71.三度目の対決とアヒージョ
「……ついに、この時が来た」
四十代中盤になる、小太りの貴族。
ヴィクトルは静かに立ち上がると、ハットを手に取り玄関へと向かう。
「あなた、もしかして……またなの?」
すると気づいた妻が、さっそく冷ややかな視線を向けてきた。
「心配することはない。ヴィクトル・キャベンディッシュは、全てを超越した」
「はい?」
この時間にヴィクトルが出かけるという事は、ニンニクまみれになって帰って来るということ。
娘のエリザも、軽蔑するような目を向けてくる。
それはニンニクが、上流階級において外国の下品な食品として見られているからだ。
「……貴族たるキャベンディッシュの誇りと、愛する家族からの尊敬。私は全てを取り戻す」
ヴィクトルはつぶやきと共に馬車に乗り込むと、静かに目を閉じた。
(今日という日のために質素な食事と禁酒、規則正しい生活と日々の祈りを欠かさず続けてきた。全ての欲望を打ち払い、澄み切った水のような『境地』に達した今なら……ニンニクの魔の手すら振り払うことができるだろう)
たどりついた、キッチン・みけの前。
時はすでに夜。
明かりの灯った店からは賑やかな声が聞こえてくる。
「終わらせるんだ、ニンニクとの戦いを。そして貴族としての誇りを取り戻す」
そんな決意と共に、ヴィクトルはドアを開いた。
「いらっしゃいませーっ!」
さっそく駆け寄ってきたのは、笑顔のエマ。
「メイドよ、いつもの席へ」
「はいっ!」
エマは変わらぬ元気さで、ヴィクトルをテーブル席に案内。
「ご注文はどうしますかっ? やっぱりジャーマンポテトですか? それとも焼き餃子にしますかっ?」
「ニンニクへのこだわりなど捨てた私には、どちらであろうともはや問題ではない」
(今日はニンニク料理を打ち破り、貴族たる誇りを示すのみ。淡々と食べ終えた後、ニンニクからの卒業を告げる。そんな私を見て、メイドはどんな顔をするのだろうな)
そんなことを考えながら、ヴィクトルは打倒すべきニンニク料理を選ぶ。
(やはり私を最初にニンニクの沼に招き入れた貧民食、ジャガイモにするのがいいのだろう)
こうしてヴィクトルが、最後のニンニク料理を決めようとしたところで――。
「おうヴィクトル! 何だか今日は神妙だな!」
「……ゴロツキか」
「誰がゴロツキだ!」
声をかけてきたのは、ひと仕事終えて隣のテーブルで飲んでいた荷受人夫アラン。
仕事前なら紅茶、仕事終わりならエールというのが、彼の最近の定番だ。
「今日もニンニクをつまみに、一杯やりに来たんだろ?」
「そうだな」
(正確には食べ終えた上でハッキリと「やはりニンニクのように下品な食材は、高貴な私には合わない」と、卒業を宣言するのだがな)
「そんならよォ――――アヒージョがお勧めだぜ」
「アヒージョ……?」
「ああ、たっぷりのニンニクが効いた最高の料理だぞ! エールに良く合うんだ!」
「はいっ! とってもおいしいですよ!」
「……なるほど」
(ゴロツキとメイドが手放しで勧める、ニンニク料理の代表格といったところか。ならばその誘惑を見事に断ち切り、貴族たるプライドを取り戻そう)
「いいだろう、そのアヒージョとやらをもて。エールと一緒にな」
「かしこまりましたーっ!」
さっそくオーダーを告げに戻るエマ。そして。
「見ているがいい、ゴロツキよ。真の貴族とはどういうものなのかを教えてやろう」
「なんだそれ?」
そんな唐突なヴィクトルの宣言に、首を傾げるアラン。
(キャベンディッシュたる私ともあろう者が、ずいぶんと不様な姿を見せてきたものだ……だが今夜は、そんな弱き自分に別れを告げる!)
「お待たせいたしましたっ! こちらアヒージョになりますっ!」
程なくして、エマが料理を持ってやってきた。
(さらばニンニク! この新生ヴィクトルに庶民の下品な誘惑など通じない! 今夜私は全てを乗り越えるのだ! さあアヒージョとやら、正々堂々かかってくるがいいっ!)
覚悟を決めた明鏡止水ヴィクトルが今、アヒージョに挑む。
「――――うっ!?」
スキレットの黒い鉄肌の上には、黄金色に輝くオリーブオイル。
その中に沈むエビは鮮やかな桜色で、表面に細かな気泡をまとっている。
半分に割られたマッシュルームは油を吸い込み、色艶を増した状態だ。
縁がカリッと反り返ったベーコンの赤みと、脂の白が描くコントラストがたまらない。
「どうした?」
「な、なんでもない……っ!」
油はまだ小さく沸き立っており、先制パンチとばかりにニンニクの香りを届けてきた。
そこにエビとベーコンの香ばしさが続けば、その一撃は想像以上に強烈なものとなる。
自然と、ノドが鳴った。
「だ、だが、今の私はこの程度では揺らがない! 見ているがいいッ!」
そう宣言して、ヴィクトルは一口目にエビを選択。
「う、ぐっ!」
噛んだ瞬間にぷりっと弾けて、海の風味がオリーブオイルと混ざり合いながら舌の上に広がった。
エビの旨味が油に溶けて生まれた香ばしい海老油は、容赦なく口内を蹂躙する。
(これは、ヤバいぞ……っ!)
