99.さよなら世界
ルルディとアリィが集落から遠く離れた花畑に向かってしばらく、レウスは集落の警鐘の音で目が覚めた。
近くにできた国に暮らしている人間族の軍が森を焼き払い、まっすぐ谷の集落に向かってきていた。
集落はいくら谷にあるとはいえ、彼らは明らかに魔法を使いこなしていて、このまま集落に近づけば多くの戦えない集落の者たちが命を奪われてしまうことは明らかだった。
突然の襲撃に集落の皆は狼狽え、疫病で数が減ったせいで戦えるものがかなり少なくなっていたが、レウスは数少ない戦える男性たちとともに真っ先に戦いに向かった。
しかし、いくら強いレウスといえ数が多く、魔法を使いこなす人間族たちの前に多勢に無勢となり、その命は終わりを告げてしまった。
そのレウスの首をアリィは自分の信徒に持ってこさせ、ルルディに贈り物として渡した。
アリィはとびきりの笑顔を見せていて、彼女からは何の罪悪感も感じとれない。
レウスの頭部を見つめるルルディは表情がなくなり、ぴくりとも動かない。
ルルディを囲むルコウもリリィもペロージアも状況が呑み込めず、動けないでいた。
「人間の国の連中をそそのかしてさぁ、竜族の集落を襲わせたんだ。初めはどうかなって、心配だったんだけど、やっぱり人って不安とか恐怖とかに弱いよね、ちょっとつついてやったらすぐに戦いに傾いたよ」
「……」
「しかも、あの人間族たちいったい誰だと思う? 過去にルルが助けて、魔法を教えた人たち! それが今、その魔法を使って、ルルの大事だった人を殺したんだよ!」
「……」
「ルル、辛かったよね? せっかく仲良くなった人が死んじゃうなんて、いままでやってきたことが報われず、最悪に結末を迎えるなんて……でも、これでわかったでしょ? 積み上げたものが虚無になる虚しさ、悲しさ、苦しさ……あたしが感じたことだよ……きっとルルは話してもわからないだろうから、実際に体験してもらおうと思ったんだ」
「……」
「でも、これで痛み分け。これでまた初めからやりなおせるよ! もう一度、ともだちからやり直そう」
やっと時間が流れ始めたリリィ、ペロージアがまだ困惑しながらアリィを見る。
ルコウの表情が怒りへと塗り替わり、アリィを鬼の形相で睨みつけた。
「お前……お前何をしてんだ!? つまり、戦争を起こしてまでルルの大切な奴を殺したのか!? 正気か!? いや正気じゃねぇ!!」
「今さら、ルコウが人の命でとやかく言う? 今までたくさんの人が苦しんでるの知ってて放っておいたくせに」
「おまっ……この人は……この人はルルの大事な人なんだろうが!! それをてめぇは……!!」
アリィとルコウの言い合いが始まった。
だが、ルルディは周りの騒がしい言葉は届いているような、どこか遠い出来事のような、何かの膜で包まれ現実と遮断されているように感じ、ただ、生気のないレウスの頭部をじっと見つめている。
レウスは目が開いているのに、あのまぶしいほどの光はもうない。
うっすら開かれた口からは、優しい声は聞こえない。
抱きしめてくれた手は見当たらず、首からは赤黒い血が流れてルルディの手から腕に伝って落ちていく。
(レウスさん……)
(起きていますか? おかしいな、目は開けているのに、どうしてわたしをみてくれないのですか?)
(からだ、どこやっちゃたんですか? 一緒に探しましょうか。探し物は二人のほうが、見つかりやすいって……お兄さまがおっしゃっていました)
(レウスさん……もしかして、今度はレウスさんが『元気』を失くしてしまったのですか? 大丈夫です。今度はわたしがあなたを『元気』にしてみせますからね)
(……だいじょうぶですよ、ずっとずっと、あいしていますからね)
ルルディは重たいレウスの頭部を持ち上げて、吐息の感じられない唇に自分の唇を静かに重ねた。
アリィはそれにぎょっとして「嘘……」と声を漏らした。
そして、口づけを終えたルルディが再びアリィを見つめた時……
ルルディの瞳は闇よりも深い黒一色になっていた。
その真っ黒な瞳に見つめられて、アリィは背筋がゾッとする。
「ルルディ? もしかして、怒ってる?」
「エジリ・フレーダわたしはお前の心だ。わたしに従え」
ルルディがそう告げた瞬間、空から地面から、女性の金切り声のような、鐘を連続で打ち付けるような、不快で心を砕かれる音に全身が、世界が包まれた。
アリィは立ってもいられず、頭を抱えて膝を折る。
吐き気がこみあげてきて、頭は痛みで割れてしまいそうだ。
大妖精たち3人は、この声なのかもわからない響きに、恐れのような、驚愕しているような表情になっている。
特にペロージアは呼吸が浅くなり、目を血走らせて辺りを必死に見渡して何かを探している。
「母さん……? 母さん!? 母さんの声だ!!」
「お母さまが……どうして? ルルディ……?」
ルルディは片手を振り上げ、そしてゆっくりと振り下ろす。
すると、森を一握りできてしまいそうなほど巨大な女性の手が突然天から現れた。この現実味のない状況にただアリィは動けずに、その巨大な手を見上げていた。
「消えろ、レウスさんの大切な人たちを傷つける愚か者」
ルルディが手を広げて握る。
そして、天から現れた手はルルディの動きに呼応して人間と竜族の戦争が起こっている辺りをぎゅっと握りしめた。
ルルディが振り払うように手を動かせば、天からの手も同じように振り払う。
「そうですね……全部消しますね……その方が安心だから……」
