31.一歩
ヴィオラが住んでいた屋敷に多くの荒くれ者が集まっている。
彼らは武器の手入れをし、酒を飲み、これから得られる報酬に胸を躍らせて、獲物が来るのを待っている。
その中に一人だけまとう空気の違う男がいる。荒くれ者たちはこの男が金をちらつかせて集めたのだが、彼らの作り出す空気は合わないのだろう彼らを冷たい目で見つめている。
男の傍に黒いローブを被った老婆がいる。
「本当にうまくいくのだろうな?」
「えぇ、準備に抜け目はありません。デルフィス様が連れてきたあの坊ちゃんは実に簡単に術にかかってくれましたから、坊ちゃんも気づかぬうちに仕事をこなしてくれましょう」
「俺が言いたいのは、あんなちっぽけな石のついたネックレスでヴィオラが来るのかということだ?」
「ひっひっひ、ネックレスにつけられた石には呪いをかけております。心配や不安、未練を大きく増長さます。ひひ、ヴィオラ様は父上の病の報を聞いていても経ってもいられなくなりましょう、あとはワタクシが作り出した霧が道をつなぎ、あの石がここまで導いてくれます……あぁ、噂をすれば、来たようです。お迎えにあがられては?」
老婆の言葉にデルフィスがハッとして、急いで屋敷の玄関へと向かった。
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ヴィオラは虚ろな瞳をしながらふらふらと自分が過ごしていた屋敷の前に着いた。
「お父さま……待ってて」
ペタペタと裸足でここまで歩いてきたため、足を小石で切ってしまっているのに、ヴィオラはそれに気づきもしない。
屋敷の玄関扉に手をかける前に扉が開かれ、デルフィスが満面の笑みで出迎えた。
「ヴィオラ! あぁ、本当にヴィオラだね! 俺のもとに帰ってきてくれたんだね」
「デルフィス、どいて……お父さまに会わないと……」
ヴィオラはデルフィスに怯える様子もなく、デルフィスの隣を通り父のもとへと向かう。
デルフィスが不満げにゆったりと来た老婆を睨む。
「おい! ヴィオラの様子がおかしいじゃないか? もとに戻せ!」
「ひっひっひ、簡単なことです。ネックレスをとって、石を踏みつぶしてください。しかし、その瞬間ヴィオラ様の意識が戻りますから、逃げられませんように気を付けてくださいまし……あぁ、でも今はやめておいた方がよろしいかと、不安を解消せずに石を砕くと、廃人になる可能性もありますから……」
「貴様! なんてものを俺のヴィオラにつけたんだ!?」
「ひっひっひ、廃人になった方があなた様のお好きにできるかと思ったのですがねぇ」
デルフィスと老婆の言い合いを気に留めることなく、ヴィオラは父の部屋に向かった。
そして、部屋にたどり着き、寝室の扉をゆっくりと開く。
「お父さま……」
久しぶりに見る父はずっと年を取ってしまったかのように老け、顔色も土色のようで、すっかりやせ細っていた。
父のあまりの変わりように、ヴィオラのスミレ色の瞳が衝撃で揺れる。
「お父さまっ……!」
すぐに父の傍により、骨と皮ばかりの父の手を握り、自分の頬に寄せた。
眠っていた父ナルキはうっすらと目を開けた。
「ヴィオラ……? ヴィオラなのかい?」
「はい、わたしです。お父さま、あぁ、なんてお可哀そうなお姿……」
「あぁ、ヴィオラ、私を女神のもとへと連れて行くのに迎えに来てくれたのかい? もう、どうしようもないんだ。商売は何をやってもすべてうまくいかないし、ハイドラは男を毎晩連れ込むし、マデルはいったい何をしているのか、部屋に引きこもってしまった……」
ナルキはつらつらと今自分の置かれている悲惨な状況について語り始めた。
それをヴィオラが静かに耳を傾ける。
「リリィと過ごした時はこんなことにはならなかった……幸せな日々だったのに……ヴィオラも私の身代わりとして怪物に殺されてしまった……もう、私は疲れたよ」
