表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【1章完結】メシマズ大国の料理店~キッチン・みけの店ごと英国転移譚~  作者: りんた


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

55/57

55.危険な炭酸飲料とフライドポテト

「頼む、今日こそ……売れていてくれ……っ」


 ジェイコブ・シュウェップは祈りながら、薬品店へと向かう。

 時計職人であり、同時に科学者でもあるこの男。

 目をつけたのは、ブリティシアで発表された炭酸水についての論文だった。

 それをもとに一人研究を重ね、ついに自力での精製に成功。

 炭酸水は、健康に良いとされている。

 そのため思い切って職人の仕事を辞め、炭酸水を売る会社を立ち上げた。しかし。


「まずは一本売れてくれれば、そこから広がる可能性があるんだ。だから、頼む……っ!」


 たどり着いた薬品店。

 その棚に、恐る恐る視線を向ける。

 毎日訪れる、結果発表の瞬間。

 人生を左右するからこその緊張感は、胃が痛み出すほどだ。

 炭酸水の販売をシュバイツ共和国の薬品店で始めて、もう一か月ほど。

 本日の結果は――。


「……ダメか」


 頼み込んで置いてもらった炭酸水は、全く売れていなかった。


「売れないねぇ」


 気付いた店主が、苦笑いを向けてくる。


「今日でもう四週間になるけど、結局一本も売れていないよ」


 もはや、返事をする元気もない。

 シュウェップは売れ残りのビンを一本手に取ると、肩を落としたまま店を出る。

 トボトボと歩く帰り道。

 売り物にならなかった炭酸水の栓を開くと、薄まった炭酸の音がすごく頼りなく聞こえた。


「ちくしょう……っ」


 悔しさの勢いに任せて、一本飲み干してみる。


「くはっ!」


 ぬるい水は、弱い炭酸を走らせる。

 それでも刺激は確かにノドを走り、思わず目を閉じた。そして。


「このままじゃ、ダメだ!」


 シュウェップはその刺激を契機にして、自らの頬を両手で張った。

 そして、思考を切り替える。


「健康に対する意識も、ビンや栓を作る工業技術も、世界の最先端であるロンドールはもっと高い! そこで誰かの目に留まればきっと……!」


 難しいことは、百も承知。

 年齢も四十を超えたシュウェップはそれでも、炭酸の泡が見せる夢に賭けることにした。


「行こう、ブリティシアへ! 健康志向が強いロンドールなら売れるはずだ!」


 少し歪なビンを強く握ると、覚悟を決めた。


「……あれからもう、何か月が過ぎたんだ?」


 シュバイツ共和国から海を渡り、ロンドールへやって来たシュウェップ。

 かつてのことを思い出しながら、今日も医者のもとへ向かう。


「失礼します! こちらぜひ、試してみてください!」

「ありがとう、そこに置いといて」


 始めたのは『医者に炭酸水を配り、つながりを持つ上流階級に自身の存在を知ってもらう事』だった。しかし。


「……ちなみにどなたか、この炭酸水に興味を持ってくれた方は……?」

「そんな話は出てないねぇ」

「そうですか……」


 すでにロンドールへ来て、数か月の時が経っている。

 それなのに状況は、大して変わっていない。

 医者たちは炭酸水を処方として使ってくれてはいるようだが、今度はそこから前に進まない。

 パターンを変えた結果発表に、震える日々が始まっただけだ。


「そろそろ、潮時かもな……」


 ロンドール滞在の費用も、いよいよ足りなくなってきた。

 シュウェップはため息をつきながら、診療所を出る。すると。


「どーも。先生、胸やけが楽になったよ。食欲も戻ったし」


 遊びに来るかのような足取りでやって来たのは、二十代後半くらいの身なりの良い男。


「あの温泉水、なかなかいいね」

「あれは温泉水じゃないよ、人工的に作った炭酸水だ」


 そう言って医者は、シュウェップを指差した。


「彼が作ってるんだよ」

「なるほど……悪くないねェ」


 すると男は、楽しそうに笑った。


「これを社交界で紹介すれば、人気が出そうだ」

「社交界!? もしかして、あなたはっ!」

「なーに、しがない旧家の次男坊さ」

「そっ、それなら!」


 差し込んだ思わぬ光。

 シュウェップは、大慌てでその手を伸ばす。しかし。


「ただ、僕は金や商売に興味がないんだ。皆に紹介してほしいというのならまず、僕を楽しませてくれ」

「……え?」

「その気があるなら明日、我が家のパーティに来てくれ。楽しみにしてるよ」


 そう言い残して男は、軽快な足取りで去って行った。


「彼は道楽者でね。とにかく新しい物や面白い物に目がないんだ。あまり期待はしない方がいい」

「そんな……」


