第48話 帰ってきた嘘つき
【ミルロ視点】
どうして、ダルタンは現れなかったんだろう。
談話室でお兄様たちから話を聞いた夜、ベッドへ入ってからも、そのことばかり考えていた。
ゲームでは、2年生の交流行事でフジリストへ登る途中、ダルタンがジーク様とアリアを襲撃する。
だけど、お兄様たちが参加した交流行事では、そんな事件は起きていなかった。
中腹までは、お兄様たちもジーク様の班と僅差だった。襲撃があれば、気づかないはずがない。
それでは、ダルタンは何をしていたのだろう。
ゲームと現実が違うことは、これまでにも何度もあった。
わたしがメイ様の護衛になったことも、テラやリリスと同じ班になったことも、ゲームにはなかった出来事だ。
それでも、今回の違いには妙な胸騒ぎがした。
ダルタンは以前、ジーク様を見る目がおかしかった。何をしでかすか分からないと、お兄様にも伝えてある。
そんな人が、ゲームで起こすはずだった事件を起こさなかった。
ただ諦めただけならいい。
だけど、別の場所で何かをしていたとしたら……。
考えれば考えるほど、頭が冴えてしまう。
結局、眠りについたのは、夜がかなり更けてからだった。
◇
「……ん」
目を覚ましたとき、窓の外はすっかり明るくなっていた。
差し込む光をぼんやりと眺めながら、何度か瞬きをする。
いつもの朝とは、何かが違う。
鳥の声がやけに賑やかだ。
廊下から聞こえてくる生徒たちの足音もほとんどない。
嫌な予感がして、慌てて時計を確認した。
「うそっ!?」
一瞬で眠気が吹き飛んだ。
もう授業が始まる時間が迫っている。
急いでベッドから飛び降り、寝間着のまま隣の部屋へ駆け込んだ。
「メイ様、起きてください!」
「うぅん……あと少し……」
「あと少しではありません! 遅刻してしまいます!」
「ちこく……?」
布団の中から顔を出したメイ様が、眠そうに目をこする。
以前、テラたちと初めてパフェを食べに行った翌日は1人で早起きしていたけれど、あれはあくまで例外だった。
普段のメイ様は、わたしが起こさなければ目を覚まさない。
つまり、わたしが寝坊すれば、当然のようにメイ様も寝坊する。
「どうして起こしてくれなかったのよ……」
「わたしも今起きたんです!」
「もう、何をしているのよ!」
「申し訳ありません!」
2人で慌ただしく着替え、髪を整える時間も惜しんで部屋を飛び出した。
廊下を走ってはいけないという規則も、今日だけは守っていられない。
それでも、教室へ着いたときには、すでに授業が始まっていた。
「遅れて申し訳ありません!」
勢いよく扉を開けると、先生とクラス全員の視線がわたしたちへ集まった。
「2人揃って遅刻とは、ずいぶん余裕があるようだな」
「申し訳ありません……」
「まったく、護衛が主人まで寝坊させてどうする」
何も言い返せず、深く頭を下げる。
「今後は気をつけるように。早く席につけ」
「はい……」
顔を上げ、教室の中へ入る。
そのとき、いるはずのない人物が静かに席へ座っていることに気づいた。
「えっ……?」
休学していたはずの少女が、何事もなかったようにこちらを見ている。
「カワリさん……?」
「お久しぶりです、メイ様、ミルロ様」
カワリは以前と変わらない丁寧な態度で、わたしたちに頭を下げた。
「あなた……!」
メイ様が目を見開き、カワリの席へ詰め寄った。
「今までどこへ行っていたのよ! 急にいなくなって、どれだけ心配したと思っているの! それに、舞踏会の――」
「メイ様」
慌てて、その先を止めた。
周囲を見てください。
そう訴えるように目を向けると、メイ様も教室中の生徒がこちらを見ていることに気づいた。
舞踏会で起きたことを、この場で話すわけにはいかない。
「……分かったわ」
メイ様は不満そうにしながらも、それ以上は口にしなかった。
「放課後、3人で話しましょう。事情をすべて聞かせてもらうわよ」
「承知しました、メイ様」
「話が済んだのなら、2人とも早く席につけ。これ以上、授業を遅らせるな」
「はい……」
先生にもう1度叱られ、わたしたちは大人しく自分たちの席へ向かった。
カワリが戻ってきた。
理由を聞きたい気持ちはあったけれど、授業中に話しかけることはできない。
何度も彼女の背中を見ながら、放課後まで落ち着かない時間を過ごした。
