83.不当な取引とアップルパイとマサラ・チャイ
ブリティシアから、遥か東南の大国インディオ。
一人の青年が今、生まれ育った村を旅立とうとしていた。
「ラーム、お前は村で一番賢い。自信を持って行ってくるんだよ」
「頼んだぞ、この村を救ってくれ……!」
「がんばってね、ラーム!」
東インディオ会社の役人による不当な課税、特定商人やそのお抱え農園への優遇。
ラームの村の農家たちは不公平な品質評価と買い叩き、船会社との不利な契約に苦しんでいた。
「これ、村の皆で出し合って集めたんだ。少ないけど……」
「みんな……」
村中の農家が少しずつ金銭を出し合って、ラームに村の未来を託す。
「俺たちのカルダモンは良いものだ。直接ロンドールに売りに行けば、正当な値段で売れるだろう」
ラームはそう言って、気合を入れる。
「おいおい、そんなに固くなるなって! 失敗したっていいんだぞ! とにかく無事に帰ってこい!」
「アニル……ありがとう」
笑いながら肩をバンバンと叩いてきたのは、長らくの友人アニル。
だが彼の家は、続く父の体調不良で夕食一つにも困っていることをラームは知っている。
その上で、「失敗してもいい」と言ってくれているのだ。
(不当な商売に振り回されている村の皆が、どれだけの思いでこの旅費を捻出してくれたか……)
村人たちの思いを考えると、思わず胸が熱くなる。
「行ってくる……!」
村で作ったスパイスを正当な価格で売れば、厳しい生活を改善することができる。だから。
(必ず良い売買契約を結んで、帰って来るんだ……!)
そう固く心に決めて、歩き出す。
こうしてラームは、遥か遠いロンドールに向けて旅立った。
◆
「それでは、商品を見せてもらいましょうか」
ハットにジャケットという格好をしたロンドールの上流階級商人は、ラームが持ち込んで来た香辛料を確認する。
カルダモンはレモンのようなスーッと鼻を抜ける爽快感と、温かみのある甘さ、そしてピリッとした刺激が特徴だ。
ラームは緊張しながら、麻袋を開いて渡す。
「……やはりね」
上流階級商人は、わざとらしくため息をついてみせた。
「見なさい。こうして手に取ると少し貼りつく感じがある。これはインディオの蒸し暑さに湿気ってしまっている証拠だよ」
「違います! 手に貼り付くのは、油分が豊かで鮮度が高い証拠です!」
ラームはすぐさま言い返す。
しかし上流階級商人は、ため息をもう一つ。
今度は鼻を近づけて、香りを嗅ぐ。
「それに、匂いが強すぎる。ロンドールの客はもっと控えめな香りを好むんだがねぇ」
「それこそが新鮮さの証じゃないですか! 香りが強いなら使用量を少なくすればいいだけです! 好みの問題を欠点にすり替えないでください!」
欠点を言い付けて、安く買い叩く。
そんな狙いを見破ったラームの思わぬ反論に、商人はわずかにたじろぐが、すぐに次のカードを切ってくる。
「……ほら、異物だ。こういう混入は二級品の証拠だよ」
「それは茎です。収穫時に自然に混じるもので、品質には影響しません」
向けられた難癖に、冷静に反論するラーム。
しかし商人は、苦笑いを浮かべてみせた。
「高級品の代名詞であるマーラバル産では、こんなことないんだよ。やはり、出来そのものが違うんだ」
「そんなことはありません! 香りも品質も負けてないんです! だいたいその産地による序列こそ、根拠なく付けられた指標に過ぎません!」
村の者たちと学び、手をかけ、良いカルダモンを育てた。
確かな自負があるラームは食い下がる。しかし。
「君たちでは品質の細かな違いなど、分からないだろう? 私たちは……プロだからね」
「そんなことはありません! ちゃんと違いを知った上で商談に来ています!」
一歩も引かないラーム。
商人は大げさに、「やれやれ」と首を振る。
「やはり君たちには分からないんだろうねぇ、この違いが。それでは話にならないよ。君の持って来たカルダモンは……これくらいの価格が正当だ」
「そんな……!」
提示された価格は、市場の半分以下。
これでは、ロンドールまで出てきた意味がない。
(こんなのただ難癖をつけて、値下げを正当化しているだけじゃないか! しかもその根拠が『違いが分かるか否か』なんていう、曖昧この上ないものだなんて……!)
