ほのかな甘さが苦みを丸く収めているから。
そして、白い雲のようなクリーム。
ミルクの甘い香りに、ほんの少しだけバターのようなコクがあり、濃いのに重くない。
冷たいゼリーの中に閉じ込められていたコーヒーの香りが、クリームの脂肪に触れた瞬間に、ふわっと解き放たれるように広がった。
しかし余韻は短く、甘さが静かに消えていく。
飲み込めば冷たいコーヒーゼリーの爽やかな香りと苦味、クリームの濃厚なコクと甘みが一体となって、ノドをなぞっていく。
その瞬間が……たまらない。
「おいしそうですねぇ……」
「本当ねぇ」
急遽出没したクマに、裾をギュッと握られたマリアが「あらあら」と笑う。
「うまい……! あまりにうまいっ!」
思わず声を上げるジェフリー。
「だが一体どうして、あのコーヒーゼリーがこれほどの逸品に……!?」
もちろん、聞かざるを得ない。
すると達也は、コーヒー豆を取り出し語り出す。
「まずはゼリーにした時に香りが立つ豆の選定ですね。中深煎りで香りの強い豆が最適です。深煎りすぎると香りが重くなり、浅煎りすぎると固まった時に酸味が浮いてしまいます。またゼリーにすると香りが閉じるので、濃度を通常の1.5倍ほど上げて香りの密度を補いました」
(なんと! 豆の選定一つに、そこまでこだわったのか!?)
これには思わず、驚きを見せるジェフリー。
だが達也は止まらない。
「ゼラチンの量は0.1グラム単位で調整しました。今回はクリームと合わせる予定だったので、プリンより少し硬めくらいを意識したんです。単体で食べる場合はもっと柔らかくして、香りを立たせるのが良さそうですね。また砂糖を入れると香味を保持してくれたり、クリームの甘さが浮かなくなるので、控えめに使用しておきました」
「最初から砂糖多めではダメなのか?」
「ゼリーに砂糖を多く入れてしまうと、甘さを選べないんですよ。クリームがあるのなら、一緒にどれだけ取るかで調整できるんです」
(そ、そこまでするのか!? コーヒーを固めるだけのレシピに、なぜそこまでっ!?)
驚愕に、思わずジェフリーのノドが鳴る。
「後は冷やし方も大事ですね。急冷すると香りが閉じやすく、表面が荒れて食感が硬くなる。なので今回は常温、弱冷、強冷という三段階で冷やしました」
「さっ、三段階だと――ッ!?」
(な、何というこだわりぶりだ! ただゼリーを固めるためだけに、そこまでするとは……もはや恐ろしいッ!!)
達也の異常なまでのこだわりは、驚愕を通り過ぎていよいよ怖さの領域へ。
「そして、もう一つ」
「まだ、まだ他にもあるというのかッ!?」
「ゼリーの上に数滴の水出しコーヒーを垂らします。これによってゼリーの中身に加えて、表面にも香りが生まれます。今回はこうして風味を大事にしたので、おいしいんですけど……バニラアイスは抜きです! ここは本当に悩みました! 好きなので!」
「最後に数滴かけるためだけに、別にコーヒーを用意したのか……」
(ど、どうかしてる……一体どれだけこだわれば気が済むというんだ……フランク王国にすら、コーヒーを食べるものとしてここまで昇華させるような変人は、存在しないだろう……)
『甘党』達也、全力でコーヒーゼリーを作った結果、ジェフリーを呆然とさせてしまう。
(長いコーヒー豆の説明、細かすぎる凝固剤の分量、意味不明レベルの冷却工程。そして、コーヒーを数滴だけ後がけするという謎の儀式。これはもはや――――狂気だッ!!)
「ちなみに」
「……ち、ちなみに?」
「コーヒーゼリーを、飲むパターンもありますよ」
「いや普通に飲めばいいだろう!! 何で一度固めるんだ!!」
「それでしか出ない、食感があるんですよ」
「ど、どうかしてる……完全にどうかしている――――ッ!!」
コーヒーを使ったゼリーを作る。
そんな常識外れの奇妙な発想に、執念と言えるレベルの工程を施した達也。
ジェフリーはもう、静かにお代わりを要求することしかできないのだった。
◆
「ほう、これは面白いな!」
「まったくだ! こんなゼリーは初めて見るぞ!」
ペンブルックの邸宅はこの夜、大いに盛り上がっていた。
ブリティシアでは異端とされるグルメな上流階級たちが集まり、わずかな人数で開く食事会。
出されたコーヒーゼリーは、好評を博した。
「いいよジェフリー! 最高に面白いよ!」
これには当主ジュリアンも、ご機嫌だ。
「いえ、まだ全然です……あの店の、店主の『狂気』にはまるで届かない……技術も、こだわりも……」
「相変わらず、堅いですねぇ。こんなにおいしいのに」
余剰分のコーヒーゼリーを楽しみながら、苦笑いするのはキッチンメイドのアニー。
もともと『ネタ』くらいの感覚で求められていた、新たなデザートだ。
これなら家名を傷つけることもない。
しかしジェフリーは、納得などいっていない。
(砂糖を使い、コーヒーを後がけし、ミルクで色味も綺麗にした……だが、全然届いていない)
自らも一口食べて、あらためて感じる。
(あの豊潤な香りは再現できず、アイシングラスによる凝固もまだまだ半端だ。あの日食べた一品には、遠く及ばない……っ!)
敗北を口にすることすら、おこがましい。
実際に『みけ』で食べたからこそ感じてしまう、大きな差。
「恐るべし、『みけ』の店主……またいつか、あの驚異的なこだわりに触れることができるだろうか……」
打ちひしがれながらも、笑う。
達也の世界においてコーヒーゼリーは、レシピ誕生から百年以上の時を経て、極東の島国に目を付けられた。
そしてその異常なこだわりによって魔改造を施された一品は、見事に開花。
ブリティシアの料理人ジェフリーを、華麗に救ってみせたのだった。
ついに出ましたコーヒーゼリー……! 昨年の夏はペットボトルのまま作るレシピで楽しみました!
バニラアイスと一緒でもおいしいですよねぇ……!
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