たまらず口にする、冷えたエール。
「なあっ!?」
広がる心地よい苦み、そして圧倒的なキレ。
すると自然に手が伸びて、マッシュルームを口に運んだ。
旨味を含んだ油を大量に吸ったマッシュルームは、噛めば熱々のエキスを爆発的に放出。
そしてそれだけの旨味油が口内に広がれば、エールで流す時の快感は圧倒的なものになる。
「ぐ、ぐうううう――っ!」
最後はベーコンだ。
肉そのものが持つ旨味とオリーブオイルの共演は、最高の贅沢。
溶け出した脂がエビとマッシュルームに絡むことで、アヒージョは三位一体の旨みを完成させている。
その塩気の強さは、エールの苦味が至高の相棒になる。
(う、うまい、うますぎる……ッ!)
思わず驚愕してしまうヴィクトル。
だが、何より。
その全てに絡む、濃いニンニクの風味がたまらない。
口にした瞬間にふくらむかぐわしい香りが、口内を一瞬で占領。
喉から鼻へと抜けていく官能的な風味が、エビやマッシュルーム、ベーコンと一緒になれば、その火力は圧倒的なものとなる。
(やはりニンニクの香りはエールの風味と相性が抜群だ! さらに油の重さを炭酸がリセットし、塩気がエール独特の苦味を甘くすら感じさせる。そしてアヒージョの旨味の強さも、エールの味をより鮮烈なものにしているではないか……ッ!)
「くっはああああああ――――っ!」
思わずもれる、盛大な吐息。
(つまりこのアヒージョは、エールのための料理と言ってもいいレベルの逸品だッ!!)
「おいしそうですねぇ」
「うふふ、本当ね」
旨味の海となったオリーブオイルに浸したバゲットを夢中でむさぼり、エールをぐびぐび飲んでいくヴィクトルに、マリアが興味深そうな視線を向ける。
――――そして。
「「お代わりは、いかがですか?」」
二人は並んで、問いかけた。
「……ふ、ふ、ふざけるなぁぁぁぁぁぁ――――っ!!」
ヴィクトルは、いつものように咆哮をあげる。
「この貴族たるヴィクトル・キャベンディッシュが、お代わりなどという上流階級にあるまじき行為を、ニンニク料理のためにするなど、あっていいはずがないっ!」
ブンブンと首を振って、その誘惑を断ち切ろうとするヴィクトル。
するとエマが、笑顔で告げる。
「……ニンニク増しも、できますよ」
(で、出たな! このヴィクトルを奈落へ誘う小悪魔め! だが今回は、今回だけは敗けんっ!)
「ホタテっていう貝を入れても、とってもおいしいんですっ。エビとはまた違う食感と、海の風味が最高ですよっ!」
(負けてなるものか! 私は麗しきブリティシアの貴族!! 食に心奪われるなどあってはならんのだぁぁぁぁ――っ!!)
ヴィクトルは拳を握り、必死に唇を嚙みしめる。
もはや薄氷のものとなったプライド。
理性は崩壊寸前だ。
するとそこにマリアが、しずしずと近づいていって――。
「うふふ……ジャガイモを入れても、おいしいんですよ」
まさかのダメ押し。
上品な笑顔のままで、そんな提案をした。
「ジャガ……イモ?」
それは最初にヴィクトルがニンニクにハマる原因となった、庶民の救済食だ。
「外はカリッと、中はホクホクなんです」
そんなジャガイモを思い浮かべた瞬間、あのホクホク感に絡むニンニクの記憶が、ヴィクトルの口奥に鮮明によみがえっていく。
「あ、ああっ、ああああああああ――――っ!!」
マリアのささやきに頭を抱え、再び咆哮を上げたヴィクトル。
ギリギリで抑圧していた欲望が、勢いよく解放される。
「……わりだ」
「はい?」
「あら?」
「お代わりだと言っているっ!! アヒージョを今すぐ持って来いっ!! もちろんニンニク増し、ホタテとジャガイモを入れた大盛りでなああああ――――っ!!」
「「はいっ!」」
さっそくオーダーを伝えに行く、エマとマリア。
その後ろ姿を見て、ヴィクトルは愕然とする。
(い、一体何なんだこの店は……! 新たに入った店員も、一見女神のようだがまるで違う! メイドが小悪魔なら、新メイドは魔女ではないかッ!)
「どうだヴィクトル、アヒージョもうめえだろ?」
そんなエマたちとのやりとりを見て、アランが笑う。
「……ああ。また良い料理を教えられてしまったな」
すでに放心状態のヴィクトルは、アランとジョッキをぶつけ合う。
そして届いたお代わりアヒージョを前に、虚空を見上げて静かに笑みを浮かべる。
(終わった……)
ジャガイモは予想通り、外はカリッとしながら中は最高にホクホク。
ニンニク油と共に食べることで、エールも無限に飲めてしまう。
どうやら今夜も、楽しいひと時になりそうだ。
◆
「あなたは一体、何を超越したのですか?」
案の定ニンニクまみれになって帰ってきたヴィクトルに、妻は娘と共に冷たい視線を向ける。
「……何を、だったかな」
しかしヴィクトルは答えず、静かに怪しい笑みを浮かべるだけなのだった。
誤字報告、ご感想ありがとうございます! 適用させていただきました!
返信はご感想欄にてっ!
お読みいただきありがとうございました!
少しでも「いいね」と思っていただけましたら。
【ブックマーク】・【ポイント】等にて、応援よろしくお願いいたします!




