72.驚愕の事実ときのこのクリームパスタ
「今日も、お疲れ様でした」
笑顔のマリアが、達也とエマをねぎらうようにほほ笑む。
「マリアちゃんも、お疲れ様」
「お疲れ様でしたーっ」
営業時間を終えたキッチン・みけは、一部の照明を落とす。
三人だけが残った静かな店内を照らす橙の光は、少し特別な雰囲気だ。
今夜は客が途切れず、忙しい時間を軽食で乗り越えた。
そのため客の料理を羨ましそうに見ながら徘徊する『クマちゃん』も、顔をのぞかせるほどだった。
「それじゃあ、夕食にしようか」
「はいっ!」
すでにカウンター席に着いているエマは、フォークとスプーンを手にご機嫌だ。
すっかり『いつもの席』になったエマの隣に、マリアも腰を下ろす。
「この時間、大好きなんですっ」
「うふふ、私もよ」
夕食の時間が遅くなるのは、クマちゃん発生の危機。
しかし三人一緒に閉店後の店で摂る夕食の楽しさが、エマは好きだった。
さっそく手慣れた動きで調理を進める達也は、あっという間にパスタを完成させる。
「これは……きのこのクリームパスタですか?」
「正解、どうぞ」
淡い緑のラインが綺麗な白皿に、盛られた麺をやさしく包む白黄色のクリーム。
控えめな艶の中からはシメジや舞茸が顔を出し、天辺に振られた黒胡椒が微かな刺激を運んでくる。
「おいしそうですっ!」
「本当ね」
達也の綺麗な盛り付けに、自然と笑みがこぼれる二人。
フォークを近づけると、バターときのこが混ざって生まれる甘い香りが届く。
続けて感じる、舞茸特有のかすかな土の気配。
クリームの匂いは主張し過ぎず、それでいてミルクの存在を確かに感じさせる。
「いただきますっ!」
「いただきます」
麺を口に運べばまず、軽やかなクリームが牛乳ならではの甘みを感じさせる。
重さはなく、口内にとろりとその味わいが広がる形だ。
そして噛むほどにシメジの柔らかな旨味、舞茸の香ばしさ、エリンギのほのかな弾力が順番に顔を出す。
きのこたちの放つ豊潤さが、程よい塩味と甘みを持つクリームと一緒になれば、思わず笑みがこぼれるほどのおいしさだ。
「おいしい……」
「はいっ、とってもおいしいですっ!」
重なるきのこたちの香りを楽しんだ後に、ふわっとわき立つバターのコクは、その豊潤さにコクを与える。
クリームの甘みとキノコの旨味がしっかり絡んだ麺は、噛めばその弾力が心地良く、ノドを通る瞬間に感じるとろみが最高だ。
最後に残るのは、きのこたちの豊かな香りとクリームの余韻が混ざり合った幸福感。
黒胡椒による微かな刺激が、全体を見事に引き締めている。
「「はぁ……」」
きのことクリームの見事な味わいに、同時に息をつく。
思わず笑い合う、エマとマリア。
「それにしてもマリアちゃんは、メニューを覚えるのが早いな」
そんな二人を見て、達也はマリアの働きぶりを思い出した。
「ありがとうございます」
ブリティシア国民にしてみれば、見たことも聞いたこともないものばかりの『みけ』のメニュー。
マリアは仕事中にエマが運ぶ料理にも意識を向けて、その名前をかなりの早さで覚えている。
それでいて客対応にも、しっかり順応。
今では立派な戦力の一人だ。
「マリアさんすっごく勉強熱心で、メモを作って休憩時間にも勉強してるんですよっ」
「エマちゃんのおかげよ」
マリアはそう言って笑うと、エマに問いかける。
「昨日のお昼の賄は、何だった?」
「お肉いっぱいの、ミートソースですっ!」
「一昨日の夜の賄は?」
「ピリッとした辛さがたまらない、カレーライスですっ!」
「三日前に、ハリソンさんが注文したのは?」
「あんかけの、唐揚げ定食ですっ!」
「これは、すごいな……」
当然のように答えるエマに、達也もさすがに驚く。
「エマちゃんは本当に料理をしっかり覚えていて、『お勧め』はお客さんにすごく好評なんですよ」
「えへへ」
「私も、役に立てるようがんばろうと思って」
「マリアちゃんの作法や上品さはもう、立派な『みけ』の魅力になってるよ」
「マリアさんの振る舞いには、憧れちゃいますよねぇ……」
