↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/53

第5話 兄妹の弓勝負

一か月後。


 マルチーズ家の射場に、二つの的台が並べられていた。


 それぞれの台には、小さな円形の的が五枚、横一列に取りつけられている。一射ごとに、左端の的から順番に狙っていく。


 距離はおよそ二十八メートル。


 前世で綾が立っていた近的の射場と、ほとんど同じ距離だ。


「勝負は五射。的へ当てた数が多い方を勝者とする。中心からの距離は問わない」


 審判を務めるお父様が、わたしとアーサーを交互に見る。


「使用する弓と矢は自由。ただし、相手への妨害は禁止だ。異論はあるか?」


「ありません」


「俺もありません」


 アーサーと並び、それぞれの射位に立つ。


 一か月前、医師から弓を禁止された日に交わした約束。


 今日の診察でようやく、短時間なら訓練してもよいと許可が出た。


 それを聞いたわたしとアーサーは、その日のうちに勝負を始めることにしたのだ。


「二人とも頑張って!」


 少し離れた場所では、お母様が祈るように両手を組んでいる。


「ミルロ、無理しちゃ駄目だよ」


 ユキメはわたしの肩に座り、心配そうに何度も同じ注意を繰り返していた。


「分かっているわ」


「さっきから、その言葉、あんまり信用できないよ」


 失礼な精霊だ。


 けれど今日は、倒れるまで続けるつもりはない。


 五本だけ。きっちりすべて当てて、アーサーに勝つ。


 わたしは練習場から借りた木製の弓を握り直した。


 アーサーが普段使っているものと、同じ強さの弓だ。


 身体つきの違う相手と同じ弓を使う必要はない。それでも最初の勝負くらい、同じ条件で技術を比べてみたかった。


「始め!」


 お父様の声が射場に響いた。


     ◇


 第一射。


 先に射たのはアーサーだった。


 矢は一枚目の的の左をかすめ、そのまま後ろの土壁へ突き刺さる。


「くっ……」


 アーサーが小さく息を吐く。


 わたしの番だ。


 足を開き、矢をつがえ、弓を構える。


 ここまでは問題ない。


 けれど、弦を引き始めた途端、右腕に予想以上の重さがかかった。


(重い……!)


