82.ロンドールの暑い日と担々麵
「さて、どうするかな……」
昼過ぎの『みけ』で、達也は一人悩ましそうにしていた。
「どうしたんですか?」
トレーを手に、たずねて来たのはエマ。
「良い麺を手に入れたから、何か作って出したいと思ってるんだけど、どんなものがいいか悩んでるんだ」
「麺ですか」
マリアにして見ればまだまだ、めずらしい食材。
特に今回は中華麺ということで、食に乏しいブリティシア人には味もあまり想像できないようだ。
「どうするかなぁ」
達也が悩んでいると、店のドアが開いた。
「いらっしゃいませーっ!」
「「「ああああああ…………」」」
エマに案内された荷受人夫のアランたちは、そのままテーブル席に突っ伏してしまう。さらに。
「いらっしゃいませ」
「「「ああああああ…………」」」
続けてやって来たのは、オリバー達工場組。
マリアに案内されたテーブル席に、ぐったりともたれかかる。
「皆さん、どうしたんですか?」
エマがたずねると、両組は同時に顔を上げて言う。
「「「暑い……!」」」
大気の気まぐれでやって来た急な熱波は、ロンドールをうだるような暑さに陥れた。
「今日は昼前から、急に暑くなってな」
「工場は機械が蒸気を吐くからね。とにかく蒸し暑くてたまらないんだ……ああ! 水が冷たくておいしい……っ!」
工場長オリバーに続いて、トーマスが息をつく。
「荷下ろしも船から引っ張る時は炎天下に晒されっぱなしでよォ……『みけ』は程よく涼しくて、助かるなァ……」
アランもさすがに今日は、参っているようだ。
「この暑さだから、なかなか食欲が出なくてさ。今日は昼メシが遅くなったんだ。『みけ』だったら何か、おいしく食べられないかね?」
期待の目を向けてくるのはハリソン。
これには一同、倒れ伏したままうなずく。
すると、カウンター席にいた料理人の青年エミールがつぶやく。
「フランク王国では生野菜をサラダにして食べる文化があるし、スープやテリーヌの様な冷製の料理を出す伝統がある。今日みたいな暑い日なんかは、井戸で冷やしたワインを飲むのが定番だけど……ロンドールでは、常温のエールを飲むくらいしかないんだよね」
働くために食べる、『義務メシ』が定番。
そんなブリティシアには、冷製という文化がない。
暑いのなら、冷めたものを食べればいいじゃないというのが、唯一の選択肢だ。ただ。
「冷えたパイは肉の脂が固まって白くなった状態だし、ローストも肉自体が硬くなってしまっている」
マズい飯をどうにか食べられるものにするための救いである『温かさ』を失った料理は、本当に厳しい。さらに。
「生野菜は消化に悪く、病気になると信じている富裕層なんかは、サラダすら茹でるよう言ってくるからね」
「野菜だ! 茹でろ!」のブリティシアでは、冷製の王道であるサラダすら容赦なく茹でさせる。
これにはエミールも、苦笑いを浮かべるほかない。
「店主ぅ、何か食べる気が起きるような料理はない?」
「メシを食うには暑すぎんだよなァ……こんなんじゃ夜までもたねえよォ……」
ハリソンとアランは、懇願するような目で達也を見る。
出稼ぎの急増によって地方の祭礼や行事が衰退し、季節に応じた料理の多くが失われたブリティシア。
ロンドールではもう冷めたマズいもの食べるか、暑い中で熱いものを食べるかという地獄の選択肢しかない。
だがそれでは当然、食欲なんか出てこない。
「事情は分かった。そういうことなら……!」
だがそんなハリソンたちの懇願が、達也に一つの閃きを与えた。
「暑くてもしっかり食べられる料理、あるぞ」
「「本当か!?」」
アランとハリソンが、歓喜に思わず立ち上がる。
「熱いのと冷たいの、どっちがいい?」
「同じ料理で、熱いか冷たいかを選ぶことってあるか?」
「少なくとも、冷えてうまくなるなんて考えられねえよなァ」
これまでの常識にない問いに、首を傾げる二人。
これには仲間の荷受人たちも、懐疑的だ。
「それなら冷たい方にするよ。店主が言うんだったら、冷たくておいしいんだと思うし」
応えたのはトーマス。
「俺も冷たいので頼む。店主が言うのであれば間違いないはずだ」
「店主、こっちも冷たいのを一つ」
「はいよ」
オリバーが続くと、エミールまで冷たい方をオーダー。
荷受人夫たちも同調し、達也はさっそく調理に入る。
「この麺が、良い形で使えそうだ」
迷っていた中華麺の使い方が、これで決まった。
もちろん今回も達也は、盛り付けからしっかりとこだわりを披露する。
「エマちゃん、マリアちゃん、提供よろしく」
「はいっ!」
「はい」
手に取ったエマとマリアがすぐに、その顔を驚きに変えた。
するとそれはすぐに、アランやオリバーたちにも広がっていく。
「おおっ!? こりゃなんだ!?」
「店主、これは一体なんという料理なんだ?」
「これは――――冷やし担々麺だよ」
淡い橙色のスープに、ラー油の生み出す赤い斑点が美しいその一杯。
冷水でしっかりと締められた艶やかな中華麺の上には、豚ひき肉で作られた肉みそが乗り、天辺には白髪ネギと彩のカイワレが少々。
店内の誰にとっても初見の料理だが、その美しさに早くも気持ちが「食べてみたい」とはやり出す。
「うおっ! 確かに皿が冷たいぞ!」
いよいよ我慢できずに、少しずつ慣れてきた箸を取るアラン。
