67.元令嬢と紳士とパエリア
「大仕事が、無事に終わったぞォォォー!」
「「「かんぱあああーい!」」」
わき立つテーブル席は、三日かけての荷下ろしを終えたばかりのアランたち。
「まさか高級家具の荷下ろしを、任せてもらえるとはなァ……!」
エールを豪快に飲み、大きく息をつく。
船で運ばれてくる荷物の中には、当然高級な物もある。
そしてそんな貴重品の荷下ろしには、技術や経験が認められた者を選ぶのが基本だ。
「俺たちにとっては、昇進みたいなものだからな!」
「おめでとうございますっ!」
よろこぶ荷受人夫組を、エマも拍手で祝福する。
「エール、もう一杯頼む!」
「うふふ、おめでとうございます」
するとマリアがすぐに、エールを持ってやってきた。
「あっ、ありがとうございます!」
相変わらず、上品なマリアには緊張を見せるアラン。
「でもマリアさん、こいつソファを落としそうになって顔面蒼白になってたんだぜ」
「あらまあ、大変だったのね」
「あの時のアランには笑ったよな! ビビりまくっててさ!」
「おい! 余計なこと言ってんじゃねェ!」
「「「あははははっ!」」」
荷受人夫たちの話に、わき立つ『みけ』の店内。
「いらっしゃいませーっ!」
「いらっしゃい」
新たにやって来たのは、高級なハットにコートを羽織った中年の紳士。
大成功だったアフタヌーンティーの影響で、『みけ』にはお忍びの上流階級客も増えている。
さっそく駆けつけたエマが、紳士をカウンター席の一角に案内した。
「ご注文はどうしますかっ?」
「そうだね……ほう、米があるのか。それならせっかくだから米を使った料理を頼もうか。飲み物は紅茶をストレートで」
「かしこまりましたっ! 少々お待ちくださいっ!」
エマはオーダーを達也に通すと、代わりに追加のエールを持ってアランたちのもとへ。
「サンキュー、エマちゃんも唐揚げ一つ摘まんでいっていいぞ」
「いっ、今はお仕事中なのでっ!」
エマは誘惑を断ち切るように、ブンブンと首を振る。
「せっかくだし、店主も一口どうだ?」
「はい、会計七百倍」
「うわ、しまった!」
「あはははははっ! そんじゃもう一度、かんぱーい!」
「「「かんぱああああーい!!」」」
すぐに調子に乗って、すぐにペコペコ頭を下げるアランに広がる笑い声。
するとチラッとアランたちの方をうかがった紳士が一つ、ため息をついた。
「やれやれ。評判を聞いて来てみたが、ずいぶんと行儀の悪い店だな」
ハッキリとそう言って、大げさに首を振ってみせる。
「……なんだと?」
アランたちの視線が、途端に鋭いものとなった。
「これでは料理や紅茶、店のレベルも……高が知れるな」
「ああ……っ?」
これにはいよいよ、怒りの様相を見せる荷受人夫たち。
上流階級の食卓では、食事は静かに行うのが常識であり美徳だ。
紳士も、軽蔑するような表情を崩さない。
「た、達也さん……っ」
にらみ合いを始める両者。
一触即発の気配に、さすがにエマも困惑してしまう。
猶予はほとんどないだろう。
料理を完成させたばかりの達也が、どう収めるかを急いで思案し始めたその時――。
「申し訳ございません」
紳士のもとに完成した料理を持って行ったのは、穏やかな笑みを浮かべたマリアだった。
「あちらのお客様は、初めての大仕事を終えた……お祝いの席なのです」
そう告げて、料理を紳士の前に提供する。
「祝い? だからと言って……む」
紳士はマリアの美しい所作と、料理の見事な盛り付けに面食らう。
「お待たせいたしました、パエリアです」
まだ熱を残している、鉄のフライパン。
炊き上がった黄金色の米には、ところどころにおこげの琥珀色がのぞいている。
貝殻を付けたままのアサリと、美しく色づいたエビたちが豪華さを。
パプリカの赤と黄色が、鮮やかな温かみを添えている。
エビの色味を引き立てるのは、天辺に少量だけ乗せた万能ねぎの緑。
鼻をくすぐるのは、アサリとエビが放つ海辺の匂いだ。
「ふん……いくら態度を丁寧にしてみせたところで、肝心の料理がマズいのでは話にならんぞ」
そう言って紳士は、厳しい視線を向けてきた。
しかしマリアは、変わらぬ笑みを浮かべたままだ。
「とっても、おいしいですよ」
「……どれ」
鮮やかな色どりと、香ばしさを湛えるパエリア。
導かれるようにスプーンを入れると、米はふっくらしながらも、わずかな弾力を残しているのを感じた。
期待に急かれるようにしながら、口に入れる。
「……っ!」
ぷつぷつとした米からは、噛む度にアサリの濃い旨味と、エビから出た香ばしい味わいが同時に染み出してくる。
舌に感じられるのは、ただの塩気ではない。
魚介出汁の贅沢な風味だ。
もちろんエビは、そのプリっとした感触で歯を喜ばせてくる。
独特な海の香りを持った身の旨味に加えて甘さもあり、思わずもれる吐息。
