77.お見舞いのアンナ・マリーと鶏ときのこのたまご雑炊
「馬車を出してもらって、ありがとうございます」
「気にすんな、エマちゃんによろしくな」
上流階級ローズベリー家の馬車で送られて来たのは、メイドのアンナ・マリー。
涼しげな目もとに、スラリとした体躯。
肩に届かないくらいの茶色く緩い巻き髪をした彼女は、エマと同郷の幼馴染みだ。
「大丈夫かしら……あの子」
アンナ・マリーは、その表情に心配の色をのぞかせる。
すっかりローズベリー家の、お気に入りになっているエマ。
エレノア婦人も気にかけているようで、今日は様子を見に行くことを許された。
「何ともないと良いんだけど……」
やって来た、キッチン・みけ。
変わらず得意げな笑みを見せている狐の看板を横目に、ドアを開く。
開店前の店に入ると、そこにはこちらに背を向けた状態のエマと、向かい合う達也の姿。
「……達也さんに、両親を紹介させてもらいたいと思っています」
「ぬなあっ!?」
いきなり聞こえたまさかの言葉に、一瞬で顔を赤くしたアンナマリーは店内に駆け込む。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
そしてそのまま、エマの肩をつかんだ。
「ままままさかこんなことになっているなんて! エマにはまだ早いですっ!」
そう叫んでエマを守るように抱きしめると、問いかける。
「エマだって、よく分からずに言ってるんでしょう!?」
「……あら?」
「エマじゃない!!」
エマだと思って抱きしめた、金色の髪の女性。
よく見るとそれは、髪を結んだマリアだった。
「あれ? あの、エマは……?」
「部屋にいるよ」
まさかの勘違いに、慌てるアンナ・マリー。
するとマリアが立ち上がり、丁寧な仕草で頭を上げる。
「新しく『みけ』で働かせていただくことになった、マリア・フローリスと申します。よろしくお願いしますね」
その素晴らしい作法に、上流階級勤めながらも目を奪われるアンナ・マリー。
「……素敵」
思わず声がもれた。
それから、思い出したかのように我に返る。
「あっ、ええとその、ローズベリー家のメイドをしています、アンナ・マリーと申します……!」
慌てて頭を下げ返して、それからようやく要件に入る。
「エマの様子を見に来たんです」
「それなら上がっていって。三階で休んでるから。アンナちゃんが来てくれたと分かれば、よろこぶよ」
「し、失礼します」
持って来たリンゴを達也に渡すと、逃げるように階段へと向かうアンナ・マリー。
「アンナさん」
「はっ、はい」
マリアに呼び止められて、振り返る。
「さっきの話だけど……何がまだ早いのかしら?」
「ななななんでもありませんっ! 本当に何でもないんですっ!」
相変わらずの早とちり具合に顔を赤くしたアンナ・マリーは、慌てて階段を駆け上がっていく。
「あらまあ」
その勢いに、マリアは首を傾げた。そして。
「いつか両親にも、『みけ』の料理を食べてもらいたいと思っています」
そんな話の続きを始めるのだった。
一方アンナ・マリーは、息を整えながら三階へ。
ドアをノックしてから、声をかける。
「エマ、開けるわよ」
ドアを開けると、そこは見たことのない家具や家財道具が並ぶ部屋。
ベッドの上には、エマが眠っていた。
「んん……まだ、食べられます」
「ふふっ、相変わらずねぇ」
思わずアンナ・マリーがつぶやくと、エマはゆっくりと目を開いた。
「……あれ、アンナちゃん?」
「熱も、だいぶ下がってるみたいね」
横になっているエマの額に手を乗せて、安堵の息をつく。
「いっぱい食べて気持ち良くなって、お風呂あがりにしっかり身体を拭かないで、何もかけずに窓開けっぱなしで寝るからよ」
「見てたのーっ!?」
「見なくても、大体分かるわよ」
相変わらずのエマに、笑うアンナ・マリー。
「それで、体調はどうなの?」
「まだ少しフラフラするけど、よく休んだからだいぶ良くなってきたよ」
そう言ってエマは、笑って見せる。
「それなら、あと一息ってところね……これは?」
ベッドの上に置かれていたノートを、手に取ってみる。
それは『みけ』のメニュー表のようだった。
料理名と共に、季節や仕入れによる入れ替え等のポイントが書き記されている。
