第159話 オーディションDay1 “音で遊べるか” (前半)
事前先行からしばらく経った、オークションのDay1当日。
会場となった大部屋には、すでに多くの参加者が集まっていた。
エレキギターやベースを抱えた人。
アコースティックギター、キーボード、ドラムスティックを手にした人。
サックスやフルートのケースを足元に置いている人もいれば、
尺八、三味線、二胡といった和楽器を抱えて立っている人もいる。
楽器の種類も、年齢も、雰囲気もばらばらだ。
それでも全員が、同じ空間に立ち、同じ方向を見ていた。
中央にはグランドピアノ。
そこにはTシャツにジーンズと、ほぼ部屋着のラフな光が座っている。
周囲を囲むように、アンプとDI、簡易ミキサーが配置されている。
エレキ系はすべてラインでまとめられ、音量は抑えめ。
だが、空気はすでに張りつめていた。
この様子は、そのままライブ配信されている。
【配信コメント】
《楽器多すぎて情報量えぐい》
《混成部隊すぎる》
《これ全員ガチ勢では》
マリ姐がマイクを持って前に出る。
「今日は集まってくれてありがとうございます。
まず最初に、少しだけお話しします」
ざわついていた空気が、すっと落ち着く。
「応募は、全部で1万人以上集まりました。
そこから書類と動画で絞って、
今日ここに来ているのは100人未満です」
【配信コメント】
《1万人!?》
《よく100まで削ったな》
《この場にいる人みんな猛者説当たってた》
「ここに来ている時点で、
技術的には問題ないと判断された方ばかりです」
少しだけ間を取って、続ける。
「もし今日、何かあっても、
自分が劣っているとは思わないでください。
ただ、光とは合わなかった。
それだけです」
【配信コメント】
《前置きは優しい》
《なお中身》
《圧がすごい》
マリ姐が一歩下がる。
「それじゃ、光よろしく」
光がピアノの前に座った。
———
「じゃあ……
最初だし、ゆっくり始めようか」
アルバム収録曲のイントロが流れ出す。
丁寧で、少し抑えめのタッチ。
本人なりに、合わせているつもりだった。
壁際にはチーム光が椅子に座って見ている。
雪が、少し意外そうに言った。
「あ、一応……
みんなに合わせるつもりはあるんだ」
詩音も頷く。
「ですね。本当に珍しい。
ちゃんと周りの様子を見ながら弾いてますし、アルバムの1曲目から始まっています。」
だが、苦笑する遥はすでに察していた。
「……でも、
本人基準で“抑えてる”だけだなぁ」
後奏が、少しだけ伸びる。
同じコード進行のまま、ヴォイシングが滑る。
ベースのルートは固定されたまま、上物だけが動く。
リズムのアクセントが、わずかにずれる。
CDを完璧に再現しようとする人ほど、そこで止まった。
譜面どおり、想定どおりに弾こうとする人ほど、手が止まる。
一方で。
最初からアレンジ気味に入っていた人たちは止まらない。
フレーズを崩す。
合わなければ引く。
思いついた音を、とりあえず置く。
“正解”を探していない。
最初から、遊んでいる。
【配信コメント】
《なんかCDと全然違うんだけどw w》
《対応力の差えぐい》
《仕事モードの人ほど止まってる》
《遊び慣れてる人だけ残ってる》
遥が、ぽつりと言う。
「完璧に仕上げてくる人ほど、
この場では迷うわね」
詩音が続ける。
「判断を外注する癖がある人ほど、
今は動けません。
自分で判断して入って来られるかが試されますね」
———
光は弾きながら、ふと顔を上げた。
たまたま隣に座っていたギターの参加者を見る。
「ねぇねぇ、
今日どこから来たの?」
ピアノは止まらない。
鍵盤は一切見ていない。
左右の手は激しく動き続けたまま、顔だけが相手を向く。
「ギターすごいね。
何年くらいやってるの?」
突然の雑談。
それも、演奏の最中だ。
参加者は当然、言葉に詰まる。
「え……
あ、えっと……」
その瞬間、指が遅れる。
音が乱れる。
隣のベースも、それにつられて止まった。
「あ」
光がすぐに気づく。
「え?
