第166話 確信のない選択
照明は、すでに半分落ちていた。
会場のあちこちで、
ケースが閉まる音、
ケーブルが巻かれる音が、ばらばらに響いている。
それが一つずつ消えていく。
最後に残ったのは、
会場備え付けのグランドピアノと、
その前に座る光。
少し離れたところに、遥が立っていた。
しばらく、誰も何も言わない。
遥が、ピアノの横に歩み寄る。
「……さっきのDAY3の途中。
光くんが戻ってきた、あの場面」
光は、鍵盤に手を置いたまま、顔だけを向ける。
遥は続けた。
「ギターが前に出て、
全体が、一度まとまりかけたところ」
ピアノの蓋を、指で軽く叩く。
「あそこから、
正直、音楽としては――分岐点だった」
光は黙っている。
遥は椅子に腰を下ろし、
ゆっくりと鍵盤に触れた。
DAY3の空気をなぞるような、
簡単なコード進行。
「ここから、私の中では
少なくとも、4通りは見えてた」
一つ目の音。
「全部をまとめる。
主役が戻ったら、自然に寄せる。
正解ではあるし、事故も起きない」
二つ目。
音を、少し引く。
「余白を残す。
光くんが戻るのを、待つ。
主役は立つけど、音楽は止まりやすい」
三つ目。
和音を、わずかにずらす。
「少し転がす。
先が読めない方向に行く。
成功したらライブは強いけど、
戻ったときに衝突する可能性がある」
四つ目。
遥は、鍵盤から手を離した。
「完全に別の流れを作る。
戻ってきた主役が、合わせる前提。
賭けとしては、一番大きい」
沈黙。
「どれも、音楽としては成立する。
……あの場で選んで指示は出していた。」
一拍。
「けど、
これだって確信は持てなかった」
遥は、正直に言った。
「止める理由も、
進める理由も、
全部、頭の中にあった」
光は、少し考えてから口を開いた。
「うん。
でもさ、どれ選んでも――止まるよりは、ずっといいと思う」
遥が、顔を上げる。
「正解なんて、そもそもないし。
王道で行って、
途中でつまらなくなったら、
その先で俺が掻き乱す」
少し間を置いて、続ける。
「逆に、
変な方向に転がって、
現場がちょっと混乱したら、
そのときは俺が、
ちょうどいいところに引き戻す」
穏やかに。
「だから、
どれでも、いけるよ」
遥は、しばらく黙っていた。
そして、静かに聞く。
「……さっき、
光くん自身は、
どのルートに行きたかった?」
光は少し考え、
鍵盤に触れる。
「行きたい、っていうより……」
一音。
「show must go on、かな」
遥が首を傾げる前に、光が続ける。
「”一度幕が上がったステージは、何が起きても止めちゃいけない”って意味」
一拍。
「で、俺の場合は――」
もう一音。
「music must go on、だと思ってる」
続けて。
「ルナみたいに、
事前に完璧作るのも、すごいと思う。
でもさ、俺のライブって、たぶん」
少しだけ、笑う。
「何が起きるか分からないのを、
見に来てる人の方が、多いんだよね」
鍵盤から手を離し、遥を見る。
「変な方向に行っても、
自信満々でやればいい。
そこから、
俺が正解にしてみせるから」
遥は、深く息を吐いた。
「……分かりました。
じゃあ私は、
確信が持てなくても、
音楽を止めない前提で選び続けます」
そのとき。
背後から声がした。
「遥」
遥が振り返る。
「……なに?」
マリ姐は腕を組んだまま言う。
「4パターン見えてる時点で、
もう十分おかしいのよ。
で、それを聞いて、
正解は後で作る、とか言い出すのが主役」
一拍。
「……バランス悪すぎでしょ、このチーム」
光が即座に返す。
「ひどくない?」
マリ姐は即答する。
「事実よ。
ちなみに聞くけど、
あんたは何パターンくらい見えてたの?」
光は、少し考えて答える。
「8パターン」
間髪入れず。
「ほら!
わけわからない!」
少しだけ間を置いて、マリ姐は肩をすくめた。
「ちなみにね、
私はずっと光の音楽、聴いてるつもりだけど」
一拍。
「次どこに行くかなんて、
ずっと一つも分かってないわ!!!」
空気が止まる。
「でも、信じてはいるの。
で、それを信じて、
周りを整えるのが、私」
小さく笑う。
「……ねぇ。
チームって言ってるけど、
私の負担、だいぶ重くない?」
一瞬の沈黙。
「ま、いいわ。
そういう役回り、嫌いじゃないし」
光が言う。
「マリ姐はむしろ自分から来たんだもんね」
次の瞬間、
マリ姐が持っていた書類で、
光の頭をパシーン!
「あんたが言うことじゃないわよ!!」
三人同時に吹き出した。
⸻
扉のすぐ外。
雪が言う。
「あ、詩音さん。
もう電話は大丈夫なの?」
詩音が苦笑する。
「はい、
いつもの母からの心配電話です。
それで……遥さんは?」
そのとき、
扉の向こうから、三人の笑い声が聞こえた。
一瞬遅れて、
雪が、ほっと息を吐く。
「……遥さん、大丈夫そうだね」
詩音が、小さく頷く。
「はい。
いつも支えてくれている側ですから。
正直、少し心配していました」
真白は、扉を見たまま、ぽつりと言う。
「弱いところを、
なかなか見せない人ですもんね。
……みんなのお姉さん、みたいな」
雪が、くすっと笑う。
「うん。
でも、ちゃんと話せてるなら、大丈夫そうだね」
三人は、顔を見合わせて、
何も言わずにその場を離れた。