その中にはまだ、エマの知らないものもある。
「『みけ』の料理は、初めて見るものが多いものね」
風邪をひいても、空いた時間を使ってメニューの勉強をしているエマに、思わず感心する。
「蒲焼き、水餃子、フレンチトースト……」
するとエマはメニューも見ずに、スラスラと料理名を上げて――。
「まだ見たこともないけど、おいしそう……」
「どんな想像力してるのよ」
料理の名前と付属のメモだけで、うっとりしているエマに笑う。すると。
そんな想像をしていたせいか、エマのお腹が鳴った。
「風邪をひいても、『クマちゃん』は出没するのね……」
「えへへ」
「お昼はまだなのよね? 少し早いけど、何か作ってもらって来るわね」
そう言ってアンナ・マリーは、再び一階へ。
「何が出てくるのかな……」
ワクワクしながら待っていると、アンナ・マリーがトレーを持って戻って来た。
エマは思わず、ガバッと身体を起こす。
「鶏ときのこのたまご雑炊って言うんだって」
「わあーっ! おいしそう……っ! アンナちゃん、ありがとうっ!」
湯気を立てながら運ばれてきた雑炊は、どこかほっとするような温かみを感じさせる。
透き通った黄金色のだしの中には、ふんわりと固まった卵が優しく広がっており、シメジやエノキ、シイタケが顔をのぞかせている。
細かく刻まれた青ねぎが彩りを添え、素朴ながらも食欲をそそる一品だ。
「風邪が治りかけで、お腹が減ってるならちょうどいいんじゃないかって」
立ち昇る、白だしの上品な香り。
そこにシイタケを中心にしたきのこたちの匂いが混ざって、味の深さを予感させられる。
「…………」
「なに?」
「まだ少し、頭がフラフラするかも」
そう言いながら、期待に満ちた視線を向けてくるエマ。
アンナ・マリーはレンゲを持つと、苦笑しながら息をつく。
「分かったわよ。はい、あーん」
「あーん」
さっそく一口頬張ると、最初に感じたのは白だしのまろやかな旨味だった。
鶏むね肉の上品なコクが溶け込んだ繊細なだしの風味が、口いっぱいに広がっていく。
醤油やみりん、酒は脇役に徹し、素材の持ち味を丁寧に引き立てている。
「すっごくおいしいよ――っ」
全体を包む溶き卵が黄金色のヴェールのようになっており、ノドをそっと撫でていく。
だしをたっぷりと吸い込みながらも粒感をほどよく残した白米は、噛むたびに旨味を解放。
そこにシイタケの風味がアクセントとして顔を出し、シメジのプリッとした弾力が歯ごたえを楽しませ、エノキがとろみの一部となって全体を滑らかにする。
鶏むね肉はしっとりと柔らかく、噛むほどに淡い旨味をじんわりと広げて、きのこの味わいと合流していく。
最後に来るのは、刻みネギだ。
温かな雑炊の中で唯一シャキッとした清涼感を放ち、香りの輪郭を整えている。
優しくおいしい雑炊には、一口ごとに身体が温まっていくような安心感。
それはまるで、心まで満たされていくかのようだ。
「アンナちゃん、もっともっと!」
「そんなに元気なら、自分で食べなさい」
アンナ・マリーはエマにレンゲを渡すと、あらためて雑炊を見て感心する。
もちろん、見るのも初めての料理だ。
ブリティシアで風邪の時に食べるものと言えば、ブロスと呼ばれるスープが定番。
牛や鶏肉を煮て少量の塩をまぶすだけなので、極端に薄味なのが特徴だ。
水と塩だけで作った、オートミール粥も忘れてはいけない。
もちろんこれも圧倒的に味が薄いのだが、大した栄養すらないというのが最大のポイントだ。
メシマズの国は、病人にも平等に容赦がない。
「はあー、おいしい……」
しかしこの雑炊は食べやすく、身体が温まって栄養も豊富。
回復しかけの状態なら、まさに最高の一品だろう。
「本当に見事な料理……これなら回復も早そうね」
夢中で食べるエマ。
その姿を見ながら、アンナ・マリーは部屋を見回してみる。
静かな部屋には、窓から入り込む陽光が優しく揺れていた。
その光景を見て、不意に思い出す。
「……こうしていると、場所は変わっても昔のままのように感じるわね」
「本当だねぇ」
「小さい頃にもこうやって、風邪をひいたエマにスープを食べさせた記憶があるもの」
「あの時もアンナちゃんが、見に来てくれたんだよね」
