第9話 青龍の丘
フェアリーデイズ・イブの夜。
王都の通りは、色とりどりの魔道具の光で飾られていた。
明日に迫った祝祭を前に、広場では楽団が楽しげな曲を奏で、屋台から漂う甘い菓子の香りが冷たい風に乗って流れてくる。
フェアリーデイズ・イブは、翌日の精霊契約の儀で降臨する精霊たちが、この世界へ降り立つといわれる夜だ。
空は必ず晴れ、日が沈めば無数の流れ星が現れる。
そんなにぎやかな王都を離れ、わたしとメイ様は青龍の丘へ向かっていた。
メイ様の腰には、修理を終えた特注の片手剣。
わたしの背には、今日購入したばかりの銀色の弓がある。
王都での用事を済ませたわたしたちは、そのまま流星群を見るため、青龍の丘を訪れたのだ。
本来、青龍の丘へ一般人が立ち入ることは禁じられている。
魔物が生息しているからだ。
魔物とは、精霊と契約していないにもかかわらず、魔法を使う動物の総称である。
人間は精霊を介し、自らの魔力を魔法へ変える。
しかし魔物は、自らの身体だけで魔法を生み出すことができる。そのため魔法が本来持つ激しい衝動の影響を直接受け、多くの魔物は通常の動物よりも凶暴で、好戦的になる。
一方で、強い魔物ほど自身の魔法を制御する術に長けている。それに伴い、人間の言葉を理解できるほど高い知性を持つ個体も存在するという。
もっとも、青龍の丘に現れるのは、わたしたちだけでも十分に対処できる弱い魔物ばかりだ。
この三年間、一緒に鍛錬を続けてきたわたしたちなら問題ない。
そう判断した国王陛下とお父様から、二人だけで出かける許可をいただいていた。
途中で大きな角を持つウサギや、火の粉を吐くトカゲに襲われたものの、苦戦するほどの相手ではなかった。
メイ様が剣を抜くまでもない。
わたしが銀色の弓から氷矢を放ち、足元を凍らせて動きを止めると、魔物たちは慌てて森の奥へ逃げていった。
「なかなか使いやすそうね、その弓」
「はい。少し軽すぎる気もしますが、今までのように弓そのものを魔法で作る必要がありません。これなら、矢へより多くの魔力を使えそうです」
「わたしの剣も、しばらくは壊れずに済みそうだわ」
「しばらく、ですか」
「だって、わたしはこれからも強くなるもの。いずれは、この剣でも耐えられなくなるでしょうね」
当然のように言い切るメイ様へ、わたしは笑いかける。
「そのときは、また直してもらいましょう」
「ええ。何度壊れても、もっと強く作り直せばいいのよ」
木々の間を抜けると、視界が一気に開けた。
青龍の丘の頂上には、背の低い草原が広がっている。中央には古びた石がいくつも置かれていたが、建物も休憩所もない。
一般人が入れないため、流星群を見るには絶好の穴場だった。
「まだ少し早かったかしら」
メイ様が草の上へ腰を下ろし、空を見上げる。
頭上に広がっているのは、雲一つない夜空だ。
流星群はまだ始まっていない。
わたしも隣へ座り、銀色の弓を草の上へ置いた。
『星、まだかな』
肩に座っていたユキメが、期待に満ちた顔で空を見上げる。
『きっと、もうすぐだよ』
黄色い小鳥のライラも、メイ様の膝の上で翼を休めていた。
冷たい風が、丘の上を吹き抜ける。
静かだった。
遠くに王都の明かりが見えるけれど、祭りの音までは届かない。
「三年なんて、あっという間ね」
メイ様が、ぽつりとつぶやいた。
「そうですね。メイ様と初めてお会いしたのが、昨日のことのように思えます」
「あのときのあなた、本当に生意気だったわ。会ったばかりの王女へ、いきなり才能があるなんて言って」
「事実を申し上げただけです」
「そのあとも、わたしの先生と言い争っていたでしょう?」
「あれは誤解です。最後には、先生の指導が正しいと理解しました」
「どうだったかしら。ずいぶん棘のある言い方をしていた気がするけれど」
「昔のことですから、忘れました」
「都合の悪いことだけ忘れるのね」
メイ様が楽しそうに笑う。
「メイ様こそ、最初の《雷装》を覚えていますか?」
笑顔が固まった。
「……何のことかしら」
