68.フランク王国から来たシェフとハッシュドビーフ
「エミールさん、ちょっといいですか?」
とある上流階級のタウンハウス。
執事に呼ばれたのは、フランク王国から来た一人の料理人エミール・デュラン。
小麦のような濃い金色の髪をした彼の出身は、パリス郊外の職人階級。
十代で厨房に入り、下働きから始めた叩き上げの青年だ。
「旦那様がお呼びです」
「ついにお褒めの言葉か……!」
この家のシェフになって、三週間。
今日出した白ワインを使った鶏のクリーム煮は、得意料理の一つだ。
『料理は芸術』という矜持を持ち、ブリティシア上流階級の屋敷に雇われたのも、名を上げるチャンスだと考えているエミール。
意気揚々と、雇い主の待つダイニングへ。
「――――もっと質素な料理を」
「……はい?」
しかし向けられた言葉は、難色交じりの注文だった。
「うちに成金趣味はないんだ。頼むよ」
そう言って、去って行く雇い主。
エミールは立ち尽くしたまま、つぶやく。
「フランク王国では、『ちょっと豪華な家庭料理』なんだけど……」
ブリティシアの上流階級は、倹約や控えめであることを美徳とする文化が強い。
食べ物に執着せず、贅沢を誇示しない。
『質素こそが品位』という価値観だ。
これは宗教的な禁欲主義と、『本物の上流階級は食にこだわらない』という、見栄っぱりな階級意識が背景にある。
「よし、そういうことなら……!」
これこそ腕の見せ所だと考えて、エミールは新たな料理でチャレンジを仕掛ける。
次の食事は、ふわりと舞う玉子の寄せが美しいコンソメスープを選択。
シンプルだが、それゆえにプロのこだわりが光る。
しっかり手間と時間をかけることで見事な透明度を誇るスープは、エミールの持つ技術の賜物だ。
「エミール君」
「はいっ!」
「スープに、ここまで手間をかけないでくれ」
「っ!?」
「透明度の高いスープは、技術を誇示している感じがするだろう?」
それが『食へのこだわり』と取られても、おかしくない。
そう考えた雇い主はやはり、苦言を残して去っていく。
「……いや、その手間はこっちが引き受けるんだから関係ないだろっ!?」
思わず頭を抱えるエミール。
だが、それならさらに方向性を変えるのみ。
それだけの技能は、持っているつもりだ。
今度こそはと気合を入れ直し、次の食事でまた別の一手を打つ。
新たなメニューは、フランク王国なら『控えめ』と言われる料理。
バターと砂糖でツヤを出した、野菜のグラッセだ。
「これなら、どうですか?」
ニンジンと小タマネギ、そしてカブという並びの一品。
確かな自信と手応え。
雇い主の反応を、首を長くして待つ。
「――――野菜の光沢感が、落ち着かない」
「なっ!?」
エミール、絶句。
「なんて言うか少し、料理のレベルが高すぎるんだ。何でもかんでも、すごいというのはちょっと」
雇い主はそう言い残して、ダイニングを出て行った。
「……そ、そんなの知るかぁぁぁぁぁぁ――っ!!」
どうやら雇い主は、外面をかなり気にするタイプのようだ。
ついに野菜の光沢にまで制限をかけてきた雇い主に、いよいよ頭を抱えるエミール。
そのまま勢いに任せて、家の外へ。
「あれだけ狂ったように銀の皿を執事に磨かせるのに、そこに入れるスープは出汁の一つも取るなってことか!? だいたいおいしくて怒られるってなんだ!? 未だかつてこんな怒られ方をした料理人いないだろ……っ!?」
フランク王国の料理人にとってはおいしく作ることが誇りであり、手間をかけるのは職人の矜持、華やかさは技術の証明だ。
しかしブリティシアでは、フランク料理は華美が過ぎて、質素であるべき英国紳士の家にはふさわしくないという意見も確かにあった。
豪華さを披露するのは、もてなしの時のみ。
そしてこんな上流階級の考え方こそが、ブリティシアのメシマズを進める原因の一つになっている。
エミールは、怒りのまま道を進む。
「こういう時は、食って忘れるに限る! おやじ、フィッシュアンドチップスを一つ!」