「お父さま、しっかりなさってください。わたしもお父さまも生きております。あのお城には……怪物なんていませんでしたよ」
「怪物がいない? 生きて……?」
ナルキの瞳に光が戻る。
ゆっくりとヴィオラに支えられながら起き上がり、まじまじとヴィオラを見つめる。
「本当に……本当にお前なのかい? ヴィオラ……」
「はい」
「てっきり、怪物に殺されてしまったものと……あぁ、そうか、生きていたのか……よかった。本当によかった……」
父はおいおいと涙を流す。
父の背中をヴィオラが優しくなでるが、あまりにも骨ばかりで不安が大きくなる。
「お父さまがご病気と聞いて、わたしいてもたってもいられなくて……あれ?」
「あぁ、あの怪物の城から逃げ出してきたのか? とにかくよかった。お前が戻ってきてくれて、きっとデルフィス君も喜ぶよ」
「そう……わたし、お城から……でも、あれ? 大切なこと……を……」
ヴィオラは自分の行動に違和感を覚え、頭がぐらりとする。
ふらついて壁に寄り掛かろうとしたが、寄り掛かった先にはデルフィスが待っていた。
「もういいだろう?」
「はい、逆にとって差し上げないと自身の行動の矛盾に気づき始めておりますので、精神がいかれてしまいます」
「それをさっさと言え!!」
デルフィスが急いでヴィオラからネックレスをとり、床に投げ捨てて、足で石を踏みつぶした。
石が破壊された瞬間にヴィオラの意識がくっきりと戻った。不確かな記憶を手繰ると自分はおかしなことをしているとわかり、見上げるとにやりと笑うデルフィスと目があった。
デルフィスはヴィオラが逃げ出さないようにしっかりと腕を掴まえる。
「いやあ!!? 放して!!」
「そんな寂しいことを言うな、ヴィオラ。やっと君が帰ってきたんだよ? 俺のもとに……」
顔を寄せてくるデルフィスに必死で抵抗して、ヴィオラが暴れる。
ナルキはいったいどういうことなのだと、狼狽える。
「デ、デルフィス君……ヴィオラはいったいどうしてここに……いや、その前に一旦放してあげてくれないか? ヴィオラも混乱しているようだから」
「あぁ、これはこれはお義父さま……ヴィオラはあなたを心配して、わざわざあの怪物の城を抜け出して来てくれたんですよ。感謝しています。これから僕たちは教会で結婚式を挙げますので、失礼しますよ」
「いやあ! 助けてっ! 助けてお父さま!」
ヴィオラは涙を流し、必死に叫んだ。
ナルキは冷や汗を流し、じっと黙り込んでいる。
動かない父の姿にヴィオラは絶望を思い出した。
「ハハッ、お約束通り結納金は振り込んでおきますね。あぁ、資金援助もこれからしていきましょう、なんたって俺たちは家族になるのですから」
「……ってくれ」
「はい?」
「デルフィス君、ヴィオラとの結婚をまだ待ってくれないか?」
父は声を振り絞っていた。
震えていて小さいが、力のある声だった。
落ちくぼんでいる眼はまっすぐとデルフィスを見つめている。
デルフィスは実に驚いたというように表情が固まり、目を見開いているが、それも一瞬だけだった。
「今さら? 今さら父親面しているんですか? アハハハハ! これは滑稽だ!」
「ヴィオラの父は私だ……何がおかしい!?」
「それはそうでしょう! ヴィオラがあの豚どもから虐待されていることに気づいておきながら、自分の引き起こした貧困に彼女が追い詰められているということに気づいておきながら、怪物に脅されてすんなりと彼女を引き渡しておきながら、未だに彼女に寄り掛かり続けているあなたが! 父親!? ア、アハハハ! これを滑稽と言わずして何というのか!? ハハハ、本当に面白い人だ……」
デルフィスが大きく口を開けて、涙を流して笑う。
ナルキは図星だったのだろう、力を失ってしおれてしまっている。
ヴィオラは笑うデルフィスを押しのけて睨みつける。
