第42話 仲間割れ
【ミルロ視点】
森へ入ったわたしは、最初から全力では走らなかった。
身体強化も半分程度に抑え、木々の間を縫うように北東へ進んでいく。
目指しているのは、森の中にある小高い丘だ。午前の課題を終え、テラやリリスたちと昼食を取った場所でもある。
草原から普通に歩けば三十分ほどかかるが、今の速度なら十五分もあれば到着できる。
やがて木々が途切れ、視界が一気に開けた。
なだらかな丘には背の低い草しか生えておらず、周囲を見渡すことができる。ここなら、木や茂みに隠れて近づかれる心配はない。
丘の頂上まで登ると、足を止めた。
隠れるつもりはなかった。
ここで追ってくる人たちを待つ。
全力で身体強化を使えば、普段の全力疾走の五倍ほどの速さで動ける。
だけど、その状態では魔力の消費が激しすぎる。ほかの魔法を一切使わなくても、一時間も持たないだろう。
対して、半分程度に抑えれば速さは二倍ほどに落ちるものの、身体強化だけなら二時間以上続けられる。
逃げ切るだけなら、こちらの方がいい。
この課題は、体力の勝負に見えて違う。
魔力量の勝負だ。
一定の距離を保ち続ければ、相手は水晶を割るために走って追いつくか、遠くから攻撃魔法を撃たなければならない。
身体強化を抑えて使うわたしより、攻撃魔法を繰り返す相手の方が先に魔力を失うはずだ。
弓を使うのは、どうしても避けられない攻撃を矢で逸らすときか、足元を凍らせて狙いを外させるときだけ。
できる限り魔力を温存しながら、相手には倒せそうで倒せない距離を保つ。
まずはここで三十分。
追ってきた人たちに、できる限り魔法を使わせる。
問題は、複数の班が協力して包囲してきた場合だ。
だけど、その可能性は低いと思っていた。
午前の魔物討伐では、班同士で協力するなとは一度も言われていない。それなのに、どの班も自分たちだけでスタンプブルを倒そうとしていた。
食事を分けることも禁止されていない。現に、メイ様とシリルさんはわたしたちの料理を一緒に食べた。
仲がよければ、ほかの班にも料理を分けたり、協力して魔物を倒したりしてもよかったはずだ。
けれど、実際にほかの班へ食事を分けたのは、わたしたちだけだった。魔物の討伐でも、別の班と協力した人はいない。
集合したときにも、元Aクラスと元Bクラスはきれいに分かれていた。空腹になった人たちの中には、すでに責任を押しつけ合っている班もあった。
リリスの挑発に反応した人も多い。
元Aクラスと元Bクラスは、まだお互いを仲間だとは思っていない。
疲労と空腹が重なれば、普段なら我慢できる不満も爆発しやすくなる。
だからこそ、隠れずにここで待つ。
一つの獲物を大勢で追えば、きっと足並みは乱れる。
「見つけたぞ、ミルロ!」
鋭い声とともに、丘を駆け上がってくる三つの影が見えた。
先頭を走っているのは、コヨーテ獣人のガゼルさんだ。
ガゼルさんはワイマール共和国出身で、テラと同じ村で育ったらしい。
けれど、二人が学園で話しているところは一度も見たことがない。詳しい事情までは聞いていないが、仲のよい間柄ではないようだ。
後ろを走っているのは、同じく共和国出身のアトスさんとペギルンさんだ。
三人とも座学は苦手だけど、獣人としての身体能力は高い。
「最初に来たのは、ガゼルさんたちですか」
「余裕ぶっていられるのも今のうちだ! お前の水晶は俺がもらう!」
ガゼルさんは仲間を待つことなく、一直線に飛び込んできた。
速い。
身体強化の魔法ではなく、獣人として元から持っている脚力だ。普通に走るだけなら、クラスの中でもかなり速い方だろう。