「勘違いをしないでくれたまえよ。良い品質のものには、しっかりと対価を払う。それが我々ブリティシア商人の、ハリントン商店の――――プライドだ」
「……くっ」
得意げに笑う上流階級商人を前に、肩を落として店を出るラーム。
問題はこのやりとりが、すでに二十軒目だということだ。
ブリティシアの上流階級商人は、インディオ出身の商人に対して品質を不当に低く評価したり、商品を「粗悪だ」と決めつけて正当な価格を払わなかったりすることがあった。
取引の場を支配するブリティシアの上流階級商人は立場が強く、どれだけ正当性を語ったところで取引自体を潰されたら終わり。
何のコネを持たないインディオ商人には、あまりに厳しい世界だ。
(何とか、何とかする方法はないか……)
例えどれだけ状況が厳しくとも、ラームに立ち止まることは許されない。
(村のみんなのために、笑って送り出してくれたアニルのために、良い契約を持ち帰りたい……っ!)
ラームは街を進む。
こういう時は、歩きながら考えるのが彼の定番だ。
「……おや、君もインディオから来たのかい?」
するとイーストエッジに入ったところで、声をかけられた。
そこにいたのは、故郷を同じくするインディオ人水夫だった。
「ああ、そうだよ」
「こっちの生活は大変じゃないか?」
「まあね。特に食べ物には苦労しているよ」
「それなら良い料理店がある。その店では上流階級や商人、労働者なんかも一緒に食事をするんだ」
「それは確かに変わっているな……今日は何も食べてないし、行ってみるよ」
遠い異国の地で見つけた、同郷の士。
その勧めに従って、ラームは進む。
すると聞いていた通り、キツネの看板を提げた店が見えてきた。
「いらっしゃいませーっ!」
ドアを開くと、すぐに元気の良いメイドがラームをカウンター席に案内する。
「ご注文は何にしますかっ?」
満面の笑みで問いかけるエマだが、ラームの視線は早くも先客の老人に釘付けだった。
「あれは、カリの一種か……?」
元ブリティシア海軍士官であるアーロンが食べているカレーに、驚きの目を向ける。
見ればその隣にいる国務大臣ジョンソンは、サンドイッチを食べながら、海軍でカレーが壊血病の対応策として効果を上げている旨を語っている。
「カレーライスですね! とってもおいしいですよっ!」
「それならその、カレーライスとやらを頼む」
「はいっ! 少々お待ちくださいっ!」
さっそくオーダーを、伝えに行くエマ。
あらためて見回してみると、テーブル席では貴族のヴィクトルが焼き餃子をむさぼり、家庭教師の青年を虎視眈々と狙う少女デイジーは、スコーンをかじりながらため息を吐いている。
「お待たせいたしましたーっ! こちらカレーライスになりますっ!」
「これは、良い香りだ……」
ラームは届いたカレーをさっそくライスにかけて、一口。
「うまい……っ!」
とろみのあるルーはしっかりとスパイスが効いていて、味つけも見事だ。
インディオのものとは違っているが見事に、いや、ちょっと『どうかしている』くらいの改造が施されている。
そしてその素晴らしい旨味と、刺激が舌を駆け抜けた瞬間。
「……っ!」
浮かぶ、閃き。
ラームは思わずメニューを手に取って、内容を確認しながら店内を歩き出す。
考える時は場所も選ばず歩行を始めてしまうのが、彼の癖だ。
(『みけ』という特殊な料理店。ここには豊富な料理が並び、味が良く、客層にも隔てがない。さらに、店内は賑わっている)
ラームはあらためて、メニューの内容を確認する。
(カレーを見ても分かるように、この店はスパイス使いがうまい。これなら……きっと!)