すると炒めたタマネギの甘みと、ニンニクのほのかな香りも同時に感じられる。
トマトの穏やかな酸味で全体を軽くまとめた一品を飲み込む瞬間は……最高の贅沢だ。
「なんてうまいんだ……これだけの料理は、社交界でも食べたことがない……っ」
紳士はスプーンを止めることができず、カチカチと音を鳴らしてしまう。
なぜならわずかに焦げ付いた米が、新たな香ばしさを楽しませてくれることに、気づいてしまったから。
そのまま紳士は、手を止めることすらなくパエリアを食べ尽くしてしまった。
もちろん、殻についたままのアサリまでしっかり取り出して。
「……うまかった。評判以上だ」
「紅茶も、とってもおいしいんですよ。失礼いたします」
しっかり『蒸らし』時間を見計らっていたマリアは、ポットを胸の高さより少し低く持ち、湯を一定の細さで注いでいく。
すると湯がカップに触れた瞬間、良い香りがふわっと立ち上がる。
注ぎ終わりには、ポットをわずかにひねって滴を切る。
その振る舞いは優美で、作法も完璧だ。
マリアの美しい給仕ぶりに、思わず見とれてしまっていた紳士は、澄んだ琥珀色の紅茶を一口。
その目を、大きく見開く。
「素晴らしい……これがヨハンナ・マリアを驚かせたという紅茶か……」
「はい、私も驚いてしまいました」
茶葉の味を最大限に活かした一杯は、まさに至高。
気が付けば紳士は、おいしい料理と紅茶にすっかり満たされてしまっていた。
自然にもれる吐息と、穏やかな心地。
あらためて、『みけ』の店内を見回してみる。
良い建材を使っているのであろう店内は、とても雰囲気が良い。
それでいて華美な部分はなく、落ち着く内装をしている。
何より、客が皆楽しそうだ。
彼らの前に並ぶのは、高級食材を使わずとも美しく、おいしい料理たち。
マリアは変わらぬ笑顔で、隣席の労働者にも丁寧に接している。
「おかわり、お注ぎいたしましょうか?」
「ああ、頼むよ」
再びその綺麗な所作と共に注がれていく紅茶を見ながら、紳士がつぶやく。
「……どうやら、この店の楽しみを知らなかったのは私の方だったようだ」
マリアはただ静かに、笑みを浮かべて耳を傾ける。
「ここは『格』を求めるような場ではない。この賑やかな空間で、誰もがおいしい料理を食べられるということが大事なんだ。その上で君は、私のために合わせてくれたのだな……プライドの高い客を、独りきりにしないように」
労働者街の店に来た、上流階級の客。
本来であれば、浮いてしまうのは紳士の方だった。
しかしマリアが紳士に合わせた作法と対応を見せたことで、一人のけ者になってしまうことはなかった。
「祝い事……か」
紳士は笑って、マリアに注文を一つ追加する。
「ならば私も、その楽しさを分けてもらうとしよう。あの席の者たちに、私から一杯ずつ振る舞ってくれ」
「はい、かしこまりました」
笑顔を残してキッチンへ戻ったマリアは、エールの入ったジョッキを持って荷受人夫たちのテーブルへ。
するとアランたちはすぐに色めき立ち、紳士に向けてジョッキを掲げた。
「「「偉大なる紳士殿に、かんぱーい!」」」
「……いくらなんでも、急に馴れ馴れしくはないかね?」
「うふふふふ」
変わらず賑やかな荷受人夫たち。
苦笑いする紳士に、マリアは楽しそうに笑うのだった。
「素晴らしい料理に見事な接客。良い店だな、店主」
「はい。ありがとうございます」
「……また来るよ」
「はい、お待ちしています」
会計を終えた紳士は、達也に一言告げて店を出る。
するとマリアが、最後の見送りにやって来た。
「今日はありがとう」
「いいえ」
「それにしても君の所作と作法は見事だな。どこかで学んできたのか?」
「少しだけ、ですが」
マリアは多くを語らず、笑顔で応える。
すると紳士は「たいしたものだ」とつぶやいて、穏やかな顔つきで店を後にした。
「マリアさーん!」
「あらあらあら」
紳士を見送ったところで、エマが勢いよく飛びついてきた。
「とっても素敵でした! 私もあんなにカッコよく紅茶を淹れてみたいですっ!」
「エマちゃんにも、できるわよ」
目を輝かせるエマに、マリアが笑い返す。
すると達也も出て来て、二人の隣に並んだ。
「ありがとう、見事な接客だった」
「達也さんの、おいしい料理があってこそですよ」
突然の転落と、立て続けの解雇。
その最後に、たどり着いた料理店。
達也の言葉に、マリアはうれしそうにほほ笑むのだった。
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アサリはどんな使い方でも、貝に残った身を取り出して食べます!
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