半分の身体強化を維持したまま、横へ跳んだ。
ガゼルさんの手が、水晶のすぐ横を通り過ぎる。
「ちっ! モグリン、《ドカン》だ!」
茶色いモグラのような精霊が地面へ潜った。
直後、足元に穴が開く。
だけど、魔法の発動が遅い。
地面がわずかに揺れた時点で横へ移動すると、穴は誰もいない場所に口を開けた。
「止まれえええっ!」
今度はアルマジロ獣人のアトスさんが丸くなり、氷をまとって転がってきた。
その反対側からは、ペンギン獣人のペギルンさんが風をまとい、地面すれすれを飛ぶように突っ込んでくる。
どちらも速い。
でも、軌道がまっすぐだ。
「当たりません!」
二人が衝突する直前に、大きく後ろへ跳んだ。
「うわああっ!」
「ぶつかるぅ……!」
アトスさんは慌てて進路を変え、ペギルンさんも風を弱める。
二人は間一髪ですれ違ったものの、体勢を大きく崩した。
「何をやってるんだ! 左右から挟め!」
「そう言われても、急には曲がれないよぉ……」
「だったら俺が正面から行く! お前たちは逃げ道を塞げ!」
ガゼルさんが再び駆けてくる。
三人がかりでも、今のところ問題はない。
こちらから攻撃する必要さえなかった。
丘の上を円を描くように走り、三人の攻撃をかわし続ける。
追いつけそうな距離まで速度を落とし、誰かが手を伸ばせば、少しだけ身体強化を強めて離れる。
ガゼルさんが何度も穴を作り、アトスさんとペギルンさんも突進を繰り返す。
順調に魔力を使ってくれている。
もう少し、このまま――。
そう考えたとき、丘の下に新たな人影が現れた。
「ようやく見つけたぞ!」
剣を手にした、いかにも貴族らしい男子生徒。
イオン=スピネルさん。
キルラルド帝国のスピネル伯爵家、その長男だ。いつも気取った言動をしており、バラの花を好んでいるらしい。
左右にいるのは、同じスピネル家の養子であるケヴィンさんとイグリスさん。二人とも弟という立場だけど、実際にはイオンさんの従者に近いようだ。
さらに反対側からも、二人の男子生徒が現れた。
一人は、帝国の侯爵家に生まれ、東方の血を引くハヤブサ=カタパルトさん。腰には、前世の日本で使われていた刀によく似た武器を差している。
その姿は日本の侍を思わせ、以前から興味を持っていた。けれど、まだ話したことはない。
もう一人は、黒装束をまとったドルボン=クシャルさんだ。忍者と呼ばれる東方の戦士に憧れ、いつも黒装束をまとっているらしい。前世の知識で見ると、どう見ても忍者そのものだ。
同じ班のレナさんの姿はない。
面倒だからと言っていたので、本当に動かなかったようだ。
「相手に不足なし。拙者の刃を受けてみよ!」
「貴族たるもの、獣人如きに獲物を譲るわけにはいかない。ミルロの水晶は、僕たちがいただく!」
「ミルロは俺たちの獲物だ! あとから来たやつは引っ込んでろ!」
三つの班が、一斉にわたしを取り囲んだ。
普通なら、絶体絶命の状況だ。
だけど、これこそ待っていた展開だった。
イオンさんが剣を構え、ハヤブサさんも鞘へ手を添える。
ガゼルさんたちは、二人が来たことなどお構いなしに突っ込んできた。
三つの班の間へ入り、攻撃が放たれるぎりぎりまでその場に残った。
「《ストーンショット》!」
「《風遁・クナイの術》ニン!」
石と風の刃が左右から迫る。
直撃する寸前、身体強化を一瞬だけ全開にした。
その場から姿を消すように飛び退くと、二つの魔法は互いの班へ飛んでいく。
「危ない!」
「拙者たちを狙ったでござるか!」
「違う! ミルロが避けたんだ!」
