38.かじりあって
「本当に行くのですか?」
「無理にとは言わないが、できればちゃんと見たい」
「……あまり、いい状態な気がしないので、ご気分を害されると思うのですが……」
「それは承知の上だ」
「わかりました。わたしも用があったので、殿下が一緒に行ってくださるなら、頑張れそうです」
シオンが行きたいと行っていた場所はヴィオラの育った屋敷だった。
彼はヴィオラの育った場所をきちんと見て受け止めたいと言ってくれて、ヴィオラは悩んだがシオンの気持ちに応えることにした。
静かに誰にもばれないように屋敷の裏の厨房から屋敷に入った。
屋敷は酷いありさまだった。ほこりだらけで、壁紙はどうしてかはがされている場所もあって、どこからかむせかえるような甘い臭いが漂う。
「ひどい……」
ヴィオラが悲しみのこもった声でつぶやくとシオンは優しく肩を引き寄せた。
すると、廊下に面した扉がゆっくりと開き、一人の女性がよろよろと頭を抱えて出てきた。
「あの人は……」
「えぇ……あ、あぁ……っ頭痛い……あれぇ、デルフィスさまはぁ? デルフィスさまはどこぉ?」
「ヴィオラ、あの人間は?」
「父の……今の奥さまです」
出てきたのはヴィオラの継母のハイドラだった。
彼女は綺麗なひとだったが、今は髪もぼさぼさで、目は虚ろ、呂律は回っておらず、どうやら漂う甘い臭いは彼女からだったようだ。
ヴィオラは虐待されていたことによる恐怖を思い出し身体が硬直してしまっていたが、ハイドラがヴィオラに向かってよろよろと歩いてきたときに、シオンがヴィオラを後ろに隠して守ってくれた。
すると、ハイドラがシオンの服の裾にしがみついて情けなく、ぼろぼろと涙を流し始めた。
「あああぁ……デルフィスさまぁ! 彼がいないと買えないのぉ! いつもお酒を買うお金をくれるのにぃ……デルフィスさまぁ……」
「なっ……これは……」
シオンはおそらくこの人間が酒の依存症に侵されていると考えが及んだ。
しかし、それと同時に、おそらくそのためにこの人間に金を渡していたデルフィスという人間のおぞましさとヴィオラに傷をつけ続けた人間がこのような目にあっていることへの冷ややかな満足を感じている自分に気づいてしまった。
とっさに振り返るとヴィオラの困惑と怯えの混じった表情が見えた。
「ヴィオラ行こう。この人間はもう駄目だ」
「だめ、とは……」
駄目、という言葉に「死」を想像したのだろう、こんなひどい目にあわせた人間にまでヴィオラは憐れみを抱いてしまっている。シオンは正直この人間に憐れみを抱けるほど優しくはないのだが、ヴィオラの前ではそれがばれないように演技をした。
「酒で我を失っている。おそらく依存症になってしまっているのだろう」
「ど、どうしたら……」
「僕たちにできることはない。あとでしかるべき人間に僕から伝えておこう」
「あの、しかるべき人間って……?」
「今は行こう」
シオンはしがみつくハイドラを振り払い、ヴィオラの手を引いた。
先を行くシオンに手を引かれつつヴィオラは振り返るとハイドラが惨めに縮こまっている姿が見えた。
どうしていいか考えがまとまらず、ヴィオラはシオン言葉を信じてともに先に進んだ。
ヴィオラは自分の部屋に入り、おきっぱなしにしていた母の手記や料理のレシピを鞄に詰め込んだ。
シオンはヴィオラの部屋をきょろきょろと見渡しているのだが、顔がなぜかぎゅっと鼻に皺を寄せて渋い顔をしている。
「よかった、レシピはそのまま……あの、先ほどからどうされたのですか?」
「ん? あ、あぁ、なんでもない……」
本当はものすごくなにかあった。
ヴィオラの部屋のはずなのに、あの男の臭いが色濃く残っている。
あの男がこの部屋で何をしていたのかを想像すると吐き気と殺意でどうにかなってしまいそうだったし、こんなことをヴィオラに伝えるつもりはない。