「雷を剣へ流すのに失敗して、訓練用の剣を粉々に砕いたときのことです」
飛び散った無数の破片に巻き込まれ、周囲にいた騎士たちが負傷した。
幸い重傷者はいなかったものの、演習場は大騒ぎになり、わたしたちはそろってお父様から大目玉を食らった。
「あれは、剣が弱かったのよ」
「騎士を巻き込んだことを黙って逃げようとしたではありませんか」
「逃げていないわ。少し離れたところから、皆の無事を確認しようとしただけよ」
「王城の反対側まで離れる必要がありましたか?」
「昔のことだから忘れたわ」
「都合の悪いことだけ忘れるのですね」
先ほどの言葉をそのまま返すと、メイ様は不満そうに唇を尖らせた。
「それなら、初めて野営したときのことも覚えているでしょう?」
「もちろんです。わたしがジャンクフードを作ったときですね」
「騎士たちまで夢中になって、全員で取り合いになったわ」
「メイ様が鍋を引っ張ったから、ひっくり返ったのです」
「違うわ。反対側から騎士が引っ張ったからよ」
「どちらにしても、食べ物を取り合って鍋を倒したのですよ。王女としてどうなのですか」
「あなたも一緒になって、地面へ落ちる前に拾おうとしていたじゃない」
「あれは作った者の責任です」
結局、残った料理はほとんどなかった。
そのあと全員で鍋を洗い、夕食を一から作り直すことになったのだ。
「でも、あの料理はおいしかったわ」
「味を濃くして、油をたくさん使っていますからね。おいしく感じるのは当然です」
「それで毎日食べていたら、二人とも十キロ近く太ったのよね」
当時のわたしは、路地裏で暮らしていた頃の栄養不足から、ようやく年相応の体重へ戻り始めた時期だった。
だから、ある程度体重が増えること自体は悪くなかった。
問題は、必要な分を越えても食べ続けたことだ。
「あれは苦しかったですね」
「本当に。身体が重くて走れないから、ますます動かなくなって太るという悪循環だったもの」
「メイ様のドレスの背中が裂けたときは、笑いました」
「そんなことを言ったら、ミルロだって騎士服の大きさを二回も変えたじゃない」
「もう、それは言わないでください」
「先にドレスの話をしたのは、あなたでしょう?」
二人で顔を見合わせる。
我慢できず、同時に笑い声を上げた。
食事を減らし、お父様に組んでもらった訓練を毎日こなし、二人で元の身体へ戻すまでには何か月もかかった。
つらかったけれど、今となっては楽しい思い出だ。
笑いが収まると、メイ様がわたしの肩へ頭を預けた。
「ねえ、ミルロ」
「はい」
「久しぶりに、あなたの夢の話を聞かせて」
「夢、ですか?」
「綾という女の子が出てくる、長い夢よ」
この三年間、わたしは前世のことを何度かメイ様へ話していた。
もちろん、自分が別の世界から生まれ変わったとは言っていない。
遠い世界で暮らしていた、綾という少女の夢。
そういう形にして、前世で経験した何気ない日常を聞かせてきた。
朝起きて学校へ通い、友人と話し、家へ帰る。
休みの日には家族と出かけ、ときには喧嘩もする。
ジャンクフードの作り方も、その夢の中で綾が食べていたものを再現したのだと説明している。
「それでは、何を聞きたいですか?」
「綾は、どんな女の子だったの?」
「弓ばかり引いている女の子でした」
「今のミルロと、あまり変わらないじゃない」
メイ様がくすくすと笑う。
「違います。綾はもっと大人でした」
「でも、弓ばかりなのでしょう?」
「……それは同じですね」
青春と呼ばれる時代。
周りの友人たちが恋や勉強の話をしている間も、綾は弓ばかり引いていた。
「勉強はしなかったの?」
「そこそこはしていましたよ。成績は普通でしたけれど」
「その割に、今のあなたは成績がいいわよね」
「たぶん、頭の出来が今の方がいいのでしょうね」
「同じ女の子なのに?」
「夢とは、そういうものです」
我ながら苦しい説明だったが、メイ様は気にした様子もなく空を見上げた。
「それで、綾はどうなったの?」
「最後には星になりました」
「星?」
