60.公爵夫人とシャルロット・リュス
ロンドールから北へ百キロほど離れた土地にある大邸宅、アーバンラビー。
そこには連日たくさんのゲストが、公爵夫妻を訪ねてやって来る。
ヴィクトリア女王の側近も務めていたレッドフォード公爵夫人ヨハンナ・マリアは、その対応に忙しい日々を送っていた。
ブリティシア貴族の食事は作法として決められた部分が多く、夕食は二十時過ぎという遅い時間。
昼食は軽いものが基本だったため、十五時を過ぎると空腹を感じ、憂鬱にならざるを得なかった。
そこで一人、紅茶と共にサンドイッチや菓子を食べることにした。
これが、『アフタヌーンティー』のきっかけだ。
「ロンドールでの開催は初めての事ですが、どうなるでしょうか……」
続けてゲスト数人を呼んでのお茶会にしてみたところ、とても好評だった。
そのため今回は、滞在先のロンドールでの開催を試してみることにした。
それは定められている貴族の生活に、新たな文化を持ち込む試みとなる。
「もしこれが受け入れられるようなら、今後も様々な方を招いてお茶会を開くことにしましょうか」
今回の成否に、新たな文化の萌芽を賭ける。
生まれも育ちも、由緒正しき大貴族。
ヨハンナ・マリアはそう決めて、ゲストたちの来場を待つのだった。
◆
「すごいですねぇ……」
「ああ、これはすごい……」
ローズベリー家の馬車を降りたエマと達也は、広がる光景に並んで感嘆していた。
ベルクレイブはロンドールで最も新しく、格式が高く、見栄えのする貴族住宅地だ。
白い漆喰の壮麗なタウンハウスが、四角い緑地を囲む形で建っている。
馬車が静かに往来し、衛兵の姿まで見えるこの一角は、ロンドールで最も美しい場所と評されている。
住民は公爵家や伯爵家という、上流階級の中でもトップに当たる貴族ばかりだ。
「本日はよろしくお願いしますわ」
「こちらこそ」
そこに同じく馬車でやって来たのはアンナ・マリーと、緊張の面持ちをしたエレノア・ローズベリー婦人。
達也は今回一つだけ自ら用意してきた『食材』があり、その運搬を婦人付きの使用人に任せる。
「それでは参りましょうか」
達也たちが婦人の後に続くと、眩しいほどに白い漆喰の外壁を持つ、小さな宮殿へと足を進める。
黒い鉄製の門を抜けると、玄関の左右に立つ白い柱の上部に美麗な装飾が見えた。
その下には使用人たちが整列し、来客を迎え入れている。
「奥様、どうぞこちらへ」
扉が開かれると、白い大理石の床が目に入った。
黒の縁取りが幾何学模様を描き、差し込む午後の光を弱く反射する。
天井は高く、漆喰の装飾は繊細。
大階段はゆるやかに曲線を描き、赤い絨毯が敷かれている。
「控室は、どちらですの?」
ブリティシアでは、お茶会の場に使用人や料理人が直接入り込むようなことはない。
そのためエレノア婦人は、控室の場所を問いかける。しかし。
「そのままお通り下さい。公爵夫人より、皆様そろって応接間へお通しするよう仰せつかっております」
「分かりましたわ」
厚いカーペット敷きの廊下を進み、たどり着いた扉の前。
「それでは……参りますわよ」
一度気合を入れ直してから、エレノア婦人は応接間へと踏み込んだ。
「これはすごいな……」
「はい、すごいです……」
またしても、二人並んで立ち尽くす達也とエマ。
淡いグリーンの壁に、クリーム色のカーテン。
金の縁取りがされた鏡が光を反射し、ロココ調のソファとアームチェアが優美さを醸し出す。
いくつも置かれた小さな丸テーブルには、ティーセットと菓子。
参加者たちの身なりの良さも、見た瞬間に分かるレベルだ。
「まあ……」
「どうしたんだ、彼女は?」
