116.兄と妹
シオンが泊まる部屋に誘拐されたはずのヴィオラが佇んでいる。
ヴィオラが戻ってきたというのに、嬉しさで泣き喚きそうなシオンは今は苦い顔をしながらヴィオラのことを見つめている。
フランメに呼ばれたロージーとペイアーがヴィオラの姿を見た時、ロージーは飛び上がって喜び、ヴィオラをぎゅっと抱きしめた。
「ヴィオラ様!! あぁ、よかったご無事で……本当に……」
「ヴィオラちゃん! あぁ、よかった……でも、どうやってここに?」
二人はヴィオラに話しかけるがヴィオラからは反応が返ってこない。
ロージーはヴィオラが無事であったことに喜んでいたが、思い出すとヴィオラに拒絶されても仕方のないことをしてきたことを思い出す。
「あ…………ヴィオラ様、あの申し訳ございません。あたしたちヴィオラ様に怖い思いを……」
『…………………………』
「ロージーや、そうではないのだ。ヴィオラ様の瞳をよく見なさい」
「ルコウ様? ヴィオラ様の瞳……!?」
ヴィオラのきれいなスミレ色の瞳が黒ずんでいる。
ロージーは驚き、心配の混じった悲鳴を小さくあげた。
「ヴィオラ様のきれいな瞳が!? ルコウ様、何か起こっているのですか?」
ルコウは困ったように頭を抱えている。
なにより、一番喜びそうなシオンがヴィオラと距離をとっているのが明らかにおかしい。
「今、ヴィオラ様はヴィオラ様ではないのだ………心がどうやらルルディになっている、らしい………」
「えぇ!? ルルディ………って、あのルコウ様の妹様で……その……」
「魂となったルルディはリリィの身体に宿り……ヴィオラ様はルルディの魂を受け継いで、このお姿でお生まれになったと、ワシは思っておった。しかし、まだルルディが……この子の心が残っておったとは……う、ううぅ……」
ルコウはルルディと再び会えたことに喜んでいるようにも、苦しんでいるようにも見えた。そんな複雑な心を抱える父に、フランメがそっと寄り添っている。
「でも、その……ヴィオラ様がルルディ、様の心になっているというのは……ヴィオラ様はどうなっているのですか!?」
『ヴィオラは眠っています』
「わっ! あ、頭に声が!? ヴィオラ様の声?」
『わたしです……今はヴィオラの身体を借りています。今は魔法を使って直接あなたたちの心に話しかけています。この子は精神的に本当にまいってしまって、それでも無理やり身体を動かした。その反動で声を失くしてしまったから、声が出せないのです』
「精神的にまいって……それって……」
『恋人や大切な人たちに忘れられて、憎まれていると感じたこと、彼女にとってはあなたたちが世界のすべてになってしまったから……でも、それでもヴィオラは諦めていなかった、あなたたちの記憶を取りもどしたいと本気で思っています』
「ヴィオラ様……あたしたち、あれだけ酷いことをしたのに……」
『どうしてなのかしら……魔法も使えない、戦えもしない、弱くて、無力な存在なのに、諦めてじっとしている方がなにも起こらず、穏やかなままなのに』
「ちょっと!」
「ルルディ……今のは撤回しろ。僕のヴィオラは決して無力などではない」
ずっと難しい顔をしていたシオンがルルディの言葉に噛みついた。
ルルディは黒ずんだ瞳でシオンをじっと見つめる。
「僕のヴィオラは、恐怖に立ち向かうことができる、人のために動くことができる、強くて美しい人だ。侮辱しないでほしい」
『………………ヴィオラはあなたのことがとても大切みたい、彼女の心にいると伝わってきます。ですが……あなたは一度死にかけている。あの時は運が良かっただけです。次はそうとは限らない……この子が関わらなければ、あなたは辛い思いをしないですんだのに……』
「違う! 彼女がいなければ僕はずっとあの暗い部屋にいるままだった! それは死んだも同然だ。彼女が僕を生かしてくれたんだ! 彼女に似た声で彼女が言わないこと言うな! 非常に不愉快だ!」
ルルディに食って掛かるシオンをルコウが間に入っていさめる。
シオンはまだ言い足りなさそうだったが、一応は止まってくれて、ふいとそっぽを向いてしまった。
「殿下、落ち着いてくだされ……先ほどからこうなのだ。すぐにルルディと殿下の言い合いが始まる……」
「ルコウ様、あたしもルルディ様に言いたいこといっぱいなのですが!」
「や、やめてくれ……ロージーまで始めたら収拾がつかなくなる。ルルディ、ヴィオラ様とお話しできんか……」
『ルコウお兄さま……彼女はまだ眠っています。休ませてあげてください……大変だったのです』
「そ、そうか……」
「いいや、一度ヴィオラを返してくれ、休ませるのに君がヴィオラをのっとる必要があるのか!?」
『……わたしがこうやってでてこなければ、この町にいる邪悪な人たちを避けて、ヴィオラの身体はここまでたどり着けませんでした。それに、ヴィオラの心と身体をペロージアお姉さまの魔力を利用して治療している最中、それはわたしでないとできません』
「治療はペイアーもできる」
『あなた、わたしのこと嫌いですね?』
「ヴィオラを貶す人に好感はもてない」
『奇遇ね、わたしもあなたのこと好きになれない』
「なっ、なぜそんな喧嘩になるのじゃ!? 殿下はお前の愛した青年に……」
