54.エレノアと慈善事業と温かなクリームシチュー
「はぁ……憂鬱ですわね」
ため息をつきながら自宅を出たのは、エレノア・ローズベリー婦人。
今日はいよいよ、慈善事業の開催日。
上流階級においては影響力に関わる催しであるため、夫から「しっかり顔と名前を見せてくるように」と言われている。
しかし生まれも育ちも富裕層であるエレノア婦人はどうも、粗野な感じの強い労働者階級と向き合うのが苦手だった。
「あら、これは奇遇ですね」
「っ!」
玄関を出たところに待ち構えていたのは、同日に炊き出しの開催をかぶせてきたポートマン婦人。
「私もこれから、現場の方に向かうところなのです。両家にどのような『評価』が下されるのか、とても楽しみですね」
「そ、そう……ですわね」
「くすくす、今からでも逃げる準備をお勧めいたします。娘の社交界デビューは運良くこなせたようですが、明日の新聞でロンドンに恥が広まることは、確実なのですから」
事実、慈善事業の成果は新聞に取り上げられることが多い。
エレノア婦人は、いよいよ言い返せなくなってしまった。
「虚しい健闘をお祈り申し上げます。それでは失礼。おーっほっほっほ!」
自信たっぷりの挑発を繰り出したポートマン婦人は、勝利を確信した笑みを残して去って行った。
「出して……!」
怒りに拳を握りしめながら、馬車に乗るエレノア婦人。
その行き先は、労働者街イーストエッジ。
産業革命期のブリティシアには、労働者階級の子どもに読み書きを教える学校が多く存在した。
今回は教会が運営する学校の一つで、食事の提供を行う予定だ。
「……はぁ」
ため息と共にたどり着いたのは、労働者階級の長屋が並ぶ通りの端。
明るい赤レンガで作られた学校は、煤で黒ずんだ周囲の家々とは違い、清潔感を感じるたたずまいだ。
正面の尖ったアーチ窓、飾られた小さな石造りの十字架が、教会らしさを感じさせる。
「すでに、料理の方は始まっています」
馬車を降りると、迎えに来ていた使用人の後に続く形で、教会の奥にある食堂へと向かう。
「それにしても……あんな食材で良かったのかしら」
エマの提案には高級なものは入っておらず、どこでも買えるような材料ばかりだった。
そのためどうしても、不安が残る。
六十人ほどが入れる大きな食堂は、一階の最奥。
白の漆喰で塗られた壁に大きな窓、曇りガラス越しに柔らかな光が差し込んでくる。
特徴的なのは、長い木製テーブルが何列も並んでいるところだろう。
「まあ……」
厨房ではすでにエマとアンナ・マリー、ローズベリー家料理人のアルフレッドがフル回転中だった。
普段とは違う、大人数向けの料理はもちろん初めての事。
三人がかりで大量の野菜を切り分けると、まずは鶏もも肉を炒めて、表面を焼くことで旨味を閉じ込める。
ブリティシアではめったに見られない、塩胡椒を使った下味付けも忘れない。
固めの肉を選んだのは、煮込むことで柔らかくなり、同時に濃厚な旨味が溶け出してくるためだ。
ここまで出来たところで、切った野菜たちを順番に投入して火を通す。
「あっ! エレノアさんっ!」
「順調に進んでいるようですわね」
「はいっ!」
エマの元気な笑顔に、婦人の憂鬱も少し軽くなる。
「それにしても……こんなに牛乳を用意して、どうしますの?」
「これでクリームシチューを作るんですっ」
「シチューを……?」
婦人がまとめて注文した牛乳を大鍋に注ぎ、さっそく食材を煮込み始めるエマ。
肉を食べるためにホワイトソースで煮つけることはあるが、飲むためのシチューにすることはない。
聞いたことのない料理に、婦人は思わず首をかしげる。
「とってもおいしいんですよ!」
肉はもちろん、玉ねぎもしっかり炒めて甘みを出す。
焦げ付きを防止するため、こまめに鍋底からかき混ぜる。
とろみを付けるための小麦粉とバターは、ぬるま湯や少し温めた牛乳で溶いてから入れることで、ダマになるのを防ぐ。
大鍋での大量調理、そのコツは達也から指導済みだ。
