75.プラントハンターとチキンスープカレー
「兄さん、本当にこんなところに茶葉があるの?」
「ああ、そのはずだ」
インディオ北東部に広がる、密林の奥。
弟チャールスの言葉にうなずいたのは、冒険商人であるロバーツ・ブルース。
スコートランドから遥々、商売のためにこの地にやって来ている、三十歳程になる男だ。
「地元シンフォ族との商談の際に、教えてもらったんだ。あの味は間違いなく茶のものだった」
そこで知った、新たな茶葉の情報。
紅茶大国ブリティシアでは、『紅茶は中華国にしかない』というのが常識だった。
そのため大量消費される茶葉の輸入を、遠い中華国に依存するという不健全な状態が続いている。
もしそれがインディオで見つかったとなれば、大手柄だ。
出向かない理由などない。
「もう食料も底を突いちゃったし、腹が減ったね……」
「まったくだ……逃げるぞチャールス!」
叫んだロバーツは、間髪入れずに走り出す。
「兄さん!?」
チャールスは意味も分からないまま、兄の後を追う。
するとすでに獲物を追う体勢に入っていた野生のトラが、その速度を上げてきた。
「ああっ!」
足元に伸びた木の根が、チャールスの足に引っかかる。
そのまま転倒。
この隙を逃さず飛びかかってきたトラは、馬乗りになって獲物を仕留めにかかる。
目前に迫る、トラの牙。
「チャールスに、手を出すんじゃねぇぇぇぇ――っ!!」
一瞬の迷いもなし。
ロバーツは果敢にもトラを横から蹴り飛ばし、飛び退かせたところでチャールスを引っ張り起こす。
「走るぞッ!」
戦ってどうにかなる相手ではない。
ロバーツはチャールスと共に、木々の間を右へ左へ駆けて逃げ回る。
即座に後を追ってきたトラは狙いを定めて跳躍、その爪が背にしていたカバンを斬り裂いた。
「今だ!」
勢い余ったトラは転がり、そのまま茂みに突っ込んだ。
この隙を逃さず、二人は全力疾走で距離を取る。
生まれた長い距離が、運良く功を奏した。
トラは追跡を諦めたようで、どうにか最悪の危機から逃れることに成功した。しかし。
「……今度は雨か」
密林特有の、急な豪雨が降り始める。
「これで何も見つからなかったら、たまんねえな」
いよいよ苦笑いのロバーツに、今も激しく鼓動を鳴らしているチャールスが無言でうなずく。
その瞬間。
「「っ!!」」
降り出した雨は、視界だけでなく地盤も悪化させていた。
「うおおおおおお――――っ!?」
「わああああああ――――っ!?」
突然崩れた足場に成す術はなく、二人はそのまま崖を転がり落ちていく。
「……チャールス、無事か?」
「うん、大丈夫だよ」
トラに雨、そして崖崩れ。
もう、言葉も出ない。
続く不運に振り回されて、さすがに茶葉の探索を打ち切ろうと決めた、その時。
「……兄さん、あれ」
チャールスが、指を差す。
その先にあったのは、大きな葉を付けた樹木の群生。
「こ、これはっ!」
あらためて辺りを見回してみれば、そこには一面に茶樹が広がっていた。
「間違いない……これだ! 探してたのは、こいつだああああ――っ!!」
「やったね、兄さん!」
思わずハイタッチして、あげる咆哮。
さっそく二人は茶葉の枝を取り、カバンやポケットにしまい込む。
「まさかここに来て、プラントハンターになるとはなぁ……」
世界各地から、有益な直物を探して持ち帰るプラントハンター。
今回持ち帰りに成功すれば、その功績は最たるものとなるだろう。
「よし、行くぞ」
「行こう!」
帰り道は、とにかく下るのみ。
二人は上がった意気に背中を押されるように、足取り軽く歩き出す。そして。
「おいおい。意外と執念深かったんだな……お前」
先ほど置き去りにしたばかりだったトラが、再び二人の前に現れた。
最悪の事態。
身動きも取れない状況。
「「っ!!」」
突然トラがビクリと身体を震わせて、走り出した。
「……ん?」
だが様子がおかしい。
トラは二人を無視して、そのままどこかへ疾走。
わけの分からない事態に二人が首を傾げていると、森が突然静かになった。
直後、木の折れる音が近づいてきたかと思うと――。
「そういうことか……っ!!」
トラをはるかに超える巨体が、姿を現した。
暴れゾウは激しい咆哮を上げると、そのままこちらに向かって突進してくる。
「逃げるぞっ!」
二人は大慌てで走り出し、山を下る。
「チャールス……ッ!」
ロバーツの目に映ったのは、突然現れた人間に牙をむこうとする一匹のコブラ。
弟の元に即座に駆け寄り、足を振り上げる。
「邪魔だぁぁぁぁぁぁ――――っ!!」
容赦なくコブラを蹴り飛ばすと、チャールスの手を引き傾斜のきつい崖に飛び込む。
