59.東雲達也とエマのお勧め筑前煮
アンナ・マリーは馬車を降りると、閉店直後のキッチン・みけへと足を伸ばす。
得意げな顔のキツネに挨拶がてらの視線を向けて、ドアに手をかける。
「……エマちゃんダメだよ、こんなところで」
「もう、我慢できないんです」
「なっ!?」
そして聞こえてきたエマと達也の声に、思わず跳び上がった。
アンナ・マリーは大慌てで、『みけ』のドアを開け放つ。
「なにやってんのよ! エマァァァァーッ!」
するとその目に、映ったものは――。
「あとで出すから、冷蔵庫からそのまま食べるのはやめとこうな」
「分かりました……」
冷蔵庫のスイーツにフォークを直に伸ばしたところを、達也にたしなめられて肩を落とすエマ。
「あれっ、アンナちゃん? ……何か顔が赤くない?」
「べ、別にそんなことないと思うけど……?」
とんでもない勘違いに赤面しながら、アンナ・マリーは二人の前へ。
達也に勧められるまま、カウンター席に腰を下ろした。
「今日は達也さんに、お話があってきたんです」
「話?」
達也の淹れた紅茶を飲みながら、まだかすかに顔の赤いアンナ・マリーが語り出す。
「近々ロンドールのとある邸宅で、ヨハンナ・マリア様主催のアフタヌーンティー会が行われます。そこに達也さんにも、料理人として参加いただきたいんです」
「アフタヌーンティー?」
「はい。公爵夫人の開かれるお茶会なのですが、貴族の方々も参加されるその催しに、エレノア様が直々にお誘いを受けたんです。先日学校で行った慈善事業のシチューが大きな話題になったことで、上流階級の方々に強い期待を向けられているのだとか」
ローズベリー家主催で行った、炊き出しの慈善事業。
それが新聞にも大きく載ったことで、注目を受けているようだ。
「貴族の方々もいる場ということで、旦那さまからも強い期待をかけられています。もちろん公爵夫人のお誘いとあれば断ることもできず、エレノア様はプレッシャーにかなり苦しんでいるようなんです」
アンナ・マリーの表情からは、婦人が重圧に参ってしまっているのであろうことが伝わってくる。
「……分かった。乗り掛かった舟だし、その話を受けよう」
「ありがとうございます。エレノア様も喜んでくださると思います」
公爵夫人の誘いが自分の料理をきっかけにやって来たのであれば、放っておくことはできない。
それにアンナ・マリーには、『エマの紹介状』の件で助けられたこともある。
達也はこの話を、引き受けることにした。
こうして話がまとまったところで、アンナ・マリーは紅茶を一口。
「……おいしい」
こぼすようにつぶやいて、息をつく。
「『みけ』の紅茶って、何だかおいしいですよね」
「お客さんからも、人気なんだよっ」
これにはエマも、大きくうなずく。
ロンドールの労働者たちには、安い茶葉を持ち歩いて飲む文化がある。
しかし『みけ』に来る客は皆、あえて紅茶を注文してまで飲むほどだった。
「それでは、よろしくお願いいたします」
「……分かった」
『みけ』の紅茶を飲み干したアンナ・マリーは頭を下げると、ローズベリー家の馬車に乗り込み帰っていった。
「貴族たちの集まる、豪華絢爛なお茶会か……」
そしてその瞬間から達也は眉間にしわを寄せ、難しそうな顔をし始めた。
◆
「豪華で、華やかで、食べがいのあるもの……そして何より印象に残る料理だよな……」
今回は貴族のパーティと聞いて、悩み続ける達也。
いつもとは場も空気も違う上に、ローズベリーの家名に関わる問題でもある。
失敗は許されない。
ブリティシアの上流階級は、こういう特別な場だけは本気で豪華にしてくる。
まして貴族の茶会となれば、フランク王国辺りのシェフなどがいてもおかしくない。
