第44話 追い詰められた先
【ミルロ視点】
ダンとソフィアの姿が見えなくなってからも、しばらく足を止めなかった。
二人は地図を持っていない。ゲイルと合流するために、いずれ引き返すしかないはずだ。
それでも、追ってきていないと確信できるまでは安心できなかった。
「はあ、はあ……」
枝から枝へ飛び移りながら、何度も背後を確認する。
誰もいない。
葉の擦れる音も、地面を蹴る足音も聞こえない。
ようやく振り切った。
そう思った瞬間だった。
「見つけましたわ!」
「――っ!」
頭上から声が降ってきた。
反射的に身体をひねる。
炎をまとった爪が、それまでいた場所を切り裂いた。
飛びかかってきた少女は、地面へ片手をついて着地すると、そのまま猫のように身体を反転させる。
黒い短髪と、鋭くつり上がった瞳。
額には、金貨が貼りつけられていた。
「ジュリア=ソフトクリン……!」
「あら。わたしの名前を覚えていましたのね」
ジュリアはうれしそうに笑った。
だけど、今は相手をしている余裕がない。
地面を蹴り、ジュリアから距離を取ろうとする。
その足が、何かを踏んだ。
ねちゃり、と嫌な音がした。
「えっ?」
靴の裏に、白い餅のようなものがまとわりついている。
足を持ち上げようとしても、地面から離れない。
「捕まえました!」
木の陰から、青い髪の少女が飛び出してきた。
両手をこちらへ向け、その指先から白い粘着物を伸ばしている。
「セラ、よくやりましたわ!」
ジュリアの両手を包む炎が、ひときわ大きく燃え上がった。
五本の爪が長く伸び、赤い軌跡を描く。
「今度こそ、もらいましたわ! 《ファイアークロー》!」
逃げられない。
燃え盛る爪が、頭上の水晶へ迫る。
咄嗟に靴から足を引き抜いた。
爪が鼻先を掠め、熱風が頬を焼く。
地面へ手をつき、残った片方の靴も脱ぎ捨てる。そのまま近くの木へ飛びついた。
「セラ! ちゃんと捕まえておきなさい! 役に立ちませんわね!」
「ご、ごめんなさい! ごめんなさい!」
セラは身体を縮こまらせ、何度も頭を下げた。
彼女の魔法がなければ、ここまで危険な状況にはならなかった。十分に役目を果たしていたと思うけど、ジュリアにとっては違うらしい。
「まったく……。まあ、いいですわ」
ジュリアが炎の爪を振るう。
空を切った炎が草むらへ落ち、乾いた葉に燃え移った。
まずい。
そう思った直後、頭上から雨が降り注いだ。
火は瞬く間に勢いを失い、白い煙へ変わる。
「森の中で炎を使うなら、もっと気をつけてください!」
聞き覚えのある声だった。
少し離れた木の枝に、シリルさんが立っている。その隣には、雲のような小さな精霊――レインが浮かんでいた。
「シリルさん……?」
どうして彼が、ジュリアたちと一緒にいるの?
シリルはメイ様の班員だ。わたしを追うこと自体は不思議ではない。
だけど、一人で動くと思っていた。
まさか、ほかの班と手を組んでいるなんて。
「何を驚いていますの?」
ジュリアが濡れた髪を鬱陶しそうに払い、こちらを睨み上げた。
「平民出身の下級貴族のくせに、メイ様の側近のような顔をして……。あなたのことは、前々から気に入りませんでしたの」
「わたしは、側近ではなく護衛です」
「どちらでも同じですわ!」
同じではないと思う。
けれど、訂正している場合ではなさそうだ。
「紹介して差し上げますわ。こちらはセラ=ニュースト。相手の動きを封じることにかけては、なかなか使える子です」
「よ、よろしくお願いします……」
セラが申し訳なさそうに頭を下げる。
「そして、もう一人――」
ひゅん、と風を切る音がした。
枝を蹴り、横へ跳ぶ。
そのすぐ脇を氷の矢が通過し、明後日の方向へ飛んでいった。
「えっ、わたしの魔法……?」
まさか、氷魔法を真似したの?