「はい。星になった綾は流れ星となって空を渡り、この世界へ落ちてきた。そして生まれたのが、ミルロという女の子です」
子供向けの物語のような話だ。
けれど、それがわたしなりに伝えられる、前世の結末だった。
「やっぱり、同じ人なのね」
「夢の話ですよ」
「分かっているわ」
メイ様は身体を起こすと、わたしの顔をのぞき込んだ。
「でも、綾もミルロも弓ばかり引いているのなら、どちらでも変わらないじゃない」
「そうかもしれませんね」
再び、二人で笑った。
そのとき、夜空の端を細い光が横切った。
『流れ星!』
ユキメが立ち上がり、空を指さす。
一つ。
二つ。
やがて数え切れないほどの流れ星が、夜空を覆うように降り始めた。
白や青の光が長い尾を引き、青龍の丘へ降り注いでいるように見える。
「綺麗……」
メイ様が、感嘆の息を漏らした。
王都からも流星群は見える。
けれど、周囲に明かりのない丘から見る星空は、比べものにならないほど鮮明だった。
「綾も、あの中にいるのかしら」
「どうでしょう。もうミルロになってしまいましたから、空には残っていないかもしれません」
「夢の話なのに、変なところだけ現実的ね」
メイ様はそう言うと、草の上へ仰向けに寝転がった。
「ところで、どうしてここは青龍の丘というの?」
「その昔、青龍と呼ばれる強大な魔物が、この地へ降り立ったと伝えられているからです。その伝承が残り、地名の由来になったそうですよ」
「青龍なんて、聞いたことがないわ」
「実際に姿を見た者はいないそうです。伝承の中にしか存在しない魔物ですね」
「竜というくらいだから、ドラゴンなのでしょう? それで、青いのよね?」
「おそらくは。ただし、メイ様が想像しているドラゴンとは、少し姿が違うと思います」
「どんな姿なの?」
「翼のあるトカゲではなく、もっと細長くて、大きな蛇のような姿です。角と髭があって、翼がなくても空を飛べます」
「それ、蛇じゃない」
「竜です」
「どうして見たこともないのに、そんなに詳しいの? これも夢の話?」
「はい。夢で見たことがあります」
そう答えた瞬間、記憶の奥で何かが引っかかった。
ゲーム《マナアース》にも、青龍の丘は登場していた。
魔法学園を卒業し、帝国との戦争が始まる頃。
アリアと、彼女が選んだ攻略対象者が、この丘で夜通し互いの気持ちを語り合う場面がある。
戦争へ向かう前の、短い安らぎを描いた物語だった。
だから、青龍の丘という場所を覚えていた。
けれど、それだけではない。
(そういえば、沙耶が何か言っていたような……)
入院中、『マナアース』を遊んでいた頃の記憶をたどる。
自分なら大丈夫だろうとハードモードを選び、途中から敵に勝てなくなったわたしは、見舞いに来てくれた沙耶へ相談したことがある。
もっと強い武器が欲しい。
そう訴えたわたしへ、沙耶はおかしな隠しイベントの存在を教えてくれた。
フェアリーデイズ・イブの夜。
流星群の下で、決められた言葉を唱えると、青龍の丘に隠しボスが現れる。
その相手に勝てば、強力な武器が手に入るという話だった。
あまりにも都合がよく、呼び出す言葉も恥ずかしかったため、わたしは沙耶の冗談だと思っていた。
それに、教えてもらった時点では、ゲーム内のフェアリーデイズ・イブをすでに過ぎていた。
日付を巻き戻すこともできず、結局一度も試していない。
「メイ様」
「何?」
「夢の中で、少し変な話を聞いたことを思い出しました」
「どんな話?」
「青龍の丘で、ある言葉を唱えると、隠しボスが現れるそうです。その相手を倒せば、よい武器がもらえるとか」
「隠しボスって何?」
「誰にも見つかっていない、珍しい魔物のようなものです」
「面白そうね。どうやって呼び出すの?」
「絶対に嘘だと思いますよ」
「それは、わたしが決めるわ。早く教えなさい」
メイ様が身を乗り出す。
「『いでよ、青龍! そして、わたしと一戦交えなさい!』と叫ぶそうです」
「なるほど」
「いくらなんでも、そんな言葉で現れるわけが――」
