40.解放
城に帰るのは何とかなる、とシオンが言っていて一体どういうことだろうと思っていたが、教会近くの森に行くと森の暗闇でカランという乾いた音が聞こえ、小さな明かりが見えた。
シオンに手を引かれながらその小さな明かりを追いかけ続けると、呪いが解けた白く美しい城の姿が見えた。離れてから1日もたっていないはずなのに、城に帰ってきたのがずいぶん久しぶりに感じた。
「すごい、霧が出ていないのに、帰ってこられました!」
「うむ、そうだな」
「どうしたのですか、難しい顔をして?」
「いや、もういいのだ……」
ヴィオラが首をかしげたが、シオンに優しく「さぁ、皆のところに行こう」と言われて、頷き微笑み返した。
城は実にあわただしい様子で使用人たちが動き回っており、シオンとヴィオラが玄関ホールに現れると使用人たちは歓喜の声を上げた。
『殿下ー!! ヴィオラ様―!!』
『呪いが解けたのですね!!』
『やっとヴィオラ様と……あぁ、よかった!』
感涙の涙を流したり、抱き合ったりする使用人たちの間をロージーがかき分けて現れた。
「あぁ!! 殿下っ、ヴィオラ様!」
「ロージー様!」
「きゃあ!? ヴィオラ様お怪我をされたのですか!? ペイアー! 早く来てちょうだい!」
ロージーは涙を流してヴィオラとシオンの帰還を喜んだが、ヴィオラは白いウェディングドレスにべっとりついているシオンの血と指先が血で固まって赤黒くなってしまっているのを見て、ロージーは悲鳴を上げた。
「わたしは大丈夫ですよ、それより殿下をペイアー様に診ていただけませんか? 呪いが解けたのですがその前にひどい怪我をされていましたし」
「僕は大丈夫だ。こっちに戻ってきてからすこぶる調子がいい。ヴィオラ、君の方がきちんと診てもらった方がいい。指先だって怪我をしているし」
「ですが、あんな……」
ペイアーが騒ぎを聞きつけて空を飛んでやってきて、シオンとヴィオラの前に降り立った。いつも余裕な笑みを浮かべる彼が目を見開いて、静かに涙を流し始めた。
「ペイアー様……」
「はっ、あっ、ちょ、ごめん。うそ、オレ泣いてんの!? 自分ですげーびっくりした」
「そうだ、僕たちの呪いがついに解けたんだ……これもヴィオラと皆のおかげだ……その……ありがとう」
シオンが恥ずかしそうにだがしっかりとお礼を伝えると、騒がしかった玄関ホールがしんとした。
シオンが急に静かになったものだから、不思議に思って顔を上げると使用人たちが皆ぽかんとした表情になっていた。
『……』
『…………』
『うあああああん! 殿下が! 殿下がお礼を述べられたぞ!』
『きゃああ! お祝いよ! 素直な殿下が戻られたお祝いをしなきゃ!』
先ほどよりも倍に使用人たちが騒ぎ始めた。
シオンは恥ずかしさとげんなりした気持ちで苦々しい表情になった。
ヴィオラは微笑んでシオンの背中をさすった。
「ヴィオラ!」
ヴィオラに聞き覚えのある声だった。
使用人たちの間を細い枯れ枝のような腕でかき分けて走って来たのは父の姿だった。屋敷では出会わずどこに行ってしまったのだろうかと心配していたのだが、まさかここにいるとは想像していなかった。
ヴィオラが驚いて固まっていると、シオンがそっと耳打ちする。
「君の父上が僕を呼びにこの城まで来たんだ。今思えば君の父上が来るまで僕たちはどうしてか深い眠りについていて、意識のない状態だった。助けに呼びに来てくれなかったら、今頃………」
ヴィオラが父を見つめる。
父はヴィオラが心配で飛び出てきたというのに、今はバツが悪そうに固まってしまっている。
シオンが「大丈夫、君の思った通りに言えばいい。何があっても、僕が傍にいる」と優しくささやいてくれて、ヴィオラはシオンに頷き、勇気を出して一歩、父の前に踏み出した。
「あの……お父さま……お身体は大丈夫なのですか?」
「え? あ、あぁ、ここの医師に診てもらったが、心身の疲労と栄養失調だそうで、よく食べて休めば良くなるらしい……」
「すみません、わたしがお父さまを追い詰めてしまったのですね……」
「違うんだっ! 私がお前を身代わりにしたのが……いや、私がすべて悪かった。どうか謝らせてほしい」
細くなった父がヴィオラの目の前で膝を折り、床に頭をつけた。