「使用人たちを応接間に連れて来るだなんて、前代未聞ですわよ」
階級違いの人間を、このような場に連れ込むことは本来御法度とされている。
さっそく広がるざわめきと、不躾な行為に向けられる怪訝な視線。
「ごきげんよう、ミセス・ローズベリー」
広がる緊張感を破ったのは、主催者である伯爵夫人ヨハンナ・マリアだった。
「本日はお越しいただき、嬉しく思います」
午後の光を柔らかく反射する上質なシルク製のドレスは、淡いラベンダー色。
髪はアップスタイルに整えられ、小さな花飾りが一つ。
手には薄い、アイボリー色のショートグローブが着けられている。
「ご招待を賜り、光栄に存じます」
その圧倒的なオーラに、エレノア婦人も緊張を隠せない。
「先日の慈善炊き出しでは、あなたのご尽力が大変評判でございました。新聞でも拝見いたしましたのよ」
「恐れ入りますわ。これも皆さまの、お力添えのおかげでございます」
ヨハンナ・マリアは隣りの達也にも、朗らかな笑顔を向ける。
「お越し頂けて良かった。本日はあなたの力をお借りできるのを、楽しみにしております」
「よろしくお願いします」
使用人たちの入室は、公爵夫人の計らいだった。
それが分かれば、自然と話の輪が広がる。
「あなたが例の……先日の炊き出し、見事だったと聞き及んでおりますよ」
「とても素敵な料理を出されたのだとか。ぜひ味わってみたかったです」
ローズベリー家の料理を楽しみにする上流階級や、その評判の良さを褒める貴族たち。そして。
「……新聞に載ったからって、調子に乗っているのではなくて?」
「目立つのは今だけ。どうせ大したことないに決まっていますよ」
少し離れた場所で、厳しい言葉をつぶやく者たち。
公爵夫人ヨハンナから特別な計らいを受ける新参者が、気に入らないのだろう。
やはりここはブリティシア、家格やプライドのぶつかり合いは避けられない。
「それにしても、少し気合が入り過ぎてしまったかもしれませんね」
そう言って笑う、ヨハンナ・マリア。
前回は十名以下、女性だけで行ったアフタヌーンティー。
ここではヨハンナが軽く声をかけた者たちも含め、三十名に届こうかという賑やかなティーパーティ状態になっていた。
貴族に加えて、名だたる上流階級の面々も列席している状態だ。
「そ、そのようなことは……」
その面子に、あらためて圧倒されるエレノア婦人。
するとヨハンナ・マリアは、笑顔で使用人たちに合図を送る。
「ローズベリー婦人もいらっしゃいましたし、この辺りでお菓子でもいただきましょうか」
「「「おおっ」」」
途端にあがる歓声。
使用人たちが銀の台座に乗せて運んできたのは、シャルロット・リュス。
ビスキュイと呼ばれる、スポンジ生地を焼いて作った円筒状の菓子を並べ立てて、木製の『寿司おけ』のようにする。
その内側に純白のクリームをたっぷり流し込んで、冷やし固める。
そして上部にイチゴとラズベリーを豪勢に盛り付けて、ミントを一枚。
宝石のようなベリーの赤色が鮮やかに映える一品は、その周囲を淡い紫色のリボンで結んで完成する。
貴族のために作られたかのような華やかなホールケーキは、最新のフランク王国菓子として流行中だ。
「まあ、シャルロット・リュスを?」
「さすがヨハンナ様ですね!」
紅茶と共に用意された一品に、わき立つ会場。
その場で使用人がカットに入ると、外側のビスキュイが抵抗なく綺麗に割れる。
中から現れるのは冷たく、柔らかなクリーム。
受け取った貴族女性が、さっそくフォークで口に運ぶ。
「まあ……!」
口内に広がるのは、ミルクの甘さとバニラの香りが溶け合った、やわらかな甘み。
そのすぐ後に、イチゴとラズベリーの瑞々しさが酸味と共に弾ける。
