65.たとえ間違えても
夜、シオンはマデルの寝室の扉を叩いた。
中からマデルの甘ったるい「はぁ~い、入ってきてぇん♡」という声が聞こえ、シオンはどうしてかぞわりと身震いした。
扉を開けた瞬間むせかえるような甘すぎる香の匂いとどぎつい赤とピンク色の家具で彩られた寝室が目に入った。
ベッドの上にはバラがちりばめられていて、マデルが目も当てられないほどスケスケなネグリジェを着てポーズをとって待っていた。
受け入れがたい光景にめまいがし、甘い香とマデルが触った男性の臭いが入り混じり、それに耐えられずシオンは鼻をふさいだ。
「マ、マデル!? いったいこれは何事だ?」
「え? 何って? マデルとシオンさまは~これから素敵な夜を過ごすんでしょ? そういうのって雰囲気が大事かなぁって」
「だ、だからといってこれは……ううっ」
マデルがくねくねしながら近づいてきて、シオンに縋りつくとマデルから放たれる自分以外の濃く、しかも複数の男の匂いがよりくっきりとわかり、シオンはマデルを反射的に突き飛ばした。
「きゃっ! ちょっと何するの!?」
「す、すまない、だがあまりにも臭すぎる!!」
「く、くさい!? 今、マデルのこと臭いって言った!? 信じられない!」
「男の匂いでいっぱいではないか!? 一体何人の男の身体を触ったのだ!?」
「は、はぁっ!? べ、べつに触ったって、ちょっとだけよ! それにお風呂だって入ったし!」
「それでも残っている……ううぅ、頼むから近づかないでくれ……おぇ……」
シオンは酷い吐き気に襲われて、寝室から隣の部屋まで避難した。
せめて安心できる香りを求めて、ポケットに入れていたサシェを取り出してサシェ越しに息をする。そうでもしないと、吐いてしまいそうだった。
シオンの様子に苛立っていたマデルだったが、そのサシェの袋の刺繍にはなんとなく見覚えがあり、顔を真っ青にして焦り始める。
「あっ、あっ! それ! も、もしかして、あいつの刺繍!?」
「あいつって……? これは君が刺繍を施してくれたものだろう?」
「いいからっ、それちょうだい!!」
マデルはサシェをシオンから奪い取ろうとしてとびかかるが、シオンは危険を感じてマデルをよけた。
「なっ、何をする!? これは君が僕の誕生日の贈り物としてくれたものだろう!?」
「じゃ、じゃあ返して! そんな薄汚いものなんかより、マデルがとびきりの誕生日の贈り物あげるから! そうよ、とびきり可愛いマデルが誕生日の贈り物っていうのはどう?」
マデルが上目遣いをしながら首をかしげて投げキッスまでしてきた。
しかし、シオンは吐き気しかこみあげてこないし、そしてなにより聞き捨てならない言葉があった。
「今、このサシェを薄汚いといったのか?」
「そうよ! だってそうでしょ、こそこそ隠れて作って、それで『あなたを想いながら作りましたー』とかいっていっつも渡すのよ! ぜぇったい点数稼ぎだし、やらしーって思わない!? シオンさまだってぇ、こんなのよりマデルの方がずぅっといいでしょ?」
「今、侮辱したのか……このサシェは僕のためにひと針ひと針大切に刺して作ったその想いを侮辱したのか……いくら、作った本人だといえ……本人? なぜ、本人が侮辱する?」
マデルは明らかに記憶と現実の差異に気づき始めているシオンをみて、しまった!と思ってもう一度サシェを奪おうとシオンに飛びついた。
シオンは吐き気とめまいで動けないでいたが、マデルに身体が触れられて、ついに吐いてしまった。
「きゃー! き、汚い!! ちょっとマデルにかかったじゃない!!」
「う……おえ……」
シオンが吐いてしまったあと、驚くほど頭がくっきりとして、今までの記憶が正しく蘇る。
そして、自分の愛する人はここにいるマデルなどではなく、ヴィオラであることをはっきりと思い出した。