「やっぱり! あった!」
「お客様……?」
「ハッ! す、すまない!」
急に店内をうろつき出したラームに向けられる、好奇の目。
恥ずかしさに顔を赤くしながらも、生まれた閃きをさっそく実行に移す。
「店主さん。実は良いカルダモンがあって……これを使って欲しいんだ」
「……なるほど。確かにこのしっかりとした香り、良い品みたいだな」
「っ!」
すぐにその品質に気づいた達也に驚きながらも、子袋に詰めて差し出すラーム。
同時に彼は、確かな勝機を見出し始めていた。
◆
「本日はお越しいただき、ありがとうございます」
ラームが丁寧に頭を下げたのは、先日不当な取引価格を提示してきたブリティシアの上流階級商人。
「こんなところまで呼びつけて、一体どうしようというのかな?」
「今日はこの店で、取引の話をさせて頂こうと思いまして」
そう言ってドアを開くと、すぐにエマがやって来た。
「いらっしゃいませーっ! こちらのお席へどうぞ!」
今日も、賑わっている店内。
エマはラームたちを、カウンター席へと案内する。
「例のメニューを頼む」
「はいっ! 少々お待ちくださいっ!」
エマはラームの指示に従って、さっそくキッチンへ。
「なるほど、悪くない店だね。だが我々上流階級にしてみれば、めずらしいというほどのものではない。接待するつもりなのだとしたら、店を間違えたんじゃないかな?」
さっそく、これ見よがしな苦笑いを見せつける商人。
例え接待を受けた上での取引であっても、正当な金額での売買契約を行う気などない。
どんなに商品の良さを説かれたところで、最後は『お前は違いの分からない素人だ』の一言で黙らせる。
ただ、それだけだ。
「良い商品であれば、正当な価格で買って頂けるんですよね?」
「当然だよ。良い品質のものにはしっかりと対価を払い、悪いものには価値以上の支払いは行わない。それが我々ブリティシア商人の、ハリントン商店の――――プライドだ」
商人はハッキリと、宣誓するかのように言い放った。
あくまで表向きは公正を装うのが、プライドが高く狡猾な上流階級商人のやり方だ。
「まずは取引の前に、一服しましょう」
ラームがそう提案すると、そこに楚々とした歩き姿のマリアがやって来た。
「お待たせいたしました。こちらアップルパイと、マサラ・チャイになります」
「ほう……」
商人は思わず、感嘆の息をもらした。
ケーキのように切られた厚手のアップルパイは、網掛け部分の焼き色が美しく、中のリンゴの濃い黄色と良く合っている。
立ち昇る甘い香りは、何とも心地が良い。
ナイフとフォークを使って、さっそく一口。
するとかじった瞬間、リンゴの甘酸っぱさが口内を駆け抜けた。
焼き込まれた柔らかな果肉がほろりと崩れ、バターの香りがふわっと広がる。
ブリティシアの伝統的なアップルパイを思わせる、見事な味わいだ。
「これはうまいな…………む!?」
数秒遅れて、スパイスの清涼感が立ち上がった。
それは甘さを押し流すのではなく、奥にもう一つ『香りの層』を作るような感じだ。
柑橘の皮を削ったかのような、ほんのりとした爽やかさと、花のような淡い香りが口内でスッと広がる。
これらが生み出す清涼感は、リンゴの持つ本来の甘さを際立たせる形だ。
さらのパイ生地に使われているバターを軽くして、甘さの輪郭をくっきりさせるため、食べ進めても飽きがこない。
「甘いのに重さがなく、それでいて香りが立体的だ……これは素晴らしい」
「チャイもどうぞ」
ラームに勧められるまま、大きく厚手のカップを手に取る。
チャイは紅茶の葉を水やミルク、砂糖、スパイスと一緒に煮出して作る、インディオ式のミルクティーだ。
抽出するのではなく『煮出す』ため、スパイスの風味がミルクによく溶け込み、普通の紅茶では出ない厚みのある香りが生まれる。
「これはまた濃厚だな……」
ミルクの柔らかな匂いに乗ってふわっと広がる、異国の濃く甘い香り。
