36.あなたはわたしの生きる意味✿
挿絵を挿入しています。見たくない方は注意です
息が止まる。
彼はぴくりとも動かない。
景色が色をなくし、世界が死んでいく。
「嘘……シオン? ねぇ、シオン? いやよ、シオン! シオン起きて!!」
いくら呼び掛けてもシオンから反応がない。
ヴィオラのスミレ色の瞳から涙も流れてこない。
デルフィスが満足げな邪悪な笑みを浮かべて、ゆっくりと近づいてくる。
その手はあの人の血で濡れている。
「思ったより返り血を浴びてしまったよ、これでは君の花嫁衣裳を汚してしまうね」
「……」
「さぁ、やっと大きな仕事が終わったよ、これほど清々しい気分は久しぶりに感じる」
「……っ!」
「なっ!?」
ヴィオラが自分の舌をかみ切ろうとしたのを察知して、デルフィスが急いで手に口をつっこんでやめさせた。
ヴィオラの口の中に彼の血の味が広がる。
「ヴィオラ! まさか死のうとするだなんて! 馬鹿な真似はやめるんだ!」
「んーーー!!」
(生きる意味を一度失って、また見つけられたのに、あなたを見つけられたのに、失った! もうこんな思いは嫌、どうかせめて彼の傍で死なせて!)
デルフィスが暴れるヴィオラを抑え込む。
叫び暴れるヴィオラは次第に体力を失って、花がしおれていくようにうなだれてしまう。彼を失ったという事実がじんわりと頭に広がって、静かに涙が流れ始めた。
「ハハ……アハハハハ! そう、それだよヴィオラ! その顔がずっと見たかったんだ! 絶望に打ちひしがれた君の表情、あぁ、絵に残したいくらいだよ!」
デルフィスの高らかに笑う姿はまるで悪魔の様だった。
どうしてここまで人を侮辱し踏みにじることができるのだろうか。
ヴィオラは怒りすらわいてこない。
「ヴィオラ、もっとよく見せて、目に焼き付けたいんだよ。いや、もう我慢ならない! 今ここでしよう! あいつの死体の前で、ハハッ、これはいい記念になるぞ!」
デルフィスのおぞましい思い付きにヴィオラは全身の皮膚に痛いほど悪寒が走った。早く舌をかみ切ってしまいたいのに、デルフィスの手が邪魔をする。
デルフィスがヴィオラの着ているドレスの胸に手をかけたとき、倒れていたシオンが音もなくゆっくりと起き上がった。
「なっ……心臓を刺したはずだぞ……それにあれだけ血がながれただろう!?」
デルフィスがさすがに驚いてヴィオラの口から手が離れた。
ヴィオラは口の中の嫌悪感で少しむせたが、ずっと視線はシオンを見続けた。
「シオンっ、生きて……」
「化け物めぇ……今度こそとどめを刺してやる!!」
デルフィスが再び剣を抜き、シオンに振りかぶるがシオンの身体に触れる前にその刃は見えない力でばきりと折れてしまった。
そして、デルフィスも跳ねとばされて、床に倒れる。
「なっ、なんなんだ……なんなんだ貴様はあ!?」
教会内に灯されていたろうそくや松明の明かりがひとりでに消え、ほんのわずかだった星や月の明かりさえも届かず教会内は真っ暗になり、どこに何があるかわからないほどの暗闇に包まれた。
「おい! おいっ誰か! 明かりを持ってこい! おい、老婆! どこにいる!?」
「どうしたんだ、そんなに怯えて……明かりが欲しいなら見せてやろう」
シオンの身体が大きな炎に包まれた。
そして、その炎が消えるころには怪物の姿はどこにもなかった。
再び教会内のろうそくと松明に明かりが灯り、空に月の光と星の輝きが戻り、教会に光が蘇る。
その光が照らすのはこの世のものとは思えないほど美しい人だった。
銀色の髪は光にあてられると赤く輝き、頭からのびる角は人に恐れを植え付け、容貌端麗な顔立ちはみるものを恥じさせるほど。
彼が立っているだけでその存在を肌がひりつくほど感じられる。
ヴィオラが息をのむ。
今、目の前の出来事が夢なのか現実なのか判断がつかないでいる。
「……」
その人の宝石のように輝く赤い瞳とヴィオラの視線が交わる。
「……シオン、あなたなの?」
「あぁ、そうだよ」
シオンが手を横に振れば、ヴィオラの足首につながれていた鎖が断ち切られた。
ヴィオラが解放されたのがわかるとすぐにシオンに向かって走り、シオンもそれを迎えて、ヴィオラを抱きしめた。
「ヴィオラ、遅くなってごめん」
「ううん、それよりもよかった。あなたが無事で本当に……よかった……」
ヴィオラの絶望で流していた涙が安堵の涙に変わる。
お互いの温かさを分け合うように、離れていた分の時間を埋めるように、互いに強く抱きしめあう。
「ふざけるな!! 俺の……俺のヴィオラなのに……」
デルフィスが地獄から這い上がるように立ち上がった。
憎悪と欲望にまみれた眼がヴィオラを睨む。
「俺のモノにならないのなら死ねぇ!」
デルフィスが懐に忍ばせていた短剣をもって、ヴィオラに向かって突撃してきたがシオンがヴィオラをかばって手をかざすとデルフィスは暴風に吹き飛ばされた。
ぼろぼろになりながらもまだ立ち上がろうとするデルフィスの姿に、ヴィオラは背筋がゾッとする。
カアッ!!
すると、どこからともなく大きな烏が現れて、デルフィスに襲い掛かり、デルフィスの両目を爪でひっかき鋭いくちばしでつつき、使えないものとしてしまった。
「うあああああ! 目があああああ!」
デルフィスが痛みでのたうち回る。
もう、彼は誰の姿も見ることができないだろう。
もちろん、彼が望むヴィオラが泣く姿も。
「今のうちに行こうヴィオラ」
「……はい」
デルフィスが目を抑えて床に這う姿をヴィオラは一瞥して、静かに顔を伏せた。
シオンがヴィオラを横抱きにして抱えて、二人は教会を後にした。