「ヴィオラ……」
「ねぇ! ちょっとどうしてくれるの!? 最悪! シオンさまってこんな汚いことすると思ってなかったんですけど!」
「黙れ」
「へ?」
シオンの声色は誰も聞いたことがないほど、怒りに満ちていた。
マデルへの憎悪と自分への怒りでシオンの銀の髪は赤くなり、やがて本物の炎となりばちばちと燃え上がる。
炎の火の粉がマデルのネグリジェについてマデルが驚いて悲鳴を上げて転げ回った。
その時、外では一瞬にして分厚い雲がこの国全土に広がり、雷が暴れ、暴風が猛り狂い、雨は全てを押しつぶすように降り始めた。
「ヴィオラ……ヴィオラ、ヴィオラ……ヴィオラ……」
今はマデルなど気にしている暇はなく、一刻も早くヴィオラに会いに行かねばならず、風を切る速さでヴィオラがいる牢屋へと魔法で飛び駆けつける。
「ヴィオラ!!」
シオンが牢屋にたどり着いた時、寒々しい牢屋は扉が虚しいきしむ音をたてて開け放たれており、ヴィオラの姿はなかった。
「……ヴィオラが……ヴィオラがいない……僕が……また……間違えて……あ、ああああ、あああああ!!」
シオンが頭を抱えて絶叫する。
情緒が乱れ、制御できなくなった魔力で周囲の空間が歪み始め、乱れた魔力が雷のように辺りにほとばしる。
「シオンっ! 落ち着きなさい!!」
急いで駆けつけてきたシオンの母ラナンと父スィラが二人がかりでシオンに魔封じをかけ、光の鎖がシオンをがんじがらめにすることで、やっとシオンの魔力が漏れ出るのは収まったが、未だに空が荒れている。
「はあっ……はあっー……シオン……番を失ってしまって理性を失い始めている……」
「ラナン、しっかり」
「だ、大丈夫よ。まさか、こんなことが……一体何が起こったというの? 城の者の記憶が書き換わっていた? どれだけの範囲で? あたしやスィラよりも魔力の強いシオンまでが記憶を書き換えられるなんて……そんなのはペロージア並みの魔力を持つものくらいでないとでも、でも彼女はこんなことはしない………とにかく、ヴィオラちゃんを見つけ出さないとシオンが狂ってしまう……! スィラ、どうしよう……シオンがもし狂っちゃったらどうしよう、どうしよう、どうしよう!」
「ラナン!」
頭の中が情報と不安でぐちゃぐちゃになって泣きそうなラナンをスィラが肩を掴み向かい合う。
「まずは落ち着いて、状況把握をしよう。それから、捜索隊を結成してヴィオラさんを捜索する。シオンは狂わない。狂わせない。私たちの子供だ、信じよう」
「うん、うん……」
「女王陛下! 国王陛下!」
記憶を取り戻したロージーとペイアーが真っ青な顔をして地下牢まで下りて来た。
シオンの様子とヴィオラがいないことに気づき、人生で感じたことがないほど二人は心が握りつぶされる。
ロージーは瞳孔が開き、今にも卒倒してしまいそうだったが、傍にいるペイアーに「気をしっかりもて、オレたちにできることをしよう」と背中を叩かれると、細く息を吐いてこくりと頷いた。
スィラに励まされて落ち着きを取り戻したラナンが冷静な態度でロージーに向かう。
「ロージー・アフェクシオン、城内すべての人をホールに集め状況把握を、魔法壁の管理担当にも連絡、捜索隊を編成しなさい。魔法のつかえないヴィオラちゃんが一人でいなくなるとは考えにくく、城内の者の記憶が書き換えられるということから、これは魔力の強い者による誘拐と考えられます。複数犯か単独犯かもわかりません。強い魔法使いであれば遠くに移動することも可能な点を鑑み、捜索範囲はこの国全土とします。様々な可能性を考えて行動するように。番であるヴィオラちゃんの捜索を最重要事項とします。シオンの魔力にあてられてしまいますから、魔力の弱いものはここには近づかないように伝えて。ペイアー・ディモルもです。わかれば行きなさい」