◇
授業が終わると、わたしとメイ様はカワリを連れて空き教室へ向かった。
ただし、集まったのは3人ではなかった。
「なぜ、あなたまでついてくるのよ?」
メイ様が訝しそうに尋ねると、シリルは穏やかな表情で答えた。
「3人が話し合うために席を立ったことは分かりました。ですが、カワリさんは僕とメイ様の班員でもあります。同じ班の者として、話を聞く権利はあると思います」
メイ様は少し考えたあと、頷いた。
「そうね。あなたにも関係のある話だわ。参加を許します」
「ありがとうございます」
空き教室の扉を閉め、わたしたちはカワリを囲むように席についた。
朝は突然の再会に感情を抑えられなかったメイ様も、今はすっかり落ち着いている。
「それでは、何があったのか、あなたの口から聞かせて」
「はい」
カワリは背筋を伸ばし、静かに話し始めた。
「まず、舞踏会のときにミルロ様へお話ししたことですが、入学試験の成績が入れ替えられていたのは事実です。それを行ったのはニュギュウ伯爵様です」
メイ様が眉をひそめる。
「伯爵が、どうやって学園の成績を入れ替えたというの?」
「伯爵様は学園と何かしらのツテがあるそうです。それで、無理を承知でお願いしたと聞いています」
「どうして、そんなことを……」
「ミルロ様とわたしは、どちらも王都で見つかった平民出身の孤児です。そして、王都の教会で精霊と契約したことをきっかけに、それぞれ貴族家へ迎え入れられました。ミルロ様は男爵家、わたしは伯爵家です」
カワリは膝の上で両手を握り締めた。
「同じような境遇でありながら、男爵家へ迎えられたミルロ様が主席で、伯爵家へ迎えられたわたしが最下位。それでは、ニュギュウ伯爵家の威厳が損なわれると考えられたそうです」
「そんな理由で……」
メイ様の声に怒りが滲む。
「それだけではありません。同じ学年に、王族であるメイ様が入学なさると知っていました。わたしを上位のクラスへ入れ、メイ様と親しくさせることで、王家との結びつきを強めようと考えていたのです」
カワリは申し訳なさそうに頭を下げた。
「わたしも、精一杯努力したつもりでした。ですが、伯爵家へ迎えられるまで、わたしは文字すらまともに知りませんでした。基礎的な勉強から始めたため、入学試験の範囲をすべて学ぶには時間が足りなかったんです。実技でも失敗し、本当の成績は最下位でした」
以前は認めようとしなかったことを、カワリは正直に告白している。
「伯爵様からは、成績の入れ替えはあくまで猶予だと言われていました。その間に必死で勉強と研鑽を重ね、いずれは自分の力でミルロ様を追い抜けと」
だけど、最初の入れ替え戦で、カワリはわたしと戦うことになった。
伯爵は、わたしたちの実力差が公の場で明らかになることを恐れた。
それでも、決まった試合から逃れることはできなかった。
「なんとしても勝て。負ければ、お前の居場所はない。そう言われました」
カワリの声が震える。
「焦っていました。怖かったんです。ですが、結果はご存じのとおりです。わたしはミルロ様に何もできないまま戦闘不能にされ、班の勝利にまったく貢献できませんでした」
試合の結果を知った伯爵は激怒した。
そして使者を通じ、舞踏会が終わり次第、すぐに屋敷へ戻るようカワリへ命じたという。
「わたしは貴族としての立場を失いたくありませんでした。伯爵様を説得するためには、何か役に立つものを持ち帰らなければならないと思いました。それで、ミルロ様に密約契約書を迫ってしまったんです」
カワリが、わたしへ向き直る。
「申し訳ありません、ミルロ様。わたしは追い詰められ、焦っていました。断られて思いどおりにならなかったことに腹を立て、ついカッとなって攻撃してしまいました」
彼女は深く頭を下げた。
「ですが、殺そうとも、怪我をさせようとも思っていませんでした。あのとき使ったのは、伯爵様から護身用に持たされていた魔道具です。精霊の魔法をミルロ様へ向けないだけの理性は残っていました。これだけは信じてください」
そう言って、カワリは1つの指輪を取り出した。
中央には、わずかに濁った宝石が埋め込まれている。
風神の指輪。
あの夜、わたしを攻撃した風魔法を発生させた魔道具だ。
メイ様とシリルは、初めて見る指輪を黙って見つめていた。
