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第215話 暗闇から始まる、最後の物語

 花火の最後の火花が、夜空でゆっくりと広がって——消えた。


 火花の残像が、目の奥にまだ焼きついている。


 光くんが、15mの高さから、大きく手を振った。


「ありがとう!!!!!!!」


 ——その瞬間、全てが消えた。


 ステージの照明が、一斉に落ちた。あの白い光が。バンドを照らしていたライトが。光くんを照らしていたスポットライトが。全部が、一瞬で。左右の巨大モニターも、同時に暗転した。


 ペンライトも消えた。5万本が、同時に。連動機能が、全てのペンライトを一斉にオフにした。


 ——暗闇。


 完全な、暗闇。


 さっきまで白い光で溢れていたスタジアムが、一瞬で真っ暗になった。花火の残像だけが目の奥に残っている。それすらも、すぐに消えていく。


 5万人が、闇の中にいた。


 光くんの姿が見えない。ステージが見えない。隣の人の顔すら見えない。


 あたしは暗闇の中で立ち尽くしていた。さっきまでの光と音の洪水が嘘みたいに、何もなかった。視覚も聴覚も、一気に奪われた。


 でも——体が覚えていた。花火の衝撃が、まだお腹の底に残っている。光くんの声が、まだ耳の奥で鳴っている。白い光の残像が、まだ瞼の裏にある。心臓がまだどくどく言っている。頬がまだ濡れている。



 暗闇の中で——バンドだけが、まだ鳴っていた。


 「星空」の余韻を壊さないように、ひそやかに。遥さんのキーボードが、メロディの断片を、消えかけの線香花火みたいに灯している。


 その音を聴きながら——ふと、ライブ前のお知らせの内容を思い出していた。


 公式サイトに載っていた、あの告知。ファンメイドの合唱曲をセットリストに採用すること。当日、会場のみんなで一緒に歌うこと。配信の向こうの人たちも一緒に。スマホをしまって、自分の声で歌って、隣の人の声を耳で直接聞いてほしい——光くん本人の言葉で書かれた、あの文章。


 ずっと圧倒され続けていた。女神ドレスに圧倒されて、フライングに圧倒されて、ジャズに圧倒されて、星空ロックに圧倒されて——思い出す隙も暇もなかった。


 でも、まだ"あれ"をやっていない。


 ここに来るようなファンなら、みんなきちんと目を通しているはず。きっとあたしだけじゃない。この暗闇の中で、5万人全員が同じことを思い出している——



 そう思ったとき——暗闇のどこかから、声が響いた。


「アンコール!!!!」


 一人の声だった。スタンド席の上の方。遠い。でも、はっきり聞こえた。暗闘の静寂を切り裂くように、たった一人の声が、スタジアムの夜空に突き刺さった。


 ——一瞬の間。


 そして、火がついた。


「アンコール!!」「アンコール!!!」


 声が増えた。二人、十人、百人——あっという間だった。近くの席から、遠くのブロックから、スタンドの上段から、アリーナの前方から。バラバラに、でも同時に、声が湧き上がっていく。


「アンコール!!!!」「アンコール!!!!」「アンコール!!!!」


 波だった。一人の声がきっかけになって、スタジアム全体に波紋が広がっていく。声が声を呼んで、叫びが叫びを生んで、もう誰が最初に言ったかなんてわからないくらい——5万人の「アンコール」が、暗闇の中で膨らんでいく。


 足が踏み鳴らされている。手拍子が生まれている。リズムが揃っていく。暗闇の中で姿は見えないのに、声と振動だけでスタジアムが一つになっていく。


 あたしも叫んでいた。


「アンコール!!!」


 声が喉から飛び出した。叫びすぎて既にガラガラの喉から、それでも全力で。隣の人の声が、あたしの声のすぐ横で鳴っている。前の席の人も。後ろの人も。足元から伝わってくる振動が、お腹の底を揺らしている。