勢いに任せて屋台で買ったフライに、さっそくかじりつく。
「何これまっず!? それならスープだ!」
口直しもかねて、隣の屋台のジャガイモスープを購入。
「そうそう、やっぱり温かいスープが一番……ぶふぅぅぅぅ――っ!!」
出汁の効いてないスープの出来に、思わず噴き出した。
「味、薄っ!」
「おにいさん、ウナギどうーっ?」
そこに声をかけてきたのは、ウナギ屋の店主。
「これは、煮凝りか……? なんだ、まともなのもあるんじゃないか! それじゃさっそくああああああ――ッ!!」
舌を直撃する原始的な生臭みに、足をフラつかせる。
「こんなの、質素すぎるだろ……ッ!」
フランク王国では、どこの屋台でも十分に食べられる料理が出てきた。
エミールはこの信じられない事態に、今まさに屋台を開こうとしている者を捕まえ問いかける。
「何で出汁を取らない!? なぜソースを使わない!?」
「な、なんだアンタは……っ!?」
「あんなすごい機関車を走らせているのに、世界を駆ける蒸気船が造れるのに、どうして下味すらつけられない!? やり方を忘れてるのか!?」
襟首をつかんで聞くと、その男は真面目な表情のまま問う。
「……したあじ? そいつは……うまいのか?」
「っ!?」
エミール、ついに白目をむく。
そしてそのままフラフラと、労働者街を歩き出した。
「……俺は、このままでいいのか?」
上から下までメシがマズい国で、生まれる悩み。
もっと色んな料理を知り、作って、名を上げたい。
輝かしい未来を望んで、ブリティシアにやって来たはずだった。
「雇い主の払いはいいし、手を抜いて稼げるのは楽かもしれない……でも」
ここでは、いくら払いが良くても願いはかなわない。
「このまま『質素』に飼い殺されるくらいだったら、いっそフランク王国に帰った方が……いや、でも」
これは人生に関わる問題。
決断を下すのは、簡単なことではない。
「俺は一体……どうすればいいんだ?」
やがてその足取りも頼りないものとなり、エミールは大きくため息を吐いた。
「……ん?」
そんな悩める料理人の目に映ったのは、ブリティシアの街並みとは少し違った雰囲気を持つ店。
得意げに笑うキツネの看板が、なんだか洒落ている。
「どうせここも、同じだろう」
そう言いながらも、導かれるようにして足を踏み入れた。
「いらっしゃいませーっ!」
「いらっしゃい」
するとさっそくエマが、駆けつけてきた。
「こちらのお席へどうぞっ!」
エミールは言われるまま、カウンター席へ着く。
「……なんか、雰囲気の良い店だな」
「えへへ、ありがとうございますっ!」
楽しそうに食事をする客を見て、思わず出たエミールのつぶやきに、エマがうれしそうに応える。
「メニューも多い……」
「どれも、とってもおいしいですよっ!」
「そりゃいい。ブリティシアの質素とマズい料理には辟易してたところなんだ。でも、これだけあると悩むな……」
「それでしたら、ハッシュドビーフはいかがですか?」
迷うエミールに、声をかけてきたのはマリア。
「こんがり焼いたパンも一緒について、お勧めですよ」
「なるほど、そりゃいいな。よし、頼む」
「かしまりましたーっ!」
ハッシュドビーフは薄手に切った牛肉を使用する、ブリティシア生まれの料理。
ビーフシチューに似ているが、使う食材が少なく、あっさりした味と軽やかな酸味が特徴だ。
「お待たせいたしましたーっ!」
しばらくすると、再びエマが笑顔でやって来た。
「こちら、ハッシュドビーフですっ!」
「なるほど……確かにこいつはうまそうだ」
思わず感嘆するエミール。
白磁の深皿に注がれたハッシュドビーフには牛肉とタマネギ、マッシュルームが肩を寄せ合っている。
とろみのあるスープは見事な照りを見せていて、焼けた牛肉の香りに微かに混じった甘い酸味と共に、食欲を刺激する。
わずかに散らされたパセリが鮮やかで、目にもうれしい一品だ。
「見た目から、まるで違うな……」