「それよりも、ここがヴィオラの部屋か……」
「はい、幼い時からずっとここですよ。あの、家具が子供っぽいかもしれませんが、買うお金がなかっただけですからね。今はもう少し大人なんですから」
変なところに意地を張っているヴィオラに可愛らしさを感じるが、それよりもこんな屋敷に住みながらも本当にお金がなかったのかと思うと胸が苦しくなる。
「今さら思うと馬鹿な選択をしたものです……こんな屋敷なんて早く売ってしまって、質素に暮らしていればよかったのですが……」
「でも、この屋敷が大切だったのだろう?」
「大切でしたが……本当に大切だったのはこの屋敷で母と過ごした思い出で、屋敷そのものではなかったのです……それに、わたしも父もはやく気づけばよかったのです……」
「単純な話ではない。それに人生の中で、常に最善の選択ができるわけでもない。いろいろな状況がかさなったのだ」
ヴィオラは王子もまた呪いをかけられたときに、間違った選択をしたのだということを思い出した。
そして、今その経験を乗り越えて自分に励ましの言葉をくれる彼の優しさに心が温かくなる。
「ありがとうございます。不思議ですね、殿下の言葉も行動もいつもわたしの心を軽くしてくださるのです」
「それは僕も同じことを思っているよ」
彼の瞳はずっと優しいままだ。
初めは自分が彼のことを助けたいと意気込んでいたというのに、この瞳に、言葉に、行動にどれだけ助けられたことだろう。
ヴィオラはいっぱいになった胸の内をシオンに伝えたくて、彼を抱き締めた。
「殿下……ありがとうございます、好きです。大好きです……」
「なっ…………こ、これは恥ずかしくはないのか?」
「へ? あっ、すみません」
ヴィオラが我に返って、頬を赤くしてシオンから離れようとしたが、シオンが腕を回してそれを咄嗟に食い止めた。
「おいおい、やめてほしいという意味ではないぞ」
「いや、その、ついしてしまっただけで……」
「ふーん、つい、ならいいのだな?」
シオンが何か悪い考えを思いついたのだろう、悪だくみをする子供の様に、にやりと笑う。そのシオンの思い付きが何なのかに気づいてしまって、ヴィオラは自分の不用意な行動を後悔した。
シオンはヴィオラの額に、きゅっと目をつむるヴィオラの瞼に、頬に、首に、鎖骨に優しく口づけを落としていく。
あまりの愛情表現にヴィオラがたじたじになって、力が抜けていく手でシオンの肩を押し返す。
「あ、あの……殿下……ちょっといっぱいすぎます」
「ん? つい、な」
「もう、絶対うそ……」
「そんなことない。ヴィオラのすべてが愛おしくて、それを想う度に、つい、口づけしたくなるだけだ」
シオンの囁き声に頭が甘くしびれて余計に力が失われる。
それをいいことにシオンは唇を何度も重ね、しまいにはよりヴィオラを味わおうと舌を侵入させてきたことに、ヴィオラは驚きで身体が跳ねた。
ヴィオラの反応にシオンの動きが止まり、ヴィオラに続けてよいかを視線で尋ねる。ヴィオラは自分で唇を重ねることで、シオンに答えた。
身体の力が抜けてしまっているヴィオラを抱き上げて近くにあった机に座らせて、何度も、先ほどよりも深く長い時間口づけをする。
シオンはヴィオラの柔らかな髪に指をくぐらせ、次に耳の形を確かめ、首筋をこそばゆいくらいの力加減でなぞる。シオンの大きい男性を感じさせる指にヴィオラは背筋がぞくりし、その新しい感覚に身をゆだねる。
二人は、出会ってからずっとお互いガラス細工に触れるようにしか触れ合うことかできなかったが今は違う。お互い痛いほどに抱きしめあって、激しくかじりあうようにキスをした。
やっと本来のあるべき関係に戻ったような不思議な満足感が、二人の心を満たしていった。