あ!ごめん、邪魔しちゃったか」
慌てて笑う。
「今のナシで。ごめんね」
【配信コメント】
《今のが邪魔じゃないと思ってるの草》
《ピアノ弾きながら雑談すな》
《脳の構造どうなってるんw》
雪が、思い出したように言う。
「そういえば……
光、よくオフィスでも全く見ないでピアノ弾きながら
関係ないお喋りしてるね」
詩音が少し考えてから答える。
「慣れちゃってましたけど……
言われてみれば、
あれって普通じゃないですよね」
一曲が終わる。
———
近くに座っているキーボードの参加者を見る。
「ねぇ、そこのキーボードの人」
突然の指名だった。
「同じ鍵盤だしさ。
なんか今から一緒に曲作ろうよ」
一瞬、空気が止まる。
「じゃあテーマはねー……
うーん、“オーディション”。はい!」
笑顔で言い切る。
「ちょっとなんかアイデア出してみて」
キーボードの参加者は、完全に固まった。
目線が宙を泳ぎ、鍵盤の上で指が止まる。
数秒。
音は出ない。
光は、その様子を見て、すぐに気づいた。
「あ、そっか」
悪びれる様子もなく、少しだけ笑う。
「ごめんごめん。
やっぱ緊張するよね、こういうところ」
そのまま、自然に続けた。
「じゃあ代わりに、俺が弾くね」
返事を待たない。
次の瞬間、光の指が動いた。
即興で組み上げられるコード進行。
不安定で、まだ形になっていないメロディ。
それでも、“オーディション”という言葉だけが持つ緊張と期待を、
音として一気に立ち上げていく。
ほんの30秒ほどで、
「それっぽい何か」が、確かにそこに生まれていた。
キーボードの参加者は、
ただそれを見つめることしかできない。
【配信コメント】
《できるかwwwwwww》
《急に作曲振られて可哀想すぎる》
《自分ができることは他人もできると思ってるタイプだ…》
《悪意ゼロなのが一番怖い》
《今の“代わりに俺が弾くね”が一番残酷》
雪が、小さく息を吸った。
「……光って、
ほんとに“普通にできる”と思ってるんだよね」
詩音も静かに頷く。
「出来ない人がいる、
という前提がそもそも無いんでしょうね」
遥は、視線をキーボードの参加者から離さなかった。
「……今ので心折れた人、
結構いると思う。」
実際、数人が、そっと視線を落とした。
「……でも、今のができなければこの場に居られないわけじゃない。
気づいてくれると良いんだけど…」
だが、光は気づいていない。
あるいは、気にしていない。
本人にとっては、
「一緒に遊ぼうとした」
それだけの出来事だった。
———
ある程度弾いて、光は満足そうに息を吐いた。
「ふー……
あ、そういえばさ」
ぱっと顔を上げる。
「“見上げれば”って曲、ちょっと寂しい感じだよね。」
そのまま弾き始める。
「今日はせっかくこんなに人数がいるし、
春にして、昼の明るい空にする、
それでどこまでもみんなで一緒に登っていって、
最後、輝いて弾けて広がってく感じでいくよー」
“光語”だった。
説明とも指示ともつかない言葉。
だが、光の中では、景色はすでに完成している。
【配信コメント】
《え、え、なんて?》
《文章量多いけど、なんもわからなすぎて笑うw》
《通訳どこ》
《この感じで曲にするんか?》
音が変わる、コードが開く、リズムが軽くなり、
暖かい空気、明るい空、
一人で空に登っていく孤独な曲が、皆で行くような明るい曲に変わっていく。
ついて来られる人は、さっきよりもさらに減っていた。
雪が、小さく呟いた。
「あ……
光のテンション、上がってきた」
真白が驚いたように重ねた。
「え、今までって抑えられてた方なんですか…?」
———
光が、楽しそうに言う。
「次は、星空をロックバージョンとかやってみようかな!やってみたかったんだよね!」
一拍置いて、思いついたように続けた。
「そことそこのギターの人、ツインギターして!良い感じにハモるイメージ!