舞踏会の翌日、わたしは2人にこの指輪のことを話さなかった。
カワリさんに契約精霊がいないことも伏せていた。
「舞踏会のあと、わたしは屋敷へ戻り、伯爵様を説得しました。話し合いに時間がかかったため、これまで学園を休んでいたのです」
「それで、伯爵は納得したの?」
「はい。わたしがどれほどの重圧を感じていたのかも、分かってくださいました」
カワリは、安心したように微笑んだ。
「伯爵様は、わたしに謝ってくださいました。これからは必要以上にミルロ様と比べず、わたし自身のために努力を続ければいいとおっしゃってくださいました。成績を入れ替えたことについても、自分の判断が間違っていた、本当に申し訳なかったと……」
そしてカワリは、伯爵から2度と同じような不正をしないという約束も取りつけたという。
すべて解決した。
彼女の話だけを聞けば、そう思える内容だった。
「メイ様、ミルロ様」
カワリは椅子から立ち上がると、わたしたちの前に膝をついた。
「わたしは、大変なことをしてしまいました。どうか、お許しください。本当に申し訳ありませんでした」
そのまま床へ両手をつき、深く頭を下げる。
「カ、カワリさん……」
突然土下座され、困って、メイ様を見た。
だけど、メイ様もどうすればいいのか分からないらしい。
怒っているのか、安心しているのか、それともまだ疑っているのか。
複雑な表情で、頭を下げるカワリを見つめていた。
どうすればいいのだろう。
答えを求めるように、シリルへ目を向けた。
いつも穏やかな彼は、冷めた目でカワリを見下ろしていた。
「メイ様は、どうしたいのですか?」
シリルが静かに尋ねた。
「わたし?」
「はい。この班の班長はメイ様です。カワリさんをどうするのかは、メイ様が決めてください」
「えっ、でも……」
メイ様が助けを求めるように、こちらを見る。
「わたしは――」
助け船を出そうと口を開いたわたしを、シリルの厳しい視線が制した。
「ミルロさん。今はお待ちください」
「……はい」
思わず姿勢を正してしまう。
普段の温和なシリルからは想像もできないほど、厳しい態度だった。
まるで、お父様を見ているようだ。
◇
【シリル視点】
カワリの話を聞き、僕は怒りを覚えていた。
彼女の言葉には、事実も含まれているのだろう。
入学試験の成績が入れ替えられたこと。
その不正にニュギュウ伯爵が関与していたこと。
ミルロさんとの実力差を埋めるよう、過度な重圧をかけられていたこと。
それらは、おそらく事実だ。
しかし、決定的な嘘がある。
ニュギュウ伯爵が自らの過ちを認め、カワリへ謝罪した?
2度と不正をしないと約束した?
そんなことが、本当にあり得るのか。
成績の入れ替えは、単なる不正ではない。
もし明るみに出れば、この魔法学園の信用は地に落ちる。
ニュギュウ伯爵が責任を追及されるだけでは済まない。伯爵1人の地位などでは、到底釣り合わないほどの問題だ。
この魔法学園は、ウィシュタリア王国だけの機関ではない。
キルラルド帝国とワイマール共和国も参加する国際機関なのだ。
ウィシュタリア王国の貴族が学園長と結託し、恣意的に成績を入れ替えていたと知られれば、2か国から王国そのものの責任を追及されるだろう。
本当に自らの過ちを認めたのなら、まず成績を元に戻し、学園とミルロさんへ正式に謝罪するはずだ。
だが、カワリの話には、そのどちらも出てこない。
不正を公表することなく、カワリだけを学園へ戻した。
それは反省ではない。
問題を隠したまま、すべてが解決したように見せかけているだけだ。
カワリは嘘をついている。
そのことが、ひどく残念だった。
舞踏会での件を反省し、正直にすべてを話すつもりがあるのなら、まだ信じられたかもしれない。
しかし彼女は、自分にとって都合のよい結末を作り上げ、メイ様とミルロさんを欺こうとしている。
もう彼女を信用することはできない。
一刻も早く、学園から消えてほしいとさえ思う。
ここで僕が彼女の嘘を糾弾するのは簡単だ。
だが、それでは意味がない。
この班の班長はメイ様だ。
そしてメイ様は、この国の王族でもある。
彼女自身がカワリの話に潜む嘘へ気づき、今後の処遇を判断しなければならない。
それができなければ、僕はメイ様との関係も見直す必要があるだろう。