「「……はっ」」
ロージーもペイアーも地下牢から階段を駆け上がっていく。
ペイアーがふとロージーを見ると静かに彼女は泣いており、涙で頬が濡れていた。
「はぁ、ヴィオラちゃんにオレたちの嫌な部分見せちまったな」
「あたし、ヴィオラ様にこれからもお仕えすると、お守りすると誓ったのに、傷つけて怖い思いをさせて……なんて情けないんだろう……!」
「今回ばかりは仕方ない、誰もこの記憶の書き換えに気づけなかった。別荘の城でのトトララと似たような魔法なんだろう」
「それでも……っ! 誰か下りてくる」
すると、前方からいつもの余裕のある立ち振る舞いを捨てて焦った様子で階段を駆け下りてきたのは、フランメだった。
「ロージーさん、ペイアーさん、その様子ですとやはり、殿下とヴィオラ様は……」
「えぇ……ヴィオラ様の姿は牢屋にはなかったわ……殿下は……いま国王陛下と女王陛下の魔法で押さえてる」
「わかりました。ペイアーさん、あなたはホールへ、そこで城内の者に順に事情聴取をしております。ロージーさん、すでに陛下からご命令があったと思いますが、ヴィオラ様の捜索をよろしくお願いいたします。ワタシも後ほど参加いたします」
「わかったわ。そうだ、マデルは? あいつ、ヴィオラ様になり替わろうとするなんて……絶対に許さない!」
「もちろん確保しております。今、話を聞きだしている状況です……お二人は父さ……父の行方をご存じですか?」
「いいえ、ルコウ様は殿下にも行先を告げられなかったそうよ……でも、結婚式までには帰ってくるとおっしゃっていたから、王都の近くまで来ているかも」
「わかりました」
「地下は魔力が乱れているから、気を付けて」
あくまで冷静に必要なことだけ伝えるとフランメはこくりと頷いて地下牢へと下りて行った。
しかし、フランメの内心は決して冷静でも穏やかでもなかった。いつも頼りにしている父はおらず、国の危機ともいえる状況で心が押しつぶされそうなほど不安を感じていたが必死にそれを表には出さないようにしていた。
地下牢まで下りると、鎖でぐるぐる巻きにされていて、床に倒れているシオンの姿があった。反応のないシオンにスィラとラナンが呼び掛け続けているようだ。
フランメの額から汗のしずくが流れる。
(どうにか、父さんが戻って来るまでぼくが殿下を持ちこたえさせなければ……殿下はヴィオラ様を失い、正気を失いかけている。こんな時、父さんならどうする………考えろ、考えろ……)
フランメが一呼吸置き、ヴィオラが消えた後の牢屋の中を観察する。
そして、考えをまとめてから、シオンの傍に座る。
「殿下……シオン殿下、しっかりなさってください」
「……」
「ヴィオラ様は生きている可能性が高いです。もしお命だけが目当てなのなら、ここですでに殺されているはずです。しかし、ご遺体はありません。暗殺が目的ならば、生死がわからなくなるのにわざわざご遺体を持っていくことは考えにくく、誘拐が妥当なところかと思われます」
「フランメ言葉には気を付けて! 今のシオンはとても不安定な状態なの、刺激しては何が起こるかわからない!」
「ワタシは可能性の高い予測と事実のみ話します。しっかりと現実に向き合ってください。あなたはこの国の未来を担う王族なのです」
「……未来……この国の……」
やっとシオンが口を開いて、かすれた声でつぶやいた。
彼の頭にはヴィオラとの会話が思い出される。一緒に未来を考えようと言った彼女の微笑みが優しい声が、全て遠い昔のように感じる。
しかし、まだ反応が薄く、瞳には光が宿っていない。
「誘拐ならば犯人から声明が出されるはずです。それまではヴィオラ様は大切な人質でありますから、命の保証は……」
フランメが話す内容に反応がなく、しまいにはさめざめと涙を流し始めた。
