第6話 金色の雷
アーサーとの弓勝負から、さらに二か月が過ぎた。
マルチーズ家の養女になって、三か月。
十分な食事と毎日の鍛錬のおかげで、わたしの身体は見違えるほど元気になった。
まだ同年代の子供より細いものの、氷弓なら十射しても倒れない。射場の端から端まで走っても、息を整えればもう一度弓を構えられる。
そして先日、王国騎士団が育成する従騎士見習いの選抜試験にも合格した。
筆記と弓術は首席。体力試験は、どうにか合格点。
総合成績でも一位になれたのは、氷の弓と雪を操る魔法が高く評価されたからだ。
今日は、待ちに待った従騎士見習いとしての初日――のはずだった。
「第一部隊の預かり、ですか?」
真新しい見習い用の騎士服に袖を通したわたしは、お父様の言葉を聞き返した。
王国の紋章である金色の雷が、紺色の胸元に刺繍されている。鏡の中の姿は、まだ服に着られているようにしか見えない。
「そうだ。お前には第一部隊で訓練を受けながら、第一王女メイ様の護衛候補を務めてもらう」
「わたしは、弓兵を多く抱える第四部隊を希望したはずですが……」
「第一部隊でも弓は学べる。お前の訓練を制限するつもりはない」
「なら、どうしてわたしが王女様の護衛候補に?」
「メイ様と同じ十歳で、精霊と契約した女子の従騎士見習いだからだ。陛下は、護衛として育てながら、メイ様の話し相手にもなれる者を求めておられる」
「ですが、今のわたしに王女様をお守りできるとは思えません」
「正規の護衛騎士は別にいる。今すぐ、お前一人に殿下の身を預けるわけではない」
安心したような、少し残念なような、複雑な気持ちになる。
お父様はそこで言葉を切ると、厳しい顔をわずかに曇らせた。
「メイ様は三か月前、《フェアリーデイズ》で雷の精霊と契約された。しかし、それ以来、人を遠ざけることが増えたそうだ」
「今日の訓練は、どうなるのですか?」
「騎士団での訓練は欠席だ。メイ様の前に立つことが、お前の最初の任務になる」
第一王女、メイ・ウィシュタリア。
その名は、ゲームの記憶にもはっきり残っている。
主人公アリアの攻略対象者の一人である、第一王子ゼノンの妹。
兄と同じ雷属性の膨大な魔力を持ちながら、それをうまく扱えず、力を持て余していた王女だ。
魔法を制御できず、課外授業では何度も同じ班の仲間を攻撃へ巻き込んだ。
メイ一人の力で敵を倒せても、班としては満足な点数を得られない。失敗を重ねるうちに、仲間との関係も悪化していった。
そして一年生の後期。課外授業の累積成績でBクラスの首席班に追い抜かれ、メイたちはAクラスからBクラスへ落ちた。
しかも、後期から始まる学年合同のランク戦には、Aクラスの生徒しか参加できない。
自分の力を証明する機会まで失ったメイは、さらに深く落ち込み、やがて学園へ来なくなった。
そのため、ゲームの学園編にはメイが戦う場面が一度もない。
膨大な雷の魔力を持つという設定だけが語られ、その本当の強さも、どのような戦い方をしていたのかも分からないままだった。
帝国の工作員がメイへ接触したのは、その頃だった。
『帝国へ来れば、望む力を与える』
その言葉を信じたメイは、誰にも相談することなく、自ら帝国へ向かったのだ。
帝国が完成させた新技術――《魔人化》。
ゲームの精霊には、物語の終盤で明かされる秘密があった。
その秘密を解き明かした帝国は、人間と精霊の主従関係を逆転させる技術を開発した。
本来なら、人間が精霊の力を借りて魔法を使う。
しかし魔人化すれば、精霊が人間の身体と魔力を支配し、己の力を限界まで引き出すようになる。
そうして生まれた存在が、魔人だ。
帝国編の終盤、ゾンビ兵となったカトレアとミルロが率いる軍団を退けた主人公たちの前に、次の中ボスとしてメイが現れる。
金色の雷と、巨大な鳥の姿となったライラに呑み込まれ、魔人と化したメイ。
すでに自分の意思を失っていた彼女は、敵も味方も分からないまま、実の兄ゼノンへ襲いかかるのだ。
激戦の末、聖女として覚醒したアリアの癒やしの力によって、メイは一命を取り留める。
しかし、代償はあまりにも大きかった。
メイはすべての魔力を失い、契約精霊ライラも消滅する。
生きて王国へ戻ることはできたものの、二度と魔法を使えない王女として、残りの人生を送ることになる。
勇者と聖女の物語では、主人公たちが帝国の新兵器から救い出した悲劇の王女。
けれど、彼女にだって彼女の人生があったはずだ。
わたしが、取り巻きCという一言では片づけられない人間だったように。
「お引き受けします」
「よいのか?」
「はい。メイ様の護衛候補にしてください」
帝国へ行かせなければ、あの結末は避けられる。
それに、ゲームでは見えなかった本当のメイを、この目で確かめたかった。
◇
お父様とともに王宮へ着くと、すぐに王族専用の演習場へ案内された。
石造りの回廊を抜けた先から、張り詰めた声が聞こえてくる。
「メイ様、お待ちください! 先ほどの攻撃で防護結界が弱まっています。張り直すまで、次の攻撃は――」
「もう待てないわ!」
金色の光が空へ弾けた。
続いて、腹の底まで揺らす轟音が響く。