その姿を見るとヴィオラの胸がいっそう苦しくなる。
「今まで本当にすまなかった! リリィが……お前の母が亡くなってからずっとお前に負担を、苦しみをかけてしまった……本当に、申し訳ない」
父の声は涙声になり、鼻をすする音がする。
「負担……苦しみ……お父さまは何を見てきたというのですか? わたしの何を……!」
ヴィオラは縮こまり泣いて謝る姿を見て、今まで十数年間ため込んできた感情が堰を壊してあふれ出し、瞳からぼろぼろと大きな涙が流れ始めた。
「お前の言う通りだ。私はお前の事を見ようとしなかった。嫌なことから逃げ続けた。お前の母が亡くなってから、幼いお前には母が必要だからと結婚したといったが……あれも嘘なんだ。私が耐え切れなかったんだ。リリィがいないという事実に……誰かに埋めてほしいと思ってしまったんだ」
「わたしっ、わたしすごく嫌だったんですよ! お父さまがいきなりあの人たちを連れてくるから! すごく、すごく嫌だったんです! でも、本当は、初めは……嬉しい気持ちも……あったんです。家族が増えるって……でも違った。あの人たちは初めから家族になんてなるつもりはなかった。人を虐げて喜ぶような人たちだった……どうして、わたしがあの人たちから、嫌なことをされていると言った時、聞いてくれなかったの?」
「……ハイドラの言ったことを信じて……いや違う。気づいていたのに、気づかないふりをした方が……私にとって、楽だったからだ。本当にすまない」
「わたし、あの人たちからずっと……デルフィスにだって、あの人が夜な夜なよぶ男の人たちにも……何回も怖い目にあってたのに……ひどいっ、ひどいよ……」
「返す言葉もない……本当にすまない……」
「でもっ、一番いやだったのは……やっぱりお父さまがお母さまのこと忘れてしまったのかもって、思ったこと……だから、新しい人を連れてきたんだって……もう、お父さまはお母さまのことどうでもいいの!?」
「そんなことはない! いや、説得力なんてないだろうが、一度たりとも彼女を忘れたことなんてない! それは本当なんだ!」
「……本当に?」
「あぁ、リリィもお前も私にとってかけがえのない存在なんだよ」
ヴィオラは怒りと悲しみで今だ涙がとめどなくあふれてくる。
父は力なく謝罪の言葉を述べていたが、母のことを話すときは言葉に力がこもっていた。
ヴィオラが父の前にへたり込む。
「……さっき、お母さまのお墓にお祈りに行きました。お墓はきれいなままで、お母さまの好きなお花が供えられていました……お父さまなのでしょう?」
「あぁ……」
「わたしが連れ去られたとき、殿下に助けを求めにここまで来てくれたのですよね……?」
「……あ、あぁ……」
ぽつりぽつりとヴィオラが話すことに静かにナルキが頷く。
ヴィオラは流していた涙をぬぐって、しばらく黙ったが、ナルキはじっとヴィオラの言葉を待った。
「お父さまは怖がりで、不器用で、寂しがりで……そんな人ですけれど、でもやっぱりわたし、お父さまのこと嫌いになりきれないのです……でもまだ、赦しきることもできないのです。ごめんなさい」
「そうか……」
「ただ……もう少しだけ、これからお話ししてくださいませんか? お互いのこと……」
「い、いいのかい?」
ヴィオラがこくりと頷くと、ナルキは希望の光を見出して、瞳に光が戻った。
ヴィオラはナルキを支えて立ち上がらせた。
辛抱強く待っていたシオンがヴィオラの傍に寄る。
「ヴィオラ、この大変お美しい方は? こんなにお美しい方なかなかいないぞ!」
「もう、お父さまっ! すみません殿下、父はその、美しい人や美術品が好きで……」
「……? 殿下?」
ヴィオラは父にシオンのことを説明すると青白い顔が土気色にまで変わってしまった。
「たっ、大変失礼いたしました! この度は娘をお救いいただき、感謝の言葉もございません!」
「ふむ、よい、許す。僕の美しさに目をつけるのはよい美的感覚だ」
(殿下ってば、お姿が戻られてからすごく浮かれてる? まぁ、それはそうよね……1年だもの)
「で、そ、そのヴィオラ、もしやこの方と……恋仲なのかい?」
「えっ!?……は、はい」
「そうだぞ! 僕の誕生日に、ヴィオラと僕は婚姻を結ぶのだ!」
「きゃーーーーー! そうなのっ!? そうなのおおおお!?」