 シュウェップには科学と技術の知識はあっても、貴族を楽しませる方法なんて分からない。

 生きる世界も感覚も、あまりに違い過ぎる。


「失礼します……」


 あらためて医者の元を去る。

 見えかけた希望が、消えてしまうほど悲しいことはない。

 いよいよ、シュバイツへの帰国が脳裏をよぎる。

 肩を落としながら歩いていると、持っていた炭酸水のビンが手から滑り落ちた。


「あっ」


 拾おうとすると、横を歩いてきた男に蹴られて転がる。

 まさに踏んだり蹴ったりな状況だ。

 蹴られたビンをノロノロと追いかけたシュウェップは、力なく拾い上げる。そして。


「……ん?」


 顔を上げるとそこには、得意げに笑うキツネの看板があった。


「ここは、料理店か」


 思い切ってロンドールに出てきてからは、一日でも長くいられるようにと、食も切り詰めていたシュウェップ。


「……たまには、いいか」


 おいしそうな匂いに惹かれて、思わず『みけ』のドアを開いた。


「いらっしゃいませーっ!」


 するとすぐに元気なメイドが駆けて来て、カウンター席へと通される。


「ご注文はどうしますかっ?」

「ジャガイモでいい。適当につまめるものを」

「かしこまりましたっ! 少々お待ちくださいっ!」


 もはや、何かを選ぶ気力も金もない。

 メニューも見ずに、伝えたオーダーは無事通過。

 一つ息をついて、考える。

 あの上流階級の男を、道楽者を楽しませる方法。

 だが元時計職人の科学者であるシュウェップとは、住んでいる世界が違う相手だ。

 できることなんて、思いつくはずがない。

 ただぼんやりと店内を眺める。


「……ん?」


 すると、不意にその目が留まった。


「店主、あれは何だ?」


 視線の先には、楽しそうに食事をしている親子。

 ご機嫌なハタを乗せたお子様をランチを食べる娘が手に取った、緑色の飲料が気になった。


「メロンソーダですね。色は緑ですが、実際にメロン果汁が入っているわけではありません」


 端的な説明をする達也だが、シュウェップの目はグラスに浮かぶ泡に釘付けだ。


「あれは、炭酸だよな?」

「はい」


 達也が応えた瞬間、頭に浮かぶひらめき。


「店主! 何か、何か炭酸を使った飲み物を作ることはできないか!?」

「そういう事なら、お勧めがありますよ」


 達也はエマの持ってきたオーダーに対応しながら、同時に炭酸飲料の作成も開始。


「はいエマちゃん、よろしく」

「お待たせいたしましたっ! こちら『フライドポテト』になりますっ! とっても危険なので、気を付けてくださいねっ!」

「危険……?」


 不思議な事を言うメイドに、首を傾げるシュウェップ。


「これは見事だな」


 細長くカットされたフライドポテトは初めてで、思わず息を飲む。

 適当に頼んだにしては、あまりにも綺麗なフライドポテト。

 まだ熱さを残す一品を、つまんで一つ食べてみる。


「なにっ!?」


 噛んだ瞬間、カリッと小気味の良い音が鳴った。

 この軽い咀嚼音が、細長いポテトの大きな魅力だ。

 外側はカリッとしているのに、中はホクホク。

 この食感の差がたまらない……のだが、全部硬い部分も、それはそれで良し。

 さらにポテト中央部分にできがちな総じて柔らかめな部分も、なぜか好ましく感じてしまう。

 中身は空気を含んだ軽いマッシュ状で、ジャガイモの風味がふわっと広がる。


「塩加減が……絶妙だ」


 細かく均一に振られている塩味は、濃くなく薄くもないちょうど良さ。

 なのに、意外と塩気が弱い部分も悪くない。

 噛むたびに塩気、イモのほのかな甘み、油の香り、そして盛り山の天辺を彩る青のりの風味が、波のように押し寄せてくる。

 味自体はシンプルなのだが、見事な塩加減と程よい硬さが生み出すリズムとテンポのせいで、手が止まらない。さらに。


「……どうぞ」


 ここで達也は炭酸レモンを、グラスで提供。


「レモンと砂糖、ハチミツで作りました」


 淡い白黄色に沈んだ輪切りのレモンが、爽やかで美しいその一品。


「なんて綺麗なんだ……」


 冷えたグラスに、高まる期待。

 レモンの酸味と蜂蜜の甘い香りが、炭酸の微かな刺激と共に鼻先をくすぐる。

 シュウェップはそのまま、大きく一口。


「く、うううう――っ!」


 炭酸の泡が舌の上でパチパチと弾け、レモンの酸味を跳ねさせる。

 そして蜂蜜の香りと砂糖の甘さによって生まれた、丸みを帯びた甘酸っぱさが口内に広がる。


「うまいっ!!」


 大きな吐息と共に、素直な思いが口を出た。

 レモンの皮のほのかな苦味が一瞬だけ残り、その後を追うように蜂蜜の香りがふわっと戻ってくる。


「私は炭酸水を医薬品としてしか見ていなかったが、こういう使い方もあるのか……っ! これはいつか炭酸水が広まった時、必ず第二の矢として活きるはずだ! そして何より――――面白いっ!!」