「お父さまを笑わないで……! 第一、あなたがお父さまを責めていい理由なんてない!」
「いやぁ、あるさ。俺のヴィオラにこんなにつらい思いをさせてきたんだ。関係あるよ」
「わたしはあなたのモノなんかじゃない! はな……して!」
ヴィオラが暴れてデルフィスの拘束を逃れたが、再び腕を痛いほど掴まれた。
「いたいっ」
「ヴィオラ、そろそろ素直に俺の愛を受け取るんだ」
「いやっ、あなたと結婚なんてしないっ! きっと、殿下が……助けに来てくださるものっ!」
「フハハハハ! あの怪物がか? 残念、来たらズタズタに引き裂いてあいつは殺される」
「っ!」
「いいことを教えてあげよう。あいつらはこっちの世界に来ると弱体化されるんだ。あの時のように、刃が通らないなんてことはこっちの世界なら起きない」
「そんなの嘘よ!」
「別に嘘と思うならご自由に……ただ、あいつが来たときには弱ったあいつを俺が雇った荒くれ者どもに襲わせる…あぁ、あいつの最後はいったいどんな声をだすんだろうなぁ?」
「なんてこと……なんてことを!! お願いやめて! あの人を傷つけないで!!」
「そんなにあの怪物がお気に入りか? 大人しく俺のモノになれば……考えてやらないでもない」
「……本当に?」
デルフィスの言葉にヴィオラの瞳が不安げに揺れる。
王子が傷つく姿を想像するだけで胸が張り裂けて、頭がおかしくなってしまいそうだった。
「…………わかった。おとなしくするから、お願いだからあの人に手を出さないで」
ヴィオラは抵抗するのをやめて大人しくなった。
デルフィスが満足して、ヴィオラの腰に手をまわして引き寄せた。
ヴィオラは最後の抵抗に顔をデルフィスから背ける。
「やっとわかってくれたんだね。嬉しいよぉ……さぁ、行こう、君にぴったりのドレスを用意してある二人きりで誓い合おう」
デルフィスからヴィオラは顔をそむけた時、デルフィスに責められてからじっと押し黙ってしまっている父ナルキと目が合った。
正直、デルフィスの言っていたことはすべて当たっていた。
父に対する黒い感情がヴィオラの中になかったとは言えない。
ただ、今回少しだけ、今までとは違う気がした。
「お父さま……ありがとうございました。わたしのために、声を上げてくださって……さようなら……」
ヴィオラに言える精一杯だった。
悲し気な顔のヴィオラを見た時、ナルキの心の中の何かが崩れた。
ヴィオラが静かに目を伏せて、デルフィスとともに部屋を後にしようとしたところで、ナルキはベッドから起き上がり、ヴィオラを連れて行こうとするデルフィスの腕を掴む。
ナルキの手をデルフィスが冷たい目で見下す。
「この手は?」
「ヴィ、ヴィオラを放して……いや、放せ」
「……」
デルフィスは、ナルキを思い切り拳で殴りつけ、ナルキは殴られた衝撃で大きく身体が吹き飛んだ。
ヴィオラは、細枝のようになってしまっている父に対して、あまりにもひどい仕打ちに悲鳴を上げる。
「デルフィス! なんてことをするの!?」
「あぁ、手が滑ってね……別にかまわないだろう? ヴィオラだって、この父親に対してこれくらいしてやりたいと思っていただろう?」
「わたしはそんなことは頼んでない! お父さま!」
ヴィオラは父に駆け寄ろうとしたがデルフィスに抱えられてしまい、そのまま連れ去られてしまった。
ナルキは、殴られた衝撃で頭がぐらりと回り、きんと耳鳴りがして、しばらく意識がはっきりしなかった。一人になってしまった部屋でナルキがぽつりと「ヴィオラ」と呼び掛けたが、返事などない。
「……私はいったいどうしたら……あぁ、私はいつもこうだ、どうしらいいと自問するばかりで動かない……あの子のために、今まで動かなかった……! せめて、父親としてできることを……! 考えるんだ!」
さめざめと泣いていたナルキがほんのわずかしかない力を振り絞って、立ち上がった。




