81.達也のこだわりチャーシュー
「ありがとうございましたーっ!」
「ありがとうございました」
エマとマリアが、最後の客を見送る。
今日は雨という天候もあって、客の引きも早かった。
そして仕事に余裕があったため、夕食の賄もすでに食べ終えている。
「……やるか」
達也は一言つぶやいて、用意を始める。
「あれ、達也さん何か作るんですか?」
興味を持ったのは、もちろんエマだ。
「チャーシューを作ろうと思う」
「明日の仕込みですか? それとも賄のですかっ?」
「いや。ただ――――食べたくなったから」
作る理由は、自分が食べたいと思ったから。
達也には、思い立ったように始める行動がある。
それが一度自分をオフにするためなのか、単なる自己満足なのかは、よく分からない。
ただ学生時代から、前の仕事をしていた時も、不意に思いついてチャーシューを作るということは幾度となくあった。
「肉は肩ロース」
これが、一つ目のこだわり。
豚バラで作れば、その脂身の多さからこってりしたトロトロ食感を楽しむことができる。
だがあくまで達也の好みは、肉本来の旨味が強い肩ロース。
赤身と脂身のバランスが良く、しっとりとした肉らしい食べ応えを楽しめる。
これは単純に、好みの話だ。
「あら、ひもで結んでありますね」
実は空いた時間から、ちょくちょく作業を進めていた達也。
脂身とのバランスが程よい綺麗な赤身には、すでにタコ糸で横糸と縦糸がしっかりと結ばれている。
握りこぶしより少し大きな肉の塊には塩胡椒がまぶしてあり、下味も完璧だ。
「次は、この豚肉を焼いていく」
「ひもを付けたまま焼くんですかっ?」
「そういうことだな」
見たこともない調理法に、驚くエマ。
達也は油を引かず、まず肉の脂身の層を下にして焼き始めた。
すると熱された脂身からあふれ出た油が、フライパンに広がっていく。
これが、二つ目のこだわりだ。
脂身を焼くことで出た油を使う形にすれば、肉から程よく脂が落ちてくれる。
また植物油よりもなじみが良く、自然な風味になる。
溶け出したラードに、豚特有の甘い香りがあるのも良い特徴だ。
「全体に焼き色を付けるために、赤身を焼く時はしっかり押し付けて」
ジュワァァァァ――ッ! と、心地良い焼き音が鳴って、焼いた肉の香ばしい匂いが広がり始めた。
食欲を誘う、どこか原始的な匂いにエマが目を輝かせる。
しっかりと下味のついた肉は、胡椒の刺激的な香りをまとっていて、これだけですでに『おいしさ』の気配を感じさせる。
カウンター席のエマは、足をパタパタさせ始めた。
「もう十分おいしそうです……っ!」
「本当ねえ」
豚肉の塊を覆う見事な焼き色に加えて、タコ糸の焦げ目すら食欲をそそる。
思わずノドを鳴らしたエマを前に、達也は鍋に水を張る。
そこに、焼いた肩ロースを投入。
水から弱火で煮込んで、肉を柔らかくしていくこの工程。
余計な脂を落とし、同時にアクを取ることで、渋みやえぐみも取り払うのが目的だ。
「ここで、漬けダレ作りも一緒にしておく」
ベースとなるのは醤油だ。
そこに紹興酒と調理酒、長ねぎの青い部分とショウガ、潰したニンニク。
八角、桂皮、花椒に乾燥赤唐辛子を入れたものを、まとめて火にかける。
「「っ!」」
醤油の香ばしさに紹興酒の甘みが重なり、潰した生姜とニンニクのおいしそうな芳香が鼻先をくすぐる。
生まれた甘辛な香りに、早くもエマとマリアが反応。
すると遅れて八角がふわりと甘くエキゾチックな香りを放ち、桂皮の温かみのあるスパイシーさが優しく包み込む。
最後に花椒の、レモンを思わせる柑橘系の爽やかさが抜けていく。
魅力的な香りが広がれば、その心地よさに自然と目を細めてしまう。
自然と、高まっていく期待。
「煮立ったところで火から離せば、後は冷めていく内に香味野菜とスパイスの風味が、じんわりと引き出される」
カウンター席でワクワクしていたエマは、ついに店内をウロウロし始めた。
