59.失う
無理やり、流血、暴力的な表現注意です
夜になり、ヴィオラは今日は早く眠ろうと部屋に向かった。
部屋まで付き添いをしてくれたのは亜人族の使用人の男性で、名前をチャフドット・イクリスといい、垂れたふわふわな耳が犬を思い出させた。
ヴィオラが部屋に入ろうとしたとき、彼が「今日はお部屋に香を焚いておりますが、何かありましたらすぐに火を消してください」と何故か神妙な面持ちでヴィオラに告げた。
ヴィオラは彼の顔色がよくないことを心配して声をかけたのだが、チャフドットは大丈夫ですとだけ言って立ち去ってしまった。
(イクリス様、大丈夫かな?)
ヴィオラは、心配になりつつも部屋に入った。
(殿下はもうお休みになっているかな? 今日も忙しかったし……わたしももっと勉強して、早く殿下とお仕事を一緒にできるようにならないと)
ヴィオラが寝室の扉を開けた時、チャフドットの言っていた香の独特な香りが寝室に充満していた。ヴィオラはその香の甘い香りにくらりときて、足元がふらついた。
(う、これはちょっと強すぎるんじゃ……イクリス様は消してもいいっていっていたし、消そうかな)
ベッドの隣に見える香を消そうとヴィオラが近づく。シオンはすでにベッドにいたのだが、毛布を頭に毛布を被っていてどうしてか息苦しそうにしているのが聞こえた。
「殿下? 大丈夫ですか、きゃあ!?」
ヴィオラがシオンに近づくと突然引っ張られてベッドに押さえつけられた。
掴まれている腕は折れてしまいそうなほど痛く、シオンの様子は明らかに正常ではない。瞳も虚ろで、ヴィオラを映しているかどうかもわからない。
「殿下? どうされたのですか? 落ち着いて……ゔっ……」
シオンにがぶりと首筋を急に噛まれた。嚙む力は強く、しかも鋭い歯は容易くヴィオラの柔い肉に食い込んでおり、血が流れているのがわかる。
シオンを押しのけようとするがびくともしない。
「シ、オン……やめ、おねが……っつ!?」
シオンが手を離してくれたと思えば、ヴィオラの服を素手でびりびりと胸元から破き始めた。ヴィオラは困惑と恐怖で声が出なくなってしまった。
(シオンこわい、何を考えているの? 怒っている? わからないっ、こわい、こわいっ……!)
ヴィオラの服は無残に破かれて、ヴィオラの身体の傷痕があらわになる。
シオンの考えが全く理解できず恐怖の中、か細い声を絞り出す。
「お、おねがい……シオ……」
ヴィオラの懇願する声を聞いて、シオンの動きが鈍り彼の赤い瞳がひどく揺れ動く。
しかし、シオンは止まることなく、がばっと口をまた開いたので噛まれると思ってヴィオラは身を固くした。
シオンはヴィオラの口をふさぎ、何度もヴィオラをむさぼるように唇を重ねる。その行いにヴィオラへの気遣いはなく、ただ欲におぼれているようだった。
シオンに貪られている場所は火に触れたように熱いのに、シオンに求められているというのに、頭は酷く冷たい。
(どうして、こんなことに? 待ってくれるって言ったのに……違う、わたしがよくなかったんだ……シオンに我慢させてしまった。不安にさせてしまった)
ヴィオラはそれほどにシオンを不安にさせてしまったこと、シオンが約束をなかったことにしてしまったこと、いろいろな感情が混ざって表情が暗くなっていく。
(わたしがシオンを傷つけてしまった……だから、こんなことを……)
「ごめん……ごめんなさい、シオン……ごめんなさい」
ヴィオラの瞳から一滴、涙が流れた。
それに気づいたシオンがヴィオラから離れる。
「僕は……僕はいったい何を……」
未だぼんやりとする虚ろな視界には一番大切にしなければならない人が自身の手で身体と心を傷つけられ、涙を流している。数秒前までの自分の行動が全く理解できず、自分のしてしまった行いに嫌悪と吐き気さえし始めた。
「ヴィオ……」
名前を呼びかけたが、ヴィオラの瞳は怯えが支配し、反射的に自分をかばうようにシオンに背を向けた。
ヴィオラ自身、シオンに対して拒絶するような態度を見せてしまったことに困惑していた。
「ごめん……」
シオンはヴィオラに毛布をかぶせ、逃げるように寝室から出て行った。
一人になった部屋の空気はまるで雪が降る日のように冷たい。
(ごめん……ごめんって、どういう意味……?)