会話に挟まってきたのは、聞いたことのない実に浮かれた女性の声だった。
ヴィオラたちが声の方に顔を向けると見たことのない、高貴な服を身にまとった女性と男性が立っていた。
二人ともシオンに劣らず背が高く、額からシオンと同じ角が生えていて容貌が美しい。女性はシオンと同じ銀色の髪と柔らかい面持ちで、男性の方は燃えるような赤い髪に切れ長の鋭い目つきをしている。
ヴィオラは自然と二人はシオンの両親だと想像できたのだが、どうしてこの二人がこの城にいるかまではわからなかった。
「父上! 母上!? なぜここに!?」
「そりゃもう、ルコウから呪いが解けたって連絡があったから、だからパパとママ来ちゃった♡」
「来ちゃった、って……」
使用人たちの集まりを見ると、ルコウがにこにことしながらお辞儀をするのが見えた。
しかし、シオンは正直母親が来るとうるさくなるので、ヴィオラをゆっくり休ませてあげられなくなる想像ができ(今じゃないだろう!)と心の中で怒鳴った。
「それで、この子がしーちゃんの番ね!」
「お初にお目にかかります、国王陛下、女王陛下、ヴィオラと申します(しーちゃん?)」
「きゃあ! なんてお行儀のよくてかわいい子なの! あらでも、怪我してる!? うそ、大丈夫!? いやあ! ペイアー! ちょっとこの子を診て!」
行儀よく挨拶をしたのだが、女王にぎゅっと抱きしめられて胸に顔をうずめられてそれどころではなくなった。
ヴィオラは女王陛下にロージーを重ねたが、それ以上にも感じた。
シオンが急いでヴィオラを引き寄せて母親から離れさせ、自分の後ろに隠した。
「母上、彼女が息ができないではないですか!」
「あら? ごめんなさい、つい……もう、だって嬉しいのだもの! だって生まれてずっと番のつの字もなかったのよ! こんなに美しいのに! 169年間もよ!」
ヴィオラがシオンの年齢を聞いて身体がぴしりとかたまる。
この世界に関する本をいろいろと読み進めていくうちに、この世界の独特な暦の書き方、王族の統治時期の異様な長さにもしやとは想像していたが、本当に人間よりも竜族であるシオンはずっと長生きなのだという事実を突きつけられた。
それは、ヴィオラにとってシオンとの早すぎる別れを意味していた。
ヴィオラの顔が暗くなっていることに気づいたルコウが傍に寄りそっと耳打ちをする。
「ヴィオラ様、驚かれたことでしょう。この世界に生きる者はみなあなた方が生きる世界よりもずっと長く生きているのです」
「……じゃあ、わたし……」
シオンの寿命は自分よりもずっと長く、彼にとって短い間しか一緒にいられないのかと思うと、ヴィオラの心がずっと重たく悲しくなった。
それを察してルコウが優しく微笑んだ。
「安心なさいませ。お気づきではないでしょうが、ヴィオラ様がここに過ごされるうちにこの世界に少しずつ溶け込んでおられます。身体が変化してきているのです。きっとお考えよりも長く殿下と一緒にいられますよ」
「本当ですか!?」
ルコウがこくりと頷く。
ヴィオラはこれからも長い間愛しい人と過ごせるということと、彼を独りにしないで済むことに心から感謝した。
「ルコウ様、でもどうしてそれほどお詳しいのですか?」
「ほっほっほ、年の功というやつですよ」
はぐらかされた気がするが、とにかくルコウが言ってくれるとなんだか安心感がわいてきたので、それだけで今のヴィオラには十分だった。
「……ですから! ヴィオラは今とても疲れているのです! 式の話は後にしてください!」
「えぇ!? まぁ、でもそう、そうよねぇ……」
シオンとシオンの母はまだ言い合いをしていたのだが、やっと落ち着きが見えてきた。シオンが母からヴィオラの平穏を勝ち取ったようだ。
「でもあなたに番が見つかって本当によかったわ。初めは呪いだなんてどうなっちゃうんだろうと思ったけど、ぺロージアにあなたのこと相談してよかったわ」
「相談……?」
シオンの母が明らかにしまったという顔をして、口をふさいだ。
後ろで静かに見守っていた父も頭を抱えている。
嫌な予感がして、シオンが母に詰め寄る。
「母上、どういうことでしょう? 一体、誰に、何を、相談したのですか?」
