80.帰って来たニセ慈善事業家とチキンステーキ
「ウォルター!」
タウンハウスの豪華な私室で、三十代中盤ほどの丸々とした男が腹心を呼びつけた。
口ひげをいじるこの男の名は、パーシヴァル・ゴドフリー。
受け継いだ工場が産業革命の時流に乗り、一夜で財を成した新興富豪だ。
「ハッ! お呼びでしょうか!」
駆けつけたのは、ひょろりとした同年代の男ウォルター。
パーシヴァルの太鼓持ち一本で、生き抜いてきた男だ。
「イーストエッジの慈善事業について調べてみたが、やはりあの辺りに貴族が出資する店はないとのことだ」
前回の潜入ではメニューや食器の洗練具合を見て、『貴族』の店に違いないという勘違いを起こしたウォルター。
パーシヴァルは大慌てで撤退して震えていたのだが、音沙汰はなし。
調べたところ、イーストエッジに貴族が出資する店などないことが分かった。
「本当ですか……!?」
ウォルターは首を傾げる。
富豪となったパーシヴァルが次に求めるのは、『名声』や『家柄』といったステータスだ。
そのために社交界での評判や政治的影響力、家の名誉に直結する慈善事業を始めるつもりなのだが、問題が一つ。
目を付けた労働者街イーストエッジには、人気の料理店があった。
「そこであらためて命ずる! 我が野望の妨げとなる例の店に再度潜入し、メニューや価格などの情報を持ち帰るのだ! 成功した際にはより高品質低価格の店を近くに出店してその料理店を追い出し、我らが地域を独占した後に価格を上げ、質を下げることで初期投資を回収! その後は慈善事業と銘を打ちつつ儲けを出して、ブリティシア上流階級の星となる!」
「仰せのままに!」
ウォルターはタウンハウスを、勢い良く駆け出していった。
「貴族が関わっていないのであれば、恐れる必要などどこにもないっ! 今度こそ上流階級として名を上げてみせようではないか! ふふふ! はははははっ!」
勝利を確信して、笑うパーシヴァル。
イーストエッジに『貴族の出資する店はない』という情報だけで満足してしまった彼は、その店が階級関係なく愛されていることを知らないのだった。
◆
「なんだ、ただの考えすぎだったのか」
もしも貴族によって店が運営されているのであれば、盾突くことなど許されない。
だがパーシヴァルの調べでは、そんなことはないとのこと。
ならば恐れる必要など、どこにもない。
「今日こそ、任務を遂行させてもらうよ。ミッション……スタート」
ウォルターは余裕の面持ちで、『みけ』のドアを開く。
「いらっしゃいませーっ!」
さっそく駆けつけてきたのは、今日も満面の笑みを浮かべたエマ。
案内されるまま、ウォルターはカウンター席に着く。
「ご注文はどうしますかっ?」
前回は『エマのお勧め』で、カニクリームコロッケを注文。
そのおいしさとフランク王国で使われるというベシャメルソースの存在に、貴族の気配を感じて慄いた。
(だが貴族が関係ないというのなら、たまたま店主がどこかの上流階級家庭で、ベシャメルソースの作り方を学んでいただけなのだろう。慌てる必要はない)
ウォルターは余裕の笑みで、注文を決める。
「今回もお勧めでお願いしようかな。前回食べたクリームコロッケのような、おいしい料理を頼むよ」
「かしこまりましたーっ! 今日のお勧めも、とってもおいしいですよっ!」
今回も注文は、『お勧め』で決定。
くるっと一回転してオーダーを伝えに行く、ご機嫌なエマを見送った。
(やっぱりそうだ、単なる考え過ぎだ)
その朗らかな笑顔に自身の『勘違い』を確信して、あらためて店内を見回してみる。
(労働者たちも畏まることなく、楽しそうに食事をしている。最初から慌てる必要なんてなかったんだ)
すっかり安心したウォルターは、きっちり情報を得て帰ろうと意気込んでみせた。
「お待たせいたしましたーっ! こちらチキンステーキになりますっ!」
「うっ……!」
その美しさに、早くも余裕が揺らぎ出す。
鶏もも肉のチキンステーキはなんと言っても、こんがりと焼き色のついた皮が食欲をそそる。
鮮やかなトマトソースが鶏肉をたっぷりと覆っていて、彩りも実に華やかだ。
「な、なんて綺麗なんだ……」
思わずつぶやいて、それから思い出したように首を振る。
(い、いや、落ち着け! これでは前回と同じだぞ!)
