63.世界の距離が縮まる日とカツサンド
ついに、この日がやって来た。
三度目の試験で合格し、採用された鉄道会社の工場。
そこでボイラーの扱いを認められたウィリアムは、熟練機関士トマスの助手である火夫となった。
「おはようございます」
緊張と興奮を感じながら、いつもの店のドアを開く。
「いらっしゃいませーっ!」
「いらっしゃい」
「いよいよです。今日から、お客さんを乗せての営業運転が始まります……!」
ロンドール発の新路線。
その記念すべき第一号を任されたのは機関士トマスと、火夫ウィリアムのコンビだった。
「用意、出来てるよ」
そう言って達也が取り出したのは、紙製の弁当箱。
「今日は特別製なんですよっ。とってもおいしそうでした!」
「ありがとうございます!」
思い出しよだれをこらえるエマ。
まだ温かい紙箱を受け取って、ウィリアムはうれしそうにする。
「やっぱり大事な日は、『みけ』の料理を食べたくて」
「がんばってくださいね!」
エマが両手を握って応援する。
今回は発車前の腹ごしらえ用ということで、ウィリアムは『みけ』のサンドイッチを希望。
達也たちは特別に、朝から用意をして待っていた。
「お昼前には発車するので、ぜひ見に来てくださいっ!」
「そうしようか」
「はいっ!」
そんなウィリアムの誘いに、うれしそうにうなずくエマ。
「こんな大きな仕事に関われたのは、『みけ』のおかげです。トマスさんもいますし、今日は必ず成功させてみせますよ! いってきます!」
「応援してるぞ」
「いってらっしゃーい!」
ウィリアムはいよいよやって来たお披露目の日に興奮しながら、店を駆け出して行った。
向かうのはシティ・オブ・ロンドールから北西に進んだ先にある、大きな駅舎。
「何度見てもすごいなぁ」
綺麗に舗装された駅前広場には階級の垣根を超えた、数千人もの観客が集まっていた。
馬車が列を成し、商機を逃すなとばかりに並ぶ屋台からは、賑やかな声が聞こえてくる。
駅舎には象徴的な石柱やアーチが続き、精緻なレンガ積みの壁にガラス張りの大窓が並んでいる。
表向きは美しい駅舎。
だが一歩踏み込めば、屋根は部分的にかかっているのみ。
まだ各所に足場が張り付き、資材の山が残っている。
石工の槌や足場を組む木材の軋み、石材を運ぶ荷車の音まで聞こえてくるほどだ。
大きな事前投資をしているため、一日も早く収入が欲しい鉄道会社。
駅舎が未完成のまま営業運転を開始するのは、この時期では当然のことだった。
「わっ!? なんだ……!?」
突然聞こえてきた大きな音、そして悲鳴に思わず足を止める。
どうやら解体中の足場から、いくつかの木材が落下してしまったようだ。
「大丈夫かな……」
緊張を走らせる作業員たちの方をチラチラと確認しながら、ウィリアムは駅舎内のオフィスへと向かう。
ここもまだ、壁がむき出しの石材のままだ。
窓ガラスは入っているが、床は仕上げ前で、机と椅子だけが置かれた仮の職場といった状態。
そこではスティーブソンの息子であるロベルト、そして鉄道会社の一部重役と駅長が集まって会議を行っていた。
椅子に座ると、不思議な高揚感に身体がフワフワしているのに気づく。
隣りを見れば、すでに数名の機関士と火夫が営業の開始を待っていた。
浮かれる気分を引き締めるため、ウィリアムがあらためて仕事の流れを確認し始めると――。
「たっ、大変だ!!」
一人の職員が、オフィスに駆け込んで来た。
「トマスが! 機関士のトマスが足場の事故に巻き込まれて――!」
「トマスが!? 彼は無事なのか!?」
「命に別条はありませんが、今日の運転は……無理でしょう」
まさかの事態に、静まり返るオフィス。
状況が分からず、ウィリアムも困惑することしかできない。
「マズいな……」
ロベルトは、すぐに予定表を確認する。
「開業式は貴族や役員が来る大イベントだ。列車を動かせないとなれば、我が社の信用は失われてしまう」
「代わりの者はいないのか?」