ルルディが呟くと天から無数の手が散らばるように、世界中に伸びていった。
ルルディが明らかに天から伸びる手を操っているのがわかって、リリィが必死にルルディの肩を揺さぶり、呼びかけるがルルディは反応を見せない。
ルコウは状況が呑み込めず放心して棒立ちになり、ペロージアがふらふらと手に向かって歩き始めてしまい、リリィはペロージアに抱き着いて必死に止める。
「ルコウ兄さんもペロージア姉さんもしっかりして!」
「母さん……だって、母さんが迎えに来てくれた……ボクはここにいるよ。ボクを見てよ、ボクに触ってよ、母さん……母さん!」
「姉さん!! 絶対今のお母さまに触れてはダメ! ルルディを止めないと!!」
ルルディは再び地面にへたり込んでいるアリィを見つめる。
真っ黒な瞳は、アリィの身体を血管から凍らせた。
「お前……レウスさんから元気を奪ったお前」
「ま、待って……お願い……ルル……そんなに怒るって思ってなくて……」
「お前も消す」
「アリィ様!!」
ルルディが人差し指を下に向けた時、天から伸びる手の人差し指がアリィに向かって落ちる。
しかし、そのすんでの所でダチュラがアリィを放り投げてその指から逃れさせた。
指は実体がなく、揺れる霧のようでダチュラの身体は呑み込まれ、その姿は泡となって消えてしまった。
「はずした……次は消えろ」
アリィは必死に走り、ルルディに飛びついてその胸に手を突き刺した。
そして、アリィがルルディの胸から小さな光を取り出すと、ルルディの身体は塵となり崩れ落ち、抱えていたレウスの頭部はルルの塵に埋もれた。
ルルディが消えてしまったのと同時に天から伸びていた手は姿がかき消えてしまった。
放心していたルコウやペロージアを止めていたリリィ、そして我を失っていたペロージアがアリィと塵となってしまったルルディを見る。
ペロージアがぼーっとした頭で塵の山を見つめる。
現実が呑み込めず、視界が船の上にいるかのようにひどく揺れた。
「あ、あれ? ルルは? ボクのルルは? アリィ、今お前なにをした?」
「あ、あはははは! やった! やっと手に入れた……ルルの魂! あぁ、やっぱりどんな魂よりもあなたの魂が一番綺麗……」
アリィがルルディから引き抜いた光は5枚の花弁をもつ小さな花の形をしていた。
アリィはそれを宝物を見つめる子供の様に輝く瞳で、幸せそうに見つめている。
その瞳には、愛情と執着と幸福と渇望が入り混じる。
「……こんなに怒らせちゃって、本当にごめん。大丈夫、これからはずっと一緒だから……ぐっ!?」
正気を取り戻したルコウがアリィに対し剣を横なぎに振るう。
すんでのところでアリィが魔法壁を張り攻撃を防いだが、その衝撃でルルディの魂を手放してしまった。
「あぁ! ルルの魂!」
ルルディの魂は地面を跳ねて転がった。
リリィが素早くルルディの魂をつかみ取ってぎゅっと握り閉める。
「リリィ……返せ……返せよ! あたしのルルの魂!!」
「ダメ! 絶対にダメ!! あなたにこれ以上残酷なことを許すわけにはいかないもの……もう、やめにしましょう……お願いよ……」
「うるさいっ!! あたしは決めたの……ルルの心も身体も手に入らないなら、魂が欲しい! ずっと思ってた、初めて見た時からずっと……ルルの魂はなんて綺麗なんだろうって、あの魂に触れられたら……一つになれたら、どれだけ気持ちがいいんだろうって!」
恍惚とした表情で話すアリィはすでにかつて自分の好きだった彼女ではないのだと、リリィは深い悲しみに打ちひしがれる。
そして、彼女の非道を止めるため、リリィは意を決した。
持っていたルルディの魂を口に放り込んでごくりと飲み込む。
違和感が喉を通っていくのを感じた。
それを見たアリィが愕然とした表情になる。
「リリィってめえええええ!!! なにしてんだああああ!?」
「ルルを取り出したかったら、私を殺して、身体を引き裂きなさい。でも、そんなことはさせない……もうこれ以上ルルも……ルルが大好きだったあなたのことも汚すわけにはいかない!」
「あたしのルルっ! 返せ! 返せえええええ!!」
アリィは魔法の異空間から大きな緑色の結晶を取り出した。
それは哀れな魂がいくつも集められて産み出された結晶で、アリィに力を与える。
しかし、ペロージアが杖をふるうと閃光がアリィの持つ結晶を打ち抜いた。
結晶が砕け散ると魂が嘆きの声と共に解放されていく。
「ちっ! クソババア……!」
「よくも……よくもボクのルルを殺したな……よくも、よくも、よくも、よくも……!」
ペロージアは正気を取り戻したというよりも、次は怒りで狂っているようであった。だが今は、それでもアリィに対抗する姿勢を見せていることに、少しだけルコウは安堵を感じていた。
「リリィ、このまま逃げろ! こいつには、ちょっくら仕置きが必要だからな」
「ルコウ兄さん……」
「そんな心配すんな。全部終わったらさ、ミモザと腹の子の封印を解いてさ……抱っこしたりとか、遊んだり……いいことが待ってるからさ……そんな終わりみたいな顔する必要なんて全くないぜ!」
「うん……アリィをお願いルコウ兄さん、ペロージア姉さん」
「おう!」
ペロージアは怒りに囚われて返事をしてはくれなかったが、ルコウが笑顔で答えてくれて、とにかくリリィはルルディの魂を奪われないように、走ってその場から逃げた。
背中からアリィの怒号が聞こえてきたが、振り返りはしなかった。