それにしびれを切らしたフランメがシオンの首根っこを掴み、ぐらぐらと激しく揺さぶる。
ラナンが止めようとするが、スィラがそっと様子を見るようにと促した。
「腑抜けている場合か!? シオン・フィリア・バシレウス!! さっきから生きている可能性があると言っているだろうが!! その可能性に縋れ! 最後の最後まで諦めるな! もし、ヴィオラ様が殺されたなら、その犯人の息の根を止めるまで追い詰めて、ブチ殺すくらいの気合を見せろ!! そんな腑抜けに忠誠を誓った覚えはないぞ!!」
フランメは普段こんな怒鳴り声をあげることはなく、言い切ったときには息切れを起こしていた。まだ、シオンはがっくりとうなだれていて、力というものが感じられない。
「はぁ、はぁ……殿下、ヴィオラ様は誘拐されて、恐怖で怯えているのですよ……あなたが助けず、いったい誰が助けると……」
「ヴィオラは…………おそらく、自分から出て行くことを決めたのだ……」
「は? そんなわけ……」
「思い出した……僕は昨日、彼女に赦されないほど酷いことを……彼女をひどく傷つけてしまった……あの時はどうかしていて……ただ、彼女を傷つけたのは事実だ……さらにこんなことまで……これでは、僕の目の前からいなくなると決めても仕方がない……」
シオンは静かに涙を流し続け、フランメの瞳が動揺で揺れた。
それでも、引き下がるわけにはいかない。必死に動揺を抑え込んで、改めてうなだれるシオンに向き合う。
「ぼくは……ヴィオラ様を初めてお見かけした時、なんてお人好しで、弱くて、王族なんてとても務まらないだろうと思っていました」
「……っ!」
「けれど、違いました。努力をやめず、歩みを止めず、人を信じる優しさはヴィオラ様の弱さではなく強さでした。そして何よりもその力の源はあなたとともにこの国で生きていきたいというお気持ちでした。それが、たった数時間共に過ごしたぼくの印象です……けれどあなたはもっとしっかりヴィオラ様を見ていたのでしょう? そのあなたが彼女を信じることを諦めてしまうのですか? 彼女のあなたを想う気持ちをないがしろにするのですか?」
「ヴィオラの……僕を想う気持ち……」
目を閉じるとヴィオラとの今までの思い出が、話したことが、彼女の優しい微笑みが、くっきりと思い出される。再び目を開いた時には、シオンの瞳に光が灯る。
「父上、母上、魔封じを解いてください。もう大丈夫です」
声には力が戻っていて、ラナンもスィラも心からほっとした。
光の鎖は立ち消え、シオンはすくりと立ち上がる。
「フランメありがとう、僕は最悪のことばかりを考え怯えて、彼女のことを考えていなかった。それこそ本当に愚行だ……」
「度重なる非礼をお許しください」
「いい、ヴィオラを助けたい。力を貸してくれるか?」
「はっ」
シオンが手に魔力を込めると光があふれ出てくる。大きな魔力は周りの空気を揺らめかせる。魔法の光は鳥の姿になり、すさまじい数の鳥が作られ、牢屋から外に向かって飛び立った。
「とりあえずここ一帯を捜索させる。おそらく皆では探しきれていないところがあるからな」
「……まさか、王族の隠し通路でしょうか? その存在を知るものは限られますね」
「うむ、それとヴィオラともう一人探し出す必要がある」
「はい、誰でしょう」
「使用人統括者チャフドット・イクリス。あの夜、思えばチャフドットの様子がおかしかった……今日は休みをだしていたとは思うが……」
「承知しました、彼の捜索も含めます」
シオンはラナンとスィラに感謝の意味を込めて頭を下げて、階段を駆け上がっていき、その後ろをフランメがついていく。
(こんな駄目な恋人でごめん……だけれど、君のことを諦めたくはない……必ず探し出す! 無事でいてくれ、ヴィオラ)