「今日は式典を兼ねた一番列車の運転から、二番三番列車の運行、試運転が一つと、工事用列車の運用まで担当機関士が決まってしまっている。融通できるのは火夫だけだ……」
記念日のスケジュールは、ギリギリの状態で組まれている。
そのため残りわずかな時間で組み替えるのは、不可能だ。
「一体どうすれば……」
頭を悩ませる、ロベルトと重役たち。
上司であり師でもあるトマスの急報に、ウィリアムも息を飲んでいると――。
「トマス!」
そこに腕を血で染めた、トマスがやって来た。
頬についたあざや、破れたシャツがとても痛々しい。
ウィリアムも、思わず立ち上がった。
するとトマスは真っ直ぐにウィリアムを見据えて、口を開く。
「お前が機関士をやるんだ――――ウィリアム」
「っ!?」
「試験運転の時から、お前には機関士としての技術も教えてきた。何よりお前が一番、あの機関車のクセを分かってるんだ」
「そんな……僕には無理ですよ!」
「お前ならできる」
「っ! でも……!」
「……他に動かせる者がいない状況なんだ、頼むよ」
失敗や延期など、あってはならない開業日の一番列車。
ロベルトは多少のリスクがあっても、動かせる者が動かすという判断を下した。
「……分かりました」
今日という日の大事さを知っているからこそ、断ることはできなかった。
「トマスさん、何やってるんですか! あなたは休んでいてください!」
オフィスにやって来たのは、鉄道会社が用意していた医者。
トマスを捕まえると、そのまま医務室へと連れて行く。
「ウィリアム、最初に機関車を走らせたのは鉱山労働者だったんだそうだ」
「……え?」
「そしてその時は花咲かなった機関車を実用化までこぎつけたのもまた、俺たちと同じ夜間学校出身の労働者。ウィリアム、最後はお前がつなぐんだ」
そう言い残して、オフィスを出ていくトマス。
するとまさに、その『実用化を成した男』の息子であるロベルトが続ける。
「私も君を信じるよ。トマスはずっと、ウィリアムならすぐにでも機関車を任せられると言っていた」
そしてロベルトは、重役たちと共に式典へ。
集まっていた機関士たちも持ち場へ向かい、ウィリアムはオフィスに残された。
途端に、大きな緊張が身体を支配し始める。
震えがもう、止まらない。
「うわっ!」
椅子に座り直そうとして、そのまま転倒。
未完成の床に、倒れ込んでしまう。
ウィリアムは大きすぎる緊張に、完全に飲み込まれてしまっていた。
「どうしよう……僕にできるのか……?」
座面に手を突いて、よろよろと立ち上がる。
そして背負う責任の重さに、あらためて途方に暮れる。
「……あ」
その時視界に入ったのは、机の上に置いたままだった『みけ』の紙箱。
空腹など緊張で消し飛んでしまったが、食べておかないわけにはいかないだろう。
ウィリアムは紙箱に手を伸ばすと、静かに開く。
「これは……!」
そして、驚きを見せる。
箱の中身は『みけ』の定番である、BLTやタマゴではなかった。
「トンカツを、挟んでるのか……?」
現れたのは、カツサンド。
焼いたパンとソースの甘く香ばしい匂いが、ふわっと立ち昇った。
時間を置いたことでパンの熱が失われ、その分ヒレ肉の香りとソースの酸味が前面に出てきている。
だが何より目の引くのは、そのぶ厚さだ。
ウィリアムは思わず、一口かじってみる。
「っ!」
パンは焼きたてのカリッと感こそ薄れているが、外側は程よい香ばしさを残し、内側はソースを吸って柔らかくなっている。
そこから生まれる二つの食感が、心地良い。
続けてやって来るのは、トンカツのしっとりした柔らかさだ。
ヒレ肉は脂が少ないため冷めてもパサつかず、噛むほどに肉の繊維から甘みと旨味がにじみ出てくる。
鼻から抜けていく肉の風味が、たまらない。
衣は揚げたての『サクッ』とは違い、ソースを吸って甘みと酸味と柔らかさを同時に感じさせる。
これこそが時間を置いてもうまい、カツサンドの醍醐味だ。
「おいしい……なんてすごいサンドイッチなんだ……!」