「……達也さん、達也さん」
「ん? どうした?」
「豚の生姜焼き、お願いしますっ」
「あ、ああ、分かった」
達也が悩み始めて、早くも数日。
オーダー聞き逃しは、今日だけでもう三度目だ。
時は夕食時。
達也は慌てて調理に入る。しかし。
「……俺にそんな豪勢な料理が出せるのか? 人数を考えれば『指示』する必要も出てくるかもしれない。それをプロの一線にはいなかった自分が……熱っ!」
跳ねた油に、思わず片目を閉じる。
やはり思考はすぐに、『貴族のパーティに合う豪華な料理とは』という問題に乗っ取られてしまう。
結局達也は今日も、難しい表情をしたまま営業を終えた。
「ありがとうございましたーっ!」
エマが笑顔で、最後の客を見送る。
そしていつものように、照明を橙色の弱いものに落としたところで、始まるのは賄の時間だ。
さっそくエマが、ニコニコしながら達也のもとへやって来る。
「それじゃあ賄にしようか。何が食べたい? なんでもいいよ」
「いいんですかっ?」
うれしそうにするエマに、達也は好物の『オムライス』を予想する。しかし。
「おいしい煮込み料理が良いですっ!」
そう言ってエマは、意外な提案をし始める。
「達也さん。レシピを教えてもらえませんかっ?」
「……レシピを?」
「はいっ、今日はわたしに作らせてくださいっ」
予想外の申し出に、驚く達也。
しかしエマは早くも両こぶしを握って、やる気を見せている。
作り方を説明すれば、真剣にうなずきながらメモを取り、指示すれば集中して調理に取り組む。
実家で基礎を学んでいたエマは、達也の言葉通り手際よく調理を進めてみせた。そして。
「お待たせいたしましたーっ! 筑前煮ですっ!」
そう言ってカウンター席の達也の前に、慣れた手つきで料理を置いてみせた。
外側は紅色、内側は黒。
おせちの箱を椀にしたような器の中に、詰め込まれた具材たち。
花の形に切ったニンジンが、とても鮮やかだ。
天辺に飾られたさやえんどうの緑が、さらにその美しさを際立てている。
「良いお椀を選んだなぁ、綺麗だ」
そんな達也の言葉に、うれしそうに笑うエマ。
ふわりと立ち昇る湯気に感じる、根菜の甘い香り。
そこに醤油の深みと、鶏の脂、そしてシイタケの戻り香が混ざれば、思わずノドが鳴る。
「いただきます」
口に入れるとまず、ゴボウがほのかな土の香りを届ける。
続けて素朴で力強い旨味が、舌に広がった。
間髪入れずに後を追ってくるのは、ニンジンのじんわりとした甘み。
煮崩れはしていないのに、中心までしっかり出汁の味が染みている。
鶏肉は表面に煮汁の照りをまとい、噛めば柔らか。
鶏の旨味と独特な脂の風味が根菜の甘味と絡み合い、たまらぬ味わいを生んでいる。
そして、シイタケ。
噛んだ瞬間濃縮された旨味がじゅわっとあふれ出し、煮汁の奥行きを深めているのが分かる。
それは料理全体に、その旨さを伝染させるほどに強力。
レンコンはしゃくりと歯を弾き、こんにゃくは煮汁を吸いながらも軽やか。
一口ごとに、食感が変わるのが楽しい。
飲み込めば口の中に醤油の風味と根菜の甘さ、そしてどこか懐かしい温かな余韻が残る。
決して派手さはない家庭料理。
しかしそれでいて、完成したうまさを確かに誇っている。
本当に、素晴らしい一品だ。
「……おいしい」
思わず息をつくと、達也の肩から力が抜けた。
「よかったですっ」
「でも、どうしたんだ急に?」
うれしそうに笑っているエマ。
いつもは両手にカトラリーで賄を待っているのに、自ら調理を名乗り出たことに、あらためて驚く達也。
「悩んだり緊張したりしている時は、達也さんの煮込み料理がお勧めなんですっ」
「……っ!」
そんなエマの言葉に、達也は思わず目を見開く。