 この一か月、食事と散歩で少しずつ体力を取り戻してきた。


 それでも、十年間の栄養不足は簡単には埋まらない。


 前世の身体なら難なく引けた強さなのに、今の細い腕は途中から震え始めた。


 力で押さえ込もうとするほど、肩が上がり、狙いがぶれる。


 放った矢は大きく失速し、的の手前で地面へ落ちた。


 第一射は、二人とも外れ。


 第二射。


 アーサーの矢は、二枚目の的の右端を射抜いた。


 中心からは遠い。それでも的中は的中だ。


「アーサー、一」


 お父様が結果を告げる。


 続いて、わたしも二本目の矢をつがえた。


 今度こそ。


 足から背中へ力を通し、腕だけに頼らず弓を押す。


 けれど、弓そのものが今の身体に合っていない。引き切る寸前に右肘が下がり、矢は的の上を通り過ぎた。


「ミルロ、外れ」


 これで、〇対一。


 残された矢は三本。このままでは勝てない。


「弓を替えるか?」


 お父様が尋ねた。


 悔しかった。


 技の誇りが、同じ弓で勝てと叫んでいる。


 けれど今ここにいるのは、弓田綾ではない。


 十歳のミルロだ。


 身体に合わない弓へ意地を張り、的を外し続けることに何の意味がある。


 弓を握る目的は、誰かと同じ条件で戦うことではない。


 矢を、狙った場所へ届けることだ。


「替えます」


 木の弓を台へ戻し、左手を前に出す。


「ユキメ」


「うん!」


 胸の奥から冷たい魔力を引き出す。


 ユキメとの契約を通じて魔力が形を変え、水色の光となって伸びていく。


 やがて、透き通った弓身がわたしの手の中に生まれた。


 握りを境に上下の長さが異なる、ミルロのための氷の和弓。


 木の弓より長い。しかし重さも弦の強さも、今の身体に合わせて自由に調整できる。


 右手には、同じく氷で作った一本の矢。


 夕日を受けた弓と矢が、淡い青色にきらめいた。


「それが、君の弓か」


 アーサーは氷弓を見つめ、嬉しそうに口元を上げた。


「ここからが本番だな」


「ええ」


 第三射。


 アーサーの矢が、的の左下へ刺さる。


 二本連続の的中だ。


 わたしは氷の矢をつがえた。


 足踏み。胴造り。弓構え。


 身体の中心から左右へ伸びるように、氷の弦を引き分ける。


 木の弓を持っていたときの震えはない。


 狙うのは、円の中心。


 ただ一点。


 放れ。


 澄んだ弦音とともに、氷の矢が青い軌跡を描いた。


 的のど真ん中へ突き刺さる。


「ミルロ、一」


 お父様の声は冷静だったが、その目がわずかに見開かれていた。


 第四射。


 アーサーは的の上端へ、ぎりぎりながら命中。


 わたしの氷矢は、再び中心を射抜いた。


 第五射。


 アーサーの矢は、今度も外周近くへ刺さる。


 これでアーサーは四本的中。わたしが最後の一本を当てても、三本にしかならない。


 勝敗は決まった。


 それでも、射る前に諦める理由にはならない。


 氷の弓を構え、呼吸を整える。


 放った矢は、三度続けて中心を貫いた。


「五射終了。アーサー四、ミルロ三。勝者――」


「待ってください、父上」


 アーサーが、お父様の宣告を遮った。


「どうした」


「このままでは、俺の勝ちとは思えません」


 アーサーは二つの的台を指さした。


 彼の的には、端へ散らばった四本の矢。


 わたしの的には、最初の二枚を外した跡と、中心を正確に射抜かれた三枚が並んでいる。


「決められた勝負には勝った。それでも、弓の腕で勝ったとは言えません。延長をお願いします」


「規則は規則だ。お前が勝者であることに変わりはない」


「分かっています。だから、これは俺のわがままです」


 アーサーがわたしへ向き直る。


「ミルロ。先に外した方が負け。それで、もう一度勝負してくれないか?」


 その顔に、勝者の余裕はなかった。


 わたしを対等な相手として見ている、真剣な目だった。


「もちろんです」


 断る理由などなかった。


「待て」


 お父様の低い声が、わたしたちを止める。


「ミルロ。医師から許されたのは、短時間の訓練だけだ。続けられるのか?」


「はい。あと五射までなら」


 ユキメが心配そうに、わたしの顔をのぞき込んでくる。


「本当に大丈夫?」


「無理はしないわ」


 お父様はしばらくわたしの顔を見つめたあと、厳しい表情で告げた。


「少しでも異変を感じたら、その時点で中止する。それが条件だ」


「分かりました」


「アーサーもだ。勝負に夢中になって、妹の状態を見落とすな」


「はい、父上」


 お父様の許可を得て、延長戦が始まることになった。


     ◇


 新しい的が、さらに五枚ずつ並べられた。


 第六射。


 アーサーの矢は外周の内側。わたしの氷矢は中心。


 第七射。


 アーサーの矢は右端ぎりぎり。わたしの氷矢は中心。


 第八射。


 アーサーの矢は的の下半分。わたしの氷矢は中心。


 第九射。


 アーサーの矢は、初めて中心に近い内側の円へ刺さった。


 それでも、わたしの氷矢は中心を外さない。


 どちらも、一度も外れない。


 射場から話し声が消えていた。


 お母様も、使用人たちも、息をすることさえ忘れたように勝負を見守っている。


「すごい……」


 肩にいるユキメが、小さくつぶやいた。


 けれど、余裕があるわけではない。


 七本の氷矢を作り続けたことで、魔力が残り少なくなっている。氷の弓にも、細かなひびが浮かび始めていた。


 アーサーも肩で息をしている。


 次が、互いに十射目。


 先に構えたのはアーサーだ。


 大きく息を吸い、弦を引く。


 疲れていても、その姿勢は崩れていない。


 アーサーは最後まで中心を狙った。


 矢が放たれる。


 わずかに強い横風が、射場を吹き抜けた。


 矢は的の縁をかすめ、後ろの土壁へ突き刺さった。


「……外した」


 アーサーが悔しそうに唇を噛む。


 だが、勝負はまだ終わっていない。


 わたしも外せば、もう一度続く。


「ミルロ、大丈夫?」


 ユキメが不安そうに尋ねる。


「大丈夫」


 ユキメへ答え、ひびの入った氷弓を構える。


 風はまだ止んでいない。


 頬をなでる流れを感じ、狙いをほんの少しだけ左へずらす。


 腕が重い。視界もかすかに揺れている。


 それでも、的の中心だけは鮮明に見えた。


 弦から指を離す。


 最後の氷矢は風を切り裂き、十枚目の的、そのど真ん中へ突き立った。


 一拍遅れて、射場に歓声が上がった。


「延長戦、勝者ミルロ!」


 お父様の声を聞いた途端、身体から力が抜けた。


 崩れそうになった氷弓を消し、その場へ座り込む。


 アーサーがすぐに駆け寄り、手を差し出した。


「負けた。完敗だ」


「最初の勝負は、お兄様の勝ちです」


「だが、弓の腕は君が上だ」


 悔しそうなのに、その声はどこか晴れやかだった。


 手を借りて立ち上がると、お父様が目の前まで歩いてくる。


「ミルロ」


「はい」


「最初の二射を外したとき、同じ弓にこだわり続けていれば、お前を叱るつもりだった」


 大きな手が、わたしの頭へ置かれた。


「弓兵の務めは、己の力を誇示することではない。どんな状況でも、必要な場所へ矢を届けることだ。お前は意地を捨て、自分に合った武器を選んだ」


 お父様の手が、不器用に水色の髪を撫でる。


「その後の八射も見事だった。よくやった、ミルロ」


 厳しかった青い瞳が、優しく細められた。


「お前なら、きっと本物の弓兵になれる。私の娘として、誇りに思う」


 その言葉は、どんな的中音よりも深く、わたしの胸に響いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。