矢が飛んできた方向へ目を向ける。
そこにいたのは、わたしだった。
髪の色も顔も服装も、よく似ている。
ただし、身体は風船のように真ん丸に膨らんでいた。目の周りは茶色く、お尻から太い狸の尻尾が生えている。
どう見ても、わたしではない。
「駄目だぁ」
丸いわたしが、氷で作った弓を下ろした。
「この魔法、難しすぎるよぉ。おいらには無理だぁ」
ぼん、と煙が上がる。
煙の中から現れたのは、ずんぐりとした体格の男子だった。
「彼はオモイ=トンカチ。三十分以内に見た相手の姿や能力を再現する、《ドロン》の魔法を使いますの」
ジュリアは自慢げに胸を張る。
「技術までは再現できないようですが、使い方次第では十分役に立ちますわ。オモイ、難しい魔法を使おうとするのはおやめなさい。もっと単純な能力を使えばいいのです!」
「単純な能力かぁ……」
オモイが周囲を見回し、何かを思いついたように手を叩いた。
「それなら、あいつがいいぞぉ!」
再び煙が上がる。
煙の中でオモイの身体が膨れ、筋肉質な姿へ変わっていく。
赤い髪。太い腕。見覚えのある顔。
「ダン……!」
ただし、こちらも本物より丸い。目の周りの茶色い模様と、狸の尻尾も残っていた。
「これなら、おいらにもできるぞぉ!」
オモイの全身を炎が包んだ。
まさか。
「いくぞぉ!」
炎の塊となったオモイが、こちらのいる木へ突っ込んでくる。
慌てて隣の木へ跳んだ。
直後、背後から凄まじい音が響く。
太い幹がへし折れ、燃えながら地面へ倒れていった。
「また火をつけて!」
シリルさんの声とともに、雨が強くなる。
倒れた木から上がっていた炎が消えていく。
「次から次へと火をつけないでください!」
「何を怒っていますの?」
ジュリアは悪びれる様子もなく笑った。
「そのために、水魔法を使えるあなたを連れてきたのでしょう?」
「僕は消火係として協力したわけではありません!」
「ですが、わたしたちが失格になっては困るのでしょう?」
「それは……そうですが」
シリルさんが悔しそうに口を閉じる。
ジュリアは、最初からシリルを信用していない。
わたしを追い詰めるために利用し、自分たちが好きに炎を使うための消火係にしているだけだ。
それでもシリルが協力しているのは、メイ様の班を一位にするためだろう。
まさか、ここまで徹底してくるなんて。
「覚悟なさい!」
ジュリアが木の幹を駆け上がってくる。
炎の爪が、次々と振るわれる。
枝から枝へ飛び移り、ぎりぎりで攻撃をかわした。
「逃がしません!」
下からセラの粘着物が飛んでくる。
地面だけではない。逃げ道に使えそうな枝へも、白い塊が次々と貼りついていく。
さらに、ダンへ変身したオモイが木をへし折っていく。
このままでは、逃げる場所がなくなる。
仕方がない。
背中の弓を手に取った。
追う側へ直接攻撃することは禁じられている。
だけど、飛んでくる魔法を撃ち落とすことまでは禁じられていない。
弦を引き、氷の矢を放つ。
矢は空中の粘着物へ突き刺さった。
白い塊が一瞬で凍りつき、粘りを失う。そのまま、ぼろぼろと崩れて地面へ落ちた。
「冷気に弱いんだ」
これなら、すべてを避ける必要はない。
木々の間を飛び回りながら、進路を塞ごうとする粘着物だけを撃ち落としていった。
◇
どれほどの時間、逃げ続けただろう。
「はあ、はあ、はあ……」
呼吸が苦しい。
足の裏は、枝や小石を踏むたびに痛んだ。
ジュリアの攻撃をかわし、セラの魔法を撃ち落とし、オモイがへし折る木から逃げ続ける。
休む暇がない。
身体強化を落とせば、すぐにジュリアへ追いつかれる。
かといって、このまま魔力を使い続ければ、競技終了までもたない。
「ありゃ?」
背後から、オモイの間の抜けた声が聞こえた。
ダンの姿が煙に包まれ、元の丸い身体へ戻っていく。
「もう三十分経ったのかぁ。この姿は、これ以上保てないぞぉ」
三十分。
枝を蹴りながら、これまでの時間を計算した。
ダンとソフィアを振り切ったあと、すぐにジュリアたちと遭遇したわけではない。
