表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【第2章完結】メシマズ大国の料理店~キッチン・みけの店ごと英国転移譚~  作者: りんた


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
51/81

51.クロックムッシュと紅茶大国の完成

「おい! 火事だってよ!」


 聞こえてきた言葉に視線を上げれば、もくもくと上がる黒煙が見えた。

 どうやら二つほど先の工場区画で、火の手が上がったようだ。

 眉をひそめながら、ざわつく街並みを進むのはジェームズ。

 彼はトーマスたちが働く工場の、経営者だ。


「お疲れさん、調子はどう――」


 工場にたどり着いたジェームズが、そう問いかけようとしたその瞬間。


「水位が下がり過ぎてる! 給水を急げッ!」


 鬼気迫る、工場長オリバーの叫び声が聞こえてきた。

 新たに雇った技師が水を入れると、赤熱したボイラーが大きく揺れ、圧力計の針が激しく動く。

 技師が安全弁のレバーに手をかけ、周囲の作業員が慌てて後ずさる。

 達する限界。

 安全弁が悲鳴のような音を上げて開くと、白い蒸気が柱のように天井へ噴き上がる。

 すると熱風が肌を刺し、視界が一瞬で白く曇った。


「危なかった……」


 オリバーの適切な判断によって、乗り越えた危機。

 静かにボイラーの冷却が始まり、これなら再稼働にも時間はかからないだろう。

 そのままいけば、爆発もあり得た状況。

 場にいた全員が、安堵の息をつく。しかし。


「先日に続いて、危なかったですね」

「っ!?」


 そんな工員の言葉に、思わず問いかける。


「今回が、初めてじゃないのか?」

「実は先日も、似たようなミスがありまして……」


 そんな話を聞いたジェームズは、あらためてボイラーを確認。


「……ん?」


 そこには倒れた、エール入りの金属カップがいくつか置かれていた。


「エールか……」


 そして、ミスの原因に思い当たる。

 産業革命期のブリティシアには、食事時間も含めて『休憩』という文化がなかった。

 一日十時間を超えてくる労働を、パンやエール片手に行うのが当然だったのだ。

 飲酒による、注意力の低下。

 今でこそ昼休みを取れるようになったが、飲酒は各所で仕事のミスを増加させている。

 もちろん手っ取り早いのは、エールの飲用を辞めることだ。だが。


「ボイラー仕事となれば水分は必要不可欠だ。だが水を飲むのは危険だし、腹にも溜まらない。これでは集中力が続かない」


 水分を補給しようにも、その水自体が危険。

 さらにエールは、『飲むパン』という別称が付くほど浸透した、労働者たちのエネルギー源でもある。

 よって今さらエールの消費を止めることは、不可能に近い。


「どうしたものか……」


 思い切って行った、蒸気機関の導入。

 生産量の増加は、目を見張るほどだった。

 もしも故障するようなことになれば、その損害はそのまま経営にかかわるレベルの話になる。


「ボイラーは安全確認を、停止中は以前のような手作業を進めてくれ」


 ジェームズは工員たちにそう告げて、踵を返した。

 放置していれば、いつか大きな事故になるかもしれない飲酒問題。

 見れば今も、遠い工場から上がった火の手は消えていない。


「もはや、他人事じゃないな……」


 地方にある実家を守るために戦っている兄のためにも、オリバーを始めとした工員たちのためにも、対策が必要だ。


「何か、この状況を変える手はないか」


 頭を悩ませながらたどり着いたのは、最近工場を見に来る度に寄っている一軒の飲食店。


「いらっしゃいませーっ!」


 さっそく今日も、元気なエマが駆けつけてくる。

 ジェームズはそのまま、カウンター席に腰を下ろした。


「いらっしゃいませ、ご注文は?」


 達也の問いに、わずかに頭を悩ませるジェームズ。