「できましたーっ!」
しっかりと煮込まれたシチューをさっそく皿に盛りつけると、エマはエレノア婦人のもとへ。
「ぜひ、食べてみてくださいっ!」
「まあ、なんて綺麗なんでしょう……」
安い食材たちで、作られたはずの一品。
しかしその優しい色味は美しく、思わず感嘆してしまう。
牛乳とバターで仕立てたスープは、柔らかな薄い乳白色。
煮汁を吸って橙色が少し淡くなったニンジンと、角の丸くなった黄色いジャガイモ。
仕上げに散らされた細かい刻みパセリの緑が、皿全体の色調を引き締めている。
「いい匂い」
湯気に混じった乳脂の甘い香りが、ふわりと鼻先をくすぐった。
溶けたバターの香りに、炒めたタマネギのやわらかな甘い匂いが混ざり、その奥にほんのりとだけ潜むのは、白胡椒のかすかな刺激。
スプーンを入れると感じる『とろみ』は、重すぎず軽すぎず。
ほどよい抵抗が返ってくる。
「それでは、失礼しますわね……」
口に含んだ瞬間、広がるのはミルクの丸みを帯びた甘さ。
続いてバターのコクが舌の上でゆっくりと溶け出し、塩と白胡椒の味が続くことで、しっかりとした味わいになっている。
その後ろから、じっくり煮込まれた鶏肉の濃厚な旨味が静かに、しかし確かな足取りでやってくる。
角が崩れるほど柔らかく煮込まれたジャガイモは、大地の味。
噛まずとも、舌の上で自然に崩れていく。
ニンジンは特有の甘味をしっかりと残しており、タマネギも舌の上でとろりと溶けて甘さをにじませる。
生み出される自然な甘みは優しく、鶏肉の旨味や牛乳の風味と見事に調和している。
飲み込んだ後に残る優しい余韻は、幸せだ。
「おいしい……なんて穏やかで、豊かな味わいなのでしょう。これなら皆、間違いなく喜びますわ」
これにはエレノア婦人も、満足気な吐息をもらす。
牛乳の柔らかな旨味と、鶏肉と野菜による食べ応えはあまりに見事。
ゆっくり、なのにしっかり。
婦人は結局そのまま、クリームシチューを飲み干してしまった。
そして、程なくしてその時がやってきた。
「……それでは、始めましょうか」
「「「はいっ」」」
婦人の合図で、裏庭へと続くドアを開く。
そこにはすでに、四十人ほどの子供たちが開場を今や遅しと待ち構えていた。
テーブルに駆け足で向かう子供たちは、忙しない様子で料理の到着を待ち始める。
さっそくエマは、アンナ・マリーたちと共に配膳を開始。
今回のメニューはクリームシチューと、買い付けておいたパンのセットだ。
「わ……っ!」
「おいしそう!!」
子どもたちの視線が、さっそくシチューに集中する。
高まる期待はあっという間に、その表情を明るいものへと変えていく。
こうしてシチューが全員にゆき渡ったところで、炊き出しの代表である婦人が皆の前に出た。
「本日の主催を務めます、エレノア・ローズベリーと申します。皆さま、今日はよくおいで下さいました。この食事が、皆さまの力になりますように」
しっかりと家名を伝えながらも、短い言葉で済ませた婦人は、そそくさと引き下がる。
すると短い祈りの後、子供たちが一斉にスプーンを取った。
カチャカチャ鳴り出す、食器の音が聞こえたその直後。
「わーっ! おいしいっ!!」
「本当だ! こんなにおいしいご飯初めてだよっ!!」
「すっげー! こんなに味があるスープ、初めて飲んだ!」
あがった歓声。
子どもたちは楽しそうに、夢中でシチューをかき込んでいく。
その姿を、笑顔で見つめるエマ。
するとそこに、一人の母親が子供を連れてやってきた。
「いらっしゃ……こんにちは!」
ついいつもの癖で「いらっしゃいませ」と言いかけたエマは、駆け足で母親のもとへ。
「よろしければ、お母さんもご一緒にどうぞっ」
「……えっ、いいんですか?」
「もちろんです! ぜひご一緒にどうぞっ! 皆さんも!」
エマは同じように子供の様子を見に来た親たちにも、シチューの提供を開始する。さらに。
「シチュー、皆さんも食べに来てくださいっ!」
