78.マリアの挑戦と夜食の鶏出汁にゅう麺
「ありがとうございました」
マリアが、丁寧なお辞儀で客を見送った。
昼のピークタイムを終えると、比較的穏やかな時間がやって来る。
「駅へ向かうお客さんが多くなっていますね。持ち帰り用のサンドイッチが、あっという間に売り切れてしまいました」
「言われてみれば……やっぱり機関車の効果が大きいんだな」
「そうですね」
人や物資の流入を、大きく変えた鉄道の稼働。
特にここロンドールでは、その影響が如実に見られる。
『みけ』にまで届く波及効果は、本当に計り知れないほどだ。
「……機関車」
マリアはつぶやき、何やら考えるようにする。
鉄道火災という不運によって財を失った、フローリス家。
やはり、思うところがあるのだろう。
「マリアちゃん?」
「家族のためにもがんばらないといけませんね。お父様やお母様を楽にするのが、私の目標なのですから」
マリアは、そう言って笑う。
今は古いアパート暮らしのフローリス一家。
書類整理仕事で毎日大変そうな父と、時折ため息をつきながらも家事をし始めた母。
不自由のない生活をさせてくれた両親へ、恩返しをしたいという気持ちは確かにある。
「いらっしゃいませーっ!」
新たに入って来た客を、出迎えたのはエマ。
見覚えのある青年は、鉄道の父と呼ばれるスティーブソンの息子ロベルトだ。
現在ではGNWR鉄道の、主任技術者を務めている。
「ご注文はどうしますかっ?」
「BLTとタマゴのサンドイッチをセットで。飲み物はミルクティーを」
「はいっ、少々お待ちくださいっ」
カウンター席に案内されたロベルトは注文を済ませると、一息ついたところで達也に声をかける。
「店主さん、今日は話があって来たんです」
「話ですか?」
意外な語り出しに、達也は料理を進めながら耳を傾ける。
「今ブリティシアには、狂ったように新たな鉄道会社が生まれています。その中で我々は自社をもっと宣伝し、大きなものにしたいと考えました。そこで目を付けたのが……食のイベントです」
「なるほど」
「鉄道での旅は長時間になることが多いので、ロンドール駅には屋台や売り子がたくさん集まっています。販売はパイやチーズ入りのパン、スープなんかが多いですね。ただ屋台は労働者階級の方たちが営んでいるため味が安定せず、品質管理ができていません。そのため上流階級のお客様は使わない」
マリアはロベルトの話が興味深いのか、聞き耳を立てている。
「我々は上流階級のお客様のために近隣の宿の料理人を雇い、駅構内に軽食堂を設置しました。また近々駅併設のホテルも建設され、食事の提供が始まることになります。こう考えると一見、全ての利用者向けの食事が用意されているように思えますが……まだ弱い。よって今回のイベントでは目玉となる料理を第三弾まで、我が社で直々に販売を行いたいと考えているんです」
後に鉄道狂時代と呼ばれるご時世。
儲かる事業と見なされた鉄道に投資家が殺到した結果、同じ区間に複数の鉄道会社が路線を敷こうとする事態が頻発した。
鉄道会社の設立には議会の認可が必要になるのだが、なんと一年で272件もの新鉄道会社設立法案が通過。
競争の激化が必至となれば、先行者としては様々な企画で足場を固めたくなる。
「もちろんどの階級向けの料理でも構いません、力を貸していただけませんでしょうか?」
「そういうことですか」
「販売は約一週間。もちろん収益は全て『みけ』のものとなります。その上で特設売り場の設置や料理の搬入などの雑事は、こちらで受け持ちましょう」
それは達也にとっても、これまでになかった新たな試みだ。
ロベルトも相当力を入れているようで、視線に込められた強い期待を感じる。
「良い経験になりそうな話……正直、興味があります」
達也は、新たな挑戦に前向きだ。
「ですが、持ち帰り用サンドイッチの仕込みもあるので手が足りません。参加は難しいです」
「……そうですか」
