34.怪物
王子は教会に近づくにつれ、武器のこすれあう音と大勢の男の話し声が聞こえることに気が付いて、背に乗せていたラックに草陰に隠れるように言った。
ラックは「オレだってヴィオラねえちゃんを助けに行く!」と言っていたが、「僕が朝まで戻ってこなかったら城の者に伝えてほしい。ラックにしか頼めないことだ」と言って説き伏せた。
本当はわかっていた。
城から離れ、この世界にたどり着いてから身体が鉛のように重たく、頭は割れるように痛み、呼吸は水の中にいるように苦しくなっていた。
試しに魔法を使おうと試みたが、そよ風程度しか起こせない。
この状態ではラックを守りつつヴィオラを救うことは難しく、そしてあの数の敵をすべて相手することができるかも危うかった。
(万一僕に何かあれば、父と母が動くだろう。いくら弱体化される人間の国でも二人ならヴィオラを救い出してくれる……ただ、それでは遅い。彼女は今苦しんでいるんだ)
最後の覚悟を決め、王子は夜の暗がりに佇む教会に四つの脚で駆けて向かう。
暗がりにいくつもの松明の明かりが揺らめく。
金さえ積めばどんな仕事でもする男たちだが、今回の仕事にたいしては半信半疑の様だ。
「本当にあの坊ちゃんが言う怪物ってのは来るのかね?」
「まぁ、金がもらえればなんだっていいさ。さすが貴族様、金払いがいいしな」
「おい、なんか聞こえないか……?」
男たちが音のした暗闇を凝視する。
何か大きな物体が暗闇からこちらに向かってきている。
暗闇に浮かぶ二つの光の正体が松明の明かりに反射している獣の瞳だと認識した時にはすでに遅く、想像ができないほどの大きさの怪物の勢いに男たちの身体ははねとばされて地面に倒れた。
「でっ、でた! 怪物だ! 怪物だぁ!!」
男たちの一人が甲高い笛を吹く。
すると、待機していた他の荒くれたちが武器を持って、わらわらと現れた。
熊よりもずっと大きな体躯、獅子をも泣き出してしまいそうなほどの狂暴な牙、人間の身体などチーズのようにやわらかく裂いてしまいそうな爪。
そんな怪物を前にどんな汚い仕事でもこなしてきた荒くれ者たちは身体を縮上がらせた。
「ひいいぃ! なんだありゃ!? お、おいクロスボウを持ってるやつ! うて! うてぇ!」
怯えて遠くからのみの攻撃に徹することにした荒くれたちが、クロスボウで王子を狙い、矢を放つ。
身体が重たくなってしまっている王子には矢を避ける余裕などはなく、肩や横腹に矢が深く刺さるが、王子はかまわずに突き進む。
そして、そんな攻撃は効いていないのだと周りに思わせるために、大きく吠える。
「き、効いてねぇ!?」
「ひいいっ! あんなの見たことないぞ!? に、逃げろ! こんなん割に合わねぇ!」
荒くれ者たちは各々に怯え、悲鳴を上げ武器を捨てて逃げ始めた。
人々が散り散りに逃げていく様子を見て、王子は心の中でほっとしていた。
(そうだ、そうやって逃げてくれ。僕はお前たちを傷つけたいわけじゃない。僕が怪物で良かった……)
王子は矢が刺さった場所から血を流し続けても、鉛のように重たくなった身体を無理やりに動かして、教会の奥へと進んでいく。
(ヴィオラ……僕が助けに行くから……)
聖堂の扉を開けた。
聖堂の一番奥の祭壇にはずっと探し求めていた人の姿が見えた。
王子はヴィオラの姿をみとめると、一心にヴィオラに向かって走り出した。
「来ちゃだめ!!」
ヴィオラが叫ぶと同時に王子の身体が上から鉄の塊を落とされたように床に押し付けられ、起き上がろうにも身体が言うことを聞かない。
「な、んだ……これは? くっ、ヴィオ……」
「アハハハハ! なんとまぁ、無様な姿だなぁ? 老婆の呪術がよく効いているようだ」
「デルフィス……」
「まったく、せっかく雇ったというのにこれだけしか傷を負わせられないとは、とんだ金食い虫どもだ」
デルフィスがにやにやと王子をあざけり、王子の頭に足をのせて痛みを味わわせるためにぐりぐりと踏む。
「よくも貴様のような怪物が俺のヴィオラを好きにしてくれたものだ。だが今はどうだ? ん? 手も足もでないなぁ?」
「やめてデルフィス! 彼に酷いことをしないで!……っつ」
ヴィオラの足首には鎖が繋がれていて、鎖の先は祭壇につながっている。
「ヴィオラ、そこでこの怪物の最期を見届けろ」
「いやよ! そんなの絶対許さない! そんなことをしたらあなたを殺すから!」
「あぁ、ヴィオラそんなにこの怪物が気に入ったのかい? そうだなぁ、じゃあこいつの剥製を屋敷に飾ってあげよう、そうすれば毎日これを見られるよ。毛皮の絨毯にしてもいいな」
「この人でなし! ケダモノ!! よくも、よくもそんなことを……!!」
ヴィオラが今まで人に見せたことがないほどに荒ぶり、鎖を足ごと引きちぎりそうなほど引っ張り、王子のもとへはいつくばってでも近づこうとする。
しかし、手をいくら伸ばしても、王子に届きそうもない。
(こんなことなら……こんなことなら、早く伝えていればよかった!)
デルフィスが携える剣を鞘から抜き、殺意を持った刃を王子の心臓の真上に掲げる。
「シオンっ……!」
初めて名前を心の底から呼ぶ。
王子はゆっくりと頭を動かしてヴィオラを見つめる。
「わたしもあなたのことを愛し……」
ヴィオラの言葉が終わる前にデルフィスの剣が王子の身体を貫いた。