「おお……っ」
ひと口飲むと、最初に感じるのは通常よりも濃いミルクティーの豊満な甘みだ。
その後にジンジャーの温かな刺激と、シナモンの甘さが追って来る。
煮出した紅茶とミルク、そしてスパイスの生み出す深みは、思わず浸ってしまうほど。
そこに、先ほども感じた清涼感。
それはミントほど強くはなく、レモンピールほど鋭くない。
だが確かに『風が通る』ような、爽やかさを感じさせる。
この爽やかさがミルクと砂糖の甘さを軽くして、飲み口を驚くほど軽やかにしている。
『甘いのに軽い』『温かいのに爽やか』という矛盾した魅力は、まさにこのスパイスが生み出すものだ。
「まったく見事なものだね」
一口飲む度に、こぼれる吐息。
「この素晴らしい風味……最高の一品だよ」
「ありがとうございます」
「……だが」
満足そうにしていた商人は突然、その目を鋭く光らせる。
「商売となれば話は別だ。一息ついたところで、君の商品を見せてもらおうか」
「はい。ですが品質に関してはすでに――――『お墨付き』です」
「……どういうことだ?」
「先ほど召し上がっていただいたアップルパイとマサラ・チャイの両方に、私の持って来たカルダモンを使っているからです」
「なっ!?」
「良い品質のものには、正当な価格で応える。それがブリティシア商人の、ハリントン商店のプライド……ですよね」
言葉を失う商人。
間違いなく自分は、パイとチャイのセットを褒め称えた。
もちろんここからでも、強引に取引を打ち切ることはできる。しかし。
店内にはサンドイッチを食べに来ている上流階級や、紅茶の売買で名を馳せているトワイトニングの顔がある。
その価値を認める発言をしておきながら、それを翻すところを見られるのは、何より大事な商人としてのプライドを傷つけることになる。
それだけは、許されない。
そもそも、これだけのものを出す店を知っている人間を『無知』と言うのは、無理があるだろう。
「……も、もちろんだ」
勝敗はすでに、決していた。
「高品質な商品にふさわしい価格で……契約を結ばせてもらおう」
観念したように、天井を見上げる商人。
こうしてラームは、見事に契約の締結に成功した。
この場で安く買い叩くために持ち込んで来た契約書は、商人にとってアダとなってしまったようだ。
「よかったな」
商人が店を出ていったのを見て、達也がラームに声をかけた。
「スパイス使いのうまい店主と、階級に囚われない客で賑わう『みけ』という場所。二つの要素がそろうからこそ、できた駆け引きですよ」
安堵にすっかり気の抜けたラームが、浮かべる苦笑。
「いや……良い物を作っているからだよ。そもそもカルダモンが良品でなければ、うまくいっていない勝負だったはずだ」
「店主……」
欲しかった言葉に、あふれる喜び。
「ありがとう……村の皆にもそう伝えておくよ」
達也の言葉を噛みしめながら、ラームは立ち上がる。
「そうと決まったら、早く帰らないと。また新たな契約を結んだり、カルダモンの輸出でロンドールに来た時には、絶対に寄らせてもらうよ!」
「いつでも、待ってるよ」
「ぜひまた来てくださいね!」
「お待ちしています」
達也たちに見送られて、『みけ』を駆け出していくラーム。
不当な取引で厳しい生活を強いられていた村は、届けられる希望によって変わっていくことになるだろう。
「――――ただいま!」
もはや成否の確認など、必要ない。
希望に満ちたラームの声に、村人たちは大きく沸き立った。
ご感想いただきました、ありがとうございます! 返信はご感想欄にてっ!
チャイはカフェボールで出てくることが多い気がします! 飲む時に戦国武将の盃を思い出します……!
お読みいただきありがとうございました!
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