麺を持ち上げてみると、とろりとしたごまだれが一本一本にしっかりと絡みついている。
「ゴクリ……いただきます」
さっそくトーマスが、麺をすする。
ひんやりとした口当たりと共に、鶏がらと醤油をベースにしたごまだれの、濃厚で香ばしい風味が広がった。
まろやかなコクは、一瞬で口内を占拠する。
「「「っ!」」」
思わず顔を見合わせる、アランたち。
ほどよい弾力を残した中華麺のもちっとした食感と、つるりとした喉ごしが信じられないほどに心地よい。
噛むほどに広がる小麦の風味は、濃厚なごまだれと見事に調和する。
「これ、おいしいな!」
「こんなに冷たくて、しかもうまいなんて……最高じゃないか!」
トーマスとハリソンは、夢中で麺を食べ進める。
肉みそは甘辛い味付けが絶妙で、そぼろの食感を楽しみながら噛む度に、あふれ出してくる肉の旨味。
豆板醤入りの濃厚なごまだれと合わさることでさらに旨味を増し、力強いコクまで加えている。
そこへ白髪ネギのシャキシャキとした歯応えと爽やかな辛味が加わることで、味わいは一気に引き締まり、一口ごとに心地よい変化が生まれる。
最後に存在感を放つのは、ラー油だ。
ごまだれのまろやかさに包まれていた口の中へ、香ばしい辛味がじわりと広がる。
それは舌を刺すような刺激ではなく、唐辛子の豊かな香りとほどよい辛さが後を引く形。
すると身体の内側に、じんわりと熱が灯る。
この刺激が冷たい麺の爽快感と不思議なほどに良く合い、『涼しいのに食欲が増す』という、不思議な食感を生み出している。
「……これは『冷めている』のとは完全に別物だ! しっかり冷やした麺がツルツルとした心地良い食感を生み出し、食べやすさと同時に新たなうまさも生み出している! 濃い味付けとピリ辛な一面は食欲をそそるが、そぼろ状の肉からは嫌な油が出ていないため、食べがいがあるのに重くない。だからすごく食が進む! この料理はまさに、冷たいからこそ最高なんだ!」
最後はオリバーがしっかりと、全てを語って締めた。
冷めているのではない。
冷たくておいしい。
そんな奇跡のような一品を前に、昼食を遅らせていた二組は、止まらぬ勢いで麺をすする。
「店主! お代わりを!」
「こっちもくれ!」
「はいよ」
復活した空腹感。
すでに昼過ぎということもあり、一度食べ始めてしまうと止まらない。
もう誰もが、冷たい担々麺に夢中だ。
「……それなら、熱いのも食べてみようかな。店主、頼めるかな?」
そんな中で、不意につぶやいたのはエミール。
「もちろん」
どちらのレシピも頭に入っている達也は、熱々の担々麺を作って提供。
「冷製もおいしかったけど、こっちはどうだ……?」
エミールはさっそく、出来たての麺を勢いよく口に運ぶ。
「本当に、熱くてもうまい……!」
驚きに目を見開いた。
熱々の担々麵は、熱で濃厚なゴマの風味がさらに立ち、肉みそもその存在感をさらに増している。
何よりラー油の辛みが増したスープを、しっかり絡ませた麺がたまらない。
冷たくても熱くてもおいしい最高の料理を、エミールは夢中で食べ進める。
「暑い日にピリ辛な熱い料理を、汗をかきながら食べる。この感じも悪くないぞ! ……そうだ! エールを頼む!」
「はいっ!」
そしてエマがエールを持ってくると、そのまま豪快に流し込んで――。
「くっはああああ――――っ!!」
『みけ』のエールはよく冷えているため、ヒヤリとしたノド越しが最高に心地良い。
熱さと辛さ、そして濃厚な風味に占領された口内を、見事にリセットする。
そうなればまた、次の一口に手が伸びる。
「熱いのも、うまそうだな……」
「ああ……」
紅茶の登場によって仕事時間中の飲酒が禁止された工場組と荷受け組は、エミールに目を奪われる。
「おいしそうですねぇ……」
「本当ねぇ……」
エマとマリアも、その姿を羨ましそうに眺める。
穏やかな笑みこそ浮かべているマリアだが、その目は真剣そのものだ。
「よし……!」
そんな中で立ち上がったのは、二杯目の冷やし担々麵を完食したアラン。
「店主! 冷たい料理、最高だったぜ! これなら午後も戦える!」
「ああ、最高だった!」
荷受人夫たちは立ち上がり、次の仕事へ向けて動き出す。
『みけ』のドアを開けば、そこには煌々と輝く太陽。
「不思議だな。この暑さがちょっと心地いいくらいだ! よっしゃ、行こうぜ!」
「「「おう!」」」
アランたちが声を上げれば、オリバーも負けじと続く。
「こっちもしっかり仕事を片づけて、今夜は冷たいエールと熱い方の担々麺とやらを楽しむとしよう!」
「「はい!」」
腹が一杯になり、さらに夕食の楽しみまでできてしまえば、この後の仕事への気合も入るというもの。
「そんじゃ、また夜に会えるといいな!」
「ああ、そうだな! 工場組もがんばれよ!」
「店主、また今夜!」
「ああ、待ってるよ」
急な熱波によって、食欲もやる気も失っていた男たち。
今度は意気揚々と、陽光輝く街へと繰り出していったのだった。
誤字報告、ご感想ありがとうございます! 適用させていただきました!
返信はご感想欄にてっ!
お読みいただきありがとうございました!
少しでも「いいね」と思っていただけましたら。
【ブックマーク】・【ポイント】等にて、応援よろしくお願いいたします!