言い争う声を背中に聞きながら、別の二人を盾にするように移動する。
ハヤブサさんが鋭く踏み込み、燃える刀を横薙ぎに振るった。
屈んで刀をかわし、そのままイオンさんの背後へ回る。
「そこだ!」
ガゼルさんの声とともに、地面が揺れた。
寸前で横へ跳ぶ。
代わりに穴へ足を取られたのは、剣を構えていたイオンさんだった。
「うわっ!」
片足を落としたイオンさんが、派手に転倒する。
「何をする! 僕を狙ったのか!」
「お前が勝手に入ってきたんだろ!」
「お館様になんという無礼を!」
眼鏡をかけたイグリスさんが地面から石の壁を作り、ガゼルさんたちの進路を塞いだ。
「邪魔だ!」
丸くなったアトスさんが、石の壁へ向かって突進する。
その瞬間、小柄ながら筋肉質なケヴィンさんが風をまとい、下から突き上げるような体当たりを放った。
二人の狙いは、どちらもわたしだった。
二人がぶつかる寸前に、その間から抜け出す。
「ぶちかますぞおおおっ!」
「うおおおおっ!」
ケヴィンさんの頭がアトスさんを捉え、その大きな身体を吹き飛ばした。
「ぐわあああっ!」
アトスさんは木の幹へ背中から激突し、そのまま動かなくなった。
「アトス!」
「よそ見をしている場合ではないぞ!」
ハヤブサさんの刀が迫る。
それを避けるため、ペギルンさんの目の前を横切った。
「今度こそぉ!」
風をまとったペギルンさんが勢いよく加速する。
再び身体強化を強め、直前で進路を変えた。
「えっ……止まれない!」
「ぬっ!」
ペギルンさんが、そのままハヤブサさんへ激突した。
二人はもつれ合いながら地面を転がる。
「お前ら、さっきから何をやってるんだ!」
「それはこちらの台詞だ!」
「拙者の邪魔ばかりしおって!」
ついに三つの班が、わたしではなく互いを睨み始めた。
空腹で余裕を失っているイオンさんたちとハヤブサさんたちに、短気なガゼルさん。
少しずつ積み重なった苛立ちが、一気に爆発したのだ。
班員たちも集まり、押し合いと怒鳴り合いが始まる。
今だ。
身体強化を全開にした。
三人の班長のそばを駆け抜けながら、腰に差し込まれていた地図を一枚ずつ抜き取る。
物を奪うなとは言われていない。
直接攻撃さえしなければ、規則違反ではないはずだ。
「あっ! 地図がない!」
「ミルロだ! あいつが持っていったぞ!」
「待てえええっ!」
背後から声が飛んできたが、もう遅い。
全速力で丘を駆け下り、そのまま北の森へ飛び込んだ。
奪った地図は一か所には隠さない。
一枚目は倒木の下。
二枚目は大きな岩の隙間。
三枚目は木のうろへ押し込んだ。
これで、地図を奪い返される心配はない。
三班を相手にしたことで、こちらも予定以上の魔力を使ってしまった。
それでも、イオンさんたちとハヤブサさんたちは魔法を消耗したうえ、追跡に必要な地図も失った。
しばらくは、あの場から動けないだろう。
ペギルンさんとアトスさんも、すぐには追ってこられない。
最初の作戦は成功だ。
あとは予定どおり、木々が密集する北の深い森へ向かう。
残りの時間は、そこで身を隠しながら逃げ切る。
そう考えていたわたしは、気づいていなかった。
地図を失ってもなお、地面へ鼻を近づけているガゼルさんの姿に。
「地図なんかなくても、お前の匂いは覚えたぞ……!」
◇
【ロベルト視点】
俺の名は、ロベルト=マカロニル。
ウィシュタリア王国のマカロニル伯爵家、その嫡子だ。
騎士の物語に憧れている俺は、婚約者であるアニーと、弟のダビデを率いてミルロを追っていた。
もっとも、俺たちはまだミルロのもとへ向かってはいない。