まさに鉄道の稼働によって増えた、サンドイッチの需要。
その調理にかかる時間に加えて一週間、別のメニューを多数用意するというのはさすがに難しい。
達也は残念そうに首を振る。すると。
「達也さん」
いつも穏やかなマリアが、いつになく真剣な表情を向けてきた。
「私に何か、できることはありませんでしょうか」
「できること? このイベントで?」
「はい」
「それってもしかして、鉄道旅客向けの料理販売をやりたいってこと?」
「……はい」
思わぬマリアの申し出に、驚きを見せる達也。
「ぜひ、考えてみてください。返事はまた聞きに来ますよ」
するとサンドイッチとミルクティーのセットを食べ終えたロベルトが、立ち上がった。
「やはり、『みけ』の料理は最高だ」
「ありがとうございますっ」
そう言い残して、エマに見送られる形で店を出る。
「基本はここで調理してロンドール駅に持ち込めるもので、かつマリアさんが中心になって作れる料理か……」
一方、達也は悩む。
忙しい駅で食べるのなら手の込んだものは邪魔になるし、そもそも数を出せない。
そう考えると作り置きが好ましいが、今度は冷めてもおいしいという条件が必須になってくる。
そしてマリアは、エマのように実家で料理の手伝いをしていたわけではない。
これらの制約を考えると、かなり難しい。
大きな制限に、頭を悩ませる達也。
「このイベントの第一弾は、鉄道会社で作るスコッチエッグだそうだよ」
すると、そんな言葉が聞こえて来た。
声の主は、フランク王国からやって来た一人の料理人。
以前『みけ』で料理への熱意を取り戻し、決意と共に勤め先を変えた青年エミールだった。
「この店だからこそ、できるものがあるんじゃないかな?」
「……それでしたら」
その言葉は、良い助言となった。
「以前賄で出していただいた、あのお米料理はどうでしょうか」
マリアは記憶の中から、一つの料理をピックアップする。
「なるほど……」
それはまさに、鉄道とのつながりが深い料理の一つ。
「作ること自体は簡単だけど、おいしくしようと思えばしっかり素材や調理法に向き合う必要がある。そんな料理だ……」
達也は、大きくうなずく。
これなら午前中の仕込み時間に教えていけば、形になる可能性が高い。
「ぜひ、やらせてください」
「わたしも、お手伝いしますっ」
真剣な面持ちのマリアに、エマも手伝いを名乗り出た。
「分かった、やってみよう。ただしちゃんとした良いものにならないようなら、この話は無しだ」
「分かりました」
仕事として引き受けるのなら、線引きはする。
そんな達也の宣言に、覚悟を決めるようにうなずくマリア。
「楽しみにしてるよ。実はこのイベントの第二弾メニューには、俺が関わってるんだ」
そう言ってエミールは、すっかりお気に入りになったハッシュドビーフを食べ終えると、店を出て行った。
どうやら彼の新たな勤め先は、その腕を十分に振るうことのできる場所のようだ。
◆
照明を落とした閉店後の『みけ』では、マリアが自作のメモに向き合っていた。
達也に教わった調理のコツや、今回の企画に合うレシピはもちろん、気づいたことなどを書き記したメモの読み直しは、最近の日課となっている。
午前中にも調理の練習を始めたマリアの実働時間は、以前よりずっと長い。
「熱心だね」
「できることは、少しでもやっておきたくて」
「どう? 実際に料理を作ってみて」
「難しいです。力を入れ過ぎると固くなってしまったり、逆にまとまらなくてバラバラになってしまったり……食材を焼くのも、思った以上に大変なのですね」
達也の言葉に、マリアは薄く苦笑いを浮かべた。
「もっと、がんばらないといけません」
「でも、どうして急にロベルトさんの企画に乗ろうと思ったんだ?」
「……ずっと、お父様とお母様に何かしてあげられることはないかと思っていたんです」
マリアの行動はやはり、両親への恩返しのため。そして。