仕事中のマリアを思い出して、エマはうっとりする。
実際最近増えた上流階級客も、その所作には感嘆しているほどだ。
「元気なエマちゃんと、上品なマリアちゃん。二人の違いがまたいいんだろうな」
「本当に素敵ですよねぇ、紅茶を淹れている時のマリアさん」
「何よりまだ来たばかりなのに、がんばってくれてると思う」
「……ありがとうございます」
達也がそう言うと、マリアはうれしそうにほほ笑んだ。
そして、少し遠い目をしながらつぶやく。
「少しでも、お父さんお母さんを楽にしてあげたいんです」
不運な列車事故で財産を失った父は、書類整理と処理の仕事を懸命に続けている。
母もようやく、慣れない家事に従事し始めた。
以前よりも忙しそうな父と、過去を思い出して寂しそうにする母を、なんとか助けたい。
マリアには、そんな思いがある。
「これからも、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
「よろしくおねがいしますっ」
丁寧に頭を下げるマリアに、笑顔で応える達也とエマ。
気が付けばパスタも食べ終わり、『みけ』には緩やかな時間が流れ出していた。
「さてと……」
一通り賄の夕食を、食べ終えた三人。
「始めるか」
そうなればやって来るのは、挑戦の時だ。
達也にとってはすでに儀式と化している、『ビールの味がおいしく感じられるようになっていないか』の確認。
さっそくグラスを手に取って、三分の一ほどまで注ぐ。
そしてどこか神妙な面持ちでその表面を見つめた後、グイっと飲み干し息をつく。
「どうですかっ?」
「……苦い」
残念ながら、変化なし。
「いつになったら、その時が来るんだ……」
祖父の豪快な飲みっぷりを思い出しながら、ため息をつく達也。
「達也さん」
するとマリアが、声をかけてきた。
「私にも味見をさせてもらえませんか? アランさんやヴィクトルさんを見て強く印象に残っていて、味を知っておきたいんです」
「そうだな、知っておくに越したことはないか」
達也はビールを新たに注いで、差し出す。
マリアは泡を立てる冷えた一杯を興味深そうに見つめると、そっとグラスに口を付けた。
「……っ」
二十歳を超えているマリアだが、実はビールを飲むこと自体は初めてだ。
「無理しなくていいよ」
眉根にわずかに寄ったしわを見て、達也が告げる。
マリアは目を、ぱちぱちさせた後。
「もう少しだけ……頂いてもいいでしょうか?」
「もちろん」
真面目なマリアの事だ、しっかりと味を知っておきたいのだろう。
そう考えて達也は、もう一杯ビールを注いで渡す。
マリアはグラスを手に、小さく息をついた。
そして、あらためてグラスを傾ける。
「……っ!」
再び、その眉根によるしわ。
「本当に、無理しなくていいよ」
その真面目さに、思わず苦笑いを浮かべる達也。
しかしマリアは、その全てを一気に飲み干して――。
「――――おいしい」
まさかの言葉を発した。
「……えっ?」
「とっても、おいしいです……っ!」
キラキラと輝く、マリアの目。
これには達也も、唖然としてしまう。
「そ、それなら……ジョッキで飲んでみる? いや、さすがにそんなには要らないか? ……要らないよね?」
「よろしいんですか……!?」
「…………どうぞ」
目を輝かせたままでいるマリアに、達也は戦慄しながらジョッキ一杯のビールを注いで渡す。
「いただきますっ!」
飲み出したら、止まらない。
良く冷えたビールを口に含めば、キレのある苦味が口内を駆け抜ける。
後味は鮮烈で潔く、余韻もスッと消えていくほどだ。
それは「もう一口」を自然に誘う、研ぎ澄まされた爽快感。
何よりそのノド越しと苦みが……うまい。
見事なマリアの飲みっぷりを見た達也は、思わずたずねてしまう。
「少しだけ、残った豚の角煮があるけど……食べる?」
「よろしいんですか……っ?」
角煮を小鉢に用意して、カウンターの上に置く。
するとマリアはさっそく、柔らかなその一品を口に運んだ。