「騎士たるもの、戦う前の補給を軽視してはならない」
俺たちはミルロを追う前に、腹ごしらえをすることにした。
午前の課題ではスタンプブルを倒したものの、解体にも料理にも失敗した。
空腹のまま戦えば、本来の力を発揮できない。
「ちょうどいいところに木の実がありますわ。だけどこれ食べられるのでしょうか?」
赤毛の少女――俺の婚約者であるアニーが指差した先には、赤く熟した木の実がたくさん生っていた。
「天も俺たちの勝利を望んでいるようだな」
「兄上、見慣れない木の実を食べるのは危険では?」
そう指摘したのは、商家からマカロニル家の養子に迎えられた弟のダビデだ。
ダビデは物腰が柔らかく、俺を支えてくれる頼もしい弟である。
「恐れていては騎士になれない! まずは俺が毒見をしよう!」
木の実を一つ取り、勢いよく口へ放り込んだ。
甘酸っぱくて、なかなかおいしい。
「問題ない。二人も食べるといい」
「本当に大丈夫でしょうか?」
「ああ、俺が食べたから問題ない。なかなかうまいぞ。食べてみるといい」
「ロベルト様がそうおっしゃるのでしたら」
「……兄上がそうおっしゃるのであれば」
三人で木の実を食べ、空腹を満たしていく。
これで準備は整った。
あとはミルロを追いかけ、騎士として正々堂々と――。
「なんだか……急に眠気が……」
「わたくしもですわ……」
「まさか、この木の実……」
ダビデが最後まで言い終えるより早く、三人揃って地面へ倒れた。
遠くから近づいてきた先生が、呆れたようにため息をつく。
「授業のために用意した、眠りを誘う木の実だ。身体に害はないが、野外で知らない植物を口にするなと教えただろう」
その声を聞きながら、俺の意識は深い眠りへと落ちていった。
◇
【ラビット視点】
わたしの名前は、ラビット。
ワイマール共和国からこの学園へやってきた、ウサギの獣人だ。
同じ班の仲間は、小柄なリス獣人のコレットと、亀獣人のラファエル。
そして、わたしは三度の食事よりもニンジンが大好きだった。
「あったあああっ!」
森の中を探し回った末、ついに見つけた。
緑の葉を地面から伸ばす、立派なニンジン。
食料の持ち込みは禁止され、持ってきたニンジンは全部先生に没収された。
だけど、森に生えているものなら問題ない。
「待って、ラビット! そんな都合よくニンジンが生えてるなんて怪しいよ!」
コレットが止めようとするが、もう我慢できなかった。
「ニンジンに罪はない!」
葉をつかみ、勢いよく引き抜いた。
次の瞬間、足元から網が跳ね上がった。
「えっ?」
身体を包み込まれ、そのまま木の上へ吊り上げられる。
「罠だあああっ!」
「だから言ったのに!」
「コレット、助けて!」
「今行くよ!」
コレットが慌てて木の幹を駆け上がった。
けれど、わたしを吊るしている網は、幹から大きく離れた細い枝の先にぶら下がっている。
「枝が細すぎるよ! これ以上進んだら折れちゃう!」
「センコウの火で網を焼いて!」
「ラビットまで燃えちゃうよ!」
コレットは枝の上を右へ左へ動き回るばかりで、何もできない。
水魔法で助けられそうなラファエルは、草原に置いてきた。だって午前中の戦いで魔力も体力も使い切り、自力でまともに動くこともできないラファエルは凄く重くて動かせないもの。
だけど、コレット一人では、網を切ることも枝の先まで近づくこともできなかった。
「先生えええっ! 助けてえええっ!」
結局、わたしたちは先生に助けを求め、その時点で失格となった。
せめて、ニンジンが本物だったのかだけは教えてほしいよー!