「そうしたら最近の鉄道人気が、何か大きなきっかけになりそうな気がして……」
自分の人生を大きく変えた鉄道に、何か強く感じるものがあるようだ。
「ごめんなさい、勝手なことをしてしまって」
「いや、俺自身も興味のある話だったから良かったよ……ところで。今日は夕食が早かったし、小腹が空いてくる頃じゃないか?」
「そうかもしれません」
少し恥ずかしそうにうなずくマリアの前に、達也は器を置く。
「綺麗なお料理。これは確か、鶏出汁の……」
「鶏出汁にゅう麵だな」
透き通った琥珀色のスープから、立ち上る湯気。
鶏出汁の優しい香りと長ねぎの爽やかな風味は、飾り気のない見た目ながらも、その淡い色味には洗練された美しさがある。
細く白いにゅう麺の上には、しっとりとした鶏むね肉と長ねぎが乗り、仕上げに振られた粗びき黒胡椒が料理の全体像をきりっと引き締めている。
「おいしそうですねぇ……」
「「っ!?」」
聞こえてきた声に振り返ると、そこにはカトラリーを手に、じっと階段の陰からこちらを見ているエマ。
「匂いを嗅ぎつけて来たのか……」
「えへへ」
これは良いタイミングとばかりに、笑顔でマリアの隣に腰を下ろすクマ。
「はいこれ、エマちゃんの分な」
「ありがとうございますっ!」
実は薄っすらそんな気配を感じていた達也は、しっかり二人前で準備をしていた。
「いただきます」
「いただきますっ!」
マリアとエマはまず、スープをひと口。
すると鶏からじっくり引き出された上品な旨味が、ふわっと広がった。
味わいは優しいが物足りなさはなく、鶏のコクが程よく感じられる。
長ねぎのほのかな甘みはその旨味を引き立てて、後から来る黒胡椒の爽やかな刺激がそっと鼻へ抜けていく。
「「はぁぁぁぁ」」
思わず重なる、マリアとエマの吐息。
「まあ、なんて優しい味をしているのかしら」
「はいっ、いくらでも飲めちゃいそうですっ」
すでにいくつかの麺料理を知っている二人だが、この料理は初めてだ。
温かな素麺はつるりとした喉ごしが心地よく、細いからこそ澄んだスープをたっぷりと身にまとう。
すする度に鶏出汁の風味が口いっぱいに広がり、軽やかな口当たりなのに満足感は十分だ。
「柔らかな麺が、とってもおいしいわ」
「お肉もすごく柔らかいです……っ!」
鶏むね肉はしっとりと柔らかく、噛むたびに上品な旨味があふれ出す。
脂の少ないあっさりとした味わいだからこそ、スープの繊細な風味と共に、互いのおいしさを引き立て合っている。
熱を通した長ねぎは辛味が抜けていて、優しい甘さと程よい食感で清涼感を添える。
鶏出汁の柔らかな旨味、にゅう麺のなめらかな喉ごし、そして黒胡椒のほどよいアクセント。
遅い時間に食べてもスルっと食べられてしまう一品は、最高だ。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでしたーっ」
温かな一杯を食べ終えて、もれる吐息。
にゅう麵の優しい味わいは、マリアの背中をそっと押す。
「……私の作った試作品を食べたお父様は、『発売日には行列ができてしまうな』と、以前と変わらない言葉で応援してくれました」
マリアは練習で作った試作品を、自宅に持ち帰っている。
すると父は状況が変わってしまった今でも、そう言って笑ってくれた。
そして母も、それに続いた。
それはかつてのフローリス家を、思い出させるような瞬間だった。
「なんとか、形にしたいです」
「大丈夫。この調子でいけば良いものができるはずだ」
「わたしも一緒に、がんばりますよっ!」
そんなマリアを、笑顔で応援する達也とエマ。
「よろしく、お願いします」
まだ始まったばかりの挑戦。
頼れる二人に深く頭を下げた後、マリアはもう一度メモを手に取る。
皆で一緒においしい料理を食べて、温まった身体と心。
今夜はもう少しだけ、がんばれそうだ。
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