30.罠
「それでルコウ、僕に何の用だ?」
「いくつか……ありまして……心して聞いてほしいのです」
普段のルコウの朗らかな雰囲気は消え、静かな力強い声が残る。
こんな雰囲気のルコウは自分が幼いころに剣術を教えてもらっていた時以来で、身体が勝手に姿勢を正す。
「殿下、人間の世界に行くとお聞きしました」
「止めないでくれ、明らかにあの男の罠なのは理解している。彼女の父親をだしにしておびき出して、彼女を奪いたいのだろうが、それを易々見逃すわけにはいかないのだ」
「罠だと理解されているならばよかった。しかし、それだけではありません。人間の世界……いいえ、かつて女神が人間を追放した世界というのはこことは異なるのです」
「どういうことだ?」
「あの世界では、こちらに住む生き物が弱体化してしまうのです。かつて強大な力を持つ人間がその世界に追いやられたのは弱体化させるためでした。世界の力は強く、魔力の弱いものによってはその身体さえ保つことが難しいでしょう。幸いあなた様は力がお強い。おそらくは身体を保つことはできるでしょうが、呪われた今では、魔法はほとんど使えないと思ってください」
「…………魔法が使えないか……」
王子はむつかしい顔をする。
魔法が使えるのが当たり前だった彼にとってかなりの痛手であったが、自分の手を見た時に自分の姿を思い出し、苦々しい笑みを浮かべ、牙を見せる。
「武器ならあるではないか。僕の怪物の牙が、爪が、この肉体が……彼女のためなら、存分にふるってやる」
「良いお覚悟です。ただ、お気をつけください。この前報告いたしました邪悪な呪術を使う者がいるかと思われます」
「呪術……確か、魔法とも違う古い術だったな」
「はい、そして、人が手を出してはならない、おぞましい力です……代償が必要となりますが、その分、力は強大です」
「しかし、何故そのような者がデルフィスなんぞの肩を持つのか……」
「……今は何とも」
「もしも、僕が帰ってこないときは、父上と母上に頼んでくれ。二人なら、大丈夫だろう」
「承知いたしました」
王子がバツの悪そうな顔をして視線がうろうろと右往左往する。
しかし、最後にはルコウにたどり着いた。
「助言、あ、ありがとう……」
ルコウが驚いて、蝋の身体がぴきりと固まった。
「ありがとう!? 殿下、今、お礼を述べられたのですか!?」
「そっ、そうだ! なんだ、なにがおかしい!?」
「いえ……いえいえいえ、もったいなきお言葉、このルコウしかと聞きました! おーい、おいおい、本当に丸くなられて……嬉しい限りです」
「!? もうなにもなければ僕はいくからな!」
「では、最後に」
「急にぴたりと泣き止むな……」
「おそらく、あのラックという少年がデルフィスに言われてここに来た、というのから察するに、どのようにかはわかりませんが、敵はこちらの世界と人間の世界を行き来する手段を持ち合わせているやもしれません。敵もはやくヴィオラ様を手中に収めたいと考えてますでしょうから、またあの霧がまた近いうちに現れるでしょう……ワシらはここからでることは出来ぬため、お守りすることができません……ですから、どうか、どうかお気をつけてください」
ルコウが祈りを込めて深く頭を下げると、王子は静かに「わかった」と頷いた。
大切な誰かのために行動するようになった王子に成長に心からの喜びと少しだけ寂しさをルコウは感じていた。
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ラックは初めての場所と初めての人に不安がるかと思っていたが、王子とも仲良くなり、使用人たちは王子の幼少期と重ねているのか、ラックを可愛がってくれた。
その夜は部屋が用意され、豪華な食事とお風呂に入ると、疲れていたのかぐっすり眠ってしまった。
ヴィオラは自室のベッドに横たわる。
王子に「おやすみなさい」を言うと、王子は隣の部屋に眠りに行った。
(…………お父さま、どうか無事でいて)
ヴィオラは夢を見た。
暗く明かりのない部屋で、苦しむ息遣いだけ聞こえる。
「ヴィオラ……ヴィオラ……」
自分を呼んでいる。
声の呼ぶ方へ行こうとしても身体が全く動かない。
「お父さま……! お父さましっかり!」
呼びかけとともに夢から覚め、辺りを見回すが見慣れた城の部屋だ。
「夢……?」
しかし、まだ動機が激しく、余韻が残る。
(ヴィオラ……ヴィオラ……どこだい、ヴィオラ……はやく来ておくれ苦しいんだ……)
胸騒ぎがして、声に呼ばれるまま部屋から飛び出す。
隣の部屋には王子が眠っているのに、その姿はヴィオラには見えていないようだった。ヴィオラは裸足のまま、何かに導かれるように部屋を静かにでる。
最近は見張りが厳しくなっているため廊下には何人も使用人がいるはずなのに、不自然に倒れて皆寝息を立てている。
(ヴィオラ……はやく、はやく……皆が目覚めてしまわぬうちに)
「待って、お父さま、待って……行きますから……」
ヴィオラはいつしか城の玄関ホールから庭園を抜け、深い霧の出ている森へと走っていく。
そして、ヴィオラの姿は霧に隠れて消えてしまった。