そして数メートルほど転がり落ちたところで立ち上がり、わずか三歩の助走で再び崖にダイブする。
「うおおおおおおおお――――っ!!」
「わああああああああ――――っ!!」
角度が急すぎて止まることもできず、ひたすらに崖を転げ落ちていく。
起き上がって走り、転がり、とにかく山を下へ下へ。
やがて茂みにぶつかり、木々の間を抜けたと感じたところで、足が水を蹴って飛沫を上げた。
「痛てててて……」
顔を上げるとそこは、川縁の一角。
見れば川岸に住む者たちの村も、確認できる。
どうやら茶葉を持っての下山に、成功したようだ。
「やったぞ、チャールス!」
「帰ってこれたんだね……!」
よろこぶ兄弟は強目のハイタッチを決めて、そのまま抱き合う。
「ありがとう兄さん、何度も助けてくれて」
「気にすんな、弟を守るのは俺の役目だ」
強く叩かれた肩は少し痛かったが、頼れるロバーツの笑顔に、チャールスも笑い返した。
二人はそのまま、村から船に乗って帰還。
コルカッタは三十万人に迫るほどの人口を誇る、大きな港湾都市だ。
その港はインディオの玄関であり、河岸には東インディオ会社の大型帆船や、沿岸を行き来する商船などがズラリと並んでいる。
また四輪馬車と共に、牛車や人が担ぐカゴもあり、ブリティシアとインディオの文化が混ざっためずらしい光景も見られる。
白い漆喰の壮麗な官庁の隣にある道を進めば、活気あるバザーから香辛料の香りが届く。
すでに疲労の限界を迎えている二人は真っ直ぐ宿屋へ向かい、着替えて一階併設の食堂へ。
「……メシだな」
「もちろんだよ」
空腹の限界に来ている二人は、商談を行っている商人たちの間を縫ってテーブルにつく。
「注文は?」
そんな店主の問いに、兄弟は声をそろえる。
「「ムルギ・ジョル」」
目標をやり遂げた達成感と、長い緊張によって生まれた大きな疲労。
もはや言葉を発する気力もなく、イスにもたれかかって料理の到着を待つ。
「お待ちどう、ムルギ・ジョルね」
「「おおー……」」
目の前に置かれた瞬間、思わずもれてしまう声。
ムルギ・ジョルは、コルカッタ風のチキンスープカレー。
骨付きの鶏肉に、赤みがかった黄金色のさらりとしたスープがたっぷり。
油は表面に薄く浮かぶ程度で、濃厚というよりも軽やか。
炒めたタマネギの甘さに、クミンやコリアンダーの温かみ、ショウガとニンニクの力強さが重なって、鼻をくすぐってくる。
「これだよこれーっ!」
「いただきます」
さっそくスプーンにとって口に運ぶと、最初に来るのは炒めタマネギの甘さだ。
その後にマスタードオイル特有のナッツのような香ばしさと、わずかな辛味が鼻の奥を軽く刺激する。
次々に顔を出すスパイスの風味は心地良く、意外にも辛さは控えめ。
じんわりと体を温めるような、穏やかな刺激だ。
鶏肉は骨からほろっと取れてしまうほどに柔らかく、噛むたびに肉汁がスープと混ざる。
またスープを吸ったジャガイモもホクホクで、鶏肉とはまた違った柔らかさで口の中を満たしてくれる。
二つの旨味が香辛料の風味と一つになって口いっぱいに広がれば、思わずもれる吐息。
「やっぱうめえな! こいつはインディオでなきゃ食べられない味だ!」
「本当だね!」
白米と一緒に頬張れば、さらりとしたスープが米の一粒一粒によく絡む。
米の持つ甘みが、スパイスや鶏肉の旨味と一緒になって押し寄せてくる形だ。
食べ進めるほど生姜の爽やかさがじんわりと広がり、体の奥がゆっくり温まっていく感覚。
もう、手が止まらない。
それはまさに、旅の疲れがほどけていくような味わいだった。
「「はああああ……」」
極限まで追い込まれた状態から、スパイスの効いたチキンスープカレーを満腹まで食べる。
そんなことになれば、食後の満足感と解放感は圧倒的だ。
ロバーツとチャールスは、しばらくぼうっと天井を見上げていた。
「やったんだな……」
ロバーツが胸ポケットに入れてきた枝を、そっと覗き込んでこぼす笑み。
あらためて実感する、大きな成果。
腹がいっぱいになれば、自然と意気も上がってくる。
「さっそくこいつを東インディオ会社に持ち込んで、大発見を伝えるんだ! こいつは大変なことになるぞ……っ!」
「楽しみだね、兄さん!」
ブリティシアの紅茶事情を大きく変えうる発見に、思わず笑い合う二人。
これからその前に思わぬ壁が立ち塞がることを、ブルース兄弟は――――まだ知らない。
脱字報告ありがとうございます! 適用させていただきました!
スパイスの効いたスープカレー……この時期には辛みの効いた料理はたまりませんね!
お読みいただき、ありがとうございました!
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