 新感覚の飲み物に、一瞬で心を奪われたシュウェップ。


「…………」


 今度は無性に、フライドポテトが食べたい。

 心のおもむくままに、ポテトを二本まとめて口に放り込む。

 そしてまた、炭酸レモンを飲む。

 この二つが合わさると、もう止まらない。


「な、なんだこれは……! あればあるだけ食べてしまう……っ!」


 そんなシュウェップに、真剣な面持ちでうなずくエマ。


「先ほどの『危険』とは、こういうことか……っ!」


 理解した時には、すでに時遅し。

 結局そのまま一度も止まることなく、シュウェップはフライドポテトを食べ尽くしてしまった。


「……ああ、うまかった」


 おいしい料理と飲み物が与えてくれる満足感に、こぼれる言葉。


「店主、ありがとう」


 だが何より、確かに見えた大きな希望が胸をいっぱいにしてくれた。


「きっとこれなら……うまくいく!」


 炭酸水を作り始めて、シュウェップは初めてその拳に強く力を込めて歓喜した。

 最後に飲み干す炭酸の刺激は、ノドに痛い。

 それでもその心地よい痛みは確信に変わり、シュウェップは走り出した。



   ◆



 その日のパーティは、思ったよりも大きなものだった。


「来てくれてうれしいよ。期待していたんだ、君の持ってくる……面白いものを」


 上流階級の次男坊は笑いながら、豪華な会場にシュウェップを迎え入れた。

『みけ』から帰った後、その足でレモンや砂糖、ハチミツを残る財産の全てをはたいて調達。

 徹夜で新しい炭酸水を精製した。

 さらに上流階級特有の木製冷蔵庫から、氷を拝借。

 ついに、人生を賭けた勝負の瞬間を迎えた。


「さて、シュウェップ氏と言ったかな? 一体どうやって僕を楽しませてくれるんだい?」


 多くの参加者たちの視線を集めるように、会場の真ん中で大げさな身振りをしてたずねる男。


「本日は、新たな炭酸飲料をお持ちしました」


 シュウェップがそう言うと、男の使用人が銀のトレーにグラス入りの炭酸レモンを持って登場。


「へえ……」


 綺麗な淡い白色の液体には、レモンの輪切りが泡に揺られている。

 達也の見よう見真似でも十分に美しいその一杯は、さっそく男の興味を引いた。


「それでは、いただいてみようかな」


 男は参加者たちの視線を集めながら、炭酸レモンを口にする。

 無限にも感じる待ちの時間。

 徹夜の疲れと緊張で感じる、痛いほどの鼓動。

 ノドを鳴らした男は突然、その目をカッと見開いた。


「これはいいっ! うまいよ! 何より……面白いっ!!」


 これまで味わったことのない刺激と味。

 子供のような笑みを浮かべた男は、そのまま炭酸レモンを飲み干してしまう。


「くはああああああ――――っ!」


 そしてグラスをテーブルに置くと、再び皆の前へ。


「ぜひ皆さんにも、飲んでみてもらいたい! この……?」

「え、ええと、レモネードです」


 名称など決めていなかったシュウェップは、慌てて炭酸レモンをレモネードと紹介。


「レモネードを! ぜひ!」


 すぐさま動き出す使用人。

 男の指示で、上流階級の客人たちにレモネードが次々に配られる。