そこのベース、あとドラムの人、入れそうだよね?参加ね!
他は、自由に入れる人が入ってきて!」
あまりにも雑な指示だった。
だが、光の中ではもう音が鳴っている。
歪んだコードが落ちる。
星空ロックのリフが始まる。
選ばれたギターが一瞬迷い、踏み込む。
ベースが追い、ドラムが様子を見ながら入る。
入れない人は、立ち尽くす。
入れる人は、迷いながらも入っていく。
【配信コメント】
《指示が雑すぎる》
《でも入った人が何人かいるのすごくない?》
《「自由に入れる人どうぞ」って何w》
しばらく、光は星空ロックを弾き続ける。
間奏に入った、そのとき。
光が急に、リズムを引き延ばした。
「俺さ、
ピアノって打楽器だなーって常々思ってたんだよね」
楽しそうに続ける。
「ドラムの人。
リズムバトルして遊ぼうよ!」
拍子が、ゆっくりと揺れ始める。
最初は4/4。
ドラムが刻んでいたグルーヴが、
ほんの一拍だけ伸びる。
次の瞬間、3/4。
だが、はっきりと切り替わるわけではない。
拍の重心だけが、半歩ずつずれていく。
数えようとした瞬間に、数えられなくなる。
さらに、5/8。
短い拍が連なり、
アクセントが毎回違う場所に落ちる。
身体で覚えてきたリズムが、役に立たない。
光のピアノは止まらない。
むしろ、楽しそうに跳ねている。
リズムを追いかけるのではなく、
先に置いて、ドラムを誘っている。
ドラムが必死に食らいつく。
一拍、遅れる。
次の一拍で取り戻す。
その瞬間、光がもう一段、先へ行く。
拍子は戻らない。
整えようとした瞬間に、形が変わる。
周囲の音が、ひとつ、またひとつと消えていく。
ギターが止まる。
ベースが手を離す。
鍵盤の上で、指だけが宙に浮く。
『今、どこだ?』
『私今、何してるの?』
『もう何もわからない…』
誰も、口には出さない。
だが、全員が同じことを思っていた。
それでも、光は弾いている。
拍子を数えている様子はない。
リズムを支配しようともしていない。
ただ、そこにある流れを、
少しだけ面白い方向に転がしているだけだ。
結果として、
その場に残れるのは、
“拍を理解している人”ではなく、
“拍が壊れても遊べる人”だけになっていた。
それでも光は止まらない。
「あれ?他の人も暇でしょ?
自由に入っていいよ!」
【配信コメント】
《入れるかw》
《無茶言うなw》
《超不規則な大縄跳び》
無自覚なまま、
才能が、静かに場を圧していく。
———
やがて元のメロディが不意に流れ、曲が終わる。
その瞬間、マリ姐がマイクを取った。
「はい、ここから休憩時間です。
外出自由ですし、近くにコンビニもあります。
体調が優れない方、
辞退される方は、このタイミングでお帰りいただいても構いません」
人が、動き出す。
無言で楽器を片付ける人。
視線を落としたまま出ていく人。
【配信コメント】
《そりゃそうなる》
《心折れるわ》
《光くん、マジで悪気はなさそうなのが本当怖い。》
《まだDAY1前半なのに…》
《マリ姐の最初の “何があっても自信失わないで”の言葉の意味がよくわかったわ…》
その中で。
光はまだ、中央でピアノを弾き続けていた。