良い匂いに集まってきた、裏庭の子供たちにまで声をかけた。
こうして学校だけではなく地域の子供、さらにその親までもが対象となった慈善イベントには、続々と人が集まり始める。
裏庭に出来始めた行列は、さばくために使用人の一人が付きっ切りになるほどだ。
「えっと、次は……」
「アンナちゃん、次はあのテーブルお願いしますっ」
「ありがとう、分かったわ!」
おいしい料理が親子に提供されるとあって、いよいよ混み合い出した食堂。
「お待たせいたしましたーっ!」
しかし『みけ』で鍛えられているエマは、時に迷うアンナ・マリーに指示を交えながら、見事にさばいていく。
「良かったらどうぞっ」
「……俺も?」
本来このような催しで、大人にも料理が振る舞われることはない。
まして取材にやって来た記者にまでなんて話は聞いたこともないため、驚きが走る。
「はいっ! アンナちゃんがきっといっぱい必要になるって。だから皆で食べられるくらい、たくさん用意しているんですっ!」
達也にシチューを教わった時点で、そのおいしさと人気を確信したアンナ・マリーは、原料の安さを見て『量』を作れるよう進言していた。
エレノア婦人も、これまでのエマたちの功績を考えれば断る理由がない。
そして、その判断が活きる。
ここではやって来た誰もが、達也仕込みのクリームシチューをおいしく食べられるようになっていた。
「おおっ! うまいなこれっ!」
「はいっ!」
記者の歓喜の声に、うれしそうにうなずくエマ。
「ちょっと、大変な人気になってるじゃない。私も手伝うわね」
「ありがとうございますっ!」
そこにやって来たのは、ローズベリー家の娘シャーロット。
自ら提供の手伝いを始めたのを見て、アンナ・マリーはエマのもとへ。
「エマもシチューを食べてきなさいよ。お腹を空かした狼が、顔をのぞかせ始めてるわよ」
「はっ!? ……ありがとう。アンナちゃんの言った通りだったね」
いよいよシチューは、学校の関係者たちにも振る舞われ始めた。
それによって生まれた楽しそうな空気に、口元を拭いながらエマがほほ笑む。
「これだけおいしい料理だし、皆に食べてもらいたかったのよ」
笑い合う二人。
気付けば教会の炊き出しは、かつてない賑わいになっていた。
エマの元気な呼び込みが『入りやすく』して、アンナ・マリーの読みが『規模』を大きくした今日の炊き出し。
その温かさに、賑わう食堂。しかし。
「…………」
そんな中でもやはり、エレノア婦人は一歩引いた位置で様子を見ていた。
どこか居心地悪そうに、終わりの時間を待っている形だ。
「エレノアさま」
意を決してそこに駆けてきたのは、一人の幼い少年。
「……ん?」
「すっごく、おいしかったです。ありがとうございました……」
「っ!」
そう言って笑う少年に、エレノア婦人は思わずその場にヒザを突いた。
それから少年の、煤に汚れた頬を拭うと――。
「また来ますから、ぜひその時もおいでなさい」
「はいっ」
そう言って、子供の頭を優しく撫でた。そして。
「こういうのも……悪くありませんわね」
この場に来て初めて見せるほほ笑みと共に、そうつぶやいた。
クリームシチューは、実は達也の国で独自の進化を果たして完成した料理だ。
まだ食糧が不足しがちだった時代に、『子供たちがしっかりと栄養を取れるように』という思いから作られた。
どうやらその思いは、ブリティシアでもしっかりと伝わったようだ。
「ねえ、お姉ちゃん」
「なに?」
一方アンナ・マリーのところにも、一人の子供が駆けて来て声をかけた。
「お姉ちゃんって……彼氏いるの?」
「なっ!?」
その瞬間、即座に顔を赤くするアンナ・マリー。
「そ、そういうのは、まだ早いわよ! あなたには! ……あなたとエマにはっ!」
そう言ってトレーで軽く、悪ガキの頭をはたいてみせたのだった。
◆
「あら、これはこれは奇遇ですね」
慈善事業の翌日、玄関前で待ち構えていたのは隣家のポートマン婦人。