開始から一時間は確実に過ぎている。
だとすると、残りは一時間を切っている。
しかし、まだ三十分以上はあるはずだ。
駄目だ。
この消耗では、魔力がもたない。
一度距離を取り、ほんの数分でも休みたい。
けれど、ジュリアがぴたりとついてくる。
「逃がしませんわよ!」
セラとオモイが遅れ始めても、ジュリアの速さはほとんど変わらない。
彼女の実力は本物だ。
「それなら、次はこいつだぁ!」
オモイがシリルさんへ向かって手を伸ばした。
「えっ、僕ですか?」
煙が上がり、オモイの姿がシリルさんへ変わる。
やはり身体は丸く、目の周りには茶色い模様が残っている。背中から伸びた狸の尻尾が、うれしそうに揺れていた。
「これが二属性を使える力かぁ!」
右手に炎が灯り、左手から水が噴き出す。
「すごいぞぉ! 面白いぞぉ!」
オモイは炎と水を交互に撃ち始めた。
狙いは定まっていない。炎は木に当たり、水はジュリアのすぐ脇を通り抜ける。
「オモイ! わたしに当てるつもりですの!」
「ご、ごめんよぉ。でも、これは面白いぞぉ!」
炎、水、炎、水。
何度も魔法を放っていたオモイの動きが、急に止まった。
「あれ……?」
膝から力が抜け、その場へ座り込む。
「なんだこれ……。普通の魔法より、ずっとしんどいぞぉ……」
「二つの属性を同時に維持すれば、消費が大きくなるに決まっているでしょう!」
シリルさんが叫ぶ。
「そ、そういうことは、先に言ってくれよぉ……」
煙とともに変身が解けた。
オモイはそのまま地面へ倒れ込み、動かなくなった。
「オモイ!」
セラが振り返る。
その足取りも、すでにふらついていた。
セラはジュリアほど速くない。
こちらへ追いつくために、ずっと限界を超えて走り続けていたのだ。
「わ、わたしが……止めないと……」
それでも粘着物を作ろうとしたセラの足が、地面に落ちていた白い塊を踏んだ。
「あっ」
足だけがその場へ固定され、身体が前へ倒れる。
勢いを殺せなかったセラは地面に顔から転がり、そのまま動かなくなった。
「セラまで! あいつら、何をやっていますの!」
ジュリアが歯噛みする。
けれど、彼女は足を止めなかった。
仲間を二人失っても、頭上の水晶を狙って追い続けてくる。
大木を背にして、横薙ぎに振るわれた炎の爪をかわした。
熱が鼻先を通り過ぎる。
そのとき、大木の幹に何かが書かれていることに気づいた。
『ミルロは中央の大岩にいるよ テラ』
……わたしは、ここにいる。
なのに、どうしてテラは、そんな嘘を残したの?
しかも文字は、遠くからでも目につくほど大きい。
少し考え、その意味に気づいた。
テラとリリスは、わたしを直接助けることができない。
それでも二人は、規則に触れない方法で、わたしが逃げ切るための仕掛けを用意してくれたのだ。
「そういうことか……!」
「何を一人で納得していますの!」
ジュリアの爪が迫る。
残った魔力を身体強化へ注ぎ、一気に枝の上まで駆け上がった。
目指す場所を変える。
森の中心にある、大岩だ。
◇
【シリル視点】
ミルロさんとジュリアさんを追いながら、僕は何度目か分からない雨を降らせた。
オモイさんが燃やした木の火を消し、今度はジュリアさんの爪から飛び散った火の粉を消す。
こんなことになるだろうとは、最初から予想していた。
ジュリアさんは、僕を信用していない。
ミルロさんの水晶を渡すという約束も、完全には信じていないはずだ。
僕を仲間ではなく、自分たちが好きに炎を使うための消火係としか考えていない。
それでいい。
ジュリアさんの班が失格にならず、全力でミルロさんを追い詰められるのなら、僕の役目は果たせる。
それにしても、ミルロさんは強い。
入れ替え戦で戦ったときも、簡単な相手ではないと思っていた。
だけど、ここまでとは予想していなかった。
いくつもの班から追われ続け、靴まで失い、魔力も体力も削られている。それなのに、まだジュリアさんの攻撃をかわし続けている。
僕も戦いたかった。
消火ばかりではなく、自分の魔法でミルロさんを追い詰めてみたかった。