「何か、エールに代わる飲み物はないかな……? 工場に導入した蒸気機関の技師が、飲酒のせいか少し注意力に欠けているようでね」


 かつて迷っていた自分を救ってくれたのは、達也の作ったスコッチエッグだった。

 そんなこともあって、思わず思いの丈をこぼすジェームズ。すると。


「それなら、紅茶はどうですか?」

「……紅茶?」


 見せる、いぶかしげな顔。

 ジェームズ自体はコーヒーの愛飲者であり、工場労働者にとってはまだまだ高級品のイメージが強い飲料。

 そのため紅茶は、興味を持たれていないというのが現状だ。しかし。


「なんだ、紅茶があるのか?」


 カウンター席にいた二人組の客が、達也に問いかけた。


「ありますよ」

「それなら追加で、紅茶を頼むよ」

「俺たちコーンホールから出稼ぎに来たんだけど、密輸の手伝いをしてた頃によく世話になってさぁ」


 沿岸地域で行われていた茶葉の密輸は、大きな減税によって旨味がなくなり消滅。

 そして低級茶葉の価格は、エールに迫るほど安くなっていた。


「どうぞ」


 達也が紅茶を淹れて出すと、元密輸業者の二人は砂糖をたっぷり入れてかき混ぜる。


「砂糖の値段が下がったのも、ありがてえ話だよな」

「まったくだ。これで一気に腹持ちが良くなった」


 そんなことを語りながら、さっそく一口。


「これこれ! うまいなぁ! 密輸仲間だったオーウェンから聞いて来たんだが、当たりだな!」

「この店は料理だけじゃなく紅茶もうまいのか! 色んな密輸茶を飲んできたけど、味も香りもこいつが一番だ!」


 楽し気に笑う、元密輸業者の男たち。


「なるほど……店主、紅茶とそれに合う料理を頼むよ」

「はい、かしこまりました」


 そんな話を聞いて、ジェームズも紅茶を試してみることにした。


「お待たせいたしましたーっ!」


 しばらくして、エマが紅茶と共に料理を持ってきた。


「こちら、クロックムッシュになりますっ!」

「おお……」


 ハムとチーズを挟んだパンの上にホワイトソースを塗り、さらにチーズを乗せてこんがり焼く。

 達也が選んだのは、そんな一品だった。

 鼻をくすぐるのは、焦がしバターと溶けたチーズが混ざり合った、香ばしい匂い。

 カリッと焼けたパンの端は、わずかに反り返っている。

 変わらぬ見事な仕事に見惚れながら、ナイフを入れてみる。

 するとその切り口から、熱でとろけたチーズが糸を引き、奥に隠れていたハムの淡いピンク色がのぞく。


「ごくり……」


 食欲をそそる色味に、自然とノドが鳴る。

 ひと口かじると、カリッと気持ちの良い音がした。

 続いてパンの内側の柔らかさと共に、とろけたチーズの塩気とミルキーなコクが広がる。

 層になったハムは歯ごたえこそしっかりしているが、主張をしすぎない。

 チーズの濃厚さを引き締める、程よいアクセントだ。

 噛むほどにパンの香ばしさとハムの旨味が溶け合い、そこに牛乳の風味を残したベシャメルソースの柔らかな甘みが重なる。

 飲み込めばバターの香りとチーズの余韻が残り、大きな満足感を与えてくれる。


「うますぎる……なんて贅沢な料理なんだ……」


 思わずもれたつぶやき。

 ここで甘さ控えめの紅茶を口に含むと、豊潤な香りが鼻を抜けていった。

 かすかな渋みはむしろ心地よく、クロックムッシュの濃厚な味わいを綺麗にリセットしてくれる。


「この紅茶は、爽やかなのに深いコクがあるんだな。素晴らしい」


 こうなればまた、自然とナイフとフォークに手が伸びる。

 結局そのままジェームズは、クロックムッシュを食べ尽くしてしまった。


「……なるほど、これなら仕事にも差し支えがない。砂糖が入ることで腹持ちもいいわけだな」

「紅茶には、目を覚ます効果もありますよ」

「そうなのか。さすが店主だ……」


 するとそんな状況を見て、隣の客がつぶやく。


「確かに、これならもっと長い時間の労働にも耐えられそうだなぁ」