ヴィオラも放心状態になってしまい、ただ、静かに涙が流れてきた。
(シオン……わたし、あなたを傷つけて……あなたを拒絶してしまった? どうしてこんな、こんなことに……)
ヴィオラは視界が真っ暗になり、吐き気と耳鳴りに襲われ、その場で気絶してしまった。
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シオンは自分の愚かすぎる行いに困惑して一人、城の一番高い場所の屋根に登って外の冷たい空気で頭を冷やしていた。
未だに頭はハッキリせず、酷い吐き気に襲われ、頭は大きく揺らされているように感じる。
口の中はヴィオラの血の味がする。
本当に自分は怪物に堕ちてしまったのかと、恐怖で手が震える。
「どうして僕はあんな馬鹿なことを……? ヴィオラを守ると誓いながら、自分の欲望を止めることもできず、ヴィオラを傷つけてしまった……これではもうヴィオラに触れる資格などない……」
服のポケットからヴィオラからもらったサシェを取り出す。
いくつも種類をもらったので、宝物箱に入れて、毎日ひとつ選んで肌身離さず持つようにしている。
ほんのりと香る花の香りが心を優しく癒してくれる。
自分のために手間をかけて用意してくれたものだ。
サシェの布袋に施された刺繍を見つめる。
ひと針、ひと針、自分のためにさしてくれたと想像するとヴィオラへの愛おしさがとめどなく湧き上がる。
「本当に、僕は……彼女のことが愛おしくてたまらないのに……本当に酷いことを……謝っても赦されないことをして……いや、違う今は悩んでいる場合では、それよりも先にペイアーに彼女を診せなければ、怪我をさせてしまった………あんなに傷つけて……」
シオンは自分の愚かさとヴィオラへの罪悪感で涙を浮かべ、ふらふらと立ち上がってペイアーの部屋へと向かった。
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城の一室で話声がする。
「言われた通り、殿下とヴィオラ様の寝室にあの香を焚いた。それにここまでお前たちを通した。もういいだろう? 頼むから息子を返してくれ!」
「ええ、とても助かりましたわ。ふふっ、これで殿下があの娘を噛み殺してくれていたら一番良いのだけど」
「……殺す?」
「そうよ、あの香は本能を刺激し、理性を失わせる劇薬……ふふっ、特に竜族には良く効きますのよ。それを私がさらによく効くように特別に調合しましたの。言ってなかったかしら?」
「おい、聞いていないぞっ!? あれはただ気持ちを苛立たせるくらいの物って……それで、殿下とヴィオラ様を仲たがいさせると言っていたではないか!?」
「まさか、それを本気で信じているの? ふふ、あはは! 本当にあなたみたいな人って大好きよ。愚かで哀れで、とても好き」
「……っもう信じられない! お前たちのことを今からでも女王陛下に告発する!」
「あら? 息子さんはもういいの?」
「初めからこうすべきだったんだ……このようなことをして許されるはずがない。陛下ならばお慈悲で息子のことを見逃してくださるかもしれない。私は命をもって今回のことを詫びることにする……!」
チャフドットが踵を返して部屋から出て行こうとすると、身体が突然動かなくなって、床に押さえつけられた。
「あなたって本当に愚かなのですね。こういうことはバカ正直に目の前でいうものではありませんよ……あまりの愚かさに私、驚きで声もでませんでした」
「ぐっ、防御魔法が効かないっ?」
「あぁ、もしかして自分の魔法に自信があったのですね。なるほどあなたの愚行に納得がいきました。知らなかったのならしかたありませんね、あなたが私にかなうはずないではないですか……大妖精をも超える魔法使いである私に」
チャフドットは悲鳴もなく、その場に白目をむいて意識をなくした。
「あーあ、別に明日にはあなたの息子さんを返してあげようと思っていたのに……まったく残念ですわ」
「うげっ、その人死んじゃったの!? ちょっと! 死体とか気持ち悪いんだけど!」
若い女が騒ぎ出す。その言動は他人への優しさも憐れみもなく、実に自己中心的だ。
女性は今行った邪悪な行動がなかったかのように、微笑みを見せる。
「マデル様、不快なものをお見せして申し訳ございません」
「それで、あいつは結局死んだの?」
「そうですね……生きている可能性が高いですね。城が静かすぎますから」
「えぇ!? じゃあ、マデルの邪魔またされちゃうかもしれないじゃない! どうすんのよ!?」
「ご安心ください。私の術の準備は済んでおります。あとは流れるままに、マデル様のしたいようになさってください。ただし、私の申しました注意点だけはお守りください」
「へ? え、えーとなんだっけ」
マデルは、ごまかすように首を自分が可愛いと思う角度にかしげる。
このような腹の立つような仕草にも、女性はいら立ちなど見せず、優しく諭す。
「猶予は3日間、その間この城の者の記憶を書き換えます。その間、マデル様はあの娘を思い出させるような物……衣服、装飾品、全てを殿下の目に届かないように処分なさってください」
「そ、そうだったわ!」
「けれど、注意なさってください。記憶の書き換えとはつまり、今まであの娘がしてきたことをマデル様がしたことに、そしてマデル様がされてきたことはあの娘がしたことになります。その記憶と現実に差異が大きいと周りの者は違和感を覚えます。大きな違和感は呪術を3日過ぎるよりも早く解いてしまう結果となるでしょう」
「ちょ、ちょっと難しいこと言わないでよ! 手っ取り早くあいつのことを忘れさせて、マデルをシオンさまのお嫁さんってできないの!?」
「残念ながら、記憶は扱いが難しいのですよ」
「もうっ、役に立たないんだから!」
マデルはふてくされて女性に不満を吐いて、どっかりと近くの樽の上に座った。
「さて、心の準備ができましたら、今から貴女様に情報をお渡しします。今まであの娘が行ってきたことの記憶を……」
「ど、どうやって?」
女性がマデルの額に人差し指をあてた時、マデルに頭が割れてしまうのではないかと思うほど激痛が走った。
マデルはそんな痛みに慣れているはずがなく、痛みに泣き叫んで鼻水を流し、樽から落ちて床に転がり回った。
「いたいっ! いたい、いたい!! いたい!!!」
「よく辛抱されました。これで情報がマデル様の頭の中に入りましたでしょう?」
「うううぐえええ」
「さぁ、これから頑張りましょうね、マデル様」
女性の邪悪な笑みが暗闇に浮かんだ。