『お兄さま、この人は彼ではないです。彼は……この世界のどこにもいて、どこにもいない存在になってしまった……顔は似ているけれど、全然違います……』
「う……す、すまぬ……」
ルルディは、表情は変わらないものの少し苛立ちの混じった声でルコウの言葉を遮った。
そして、部屋の奥にある、シオンが寝る予定のベッドに勝手に横になって眠ってしまった。
「僕のベッド……!」
「殿下、寝かせてあげてくだされ、ヴィオラ様のためです」
「ぐぬぬ……くそっ、早くヴィオラと話がしたいというのに……もういい、ペイアーの部屋で寝る!」
「えぇっ!? じゃ、じゃあオレはロージーの部屋で一緒に……」
「そんなわけないでしょ、この部屋にはあたしとルルディ様で寝るから、あとは適当に部屋分けして」
ペイアーは撃沈して、シオンとフランメとともに部屋からでていった。
ルコウとロージー、そして横たわるルルディのみとなる。
「ルコウ様、ルルディ様とお二人でお話しされますか?」
「はは……ロージーは優しい子じゃのぅ……頼む……」
ロージーは部屋から出て行き、ルコウとルルディの二人になる。
ルコウが昔のような少年の姿に変わり、ベッドの傍の椅子に座る。
目をつむっていたルルディは目を開き、起き上がるとじっとルコウを見つめている。
『ルコウお兄さま……本当にごめんなさい。本当に酷いことに巻き込んでしまいました。身体を……失ったのは、わたしのせいですよね……わたしがリリィお姉さまの中に入った後なにかあったのですよね?』
「違うぜ、ルル……これはオレがへましたからだ。お前は何も悪くないよ」
『どうして、そんなにお優しい言葉をかけてくださるのですか……?』
「本当のことだからさ。まぁ、でも無茶はこれだけにしておくよ。ミモザにはしこたま怒られた」
『ミモザお義姉さまも……フランメくんも巻き込んでしまいました……本当にごめんなさい』
「ルル、『巻き込まれた』っていうのは違う。オレたちはただ生きたいように生きているだけだ。ルルの傍にいたいと思ったから近くで暮らしていた。関りを持ち続けた。そうじゃなきゃ、オレもミモザもとっくにどっか離れたところで生きる選択肢をとっていたよ」
『……お兄さまもお義姉さまも優しすぎます』
ルルディが顔を伏せると、ルコウは優しく微笑んで蝋の手でルルディの頭を撫でた。
手は柔らかさを失ったが優しさは昔のままで、ルルディは優しさと懐かしさを感じて静かに目を閉じる。
「フランメ、大きくなっただろう?」
『お腹にいた時のころしか見ていないので、不思議な感覚です……もう、立派な青年ですね』
「ふふふ、そうだろう! ミモザに似て可愛い顔に産まれたし、ミモザに似てとても賢い! あぁ、赤ん坊のときもとても可愛かったぞ、よちよち歩くんだ。あれはいいな、妖精にはない愛おしい期間だ。それによくおしゃべりをする子で……まぁ、その抱っこはもう無理だろうが頭を撫でるくらいしてやってくれ」
『はい……』
「それから……できることなら、ペロージアにも会ってやってくれ……あいつが一番お前に会いたがっているだろうから……」
『………………ペロージアお姉さま』
感情の起伏が乏しいルルディの声色がほんの少しだけ沈む。
黒ずんだ瞳には寂しさ見えた気がした。
ルコウの視線が気まずそうに泳ぐ。
「それに……アリィのこともさっきも話たが……」
『……』
「お前にとってペロージアの決断が苦しめるなら……」
『いいえ……ペロージアお姉さまが決められたことを曲げるのは難しいでしょう。それに、お姉さまもたくさん悩まれてだした決断に、わたしがどうこうできるわけはありません』
「そう、か……………」
ルコウは少しだけほっとしているような、寂しそうな顔をした。
そして、しばらく黙っていたが、重たい口をゆっくりと開いた。
「なぁ、このままヴィオラ様と身体を共有するなんて……こと……できたり……」
『いいえ、お兄さま。あくまでもこの子の身体も命もこの子のもの……いずれ、返さねばなりません』
「だよ、な……ごめん……」
『謝らないでください。ルコウお兄さまの優しさは理解していますから……』
「……初めて、ヴィオラ様と出会った時お前にそっくりで、思わず泣いちゃったんだよ……それに、お前が愛した竜族の青年の面影のある殿下に、姿も変えて時間も超えて会いに来たんだろうって……でも、やっぱり……違うんだよな……」
『……今までヴィオラがしてきた選択はわたしの意志は関係ありません。わたしはむしろ関わらないでほしいと思っていました……誰にも』
「そう、か……」
ルコウはじっと黙って、考えを整理しているようだった。
ルルディは必ず来る遠くない別れを思い、大好きな兄の姿を少しでも目に焼き付けようとじっと静かにルコウを見つめていた。
「……わかった、それまでヴィオラ様のことを頼む」
『はい』
「今日はもう遅い……ゆっくり休んで、また朝に話そう」
『はい、おやすみなさい、ルコウお兄さま』
ルコウはもう一度ルルディの頭を撫でて、部屋を後にした。
ルコウの背中を見送り、ルルディはベッドで横になった。
(お兄さま……ごめんなさい……ごめんなさい……全部、今度こそ終わらせます)