「おや、あなたは確か……」

「ええ、私もこの近くで工場をやっているんですよ」


 わずかに遅れてやって来た隣客はどうやら、同じ工場経営者だったようだ。


「砂糖も輸入量の増加で価格が大きく下がった。これなら今までエールに使っていた金を紅茶に回せばいいだけだ。いい感じに効率が上がりそうだぞ」


 そう言って、ニヤリと笑みを浮かべる。


「そうだ。エマちゃん、そろそろ休憩に入ったらどう?」

「はいっ」


 ここで達也は、エマに休憩を勧めた。


「紅茶とサンドイッチを用意したから、持って行って」

「はいっ!」


 思わぬ『おやつ』が付いて、エマが満面の笑顔を見せる。


「昼食とは別に、休憩時間を取るのか」

「ええ。一息つく時間を作ることで、集中力が回復するでしょう?」

「……確かに。彼女が店にもたらす影響を考えると、腹を空かせた狼状態で徘徊させるより、一度休んで何かを食べてもらった方が有益だな……」

「腹を空かせた狼が徘徊……っ!?」


 恥ずかしそうにトレーで顔を隠したエマは、サンドイッチと紅茶を受け取ると、こそこそと階段を上がっていった。


「いやいや、冗談じゃないよ」


 そんな光景を見て、首を振ったのは隣客の経営者だ。


「以前は食事をしながらの仕事が当たり前だったのに、工場法のせいで昼休みが始まって、さらに休憩まで取られるなんて……」

「……確かに、労働時間自体は減ってしまうな」

「そうだろう!? そんなのありえないことだ!」


 そんな隣客の言葉に、ジェームズは少し悩む。


「でも、あえて休憩時間を作って、紅茶を飲むことを推奨すれば……」


 各人の労働時間自体は減る。

 だが仕事をしながら飲み物を何度も口にするような状況が、効率的だとは思えない。

 しかもエールは、飲めば飲むほど危険が増す。


「よし……!」


 ジェームズは決断した。

 短い休憩を挟み、目の覚める紅茶を飲むことで集中力を回復させるやり方を。


「うちの工員たちならやってくれるはずだ。ティーブレイク、始めてみようか」


 背中を押したのは達也の勧め、そして頼りになる工員たちの存在。


「うちはやらないぞ! 労働時間を減らすだなんて冗談じゃない……っ! そんなの怠ける口実になるだけだ! 紅茶なんて要らん要らん!」


 対して隣りの経営者は、大きく首を振る。

 こうして生まれた、二つの経営方針。

 この判断が後に、両者の工場を分けることになる。



   ◆



「店主! タマゴサンドをお願い! 飲み物は紅茶で!」

「こっちはBLTを! もちろん飲み物は紅茶でな!」

「はいよ」


 ジェームズの決断から、しばらく。

 紅茶はすっかり、ロンドールの定番の一つとなっていた。


「エールみたいに酔わないし、砂糖のおかげで腹にもたまる! 本当に助かるよなぁ……」

「しかも、ここの紅茶はうまいからな!」


 ジェームズの工場が始めたティーブレイクは、結果として生産を大きく向上させた。

 労働時間は減少したが、休憩を挟むことでそれ以上に能率が上昇。

 紅茶の覚醒効果でミスも減り、それでいてエネルギーはしっかり取れる。

 さらに休憩時間に生まれる会話は、工場の雰囲気まで良化した。


「実はうちもようやく、ティーブレイクが始まったんだ」


 そしてそんな話が広まれば当然、周りも真似をし始める。

 噂を聞き付けた工場や職場が次々に工場内での飲酒を禁止し、代わりに紅茶を飲むための休憩時間を導入。

 煮沸することで水もある程度安全に使えるとあって、ボイラーを使って湯を温めることを推奨し始めるほどだ。

 生まれた新たな文化に、賑わう『みけ』の店内。


「……うちの工場、ボイラーの修理でしばらく生産が下がるらしい」


 その中に、ため息をつく者がいた。


「水位管理ミスだろう? ボイラーがベッコリへこんで、修理に時間がかかりそうだって」

「あのオーナー、ティーブレイクが流行り出しても、かたくなに労働時間が減ることを認めなかったからな……」