「おお! これは新しい……っ!」

「とても刺激的だ!」

「爽やかでうまい! これは素晴らしい一品だよ!」


 さっそく賑わうパーティに、広まるシュウェップの炭酸水。


「この素晴らしいレモネードを作ってくれたシュウェップ氏は、健康用の炭酸水を製造販売しているんだ。ぜひとも力を貸して欲しい!」


 約束通り上流階級の者たちにシュウェップの炭酸水を紹介し、満足そうにうなずく男。

 こうしてブリティシアでは、炭酸レモンが『レモンスカッシュ』ではなく、『レモネード』と呼ばれるようになっていく。

 そして今夜の成功は彼と、その会社を大きく発展させていくことになるのだった。



   ◆



「ありがとう店主。これからは忙しくなりそうだよ」

「いえ。役に立てて良かったです」


 健康志向に乗ったシュウェップの炭酸水は、見事に人気商品となり、上流階級のステータスとなった。

 そうなれば上流階級に憧れる中流階級が真似をして、いつしか労働者たちの元にも下りていく。

 シュウェップ社は、後にブリティシアで開かれる万博の、スポンサーになるほどに成長。

 一人の男が細々と始めた炭酸水の販売は、二百年後には世界中の店に置かれ、極東の国の自動販売機にまで顔を出すことになっていくのだった。


「だが……」


 見事な成功を収めたシュウェップ。

 それにもかかわらず、悩ましそうに顔を上げる。


「助けてくれないか! 食べ始めたら止まらないんだっ!」


 やはり揚げたポテトと炭酸のコンビは、危険。

 しかも会社をロンドールに移転したため、シュウェップはいつでも達也のフライドポテトとレモネードのセットを、食べに来られてしまう。


「分かりますっ!」


 油で心なしか顔がテカテカしてきているシュウェップを見て、エマがこれ以上ない同意を見せる。


「いやエマちゃん! 俺のスタミナ丼に涎が落ちかかってるゥ!」

「ハッ!」


 アランの声に気付いたエマがギリギリで口元を拭って、広がる笑い。

 今日も『みけ』は賑やかだ。


「……シュウェップさん、良ければこれを」


 達也が出してきたのは、完璧に透き通った炭酸飲料。


「これは?」


 ブリティシアで生まれた炭酸飲料文化は、西方のアメリカーナへと広まる。

 そこから『黒船』に乗り、今度は極東の島国へ。

 そこで炭酸入りレモネードは、『なまり』と共に一つの飲料へと変化していく。

 爽やかで涼し気な泡を昇らせる炭酸飲料。その物の名は。


「――――ラムネです」

「なるほど。店主は僕に……ブリティシアのジャガイモを食べ尽くせと言っているんだね?」


 そんな達也のお勧めを口にして、シュウェップは楽しそうに笑うのだった。

誤字報告、ご感想ありがとうございます! 適用させていただきました!

連日の日間ランク入りに加えて週間でも9位に入れる状況らしく、嬉しい限りです!

応援の程、何卒よろしくお願いいたしますっ!


お読みいただきありがとうございました!

少しでも「いいね」と思っていただけましたら。

【ブックマーク】・【ポイント】等にて、応援よろしくお願いいたします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