分厚いヒレカツで作られたカツサンドは、達也の国のトンカツ店で生まれた料理。
肉厚だからこそ感じられる、贅沢な食べ応え。
肉の持つ最高の旨味に、甘みと酸味を足すソースの風味が混ざれば、必然的に手は止まらなくなる。
時間の経過で生まれたしっとり感が、またうまい。
まさに達也の狙い通りだ。
「これは、最高の料理だよ……っ」
夢中で頬張るウィリアム。
一口食べる度に、思い出す。
最初はトンカツだった。
緊張で震えていた三度目の試験を、最高の料理で乗り越えた。
次はメンチカツ。
トマスと共に、火夫として初めての試験走行を走り抜いた。
そして今回は、カツサンド。
「カツを食べて、勝負に勝つか……」
それは今まさに勝負の中にある者には、やっぱり言葉遊びに過ぎない。だが。
「今日も僕の成功を、思ってくれる人がいる……!」
見送ってくれた『みけ』の二人には、「見に来て欲しい」と伝えてきた。
そして師匠のトマスは、「お前ならできる」と言ってくれた。
それなら……応えなくては。
「……行こう!」
ヒレ肉の旨味と、ソースの甘みが生む余韻。
最後の一口を飲み込み立ち上がると、力強い足取りでオフィスを出る。
気が付けば、身体を縛る強い緊張はなくなっていた。
そのまま真っ直ぐホームに向かえば、そこにはロケット号から更なる改良を施された機関車が待っている。
円筒形のボイラーに長い煙突、大小二つの車輪を有する車体は上品な緑色に塗られている。
バンパーに当たる部分は鮮やかな赤で、真鍮部品の金色が美しい。
続く客車は馬車をそのまま鉄道用にしたような形で、豪華な内装の一等車から、簡素過ぎる三等車まで計五両。
全ての階級の客が、すでに乗り込み発車の時を待っている。
「きょ、今日はよろしく……うわっ!」
ウィリアムのもとに駆けつけようとした代打の火夫が、目の前で転ぶ。
彼はトマスのケガで、急遽ウィリアムを手伝うことになった若手の一人だ。
「大丈夫。いつも通りやれば、ちゃんと走るよ」
同僚火夫の手を引き立ち上がらせると、ウィリアムは笑みを見せる。
二人はそのまま、最後の調整を終わらせた。
そして式典が終われば当然、発車の時がやって来る。
ホームはもちろん、工事中の足場の上にまでぎっしり詰まった観客たち。
吐き出される蒸気の様子を見ながら、駅長が赤い旗を高く掲げた。
ウィリアムは、運転席のレバーに手をかける。
「行こう!」
「了解っ!」
駅長の旗が振り下ろされた瞬間、機関車がゆっくりと動き出す。
列車は、確かな力で前へと動き出した。
一斉にあがる歓声。
頬を風が撫で、蒸気の匂いが胸をいっぱいにしていく。
まだ制服もなく、煤汚れが定着した厚手のシャツにウールのベスト、ブーツに帽子を乗せた姿の労働者ウィリアム。
二度の落第を経た青年はついに、新たな時代の担い手となった。
「行ってこい……ウィリアム!」
医務室の窓から、ウィリアム達を見送るトマス。
走り出した機関車は問題もなく、ロンドールの駅舎をあとにした。
「おい見ろよ! ウィリアムのやつ、あんなすごいのを動かしてるのか!」
線路の敷かれたなだらかな築堤の下の草原で、荷受人夫アランが大きな声をあげた。
「機関車……なんて勇壮なんだろう」
「本当だねぇ」
工員トーマスが感嘆の声をあげ、ハリソンたちがうなずく。
「すごいですねっ! 達也さんっ!」
「ああ、大したもんだ」
エマが大きく飛び跳ねながら手を振れば、駆けつけてきた皆もそれに続く。
「……あれは」
そんな『みけ』の仲間たちを見つけて、思わず笑みをこぼしたウィリアム。
汽笛を一つ鳴らして、返事をする。
豪快な煙を上げながら、ロンドールを駆け抜けていく蒸気機関車。
こうして世界の最先端を駆けるブリティシアに、新たな時代がやって来た。
誤字報告、ご感想ありがとうございます! 適用させていただきました!
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