「昨日の炊き出しはいかがでしたか? もちろんうちは大好評でしたけど」
どうやらポートマン家も、炊き出しを不備なく終えていたようだ。
「大変でしたのよ、また来て欲しいと何度も頼まれてしまいまして。そちらは……聞くまでもありませんね」
勝利を確信しているポートマン婦人は、余裕の笑みを隠さない。
「あら、ローズベリーさん! ポートマンさん!」
するとそこに、同じく高級住宅街メイフェリアに住む上流階級婦人がやって来た。
「聞きましたよ! 昨日の慈善活動、素晴らしかったと話題になっているじゃないですか!」
その言葉に、いよいよその顔をほころばせるポートマン婦人。
「当然のことです。ですがこれで家格の差はハッキリしましたね! おーっほっほっほ!」
満足気にうなずくと、ついに勝利の高笑いを始めた。しかし。
「お見事でしたね――――ローズベリー婦人!」
「……は?」
まさかの言葉に、ポートマン婦人が硬直する。
「今、なんと?」
「こちらをご覧になって! 先ほど届いたばかりの新聞を見て、驚いたんですから!」
そう言って近所の上流階級婦人が取り出したのは、新聞の社交欄。
そこには上流階級の動向が載ることも多く、慈善事業については配給人数や現場の秩序などが載る。
基本的には、簡潔なことが多いのだが――。
『ローズベリー婦人の提供した温かいスープは、優しくておいしい。子供たちだけでなく両親にも大変な喜びをもたらし、会場は笑顔に満ちた』
『見た事もない美しいシチュー。具材は柔らかく煮込まれ、パンと共に振る舞われたこの一品は、これまでの慈善配布には見られないほどの満足感を与えた。高級素材など使わずに、これだけおいしいものを作ることができるその手腕は、見事の一言だ』
大規模な活動だったわけでも、著名人が参加したわけでもない慈善活動が、ここまで大きく扱われるのは異例だ。
「ローズベリー婦人、各所で絶賛されているみたいですよ」
「そ、そんな……ありえません! 慈善活動で、こんな! この私が負けるようなこと……っ!」
まさかの事態に、信じられないという表情で反論するポートマン婦人。しかし。
「慈善活動を勝負の場にするなど……無粋ですわ」
昨日エレノア婦人が素直にそう思ったばかりだからこそ、その言葉の威力は絶大だった。
「く、ぐぐ……っ!」
何も言えなくなるのは、ポートマン婦人が敗北を感じた時のクセだ。
こうして突如として持ち込まれた慈善事業対決は、エレノア婦人の勝利で幕を閉じたのだった。
――――事は、これだけで終わらなかった。
近くに止まった馬車から降りてきたのは、一人の青年。
見事な仕立ての制服を整えると、銀のトレーを持って玄関前へ。
「お手紙でございます、奥様」
トレーに乗せられた手紙をエレノア婦人が受け取ると、青年は深く頭を下げて帰っていく。
「「「っ!?」」」
三人の婦人が、封蝋を見て驚愕する。
そこに押されているのは、公爵家の紋章。
激しくなる鼓動に急かされる様にして、エレノア婦人は封を開いた。
『ベッドフォルド公爵夫人アンヌ・マリアは、ローズベリー夫人のご来訪を心よりお願い申し上げます』
『当家ロンドン邸にてアフタヌーンティーを催しますゆえ、ご都合よろしければお越しくださいませ』
公爵は、貴族の中でも最上位の存在。
王族に次ぐ大物貴族であり、社交界の中心人物だ。
どうやら達也のシチューによって成功を収めた慈善事業の評判は、思わぬ大物の興味を引いたようだ。
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この度は日間ローファンタジー4位を始めに、異世界転生、総合などにもランクインさせていただいたようです! 先日の注目度ランキングに続き、誠にありがとうございます!
本日はお礼の更新となりました! 次は土曜くらいに投稿できればと考えておりますので、何卒よろしくお願いいたしますっ!