「ち、違うのよ、あたしは彼女に息子に番が見つからないのよねーって愚痴をこぼしただけで、まさか呪いをかけるまでするなんて思わなかったのよ」
やっと点と点が繋がった。
どうしていきなり妖精がこんなことをしでかしたのか、何故シオンの恋人を見つけるためのような呪いをかけられたのか、何故定期的に女性がこの城を訪れたのか、何故心配性の父と母がずっと距離をとるような態度をとっていたのか。
シオンの怒りがふつふつと湧いてきて、それは彼の髪の毛が真っ赤にそして本当に炎のように燃え上がったことで現れた。
「母上!!! いったいどういうおつもりですか!!??」
「ああ! ごめんなさい! 本当に呪いまでかけちゃうだなんて思わなかったのよ! でも彼女、呪いは条件を満たさないと解けないっていうし、どうしようもなくて」
「妖精に軽はずみに話をしないでください!! 常識ですよ!!」
「ご、ごめんなさい! でも彼女は友達なのー!」
周りの使用人たちはやれやれやっぱりそういうことか、と口々に話していた。
彼らにはそういう事情があるのだろうと予想がついており、だからこそ今までヴィオラとシオンの関係を応援してきたのだ。と言っても結局途中から、みんなヴィオラのことが気に入って、ただヴィオラのことを応援していた。
シオンが怒り狂うのを見て、ヴィオラが彼の手を握る。
シオンはヴィオラを見ると、本当に不服そうに母を睨みながらも落ち着いたのか息を吐いて、髪ももとに戻った。
静かに見守っていた父が母の肩を抱いて、口を開いた。
「すまない息子よ。ただ、本当にラナンはお前のことを心配していたし、妖精のしたことは予想外だったのだ。呪いがかけられたと聞いたあと、何度も話し合いに行っていたのだよ」
「……なら、どうして話してくれなかったのですか?」
「呪いを解くために番を見つけろと言われてもお前はそうしないだろう。さらにこじれるのが容易に想像できたからだ」
「ぐぬぬ……」
さすが父親だ、彼のことをよくわかっている、とヴィオラは心の中で感心した。
「今まで不自然に女性が城を訪れていたのは、あれは父上と母上の仕業ですか? まさか、ヴィオラもそうだとは言いませんよね!?」
「たしかに、しばらくは志願者を募ってお前のいる城に送ったが、ことごとく駄目だっただろう。それにヴィオラさんのことはまったく関与していないよ。あの霧だって、未だによくわかっていないんだ」
シオンはほっとしたのか、ヴィオラに「ごめん、確認だけは取っておきたくて」と気まずそうに言ったがヴィオラもわかっているので優しく微笑んで「大丈夫、わかっていますよ」と返した。
「理解はしましたが、納得はしてませんから! 僕だけならともかく使用人たちも巻き込んで……」
使用人たちを見ると、シオンの言葉に感動しているのかじんとして、みんな目がウルウルしていた。
ヴィオラがシオンの肩をとんとんとすると、シオンが耳を寄せてくれた。
「今度は殿下がお母さまと仲直りするときはわたしがお傍にいますからね」
シオンが驚いて目を見開いてヴィオラを見ると、ヴィオラは邪気のない笑顔で微笑み返す。シオンは毒気をすっかり抜かれて、落ち込む母に向き直る。
「……ちゃんと、使用人にも謝ってください。それ以上僕はもう何も言いません」
「へ? ほ、本当?」
「謝罪は心からですよ!」
「えぇ! えぇ、もちろん!」
母はぱあっと表情が明るくなりとびきりの笑顔になる。
早速行動だと、使用人たちの集まりに走っていく。
シオンの父が母を眺めて目を細める。
「うむ、ラナンは今日も愛いな…………さて、ヴィオラさん」
「は、はい、陛下」
「そんなにかしこまらなくていいよ。ただ、お礼を言わせてくれ、息子と向き合ってくれて、ありがとう」
「そんな、こちらこそ……殿下にはずっとわたしのほうが本当に助けられてばかりで……」
「そうか、お互いにいい関係が結べたのならよかった」
シオンの父は穏やかな人の様で、鋭く無表情だったのが、にこりと微笑むととても心が和んだ。
「少し、シオンを借りてもいいだろうか、君は見るに何かいろいろとあったようだし、休んだ方がいい」
ヴィオラがシオンを見ると「またあとで行くから」と安心させるように額にキスを落とす。
ロージーにヴィオラに付き添うように言って、父と二人で話せるように場所を移した。