 ——来る。


 絶対に、来る。



 その時——ステージに、パッと照明がついた。


 暗闇に慣れた目に、光が刺さった。


 舞台袖から、人影が出てきた。


 二人。四人。十人。二十人——まだ増える。ぞろぞろと、途切れることなく、メインステージに人が歩いてくる。


 アンコールの声が、ざわめきに変わった。


「誰……?」「スタッフ?」「なんか……たくさんいない?」「何が始まるの?」


 薄暗いステージの上に、人がどんどん並んでいく。


 数え切れないほどの人数が、ステージの上に並んだ。


 左右の巨大モニターが点いた。映し出されたのは——あの動画のサムネイル。


 『光くんの曲を100人で合唱してみた』。


 100人のアイコンが並んだ、あのサムネイル。



 ——一瞬、スタジアムが凍った。


 全員が理解した。「合唱が来た」と。


 そして——爆発した。


「合唱だ!!!!!」「あれ、もしかして合唱動画の人たち!?」「すっっっご!?」「嘘!!!」「嘘でしょ!!!!」



 悲鳴。興奮。絶叫。歓声。全部が一緒くたになって、スタジアムを揺らした。足元の地面が震えている。空気が震えている。5万人の声が、夜空に突き抜けていく。


 あたしも叫んでいた。声が勝手に出ていた。何を叫んでいるかわからない。ただ、声が止まらなかった。



 ——あたしは、あの動画が公開された日のことを覚えている。


 タイムラインに突然現れた、あの動画。100人のアイコンが並んだサムネイル。再生ボタンを押して、最初の一音が鳴って合唱になった瞬間——全身に鳥肌が立った。


 プロじゃない。100人全員が、ただの一般人。でも、一人一人の声が光くんの曲を歌って、それが重なって、一つの合唱になっていた。


 あの動画のコメント欄に、あたしも書き込んだ。「泣いた」って。それだけ。それだけしか書けなかった。


 ——その100人が、今、あのステージにいる。



 ——その時だった。


 ステージの左端、スタジアムの外周部分にスポットライトが灯った。


 トロッコだ。客席の間を走る、移動ステージ。


 その上に——光くんが立っていた。


 白シャツ。デニム。コンバースのオールスター。


 女神ドレスじゃない。ネイビーのセットアップじゃない。肩出しの和装じゃない。


 ——いつもの光くんだった。


 配信で見ていた、全国ツアーで見ていた、あの格好。白シャツの袖をちょっとまくって、デニムの裾がスニーカーの上でくしゃっとなっている。飾りも何もない。気取らない、"いつもの"光くん。


 モニターが切り替わった。左のモニターには、トロッコの上の光くん。笑っている。右のモニターには——ステージの上の100人。極度に緊張した顔。こわばった笑顔。震えている手。泣いている人もいる。ステージに立つ前から、もう泣いている。



「さっき、花火でめちゃめちゃフィナーレっぽい感じだし、なんならみんなで歌ったけどさーーー!」


 マイクを握った光くんの声が、スタジアムに響いた。


「まだ合唱、してないよねーーー!」


「「「わぁああああ、きゃぁあああ!!!」」」


 歓声が弾けた。そうだ。まだやってない。みんなが待ってた。あたしも待ってた。


「みんなー! 練習してきたかーーーーー!!!!!」


「してきたーーー!」「もちろんーーー!」「やったよーーー!!!」


 5万人の返事が、夜空に跳ね返った。みんな練習してきた。あたしも練習した。家で、イヤホンで聴きながら、小さな声で、何回も何回も歌った。ここで歌うために。


 光くんが、ふと思い出したように笑った。あのいたずらを思いついた時の顔。


「そういえばさ、今、配信を500万人が見てくれてるらしいんだよね!」


 ざわめきが広がった。500万。5万人のスタジアムの100倍。画面の向こう側に、この場所の100倍の人がいる。


「だからさ——」


 一拍。


「『光くんの曲を"500万人以上で"歌ってみた!』——みんなで行くよーーーー!!!!」


「「「わぁああああああ!!!!」」」


 ——スタジアムが、震えた。


 歓声じゃない。地鳴り。5万人の叫びが、足元から体の芯まで、振動として伝わってきた。


 ほんとのほんと、最後の1曲が、始まる。


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