まだノンフォークの田舎に住んでいた時は、こうして二人でいる事も多かった。
その頃のことを思い出して、二人懐かしさに浸る。
「あれから何年も経って、場所もロンドールに変わったのに、それでも同じようにしていられるって……本当に幸せな事よね」
そう言ってアンナ・マリーは、昔と変わらぬ仕草でエマの前髪を払う。
「良いお店に来られて、本当に良かったわね」
「うん」
エマが出稼ぎに出ると聞いた時、アンナ・マリーはとにかく心配だった。
なぜなら産業革命期のメイドは、圧倒的に忙しいからだ。
特に中産階級では雇用人数自体が少ないため、各メイドが全ての仕事を担当することになる。
『オールワークス』と呼ばれる彼女たちは、毎日階段を百往復したと言われるほどの仕事量で、時間も早朝から深夜まで。
それが当たり前だった。
分業制がしっかりしている上流階級家庭でも、下働きの『スカラリー』なら十二分に忙しいというのがメイドの常識。
本来であれば、友人に会いに行くことなど簡単にはできない。
「私がこうやって『みけ』に顔を出しに来られるのも、エマと達也さんのおかげなのよね」
婦人お付きの『レディメイド』のような立場になったアンナ・マリーには、それなりに余裕がある。
それは他でもない、エマとの再会のおかげだ。
「エマもまた遊びに来なさいよ。エレノア婦人やシャーロット様が待ってるから。何より……私もね」
「……うん、ありがとう」
昔のように、笑い合う二人。
すると、階段を上がる足音が聞こえてきた。
「エマちゃん、調子はどう?」
達也とマリアが、様子を見に来たようだ。
「おいしい料理を食べて、もう元気いっぱいです! 明日からは、お店に出たいですっ!」
「米の一粒も残ってないな」
「うふふ、すっかり元気そうね」
エマに向けられる視線の優しさを見て、あらためて笑みを浮かべるアンナ・マリー。
「……本当に良かったわね、早く治しちゃいなさいよ」
そう言ってエマを寝かせると、トレーを持って立ち上がる。
「これからお昼の営業ですよね、手伝います」
「本当? それは助かるな」
エマに見送られて部屋を出た三人は、階段を降りて行く。
「マリアさん、エマをよろしくお願いします」
「ええ、もちろん。でも……私の方がエマちゃんにお世話になっているのよ」
「……エマが?」
「今ではすっかり『みけ』の看板娘として、忙しい時間を引っ張ってくれてるよ」
「そうなんですか……」
どうやら変わらない部分もあれば、変わっている部分もあるようだ。
「エマも、成長してるのね」
「ああ。だから……そろそろいいかな」
「っ!?」
達也がそう言った瞬間、アンナ・マリーは跳び上がった。
「そ、そろそろってなんですか!? いいいいくら成長したって言っても、そういうのはまだ早いですっ!!」
「エマちゃんなら、もう大丈夫だよ」
「いえ! まだ早いです! 全然早いですっ!」
「簡単なキッチンの仕事を、覚えてもらうくらい」
「……えっ?」
どうやらこれも、完全な早とちりだったようだ。
気づいたアンナ・マリーは、恥ずかしさに慌てて顔を背ける。しかし。
「あれ? アンナちゃん、少し顔が赤いんじゃないか?」
「もしかして、風邪がうつっちゃったのかしら」
「ち、違います! これはただちょっと部屋が少し暑かっただけです!」
向けられる視線に、ブンブンと首を振って否定する。
「と、とにかくエマの教育上よくないので、節度は守ってくださいね!」
「節度?」
「あら?」
首を傾げる、達也とマリア。
やがて開店時間がやってくると、キッチン・みけは今日も変わらぬ盛況ぶりを見せ始める。
「「――――いらっしゃいませ」」
「お、おおっ!?」
「……し、失礼します」
上流階級を感じさせる二人の接客に、思わずのけ反る常連たち。
アンナ・マリーはその見事な仕事ぶりで、しっかり達也たちを助けてみせたのだった。
誤字脱字報告、ご感想ありがとうございます! 適用させていただきました!
返信はご感想欄にてっ! ……雑炊は基本どれも好きですが、卵と椎茸の風味は最高ですね!
お読みいただきありがとうございました!
少しでも「いいね」と思っていただけましたら。
【ブックマーク】・【ポイント】等にて、応援よろしくお願いいたします!