唐突なクマの出現に、「あらあら」と楽しそうにほほ笑むマリア。
「肉の煮込みが終わったら、熱いうちにタレに漬け込む」
肉は冷えていく際にタレをよく吸収するため、この工程は必須だ。
「そのまま食べてもおいしそうなお肉を、良い香りのタレに漬け込む……おいしそうですねぇ……っ!」
鼻歌交じりで、カウンター席に戻ってきたエマ。
さっそく両手にカトラリーを持って、ギラギラと輝く目を向けてくる。
ふくらみ続けた期待は、今まさに最高潮を迎えた。
「もう我慢できませんっ! 達也さん! 完成はまだですかっ!?」
「食べられるのは――――明日だよ」
「…………え?」
達也のまさかの言葉に、愕然とした顔をするエマ。
「これから肉が冷めていく際に、タレがしみ込んでいくんだけど、この大きさだと二時間は必要だ。それからもう一工程すると考えると、食べるのは明日だな」
「そ、そんなぁ……」
すっかり食べる気満々だったエマは、全ての希望を失ったかのような顔で、カウンターに突っ伏してしまう。
「あらまあ」
放心状態のエマに、マリアも思わず苦笑する。
「今夜の工程は、ここまでですか?」
「いや。ちょっと遅い時間になるけど、漬けっぱなしにすると味が濃くなるし肉が硬くなる。二時間後には必ずタレから取り出さないといけない」
「大変なのですね」
「作ると決めた以上、そこは譲っちゃいけない部分だよ……さてと」
そう言いながら達也は、ゆで汁に塩と白胡椒で軽く味付け。
細く切った長ネギを半分だけ入れて甘みを出し、沸騰直前くらいで溶き卵を流し、箸で軽く混ぜる。
火を止める直前に残ったもう半分の長ネギを入れて香りを立たせたら、最後にごま油をほんの少し。
「今夜は、ゆで汁を使ったスープで我慢してくれ」
うなだれたままのエマと、マリアの前に出したのは一杯のスープ。
エマとマリアは、促されるままに一口。
「まあ、染み入る味ですねぇ」
思わずもれる吐息。
豚肉を柔らかくするためにできた茹で汁には当然、その旨味が含まれている。
「お肉の風味がして、おいしいです……」
毒素を取るために、茹でまくる。
そのためロンド-ルでは『容赦なく捨てる』ことで、お馴染みの茹で汁。
こうして良い食材を使って作られた物であれば、むしろおいしさの宝庫と言えるだろう。
「でも……あの厚いお肉を噛んで広がる味の想像が、頭から離れませーんっ!」
今まさに身体が求めているのは、チャーシューのインパクト。
やはりスープでは、届かない。
完璧なまでにチャーシューを食べる口になっているエマは、頭を抱えるのだった。
◆
「ありがとうございました」
「ありがとうございましたーっ!」
今日も無事に営業時間が終わり、最後の客を見送る三人。
ドアが閉まった瞬間、エマが音を鳴らすほどの勢いで振り返った。
達也は「分かってるよ」と、うなずいてみせる。
「……食べようか、チャーシュー」
「はいっ!」
エマは飛び乗るような勢いで、カウンター席に着く。
今日は一日、チャーシューの存在を思い出してはソワソワしていた。
賄も肉料理を避けることで、この瞬間にしっかり『ため』てきたエマに、隙はなし。
さっそく両手にカトラリーでチャーシューの到着を待つ。しかし。
「あとは、最後の工程だけだな」
「っ!?」
まさかのお預けに、怒られた犬のようにシュンとする。
そんなエマの姿に、マリアが「うふふ」と笑う。
達也は昨日作った漬けダレをフライパンに大さじ一杯分だけ取り出し、はちみつを混ぜる。
豚肉に絡ませながら過熱して、煮詰まったタレが全体に照りを生み出したら完成だ。
なまめかしい照りの輝きに、思わず見とれてしまうエマとマリア。
これが達也の、三つ目のこだわりだ。
完成を迎えたところで、取り出したのはキッチンバサミ。
タコ糸を切り、包丁で程よい厚みを感じられる大きさにカットして黒色の皿に乗せる。
トロリとした飴色の塊の中には、淡い桜色。