角が落ちるほど柔らかいのに、厚い肉の存在感はしっかり歯に伝わる。
醤油とみりんの深いコクと甘みが、旨味と脂に混ざって広がる味わい。
そこにビールが、後を追う。
「あらあら、まあまあ……っ」
濃い味付けの角煮と一緒に飲めば、互いの味が引き立って……もっとうまい。
結局そのままマリアは、ジョッキのビールも飲み干してしまった。
「お代わりは、どうしますかっ?」
問いかけるエマに、達也はもう「好きにしてくれ」と、うなずくのみ。
「おねがいしても……いいかしら」
「はいっ」
そこはやはり、『食への貪欲さは良くない』という文化で生きてきた元上流階級。
マリアは少し恥ずかしそうにしながら、お代わりをお願いした。
「お待たせいたしましたーっ」
「ありがとう」
エマがジョッキに注いできたビールを手に取ると、マリアは再びゴクゴクとノドを鳴らす。
「うふ、うふふふふっ」
ついにこぼれ出した、笑い声。
マリアはもう、すっかり上機嫌だ。さらに。
おいしそうにしている人に目がないエマが、自分を見ているのに気づくと、角煮を切って――。
「エマちゃん、あーん」
「いいんですかっ!? あーん」
ひょいっ。
まさかの回避。
「っ!?」
「うふふふふ」
そんな予想外のイタズラをして、子供のように笑った後、あらためてエマに角煮を食べさせる。
ブリティシアでは基本、公の場で人と食事の共有は行わない。
特に上流階級では、マナー違反として見られる行為だ。
しかしおいしいビールを飲んで、マリアはよほど機嫌が良くなってしまったのだろう。
カウンターの達也を、じっと見つめると――。
「私……大好きみたいです」
続けざまにエマが届けてくれたビールを手に、うれしそうな笑顔でそう告げた。
「……た、頼むからエマちゃんは、置いて行かないでくれよ?」
ついに白目をむいた達也が、懇願を含んだ声をあげる。
「その時は、エールの販売をやめる可能性もある」
「ええーっ!? で、でも大丈夫です! わたしはまだ全然だと思いますからっ!」
「まさか、マリアちゃんが飲めるタイプだったとは……マリアちゃん?」
振り返って見れば、いつの間にかマリアは少しウトウトした様子。
気持ち良さそうに目を閉じて、身体をゆっくりと揺らしていた。そして。
「とってもおいしい料理を作る達也さんに、いつも元気なエマちゃん……」
マリアは半分寝ぼけたまま、つぶやく。
「私、このお店に来られて……本当に良かったです」
思わず目を見合わせて、ほほ笑み合う達也とエマ。
今夜もキッチン・みけには、穏やかな空気が流れていた。
◆
翌朝、達也は仕込みのためキッチンに立っていた。
初めての飲酒で深酒をしたとあっては、今日のマリアは仕事にならないだろう。
「ちょうどいい、タイミングだったかもな」
何せ、慣れない仕事を始めたばかりだ。
達也は、マリアには一度休みが必要だろうと判断した。
「なにより、『飲める量』っていう概念を知るいい機会だな……うん」
勢いのままに何杯も飲んでしまえば、翌日は大変なことになってしまう。
今日はエマとがんばろうと決めて、気合を入れる。すると。
「おはようございます」
店内に、マリアがやって来た。
楚々とした雰囲気と、綺麗な立ち姿。
そこには昨夜の影響など、まるで感じない。
「おはよう……あれ、もしかして……何ともない?」
「はい。昨日はとっても楽しくて、元気いっぱいです。今日もがんばりますよ」
「……そ、そう」
その対応もいつも通りどころか、むしろ少し元気なほど。
どうやらマリアはビールがおいしく飲める上に、アルコール自体にも強いようだ。
そんな事実を前に、再び白目をむく達也。
「……ねえ、マリアちゃん」
「はい」
「何か、コツとかってあるの?」
「コツ、ですか……?」
陽光差し込む、朝のキッチン・みけ。
すっかり白目状態の達也の問いに、マリアは「あら?」と、不思議そうに首を傾げるのだった。
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