 休憩時間の導入を拒否し続けた経営者の工場は、しばらく生産を落とすことになってしまったようだ。


「ジェームズさん、いらっしゃいませーっ!」


 そこにやって来たのは、話題のティーブレイクをいち早く導入した経営者ジェームズ。

 案内されるまま、今日もカウンター席に腰を下ろす。


「……ありがとう店主。蒸気機関の早い導入も、ティーブレイクの開始も、そしてきっと事故を起こさずに済んでいるのも、店主のお勧めのおかげだよ」

「いえ、見事な決断の結果ですよ」

「そういうことなら、オリバー達にも礼を言わないといけないな。いつだって大きな決断の背後には、店主と、彼らを信じる自分がいる」

「素晴らしいことですね」


 地方でがんばる家族の未来、そして工員たちの将来を背負っての選択に、達也は賞賛の言葉を送る。


「それにしても、すごいな」


 ジェームズは周りの客を見て、あらためて感嘆する。

 労働者たちは一様に錫製のカップを腰に下げ、茶葉を携帯。

 ティーブレイクにはカップに茶葉を入れ、湯を注ぐという最もシンプルな方法で紅茶を飲んでいる。

 元々はエールを入れるために使っていたカップが、そのまま紅茶用に変わった形だ。

 さらにブリティシアの茶葉は渋みが強く抽出力が高いため、一度で捨てずに何度も煮出す飲み方が広まった。

 それによって紅茶は、家庭にまで持ち込まれるようになっていった。


「この店は、店主は、料理一つで色んなものを変えていくな」


 こうして『飲むパン』の立場は、エールから紅茶へと交代することになった。

 税の大幅な低下と、労働者たちの間での広まり。

 数十トンから始まった茶葉の輸入量はなんと、一万トンを超え始めている。

 そしてそうなれば、必然的に――。


「ラッキー! 今日はジェームズさんがいるぞ!」

「こら、馴れ馴れしいぞ」

「お疲れさまです」


 工員ハリソンを始めとした常連組は、ジェームズを見つけるとすぐ隣に並ぶ。そして。


「店主、あちらのオーナーのおごりで――――俺にBLTと紅茶を」

「やめろ、馴れ馴れしい」

「構わないよ、オリバー」

「申し訳ありません。では私はキング・フィッシュアンドチップスと紅茶を」

「僕はタマゴサンドと紅茶をお願いします」

「はいよ」

「達也さーん! BLT三つ、タマゴサンド四つです! お願いしますっ!」

「……はいよ」

「エマちゃん! こっちもBLTを紅茶とセットで!」

「俺にもタマゴサンドを頼む!」

「はーいっ! 少々お待ちくださいーっ! 達也さん、これってもしかして……」

「……そういうことだな」


 どこでも気軽に紅茶が飲めるとなれば、必然的に食べやすい料理が欲しくなる。

 そして『みけ』のサンドイッチは、格段にうまい。


「エマちゃん! こっちBLT追加で!」

「店主、クロックムッシュを紅茶とセットで頼む!」

「…………はいよ」


 白目をむくほどのサンドイッチブームが、再び『みけ』で始まってしまうのだった。


 ――――ブリティシア王妃が飲み始めてから、実に百五十年以上。

 ついに紅茶は、全ての階級を制覇した。

 こうして覇権の帝国ブリティシアは、世界に知られる紅茶大国へと、その姿を変えたのだった。

脱字報告、ご感想ありがとうございます! 適用させていただきました!

返信はご感想欄にてっ!


お読みいただきありがとうございました!

少しでも「いいね」と思っていただけましたら。

【ブックマーク】・【ポイント】等にて、応援よろしくお願いいたします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
クロックムッシュは出勤時たまに朝飯で食べるけど美味しいよね… 相方は紅茶じゃなくて珈琲にしてるけども。 だがただのサンドイッチも捨てがたい!
ヒャア!新鮮な紅茶ダァ!!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