そう言いながらエミールは、ハッシュドビーフを一口。
「うまい……っ!」
舌の上に広がった温かなソースのとろみに感じる、牛肉の旨味。
そこにタマネギの甘味と、マッシュルームの持つほのかな土の香りが混ざっている。
薄切りの牛肉は口内をざらりとなぞり、噛めば千切れていく『層』の感覚が、なんとも心地良い。
閉じ込められていた肉汁がじゅわっと広がれば、ソースの甘味と共に深いコクを感じさせる。
煮崩れたタマネギはソースに完全に溶け込んでいて、自然な甘味の基礎を作っている。
この甘味によって、牛肉のコクも重くなり過ぎない。
飲み込んだ後、口の中に残るのはバターの香りと牛肉の風味、そしてマッシュルームの微かな土の香りだ。
「重過ぎず、軽すぎない口当たりで、自然ともう一口が欲しくなる……! 派手さはないけど、すごく良い料理だ……っ!」
かける時間も食材も少ないため、質素さを感じさせるが、確かにうまい。
これは見事な一杯だ。
「おいしそうですねぇ……」
うらやましそうに、ノドを鳴らすエマ。
「ああ、こいつはうまいぞ!」
「うふふ」
エマに満面の笑顔で応えるエミールに、マリアも自然とほほ笑む。
「そっか、パンもあるんだよな」
カットしたバゲットには、程よい焼き色がついている。
ハッシュドビーフと一緒に頬張れば、その香ばしさが旨味と酸味に混ざって、さらに豪華なものとなる。
硬めのバゲットにソースがしみ込み生まれる食感はもう、たまらない。
「……最高だ」
すっかりハッシュドビーフを食べ尽くしてしまったエミールは、大きく息をつく。
「うまい料理を出す、腕の良い料理人。なんだよ、ロンドールにもこんな店があるんじゃないか……」
「うふふ。ハッシュドビーフは、ブリティシアで生まれた料理なんですよ」
「そうなのか……!」
その事実を知った瞬間、エミールは大きく目を見開いた。
「確かに定番のシチューに比べれば食材が少なく、煮込み時間もわずかでいい。そう考えれば質素だと言えるな。だが、間違いなく主役を張れる一品だった……そうか!」
そして、勢いよく立ち上がる。
「質素こそがブリティシアだというのなら……このハッシュドビーフのように『洗練』された料理を作っていけばいいんだ!」
「あらまあ」
飛び出さんほどの勢いで立ち上がったエミールに、笑みを見せるマリア。
落ちそうになったフォークを、そっとキャッチする。
「決めた! 俺はやるぞ! 質素だけどうまい料理で信頼を得れば、いずれ社交や商売の場にも呼ばれる。そこでなら豪華な料理を思う存分作る機会だって、もらえるはずだ! ブリティシアだからこそのやり方は、いくらだってある!」
そう宣言して、達也にその視線をむける。
「ありがとう店主、最高にうまかった!」
「ありがとうございます」
頭を下げる達也に、エミールはさらに告げる。
「でも……俺は負けないぞ!」
店に来る前の、ため息はどこへやら。
すっかりやる気と情熱を取り戻したエミールは、ブリティシアで見つけたうまい料理店に気合十分。
「店主みたいに、ブリティシアで成功してやる!」
まるでライバルでも見つけたかのように、うれしそうに達也を指差すと、その燃える意気を見せた。
「うふふふふ」
そしてそんな二人を見て、マリアは楽しそうに笑う。
「それじゃあ、またな! いつか俺の料理も、食べてくれよ!」
「いつでも、お待ちしていますよ」
「ああ!」
「ありがとうございましたーっ!」
エミールには達也の言葉が、「いつでも挑戦を待っている」と言うように聞こえて、また熱くなる。
こうしてブリティシアの『質素』に負けそうだった一人の料理人は、意気揚々と帰路についたのだった。
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カレ牛もそうですが、薄切り肉の食感が好みです!
お読みいただきありがとうございました!
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