2026年バレンタイン番外編:それ、誰にあげるの?
これは、全国ツアーがひと段落した頃の、
本人たちにとっては、なんでもない一日の話。
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この世界のバレンタインは、少し変わっている。
女性が男性にチョコを渡す日――ではない。
この世界では、
そんな発想そのものが存在しなかった。
男女比は1対50。
男性という存在があまりにも希少で、
バレンタインに男性が関与する、という想定がない。
実際のバレンタインは、
養われている女性が、養っている女性に感謝として渡す日。
あるいは、女性同士で友だちとして交換する日。
それが、この世界の“普通”だった。
だから――
キッチンに立ち尽くす男性の姿は、
やっぱり、かなりおかしい。
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キッチンに、光は立ち尽くしていた。
スマホの画面には “初心者でも簡単!失敗しないチョコレート”。
レシピだけは、ちゃんと調べてきたが、
――それだけだった。
肝心の材料は、
まだ何も手に取っていない。
作る気はある。
本当にある。
でも、次に何をすればいいのかが分からない。
「……えっと……」
光はキッチンを見回す。
棚を開け、引き出しを覗き、
冷蔵庫の中にも目をやる。
すると、キッチンの端に、
割れた板チョコがいくつか転がっているのが目に入った。
自分が用意した覚えはない。
でも、今はちょうどいい。
深く考えず、光はそれを手に取った。
「まずは “チョコを溶かす”?」
悩んだ末、フライパンを取り出す。
そして、そのチョコを――そのまま、直で放り込む。
火をつける。
じゅわ。
甘いはずの匂いではない。
焦げと、混乱と、よく分からない何か。
黒い塊が、ゆっくりと生成されていく。
「……何してるの、光?」
背後から声がして、光は振り向いた。
マグカップを片手にした雪が立っている。
声をかけるか、少し迷っていたような間があった。
「チョコ、作ろうと思って」
雪の視線が、フライパンに落ちる。
「……それは?」
「チョコ」
「……だったもの?」
雪は深く息を吸った。
「今までチョコなんて作ったことないのに、どうしたの?」
「今年は作ってみようと思ったんだよね」
まっすぐで、悪びれない声。
雪は一瞬だけ、言葉に詰まった。
(……なんで?)
つい、理由を聞けなかった。
胸の奥が、少しだけざわついている。
「……もう。仕方ないな」
マグカップを置いて、雪は光の隣に立つ。
「一人でやろうとするから」
「え、手伝ってくれるの?」
「放っておいたら、キッチンが宇宙になるでしょ」
「そんなに?」
「そんなに」
そう言って、雪はエプロンをつけた。
「まず、それは湯煎。直火は論外」
「……ゆせん?」
光が首を傾げる。
「えっと……どうするやつ?」
「もう。ほんとに何も知らないんだね」
雪は呆れながら、小鍋に水を張る。
「このお湯を温めて、その上にボウルを乗せるの。
チョコは直接火に当てないで、じわっと溶かす」
「なるほど……このレシピの ”チョコを溶かす”って、そういう意味か」
「そう。チョコは繊細だから」
ボウルをセットしながら、雪が言う。
「混ぜるのはこれくらいの力。力入れすぎない」
「……このくらい?」
「うん。今のは合格」
光は言われた通り、ゆっくり混ぜる。
「……意外とちゃんと聞くよね」
「え?」
「もっと自己流でやるかと思った」
「だって、雪の方が詳しいでしょ」
あっさり言われて、雪は一瞬だけ黙った。
「……そういうところ、ずるい」
「?」
「なんでもない。続けて」
光は頷き、また混ぜる。
聞いたことは全部聞く。
注意されたことは全部直す。
文句も言わないし、変に自分流も挟まない。
(……相変わらず。世話の焼きがいがあるなぁ)
最初に胸にあったざわつきは、
いつの間にか、温かい感覚に溶けていた。
——
「はい、これでほぼ完成」
チョコは、ちゃんとチョコだった。
包装は少し歪んでいるけれど、手作りだと分かる程度。
雪は、ちらりと光を見る。
「……で。これどうするの?」
光は答えない。
代わりに、ひとつチョコを手に取って、
そのまま、雪の顔の前に差し出した。
「はい、あーん」
「……え?」
一拍遅れて、雪の思考が追いつく。
「え!? えっ!?」
顔が、かっと熱くなる。
「ちょ、ちょっと待って、そういう――」
一瞬、固まってから、
雪はおそるおそる口を開ける。
差し出されたチョコを、ひと口。
思わず、光の指と雪の口が触れる。
「……」
言葉が出ないまま顔を上げると、
光が、指先についたチョコをぺろりと舐めていた。
雪の思考が、一瞬、止まった。
(……そこ、今私の口が触れたとこ……)
光は本当に何も分かっていない顔で、
ただ「溶けやすいんだね」なんて言っている。
――ああ。
勘違いだった、と気づく。
胸に広がる安堵と、
遅れてやってくる、どうしようもない照れ。
「……そういうのは、最初に言ってよ」
少しだけ、強めの声。
「え? 何が? え?なんでちょっと怒ってるの?」
「なんでもない!」
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そのあと二人は、ソファに並んで座った。
ローテーブルには人生ゲーム。
完成したチョコをつまみながら、コマを進める。
「え、なにこれ。男性専用ルート?