ただ、その前に確かめなければならないことがある。
実際にカワリから攻撃され、密約を迫られたミルロさんが、どう考えているのか。
「ミルロさん。それでは、あなたにお聞きします」
僕は彼女をまっすぐに見つめた。
「あなたは、カワリさんを許してあげられますか?」
ミルロさんが、わずかに目を見開く。
「彼女はメイ様、そして僕の班員です。あなたは彼女が、メイ様の隣に立つにふさわしい人物だと、本気で思っていますか?」
◇
【ミルロ視点】
正直に言えば、わたしはカワリを許してあげてもいいと思っていた。
彼女がわたしを襲ったのは事実だ。
それでも、追い詰められていたことは理解できる。
孤児として生きることがどれほどつらいのか、わたしも身をもって知っている。
だけど、シリルの言葉を聞き、もう1度カワリの説明を思い返す。
あの襲撃のとき、彼女には精霊がいなかったはずだ。
それなのにカワリは、精霊の魔法をわたしへ向けない理性はあったと説明した。
本当に、そうなのだろうか。
心の中でユキメに呼びかけた。
『ユキメ。あのとき、カワリには契約精霊がいなかった。そうだよね?』
『うん、そうだよ。あのときの彼女からは、精霊の存在を感じなかった。それに、わたしと契約したミルロのことを、ずるいって言ってたよ』
やっぱり、そうだ。
カワリの話は、あの夜の言葉と矛盾している。
それだけではない。
彼女は密約契約書まで用意し、わたしに署名を迫った。
わたしだけではなく、メイ様やテラ、リリスまで巻き込もうとした。
追い詰められていたことは認める。
孤児だった彼女が、ようやく手に入れた居場所を失いたくなかった気持ちも分かる。
だけど、それが誰かを裏切っていい理由にはならない。
ようやく、シリルが言いたかったことが分かった。
わたしはメイ様の友人である前に、彼女の護衛騎士なのだ。
仲良くなりすぎて、すっかり忘れていた。
わたしだけで済む話なら、甘いと言われても許してあげたかもしれない。
だけど、これはそういう問題ではない。
カワリは嘘をついている。
同情して許せば、その嘘を抱えたままメイ様の隣へ戻ることになる。
自分を守るためなら平気で他人を陥れるような嘘をつく人を、メイ様の隣に立たせるわけにはいかない。
「シリルさん。意見を申し上げる前に、1つ気になることがあります。確認させていただいてもよろしいでしょうか?」
シリルは、ゆっくりと頷いた。
床へ頭を下げたままのカワリを見る。
「カワリさん。あなたには、契約精霊はいません」
カワリの肩が、わずかに動いた。
「舞踏会の夜、あなたは確かにそれを認めました。そして、精霊と契約しているわたしのことがずるくて、憎いと罵りましたよね?」
カワリは答えない。
「わたしは、これまで1度もあなたの精霊を見たことがありません。ですから、本当に契約しているというのなら、今ここで見せていただけませんか?」
その言葉を聞き、カワリが顔を上げた。
追い詰められた表情をしていると思っていた。
だけど、彼女の顔に浮かんでいたのは、なぜか余裕のある笑みだった。
「ミルロ様。貴女は、何か勘違いをしているようですね」
カワリは立ち上がり、右手を高く掲げた。
「ほら!」
その声に応えるように、風が巻き起こる。
カワリの隣で緑色の光が集まり、1体の小さな精霊が姿を現した。
妖精のような姿。
そして頭上では、クローバーの葉に似た緑色のプロペラが、くるくると回っている。
その姿を見た瞬間、心臓が大きく跳ねた。
背中に嫌な汗が滲む。
その姿には、見覚えがあった。
2年生のAクラスとBクラスの入れ替え戦で、ダルタンが呼び出していた風の精霊だ。
名前までは覚えていない。
ゲームでは、ほとんど出番のない精霊だった。
だけど、頭上で回るクローバーのようなプロペラを、見間違えるはずがない。
お兄様たちの課外授業で、起きるはずだった襲撃がなかった。
そのことを、ずっと不思議に思っていた。
だけど、ゲームのシナリオは消えていたわけではない。
どうやら、ちゃんと進んでいたのだ。
わたしの知らない場所で。
わたしの知らない形に変わって。
カワリの隣に現れた精霊。
それは、入れ替え戦でダルタンが使っていた契約精霊だった。
そしてゲームでは、ダルタンとともにジーク様とアリアを襲撃するはずだった精霊だ。




