66.皮を被った
シオンたちにかかっていた呪術が解ける数時間前。
ヴィオラは冷たい地下牢で膝を抱えて寂しさに打ちひしがれながら涙を流していた。何度も声をだそうと試みるが、相変わらず声は失われている。
(…………シオン、会いたい……あなたに会いたい……)
気配もなく、ゆっくりと牢屋の扉が開く。
扉が開いた時にきしむ音に驚いてヴィオラが顔を上げると、驚きで息をのんだ。
「ヴィオラ! あぁ、私の大切な娘」
(お、かあさま……?)
そこには、ヴィオラが幼いころに亡くなったはずの母の姿があった。
背の高い紺色の長く美しい髪とヴィオラを見つめる優しい眼差し、穏やかな声も思い出の中のままだった。
ヴィオラは、自分は幻を見ているのかと頬をぱちんと叩いた。
しかし、じんとした痛みを感じる。
(お母さま? 本当にお母さま? でも、お母さまは冷たくなって、棺に入れられて、土に埋められて……死んでしまったはずなのに……本当に?)
ヴィオラが固まっていると、母はゆっくりと牢屋の中に入ってきて、ヴィオラの目の前に座った。
ヴィオラは混乱してしまって、牢屋の隅に後ずさる。
「可愛い私のヴィオラ、とても久しぶりに会ったのに、私を抱きしめてはくれないの?」
ヴィオラははくはくと口を動かす。
本当に母なのか?どうして生きているのか?なぜここにいるのか?質問がいくつも浮かぶのに声がでない。
母は優しく微笑んで、後ずさるヴィオラを抱き締めた。
大好きな母の温かさ、母の匂い、手の柔らかさ、優しい声。
そのすべてがたくさんの疑問を吹き飛ばしてしまうほどの懐かしさと今までの寂しさが埋まっていく気持ちがして、涙が込み上げてきた。
(間違いない、お母さまだ……大好きなお母さま)
大好きな母が目の前にいてくれることがどうしようもなく嬉しくて、叫ぶ声もなく、ぼろぼろとたくさんの涙が流れ出てくる。
母は優しくヴィオラの頭を撫でて「大きくなったのね、それにとても綺麗になって……今まで一緒にいれなくてごめんね……これからはずっと一緒だから」と優しく声をかけた。
母がヴィオラの顔を上げさせて、涙を優しく拭ってくれるが、涙は止まる気配がない。
「可哀そうなヴィオラ、こんなに寒々しいところに入れられて……もう、私が来たから大丈夫よ。ここから出ましょう」
(でも、お母さま……シオンが……皆さまが……)
「……? ヴィオラ、あなた声はどうしたの? もしかして、でないの?」
ヴィオラはこくこくと頷いて、母の手のひらに文字を書いてどうにか意思を伝えようとする。
母はヴィオラからの手文字をじっと静かに読み取っていた。
「そう……朝から声が出なくなったの……精神的なものかしら……それで、ここの人たちの記憶がおかしくなって、義理の姉が現れて、王子様に牢屋に入れられて……あぁ、なんて可哀そうに……とにかく、いったんここからは出ましょう」
(どうやって? それに、皆さまの記憶をなんとかしないと)
「ヴィオラ……残念だけど、彼らの記憶は……………戻ることはないわ」
(!!!)
母が言いにくそうに、顔を背けて言う。
絶望でヴィオラのスミレ色の瞳が暗く沈んでいき、苦しみがこもった涙がぼろぼろととめどなくあふれてくる。
「これは……おそらく妖精の仕業、彼らの中にはとても強大な魔力を持つ『大妖精』と呼ばれる妖精がいるの。彼らなら、人の記憶を書き換えることもできてしまう」
『大妖精』という言葉には聞き覚えがあった。確か別荘の城でトトララがペロージアに対して使っていた言葉だ。
そして、ペロージアはトトララがもともと使用人であるかのように城の皆の記憶を書き換えた魔法を確かに使っていた。
(でも、以前同じようなことがあって、その時は魔法は解けて記憶が戻っていました。今回も魔法を解く方法があるはず)
「なるほど、でもその時ってもしかして大妖精本人が魔法を解いたのではない? 本人が解かない限り、解けることはないと思った方がいいわ……それとも、誰かが解いたの? どうやって? どれくらい時間がかかった?」
ヴィオラは消沈する。
確かに、あの魔法はトトララをあの城に侵入させるためのもので、必要がなくなったからおそらくペロージアが魔法を解いたのだろう。
そして、そうでもしないと記憶は1年でも平気で書き換えられたままだった。
(いったい誰がかけたかもわからないのに、この魔法をかけた人に解いてもらわない限り………皆さまの魔法が解けない……?)
ヴィオラががっくりと肩を落として、大切な人たちとの日々が戻らないものであるという可能性を突きつけられ、恐怖で震える。
母は妖しく笑っていたが、うなだれているヴィオラには見えていない。
「ヴィオラは耐えられる? 大切な人たちがあの醜い義姉に奪われていく様を……大切な彼があの義姉と結婚するのも、口づけをするのも……見ていられる?」
ヴィオラがハッとして顔を上げる。
母は心配している様子で、ヴィオラの手をしっかりと握り包み込む。
「悲しいけれど、彼らのことは諦めて、私と行きましょう……これからは、私とずっと一緒よ、ね?」
母の優しい提案に身をゆだねてしまいたい。
それほどヴィオラの心も身体も弱ってしまっていた。
(お母さまと……ずっと一緒……これから……ずっと……)
ヴィオラはふと顔を伏せて、母に握られている手を放させた。
そして、また手文字を手のひらに書く。
(諦めたくない……)
静かに涙を流しながらも、まだ希望に縋りつきたかった。
そのヴィオラの気持ちが伝わったとき、母は憎しみと苛立ちで発狂してしまいそうだったが、それを全く表には出さないようにして、微笑を張り付けた。
「そう、わかったわ……なら、一緒に考えましょう。この城の人たちの魔法を解く方法を」
ヴィオラの表情が明るくなり、こくこくと頷いた。
母は困ったように微笑んで、ヴィオラの頭を撫でて、頬に伝う涙の痕を拭う。
「でも、ここからはでないと……ここにいても状況は好転しないわ」
心配そうに見つめるヴィオラに母は優しく、安心させるように微笑んだ。
「大丈夫、秘密にしていたけれど、私は魔法が使えるのよ。本当にいろいろと秘密にしていてごめんね。安全な場所に移ったら、全部教えてあげるからね」
ヴィオラはまだ不安そうな瞳をしていたが、こくりと頷いた。
母に引っ張られて立ち上がり、二人はしっかりと手をつないで牢屋から外に出る。
(フ、フフフフ……これでこの子は私のもの……ルコウ、お前の大切な馬鹿な王子が壊れるさまを見て苦しむがいい……私が苦しんだ分だけ……ざまあみろペロージア……もうお前の愛している人はお前の手には届かない……私が味わった苦しみだ。みんな、みんな、みんな苦しめ!!)
母の皮を被った何かは激しい憎悪を心の底に渦巻いていた。