メイ様が突然立ち上がった。
「まさか」
大きく息を吸い込む。
「いでよ、青龍! そして、わたしと一戦交えなさい!」
「メイ様!?」
凜とした声が、静かな丘へ響き渡る。
わたしは手を伸ばした姿勢のまま固まった。
しかし、何も起こらない。
流れ星が、夜空を横切り続けているだけだ。
「やっぱり嘘だったではありませんか」
「あなたが余計な間を入れたから、失敗したのではなくて?」
「わたしのせいですか?」
『もう一回やってみたら?』
ライラが無責任な提案をする。
「そうね。今度はもっと大きな声で――」
「やめてください。誰かに聞かれたら恥ずかしいです」
メイ様の腕をつかんだ、そのときだった。
足元から、地鳴りのような音が響いた。
「えっ?」
円形に並んでいた古い石が、青白い光を放ち始める。
石を結ぶように地面へ亀裂が走り、周囲の草が激しく揺れた。
「ミルロ。これは何?」
「分かりません。夢では、呼び出せるとしか聞いていませんから!」
次の瞬間、わたしたちの身体が大きく沈んだ。
石の円で囲まれた丘の頂が、地面から切り離され、そのまま空へ浮かび上がったのだ。
「丘が浮いているわ!」
「わたしも聞いていません!」
激しい揺れに耐えきれず、わたしとメイ様はそろって地面へ膝をついた。
周囲の木々が見る間に小さくなり、王都の明かりさえ遠ざかっていく。
浮かび上がった丘の頂は、地上からはるか高い空で、ようやく上昇を止めた。
地上へ戻る道はない。
石の円の外に広がっているのは、落ちれば助からないほど深い夜の闇だけだった。
『上! 何か来るよ!』
ライラの声に、空を見上げる。
降り注いでいた流れ星が、一か所へ集まり始めていた。
白い光の中に、巨大な影が浮かび上がる。
青く輝く鱗。
長い角と、風になびく二本の髭。
翼を持たない蛇のような巨体が、流れ星の中を泳いでいる。
全長は三十メートルを超えていた。
青龍が空を一周し、わたしたちの前へ降り立つ。
四本の足が地面に触れただけで、宙に浮かぶ丘が大きく揺れた。
『我を呼び出したのは、お前たちか』
低い声が、頭の中へ直接響いた。
実際に向き合ってみると、その姿は夢で想像していたものとは比較にならないほど大きい。
息をするだけで喉が震える。
メイ様は呆然と青龍を見上げたあと、ゆっくりとわたしへ顔を向けた。
「本当に出てきたわよ」
「わたしも驚いています」
「どうするの?」
「呼び出したのはメイ様です」
「教えたのはあなたでしょう!」
言い争うわたしたちを前に、青龍が不思議そうに首を傾ける。
やがて、夜空を埋め尽くす流星群を見上げ、愉快そうに金色の瞳を細めた。
『久方ぶりに呼び起こされたと思えば、ずいぶんと小さな挑戦者だ』
「小さくても、あなたを呼び出したのはわたしたちよ」
メイ様が青龍へ向き直る。
『恐れぬか、人の子よ』
「驚きはしたわ。でも、わたしから勝負を申し込んだのだもの。今さら逃げたりしないわ」
その顔には、怯えよりも好奇心が浮かんでいる。
青龍は再び空を見上げ、満足そうに喉を鳴らした。
『今宵は星が美しい。我も機嫌がよい。よかろう――しばし、お前たちの戯れに付き合ってやる』
「勝てば、よい武器をいただけるの?」
『我を満足させることができたなら、それにふさわしい褒美を取らせよう』
「話が早くて助かるわ」
メイ様が、修理を終えた剣を抜いた。
わたしも草の上に置いていた銀色の弓を拾い、氷の矢をつがえる。
「いつもどおり、わたしが前へ出るわ」
「はい。わたしが援護します」
『面白い。その力、我に見せてみよ』
青龍の周囲に、数え切れないほどの氷柱が生まれた。
一本一本が、わたしの作る氷矢よりも太く、鋭い。
「ミルロ!」
「任せてください!」
わたしは地面へ矢を放った。
着弾した場所から分厚い氷の壁がせり上がり、わたしたちの前を塞ぐ。
直後、氷柱が一斉に降り注いだ。
一本目が突き刺さる。
それだけで、氷壁全体へ亀裂が走った。
「えっ?」
二本目で中央がへこみ、三本目で大きく砕ける。