立ち上る湯気には焼いた鶏肉の香ばしい香りと、トマトソースの爽やかな酸味が溶け合っている。
ナイフを入れると、皮がパリッと軽やかな音を立てた。
ふっくらと焼き上がった鶏肉を頬張れば、香ばしい皮の風味が広がり、そのあとを追うように鶏肉の肉汁がじゅわとあふれ出す。
豊満な噛み応えと共に口内に広がる味わいは、まさにジューシー。
しっかりとした旨味がありながら脂っこさはなく、噛むほどに鶏本来の甘みが感じられる。
ソースも実に見事。
完熟トマトの爽やかな酸味と自然な甘みが鶏肉のコクを引き立てて、濃厚でありながら後味は驚くほど軽やかだ。
タマネギの甘みやニンニクのほのかな香りがソースに奥行きを与えていて、一口ごとに味わいが深まっていく。
「おいしい……!」
思わずこぼれた言葉に、エマもうれしそうだ。
「こっちのマカロニサラダも、食べてみてくださいっ」
それは月の様に鮮やかな色味を放つ、初見の料理。
ウォルターはスプーンですくって、さっそく一口。
「おおっ!」
口に入れた瞬間、声が出た。
なめらかなマヨネーズはマカロニ一本一本を包み込んでいて、まろやかなコクと優しい酸味が口いっぱいに広がる。
マカロニはほどよい弾力を残して茹でられており、もちっとした食感がとても心地よい。
噛み進めると、シャキッとしたキュウリや甘みのあるニンジン、タマネギのほのかな風味が加わり、食感でも十分に楽しませてくれる。
そこに一振りされた黒胡椒は、単調になりがちな味わいに軽やかなアクセントを添えている。
クリーミーでありながら後味は意外なほどさっぱりとしていて、ついつい何口でも食べたくなってしまう。
マカロニサラダはチキンステーキをしっかりと支えながら、自分自身の美味しさもきちんと主張する名脇役だ。
「これもうまいな!」
「そうなんですよーっ!」
トレーを抱きしめて、エマはうれしそうに笑う。
(こいつは素晴らしい料理だ……! やはり『みけ』が、良い料理店であることは間違いない!)
そのおいしさに感動しながら、満足気にうなずくウォルター。
「……ん?」
ここで、不意に気づく。
(ちょっと待て! キュウリ、キュウリだとっ!?)
マカロニサラダに入っているキュウリをあらためて見つけ出して、その目を見開く。
安心し切っていたウォルターの身体が、突然小さく震え出した。
(新鮮なキュウリは、上流階級の証だぞ……!)
産業革命期の上流階級にとって、キュウリは特別な存在だった。
ブリティシアの気候は栽培に向いておらず、新鮮なキュウリは専用の温室と専門家を用いることでしか手に入らない。
よってキュウリを食卓に出せるということは、『我が家にはそれだけの財力』があるという豊かさの誇示になる。
おいしいかどうかではなく、見栄が張れるかどうか。
そのためだけに、味が薄く水分の多いキュウリを単品でサンドイッチにして出すことを至高とするのが、プライドの化物であるブリティシアの上流階級だ。
(そんな富と権力の象徴たるキュウリを、鶏料理の引き立て役に使うというのか!? しかも……!!)
ウォルターは、慌ててメニューを開く。
(こんなに低価格で!!)
「……ゴクリ」
勘違いだったはずの、貴族の存在。
その影を再び感じ始めて、思わずノドを鳴らしてしまう。
一方、気合が入っていたのはエマ。
「間違いないです。以前の来店時に、足早に帰ってしまったお客さんです……!」
「やっぱりそうか。それなら今回は……!」
前回ウォルターが来た時に、貴族の気配を感じて大慌てで店を飛び出したのを目撃した二人。
それをサービスが足りなかったからさっさと出ていったのではないかと考えたエマと達也は、「次はより良いおもてなしを」と、心に決めていた。
「マリアちゃん、よろしく頼む」
「おねがいしますっ」
「はい、いってきますね」
そこで考えたのは、レベルの高い給仕の提供。
達也に頼まれたマリアは、ティーセットを持ってウォルターの下へ。
「失礼いたします。紅茶をお持ちしました」
「あ、ああ……なっ!?」
間髪入れずに、おとずれる衝撃。
(な、なんて本格的なティーセットなんだ……! こんなに綺麗な茶器を、何でもない客に出すなんてどうかしている!)