それは甘さを引き締めるのと同時に、「もう一口」を誘う見事なバランスだ。
ビスキュイの外側は程よい食感をしているが、内側はクリームを吸ってしっとり。
噛むたびにクリームの甘味、ベリーの酸味、バニラの香り、そして気持ちの良い冷たさが、口内に広がっていく。
最後に残るのは、ほんのりとしたバニラの余韻と、ベリーの爽やかな香り。
優雅で、軽やかで、しかし確かな満足感のある甘み。
これはまさしく、『贅沢』そのものだ。
「クリームの甘さとベリーの酸味が、とってもおいしいです……!」
「本当に見事な一品ですね! 素材も調理も最高ですよ!」
語られる、見事な菓子への賛辞。
口の中が冷たい甘みでいっぱいになったところで、紅茶が活きる。
「紅茶も香りが良く、上品な甘さがたまりません」
「これは相当良い茶葉を使っているのでしょうね……」
貴族のアフタヌーンティーならではの、豪華な組み合わせを楽しむ参加者たち。
自然と会話も盛り上がる。
公爵夫人はしっかりと、良いものをそろえてきたようだ。
「ほ、本当。これはおいしいですわね……?」
一方のエレノア婦人は、緊張で味がよく分からなくなってしまっていた。
「ほらエマ、お腹をすかせた狼が出かけてるわよ」
「はっ! えへへ……」
そして使用人は、仕事中という扱い。
おいしそうに菓子を食べる貴族たちを目の前で見せられて、うっかり口が半開きになっていたエマ。
アンナ・マリーが、その頬を指で突いてたしなめる。
「でも、確かにおいしそうね……あっ」
そう言うアンナ・マリーも、思わずお腹が鳴ってしまって苦笑い。
エマと顔を見合わせて、一緒になって笑うのだった。
「ご好評頂けているようで良かったです。わたくし、どうしてもこれくらいの時間になるとお腹が減ってしまって……」
少し恥ずかしそうな表情を見せながら言うヨハンナ・マリアに、また笑いの花が咲く。
なんとも和やかな空気の会場。
その中でエマは人十倍、ブンブンと大きくうなずいて共感している。
「……さて、そろそろ頃合いでしょうか」
最高の菓子と紅茶が振る舞われ、得られた好評。
ここでヨハンナ・マリアは、参加者たちの前に踏み出した。
「それでは――――始めましょう」
そしてしっかりとゲストたちの注目を集めた後、その視線を達也に向ける。
「本日のお楽しみですね」
「件の料理人ですか。どのようなものが出てくるのか、とても気になります」
「……どうせ、大したことありませんのでしょう」
「どこの馬の骨とも知らぬ外国人、たかが知れていますよ」
入り混じる期待と、あざけりの声。
すでに最高の菓子と、紅茶を楽しんだ後だ。
その結果重たい食事は歓迎されず、甘いものが続いてもしつこくなってしまうという、難しい状況になってしまっている。
もちろんヨハンナ・マリアに、悪意など全くない。
むしろ彼女としては、「無事に前座を全うした」くらいの感覚でいる。
ようやく本日の催しの、本命がやって来たとすら思っている状況だ。
「それでは、よろしくお願いいたします」
笑顔で促すヨハンナ・マリアと、集まる貴族たちの視線に、いよいよ震え出すエレノア婦人。
「かしこまりました、少々お待ちください」
しかし達也に気負いはなし。
一度深く頭を下げると、応接間を出てキッチンへと向かう。
「「お手伝いしますっ」」
すぐさま後に続く、エマとアンナ・マリー。
貴族邸に、直々に招かれて何かを作るのはもちろん初めての事。
いよいよ、大きな期待を背負っての料理が始まる。
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