『同じ氷なのに、全然違う!』
ユキメが悲鳴を上げた。
強い。
隠しボスとは聞いていたけれど、これほどの相手だとは思わなかった。
「ミルロ、避けるわよ!」
メイ様がわたしの腕をつかむ。
金色の雷が身体を包み、二人で横へ跳んだ。
直前まで立っていた場所へ残りの氷柱が突き刺さり、硬い地面を粉々に吹き飛ばす。
「あんなもの、一発でも受けたら終わりではない!」
「わたしも、ここまで強いとは聞いていません!」
「夢の知識を当てにした、わたしが馬鹿だったわ!」
「呼び出したのはメイ様でしょう!」
「教えたのはあなたよ!」
青龍の尾が地面を叩く。
それだけで土煙が上がり、わたしたちの言い争いが止まった。
『戦いの最中に、ずいぶんと余裕があるようだな』
「余裕などありません!」
わたしは三本の氷矢を同時につがえた。
一射目は右目。
二射目は喉元。
三射目は前脚の関節。
三本の矢を続けて放つ。
青龍は首をわずかに振り、右目を狙った矢だけを角で弾いた。
残る二本は青い鱗へ命中する。
甲高い音が響き、矢が砕け散った。
鱗には傷一つついていない。
『脆い』
巨大な尾が横薙ぎに迫る。
「メイ様、上へ!」
地面へ撃ち込んだ矢から、斜め上へ氷の足場を伸ばす。
メイ様はそれを駆け上がり、迫る尾を飛び越えた。
「《雷装》!」
『行くよ、メイ!』
ライラの声とともに、金色の雷がメイ様の全身を包む。
空中で剣を振りかぶり、青龍の額へ叩きつけた。
雷鳴。
まばゆい閃光が辺りを覆う。
けれど、吹き飛ばされたのは青龍ではなかった。
「きゃっ!」
剣の刀身が半ばから折れ、メイ様の身体が宙を舞う。
わたしは落下地点へ向けて矢を放った。
地面からせり上がった氷が斜面を作り、落ちてきたメイ様の身体を受け止める。
「くっ……!」
氷の上へ倒れたメイ様が、折れた剣を支えに起き上がる。
その口元から、細い血が流れていた。
「メイ様、お怪我を!」
「これくらい、なんでもないわ」
そう言いながらも、呼吸は乱れている。
たった一度、攻撃を受け止められただけだ。
それなのに剣を折られ、《雷装》をまとったメイ様まで傷を負った。
(どうして……?)
沙耶は、少し苦戦するけれど勝てる相手だと言っていた。
まさか、わたしの覚えているゲームと、この世界の青龍は別物なのだろうか。
『その程度か』
青龍が大きく息を吸い込む。
周囲の温度が、一瞬で下がった。
吐いた息が白く凍り、足元の土と岩を霜が覆っていく。
青白い光が、青龍の口内へ集まり始めた。
見たことのない攻撃だ。
ゲームで実際に戦ったことのないわたしには、避け方も攻撃範囲も分からない。
背後にあるのは、浮かぶ丘の端。
その先には、地上まで続く深い闇が広がっている。
左右を見ても、身を隠せる場所はなかった。
「ミルロ、下がりなさい!」
折れた剣を手に、メイ様がわたしの前へ出ようとする。
この攻撃を、メイ様一人で受け止められるはずがない。
「逆です。メイ様が下がってください」
「わたしが前衛よ!」
「だからこそです」
メイ様が前へ出て、わたしが後ろから道を作る。
いつもは、それでよかった。
けれど今、青龍へ続く道はどこにもない。
ならば、作るしかない。
たとえ、目の前の吹雪を通り抜ける道であっても。
わたしは残る魔力を一本の矢へ集めた。
銀色の弓が青白く輝き、右手に、これまで作ったことのないほど長い氷の矢が生まれる。
「メイ様」
矢をつがえ、青龍の口元へ狙いを定める。
「わたしを信じて、まっすぐ走ってください」
「この状況で?」
「はい。青龍の喉元まで、必ず道を通します」
メイ様は一瞬だけ目を見開き、すぐに不敵な笑みを浮かべた。
「当然よ。最初から、あなたを疑ってなどいないわ」
折れた剣を握り直し、腰を落とす。
青龍の口内で、青白い光が限界まで膨れ上がった。
『ならば、これを越えてみせよ』
浮かぶ丘のすべてを凍らせるような白い奔流が、青龍の口から放たれる。
「ユキメ!」
『うん!』
迫り来る吹雪の中心へ向け、わたしは一本の矢を射放った。