しばらくして、酸素が頭にまわらなくなったヴィオラが肩で息をしつつ、シオンから離れた。ヴィオラがこのわずかな距離でも寂しく思っていると、シオンが首にかみついて、痛いくらいに吸い付いた。
ヴィオラから、甘い声が漏れて、目が潤む。それはシオンの理性をとばしきるには十分だった。
しかし、目の据わったシオンを見て、頭がぼーっとしていたヴィオラもさすがに我に返った。
「殿下っ……」
「……」
「あの、これ以上は……」
「……」
「こ、ここではちょっと……」
「……はぁ、それも、そうだ……」
シオンはやっと冷静さを取り戻したのだろう、深く息を吐いて、ヴィオラから離れた。
シオンもこのような状態の部屋で初めてというのは、あまりにも腹が立つということを思い出した。
ヴィオラは自分で言っておきながら、やはり寂しく感じてしまう自分の身勝手さを情けなく思ったが、本当にこの勢いのままでしていいことではないと考え直す。
それに、数週間後が誕生日とは言え、まだ彼は成人前であること、自分たちは婚姻もしていないことを考えると自分の浅はかさにより情けなくなった。
「ごめんなさい、殿下……わたしってばはしたないこと……」
「なにがだ?」
「だって、わたしたちは結婚もしていないし……殿下はまだ成人前だというのに……それまでは近づかないようにしますから」
シオンは自分と婚姻を結ぶということを当たり前に思ってくれている事実は素直に嬉しかったが、その後の言葉が受け入れがたかった。
「おおお、おい、違うだろう! 無理だ、ヴィオラに近づかないとか、僕は無理だからな! それにほら、結婚式ならやったではないか? うむ、やったぞ!」
「あれはさすがに違います! あと数週間ですから、これはちゃんとしないといけません! 殿下との関係は真摯に向き合いたいのです……それに……」
ヴィオラの瞳が少し暗くなり、視線が少しだけ下を向く。
その陰りの原因をシオンはわかってしまったが、シオンの気は簡単には収まらない。
「ぐぬぬ……だが、番になると決めた相手に触れられないなんて地獄だ……う、うぅぅ……」
シオンがヴィオラの近づかない宣言でまさかの涙目になっていて、それほど追い詰めてしまったのかとヴィオラは狼狽えた。
「あ、そんな、泣かせるつもりではなかったのです……それほど、辛いことだなんて、想像できていなかったんです、ごめんなさい」
「そうだぞ! すごくつらい……ううぅ」
「それはその、竜族の言う、わたしが殿下の……番……になったからでしょうか?」
「正確に言えば、その、まだ『番』ではない。だがっ、僕は決めたんだ! ヴィオラじゃないとダメなんだ! うううぅ……」
(駄々っ子みたいになってきた……)
「わかってるさ……ちゃんと手順を踏むべきだと……だが、正直不安なのだ。ヴィオラは可愛らしいし、美しいし、魅力的すぎるのだ。他の男に臭いをつけられてはかなわん! その前に僕の番にしてしまいたいのに……うううぅ」
(すごいことをたくさん言われたような……)
ずいぶんとヴィオラに言われたことがショックだったのだろう、本当に子供の様に泣き出してしまって、ヴィオラは申し訳なさで心が押しつぶされそうだった。
ヴィオラが想像していたよりも竜族にとって番は重要な存在で、触れられるかどうかでこれほど情緒が乱されるようだ。
「では、こうしましょう。お誕生日までは口づけだけです。それで、お誕生日の日に結婚しましょう、わたしたち!」
「はへ!?」
「あと数週間です。ですので、それまでお互い我慢しましょう。わたしだって……その、本当は少し離れただけでもすごく寂しいのです。わたしも我慢しますから……」
「……」
「ね?」
「……は、はい」
ヴィオラの言葉に偽りはないのだが、なんともロマンチックなこともなく、自分から求婚したということにヴィオラが気づいたのは屋敷をでてからだった。
いちゃこらしろ!(。-`ω-)