前回は極東産の食器、そして今回は上流階級で『家格を計るもの』とされるティーセット。
達也の祖母が集めた見事な一品は、どう考えても労働者階級の町で出てくるような代物ではない。
(これはやはり、王侯貴族が絡んでいるのでは……っ!?)
いよいよ失い出した自信、だくだくと全身から冷や汗が流れ出す。
「失礼いたします。紅茶、注がせていただきますね」
「……あ……あ」
そして、紅茶を注ぎ出したマリアに呆然とする。
(い、一体なんだこの美しい所作は! 完璧な作法はっ! そもそもこの娘の、異常な上品さは一体何なんだ――――ッ!!)
「ごゆっくりどうぞ」
綺麗なお辞儀を一つ、残していくマリア。
この完璧な給仕こそ、達也の考えたおもてなしだ。
(や、やっぱりイーストエッジの料理店に、こんなに完璧な作法ができる店員がいるのはおかしい……ッ!!)
カップを持つウォルターの手がいよいよ震え出し、カチャカチャと音を鳴らす。
緊張に乾き切ったノド。
もはや味の分からない紅茶を、ぐびぐびと飲み込む。
(やはりこの店は、大物貴族が全力でやっている本物の慈善事業なんだ!! もし我々が、その邪魔をしたとなれば――――っ!!)
ウォルターがそう確信した、その瞬間。
「ひっ!?」
聞こえた金属音。
思わず身体が、ビクリと跳ね上がる。
振り返るとそこには、落としてしまったナイフを拾い上げるマリアの姿。
マリアは少し恥ずかしそうに「うふふ」と微笑んで見せるが、ウォルターにはそれが『獲物を見つけた魔女』の笑みにしか見えない。
(間違いないッ!! 自分たちは今、巨大な獅子の檻をつついているんだ――――ッ!!)
ウォルターは震えながらカウンターに代金を置くと、逃げ出すようにドアへ。そして。
「「「ありがとうございました」」」
「ひいいいいい――っ!! こちらこそありがとうございました――――っ!!」
エマとマリア、そして達也に声をかけられると、そのままわき目もふらずに退店。
(ななななんとしても、なんとしてもこの事実をパーシヴァルさんに伝えないと……っ! 我々の命が危険で危ないッ!!)
ただの一度も足を止めることなく、全速力で街を疾走。
パーシヴァルのタウンハウスへと、逃げ込んでいく。
「パパパ、パーシヴァルさん! パーシヴァルさあんッ!!」
「ブフーッ! ゲホゴホ!」
今まさに紅茶を飲もうとカップに口を付けたばかりだったパーシヴァルは、驚きに全てを噴き出した。
「急に力いっぱいドアを開けるな! それでどうだった? かの店に貴族の息などかかってはいなかっただろう!?」
「や、ややややっぱりダメです! あの店だけはダメなんですっ! おおお大いなる存在は、確かに存在するんです――――ッ!!」
変わらぬ余裕で問いかけたパーシヴァルのジャケットをつかんで、ウォルターはブンブンと必死に首を振る。
「落ち着け! 落ち着け! それは一体どういうことだ……っ!?」
「キュウリが! カップが! 作法がぁぁぁぁぁぁ――――っ!!」
イーストエッジを牛耳る巨大な闇に怯える、ウォルターの悲鳴が響き渡る。
「一体、あの街で何が……」
そのすさまじい怯えように、パーシヴァルは再びゴクリと息を飲む。そして。
さらなる調査が必要だと、重たい腰を上げるのだった。
脱字報告、ご感想ありがとうございます! 適用させていただきました!
返信はご感想欄にてっ! 付け合わせマカロニサラダはもっと量が欲しいといつも思います!
お読みいただきありがとうございました!
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