毎月50万円もらえるけど、イベントほぼなしでゴール……?」
「……一般的な男性って、たぶんそんな感じだよ」
「え、俺、毎日イベントだらけなんだけど」
「光だからね……」
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人生ゲームのマスを見て、光が声を出す。
「……あ」
「なに?」
「このマス、“家庭に入る”だって。なんかおかしくなっちゃうね」
「特におかしくはないと思うけど…」
光は気にせず、サイコロを振る。
雪だけが、ほんの一瞬、動きを止めた。
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ゲームも終盤。
「光、将来なにになりたい?」
「んー……今と、あんまり変わらないかなぁ」
少し考えてから、光は続けた。
「ピアノ弾いて歌って、音楽作って、
みんなと笑って、たまに思いついた遊びして」
「……」
「そんな感じで暮らせれば、十分かなって」
「……そう」
それ以上、雪は何も言わなかった。
そのとき、部屋の入り口からマリ姐の声がした。
机の上の、少し歪なチョコを見て言う。
「あら、光。チョコなんて作れたの」
「すごいでしょ!」
小声で抗議する雪。
「……作ったの、ほぼ私ですけど……」
「そうだと思った」
マリ姐はチョコをひとつ取って、ぱくり。
「おいしっ。愛がこもってるわね」
「でしょでしょ!」
「あんたじゃなくて、雪のね」
雪は真っ赤になった。
光は、まだ意味が分かっていない。
チョコより甘い空気が、部屋に漂っていた。
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養われている女性から、養っている女性へ向けて、
感謝を伝えるためのイベントーーそれがこの世界のバレンタイン。
その“普通”に従うなら、
本来、チョコを渡す側は――実は雪のほうだったりする。
今年の雪は、
冷蔵庫の奥に、ひとつの箱を隠していた。
プロが作ったと言われても信じてしまいそうな、
完璧な焼き色のガトーショコラ。
そのチョコを、光にいつ、どんな顔で渡すのか。
それは、まだ雪だけの秘密だった――。
番外編、お楽しみいただけましたでしょうか?
作者的には初めての試みだったので、
正直ちょっとドキドキしながら書いていました……!
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そして今日はバレンタインですね!
普段は絵文字を押してないよ、という方が多いと思うんですが、(自分も大体押さずに読んでしまう...)
今日くらいはバレンタインだし、押してくれてもいいんじゃないでしょうか!
「読んだよ」の合図代わりに、
何かぽちっとしてもらえると嬉しいです!(この回が一番リアクション数多かったら面白くないですか?笑)
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それと――
実は今日、2/14は自分の誕生日だったりします!!!
誕生日プレゼント代わりに、
作品の感想・評価ポイント・レビューなんかももらえたら嬉しいな……と思っています!!!
ハートも感想もレビューも、
作者が美味しくいただきます。
これからも本編の合間に、
こういう番外編を書いていくかもしれません。
引き続き「男女あべこべ音楽チート」、本作品にお付き合いいただけたら嬉しいです!
よろしくお願いします〜〜!