窓ガラスが震え、回廊にいた侍女たちから悲鳴が上がった。
「今の音は……」
「急ぐぞ」
お父様が駆け出し、わたしもそのあとを追った。
演習場の中央に、一人の少女が立っていた。
陽光を溶かしたような金色の髪。澄んだ青い瞳。白を基調とした訓練着の上を、細い稲妻が走っている。
両手には、自分の身体には大きすぎる訓練用の長剣。
その頭上を、小さな黄色い鳥の精霊が心配そうに飛び回っていた。
「メイ、もうやめよう! 魔力が乱れてるよ!」
「ライラは黙っていて。もう一度よ」
メイが剣を構える。
向かいに置かれているのは、騎士の重装鎧を模した鋼鉄製の標的だ。
演習場の端では、老魔術師と護衛騎士たちが、弱まった防護結界を張り直そうとしている。
「メイ様、まだ結界の準備ができておりません!」
指導役らしい老魔術師が叫んだ。
「それに、剣へ込める魔力が多すぎます! まずは雷撃を狙った場所へ当てる訓練を――」
「雷撃なら、三日前から何度もやったわ。一度も的に当たらなかったけれどね」
メイの声は震えていた。
「ゼノンお兄様なら、一時間でできたのでしょう?」
「殿下と比べる必要はございません。メイ様には、メイ様に適した魔法の使い方が――」
「そんなもの、誰も教えてくれなかったではない!」
金色の雷が、刀身へ吸い寄せられていく。
「飛ばして当たらないのなら、自分で的まで運べばいいのよ!」
「おやめください!」
制止を振り切り、メイは地面を蹴った。
一瞬、その姿が消えたように見えた。
雷鳴。
金色の軌跡が演習場を走り、次の瞬間には、鋼鉄の標的が胴から真っ二つに断たれていた。
(速い……!)
十歳の少女が放ったとは思えない威力だ。
けれど、注ぎ込まれた魔力に訓練用の剣が耐えられなかった。
刀身が砕け、鋭い破片が回転しながら飛び散る。
本来なら破片を防ぐはずの結界は、まだ張り直されていない。
手のひらほどもある鉄片が一つ、演習場の入り口近くで交換用の剣を運んでいた若い侍女へ向かった。
「危ない!」
考えるより先に、左手を伸ばしていた。
「ユキメ!」
「うん!」
胸の奥から魔力を引き出し、氷の弓と矢を作り出す。
狙うのは的ではない。
陽光を反射しながら飛ぶ、鋭い鉄片。
弦から指を離す。
放った氷矢は空中で鉄片を正確に射抜き、その表面を白い霜で覆った。
勢いを失った鉄片が、侍女の足元へ落ちる。
演習場が静まり返った。
「……今の矢、あなたが?」
メイが、折れた剣を手にしたままこちらを見る。
青い瞳には驚きと、それ以上に強い警戒が浮かんでいた。
「はい。お怪我はありませんか、メイ様」
「わたしを誰だと思っているの。この程度で怪我などしないわ」
「ご無事なら何よりです」
氷弓を消して一礼する。
「本日より第一部隊で訓練を受けながら、メイ様の護衛候補を務めます。ミルロ・マルチーズと申します」
「護衛候補?」
メイの眉がつり上がった。
「必要ないわ。今のを見たでしょう? わたしは自分の身くらい、自分で守れる」
「はい。わたしには出せないほど、強い攻撃でした」
素直に答えると、メイは言葉に詰まった。
「……笑わないの?」
「なぜですか?」
「雷撃を的へ当てることもできず、剣を壊してばかりいるのよ。先生にも、ゼノンお兄様のように雷撃を操る才能はないと言われたわ」
「そのような意味で申し上げたのでは――」
老魔術師が慌てて否定しようとする。
わたしは、両断された鋼鉄の標的を見た。
切り口は熱で赤く染まり、地面にはまだ火花が散っている。
「あれだけの鋼鉄を一撃で斬れる方に才能がないのなら、才能という言葉の意味を変えた方がよさそうですね」
「なっ……」
お父様が背後で咳払いした。
少し言い過ぎたらしい。
「メイ様に足りないのは、力ではありません。力を注いでも壊れない武器と、その力を狙った場所へ届ける方法です」
「そんな方法があるの?」
「今は、まだ分かりません」
期待しかけた顔が、露骨に曇る。
「分からないのに、偉そうなことを言ったの?」
「だから、これから一緒に探します」
メイの正面へ立ち、まっすぐに目を合わせる。
「メイ様が前へ出て、その雷で敵を打ち破る。わたしは後ろから、メイ様の力が届くべき場所を見つけます」
「あなたが?」
「狙ったところへ当てるのは、得意ですから」
先ほど撃ち落とした鉄片へ視線を向ける。
メイもそれを見て、しばらく黙り込んだ。
やがて折れた剣を地面へ置き、わたしの前まで歩いてくる。
「いいわ。そこまで言うなら、試してあげる」
「ありがとうございます」
「勘違いしないで。あなたを認めたわけではないの」
メイは小さな手を、わたしへ差し出した。
「わたしはメイ・ウィシュタリア。この国の第一王女で、今日からあなたの主人よ。わたしの雷を、誰よりも強くしなさい。これは命令よ」
ずいぶん無茶な初命令だ。
それでも、雷に呑まれて自分を失ったゲームの王女より、目の前で負けず嫌いに胸を張る少女の方がずっといい。
わたしは、その手を握った。
「承知いたしました、メイ様」
金色の雷と、青白い氷。
本来なら交わらなかった二つの力が、この日、初めて出会った。