ジュリアさんたちと組まず、最初から一人で挑んだ方がよかったのではないか。
そんな考えが、一瞬だけ頭をよぎる。
でも、すぐに否定した。
駄目だ。
僕一人では、ここまで追い詰められなかった。
ジュリアさんは好戦的だ。協力を持ちかけていなければ、最初の混戦へ真っ先に飛び込み、大きく消耗していただろう。
何より、オモイさんとセラさんの魔法がなければ、ミルロさんへ三十分も休ませず、追い続けることはできなかった。
この選択でよかったんだ。
すべては、メイ様を一位にするためだ。
「逃げ方が変わりましたわね」
前を走るジュリアさんが呟いた。
僕も気づいていた。
ミルロさんは、それまで追手を振り切るために複雑な進路を選んでいた。
ところが今は、迷わず同じ方向へ進んでいる。
地図を開く。
青い点は、森の中央へ向かっていた。
「中央の大岩を目指している……?」
「追えば分かりますわ!」
ジュリアさんが速度を上げる。
僕もレインとともに、そのあとを追った。
やがて木々が途切れ、中央の大岩が見えてくる。
その根元に、ミルロさんが座り込んでいた。
大岩へ背中を預け、俯いている。
帽子には、青い水晶がついていた。
僕たちを振り切ったつもりで、休んでいるのだろう。
「見つけましたわ!」
ジュリアさんが先に飛び出した。
「今度こそ、もらいましたわ!」
両手の爪へ炎を集めながら、ミルロさんへ飛びかかる。
「させるか!」
横から飛び込んできた大きな影が、ジュリアさんへ体当たりした。
「なっ――!」
ジュリアさんの身体が弾き飛ばされる。
空中で一回転した彼女は体勢を立て直し、僕の隣へ着地した。
「ダン……! あなた、よくも!」
「悪いな。あいつを倒すのは、俺たちだ!」
ダンの後ろから、ソフィアさんとゲイルさんも現れる。
少し休んで体力を戻し、地図を持つゲイルさんと合流してきたようだ。
「ふざけるな! ミルロを倒すのは俺だ!」
今度は反対側の茂みから、ガゼルが飛び出した。
仲間の姿はない。
あれだけ消耗していたのに、匂いだけでここまで追ってきたらしい。
「あなたの好きにはさせませんわ! 《サンドストーム》!」
ソフィアさんが両手を突き出す。
巻き上がった砂が竜巻となり、ガゼルを呑み込んだ。
「うおおおっ!」
ガゼルが空高く吹き飛ばされる。
しかし、獣人らしい身のこなしで空中を何度も回転し、四つん這いになって着地した。
「今よ!」
「今だ、ゲイル!」
ソフィアさんとダンが同時に叫ぶ。
「ああ、すまん。二人とも」
ゲイルさんが剣を正面へ突き出した。
刀身へ冷気が集まり、鋭い氷に覆われていく。
「新技――《アイシクルダンス》!」
ゲイルさんの身体が回転を始めた。
剣を先端に、まとった氷が螺旋状に広がっていく。
まるで巨大な氷のドリルだ。
「百点を横取りさせるものですか!」
ジュリアさんの全身から炎が噴き上がる。
赤い炎が巨大な猫の姿となり、その爪が大きく振り上げられた。
「《ファイアーニャンクロー》!」
ジュリアさんも遅れて飛び出す。
「よし、俺も大技だ!」
ガゼルが両腕を構えた。
「いくぞ、モグリン! 《ドカンマグナム》!」
しかし、何も起こらない。
『いや、そんな技知らないぞ!』
相棒のモグリンが即座に突っ込んだ。
「なんでだよ!」
『今、お前が適当に考えただけだろ!』
二人が言い争っている間にも、ゲイルさんの《アイシクルダンス》は一直線に進んでいく。
ミルロさんは動かない。
避ける力さえ、もう残っていないのか。
氷の先端が帽子を掠め、その頭についていた青い水晶を粉々に砕いた。
澄んだ音が、中央の岩場に響く。
やった。
そう思った直後、ミルロさんの身体に亀裂が走った。
肌が崩れ、髪が土へ戻っていく。
「しまった!」
僕が叫んだときには、もう遅かった。
「偽物です!」
地面の下から、何かが砕ける音がした。
大岩を中心に、地面が大きく沈み込む。
「えっ?」
「な、なんですの!?」
偽物のミルロさんへ殺到していた全員の足元が、一斉に崩れ落ちた。