薄く肉汁がにじんでいる断面に白髪ネギを添えると、一気に出てくるご馳走感。
最後に黒胡椒を振れば、鮮烈な香りが広がった。
「おっと」
皿の端にこぼれたソースを、拭かないと気が済まないのが達也の性分。
綺麗に盛るのが、祖母譲りのこだわりだ。
一方、そんなひと手間すらもどかしく感じていたエマ。
「いただきまーすっ!」
皿がカウンターに置かれた瞬間。
もう我慢できないとばかりに、『お預け』を解除されたエマがチャーシューにかぶりつく。
「ふわぁぁぁぁぁぁ――――っ!!」
まず何より、しっとりとした弾力の肉に潜る歯の感覚が心地良い。
柔らかいのに、肉を食べているという感覚はしっかりと感じられる。
続いて舌に触れるのは醤油のまろやかな塩味と、紹興酒の奥深い甘さが生み出す甘辛さ。
ショウガと長ネギの清々しさが脂の重さをすっとほどき、遅れて八角と桂皮の異国めいた香りがそっと鼻へ抜けていく。
弾ける黒胡椒の風味は、見事なアクセントだ。
「おいしい……ですっ」
噛む度に肉の繊維がほどけるように崩れ、その隙間からにじみ出る肉汁が、豚本来の旨味をあふれさせる。
ギュッと詰まった豚肉の旨味に、思わずギュッと目を閉じるエマ。
余分な脂を落とした肩ロースの脂身は、『むちっ』 とした心地よい弾力に仕上がっている。
そのため舌の熱で静かに溶けて、甘い余韻だけを残して消えていく。
しつこさがないため、肉本来のうまさをしっかりと味わえるのが達也のお気に入りだ。
一晩じっくり休ませたチャーシューは、醤油ダレの味わいが肉の中心まで穏やかに寄り添っていて、噛めば噛むほど『肉を食べている』という満足感と、手が止まらなくなるタレの『甘辛さ』を一つにしてくれる。
また最後にフライパンで煮からめているため、その表面には照りと軽い焦げがつき、オーブンで焼いたかのような香ばしさもある。
「達也さん! とっても……とってもおいしいですっ!」
『おあずけ』を乗り越えたエマは、心から嬉しそうな笑顔を見せた。
「……もう少し食べる?」
「はいっ!」
褒められるとすぐ機嫌がよくなってしまう達也は、多めに切ってエマの皿に盛る。すると。
「やっぱり達也さんの料理は、とてもおいしいですね」
それを見たマリアも続いた。そして。
「あ、あの……」
「どうした?」
少し恥ずかしそうにした後、達也の方をうかがいながら、そっとグラスを手に取った。
「一杯だけ、ええと、エールをいただいたりは……」
「…………どうぞ」
「ありがとうございます……っ」
すごくうれしそうに、ほほ笑むマリア。
『食』に旺盛なことは、上流階級では品性に欠ける事とされている。
しかし『チャーシューをつまみに飲んだらおいしいのではないか』という予感に、どうしても抗えない。
さっそくチャーシューを食べながら、エールを一口。
「あらあら、まあまあまあ……っ」
濃い味付けのチャーシューには、当然鮮烈な味わいのエールがよく合う。
肉の旨味に、タレの甘辛さ。
見事な味わいをキレのある苦みが流していく、その快感。
最高の組み合わせに思わず身体を震わせたマリアも、うれしそうに達也こだわりの一品を頬張る。
「うん、悪くない」
達也は酒のつまみになるものを、単品で食べるのが好きだ。
今回もしっかりおいしいものができて、覚える小さな達成感。
無心で作ることに意味があるのか、やはりこの感覚は不思議と心地が良い。
「でも、何より……」
今回は、そんなこだわりの一品を一緒に食べる仲間がいる。
あらためて『みけ』の店内を見回した達也は、満足そうにうなずいたのだった。
誤字報告ありがとうございます! 適用させていただきました!
国際会議みたいな名前のスーパーの総菜用チャーシュー、そのまま食べるのが好きです……!
お読みいただきありがとうございました!
少しでも「いいね」と思っていただけましたら。
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