「初めて『みけ』に来た時に食べさせてもらったオムライスは、今も忘れない特別な料理です。それはきっと、わたしが悲しい思いをしていたことに気づいた達也さんが、温かくておいしい料理を選んで作ってくれたから」
「……そういうことか」
これは『みけ』で、誰かのために料理を作り続ける達也を見てきたエマが、『今の達也』にお勧めする料理だ。
達也は思い出す。
そもそも『みけ』は、祖父母の店はそうだった。
二人はどんな時でもどんな相手でも、常に『その客に合う最高のもてなし』を考えていた。
「だからこそ、あんなに愛されていたんだ……『みけ』は」
「わたしは達也さんの料理が、たくさんの悩めるお客さんを少しずつ変えていくところを見てきましたからっ」
祖父と祖母が、してきたこと。
そしていつの間にか、達也も始めていたこと。
そんな『みけ』の文化は、エマにも伝わっていたようだ。
「だから今日は……逆。わたしが達也さんにお勧めしたかったんですっ」
達也は確かに、料理で色んな客の人生を少しずつ変えてきた。
なぜ、そんなことができたか。
それはいつだって客が求めているものを見て、聞いて、考えてきたからだ。
職業病の客には、必要な栄養がおいしく取れる料理を。
悲しむメイドには、元気が出る料理を。
慈善事業の時に、高級な料理ではなくシチューを作ったのだってそうだ。
その結果として公爵夫人アンヌ・マリアは、エレノア婦人を、その背後にいる達也をお茶会に招いた。
「考えるのなら『何を求めているか』についてを考えるべきで、どう対抗するかじゃない」
それは相手が大人数であっても、貴族であっても変わらない。
ブリティシアの大物が開く特殊な催しに、立ち向かいに行くわけではないのだ。
よって考えるべきは、最高級の豪華絢爛なんかではない。
「よし……!」
そう理解した瞬間、抱えていた悩みはなくなった。
「ありがとうエマちゃん。おかげで大事なことに気づけたよ」
「はいっ」
悩める料理人は、エマのお勧め料理で意識が変わった。
深い悩みから解放された達也は、筑前煮を勢いよく食べ始める。
「まったく、たいしたもんだ」
「はいっ! ちゃんとつまみ食いしちゃうのを我慢できましたっ!」
「料理がよく出来てるって話だよ」
「はっ!」
とんだ勘違いに、ちょっと恥ずかしそうにするエマ。
しかしすぐに忘れて自分の分も筑前煮をよそうと、達也の隣に座る。
やはりお腹は減っていたようだ。
「えへへ、いただきまーすっ!」
二人並んで笑いながら筑前煮を食べる姿は、すっかりいつもの『みけ』だった。
「今日の昼営業、本当になしかァ」
「なんとか夜には帰って来て、店を開きたいとのことだ」
荷受人夫アランの声に応えたのは、工場オーナーのジェームズ。
「世話になってる貴婦人に、茶会での仕事を任されたらしい」
『みけ』にやって来た紅茶商トワイトニングが、さらに詳細を伝える。
彼らは前もって休みを告知をしていたにもかかわらず、つい集まって来てしまった者たちだ。
「さすがですね」
夜盲に悩んでいた夜間学校生ヒュー・マーリンが、大きくうなずく。
「店主、がんばって来てくださいね」
「がんばってください……!」
スピタスフィールズ市場での売り上げも好調な料理人テッド・パーマーが、フランク王国から来たリュシーと共に応援の声をあげる。
「ありがとう。行ってくる」
「行ってきますっ!」
こうして達也とエマは、『みけ』にやって来た者たちに見守られながら、ローズベリー家の寄こした馬車に乗り込む。
向かう先はもちろん、公爵夫人ヨハンナ・マリアの開くアフタヌーンティーだ。
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