第41話 それぞれの狙い
【テラ視点】
ミルロとメイ様が森へ入っていったあと、バルド先生から班ごとに一枚の地図が配られた。
森の外周や小道、川の流れる場所などが簡単に記された地図だ。中心には、大きな岩を示す印が描かれている。
そして地図の上では、青と赤の二つの光が動いていた。
今、わたしたちがいる草原は、森の真南に位置している。
青い光――ミルロは、草原から北東へ進んでいた。
一方、赤い光――メイ様は北西へ向かっている。
二人は最初から別々に行動しているようだ。
しかも、光の動く速さがまるで違う。
青い光が地図の上を一つ進む間に、赤い光はその倍ほどの距離を進んでいる。先に森へ入ったのはほとんど同時だったはずなのに、メイ様はすでにミルロの倍近く、草原から離れた場所にいた。
「メイ様、速すぎるよ……」
思わず呟いてしまった。
入れ替え戦で見た《雷装》の速さを考えれば、不思議ではない。それでも、地図の上で比べると二人の速度差がはっきりと分かる。
追う側に与えられた待機場所は、三十人近い生徒が集まるには少し狭かった。
隣の班との距離が近く、小声で相談しても、その内容が断片的に聞こえてしまう。
もしかして、これも先生の狙いなのかな。
ほかの班の作戦を聞き出すことも、逆に嘘の作戦を聞かせることも、課題の一部なのかもしれない。
だけど、そんな駆け引きを考えられるミルロは、今ここにいない。
「リリス、どうしよう……?」
地図を持ったまま、隣のリリスに尋ねた。
ミルロがいないだけで、こんなにも心細い。
いつもなら、ミルロが進む方向を決めてくれる。わたしとリリスの役割を考え、迷わず指示を出してくれる。
だけど、今日は自分たちで考えなければならない。
しかも、わたしたちはミルロを助けることができない。それどころか、狙える相手はメイ様だけだ。
「うーん……」
リリスはいつもの軽い調子を少しだけ引っ込め、顎に手を当てて地図を見つめた。
地図の上では、赤い光が今も北西へ向かって進み続けている。
やがて何かを思いついたように、リリスがいたずらっぽく笑った。
「最初の一時間半は、別行動にしよっか」
「えっ、別々に動くの?」
「そ。一時間半後に、森の中心にあるこの大岩で待ち合わせ。最後の三十分に全部を懸けるよ」
リリスが地図の中央を指で叩いた。
「何か作戦があるの?」
「あるよ。でも、ここで話したら全部聞かれちゃうっしょ? 合流してから教える」
そう言われて周囲を見ると、何人かがこちらを気にしているのが分かった。
リリスは、この狭い待機場所では作戦を隠せないと最初から気づいていたのだ。
「じゃあ、それまでわたしはどうしたらいい?」
「適当でいいよ」
リリスはひらひらと手を振った。
「メイ様を追いかけてもいいし、森の中を歩いて地形を確認してもいい。ただし、体力と魔力は残しておいて。勝負は最後の三十分だから」
「でも、その前にメイ様が誰かに倒されたら……」
「それはないっしょ」
リリスは即答した。
「テラも、あの強さは身をもって知ってるでしょ? しかも、この地図を見てよ。ミルロの倍くらいの速さで動いてるじゃん。少なくとも元Bクラスの生徒じゃ、誰もメイ様を捕まえられないよ。クラス分け試験で上位だった人たちも、午前の体たらくを見る限り、大したことなさそうだし」
周囲の空気が、一瞬で張り詰めた。
「聞き捨てなりませんわね」
声を上げたのは、黒い短髪に猫のような目をした少女だった。
額には、なぜか金貨が貼りつけられている。
ジュリア=ソフトクリン。
午前の課題を達成した、元Aクラスの班長だ。
「それほど自分たちが優秀だとおっしゃるのなら、先にあなた方の班長を捕まえて差し上げますわ!」
「は? あんたらには無理っしょ」
「ふん、後悔なさらないように」
「後悔するのはそっちじゃない?」
二人が睨み合い、一触即発の空気になる。
「開始前に喧嘩をしたら、両方とも失格にするぞ」
バルド先生の低い声が飛んできた。
ジュリアは不満そうに口を閉じ、リリスも肩をすくめて視線を逸らした。
少し離れた場所では、シリルさんが自分の班の地図を見ながら考え込んでいた。
声をかけられる雰囲気ではない。
メイ様を守ることが禁じられているうえに、カワリが休学した今、シリルさんは一人だけでミルロを追わなければならない。きっと、どう動くべきか迷っているのだろう。
「俺たちもミルロを狙う。ミルロが俺たちへ弓を放てない今のうちに、距離を詰めるぞ」
騎士の物語から抜け出してきたような格好の男子が、仲間たちへ静かに告げていた。
強そうな人だ。
リリスの挑発には腹を立てているようだが、言い争いに加わるつもりはないらしい。
「貴族たるもの、この程度の挑発で調子を崩してはいけない」
別の場所では、いかにも貴族らしい男子が地図を見つめていた。
左右に立つ二人も口を挟まず、その人の言葉を真剣に聞いている。
ずいぶん慕われているんだな。
「拙者はメイ王女と剣を交えたい」
さらにその隣では、見たことのない形の剣を腰に差した男子が、静かに闘志を燃やしていた。
「えー、めんどくさ。わたし、お腹すいたから動きたくない。ドルボン、森で食べられる果物を探してきて」
「成績がかかっているのに、ありえないニン! 少しは真面目にやるニン!」
変わった剣の男子よりも、隣で妙な黒装束を着ている男子の方が気になってしまう。
語尾も変だ。
やっぱり元Aクラスにも、いろいろな人がいるんだな。
「俺はメイ様とやってみたいぜ」
聞き覚えのある大きな声に振り返ると、ダンが拳を打ち鳴らしていた。
「却下ですわ」
ソフィアさんが冷静に答える。
「あの方の速さについていける自信はありません。それよりも、わたくしはミルロに代表決定戦の雪辱を果たしたいですわ」
「速い相手だから面白いんじゃねえか」
そう言ったダンと、一瞬だけ目が合った。
「……っ」
ダンはなぜか顔を赤くすると、勢いよく横を向いた。
わたしも恥ずかしくなり、慌てて視線を地図へ落とす。
「単純な強さなら、メイ様の方が上だろう」
二人の意見を聞いていたゲイルさんが、難しい顔で呟いた。
「だが、これは正面からの戦いではない。鬼ごっこなら、ミルロの方が何を仕掛けてくるか分からない。さて、どちらを狙うべきか……」
「おい、リリス!」
今度は別の大声が待機場所に響いた。
コヨーテの耳と尻尾を持つガゼルが、ジュリアとリリスの言い争いに割り込んできた。
ガゼルとは、同じ村の出身だ。
子供の頃から顔は知っている。けれど、仲がよかったわけではない。
魔法学園で再会してからも、わたしから声をかけることも、ガゼルから声をかけられることもなかった。
「元Bクラスじゃ誰もメイを捕まえられないだと? そこまで自分の班長に自信があるなら、まず俺がミルロを捕まえてやる! そのあとメイも倒して、二つとも俺たちがいただく!」
「はいはい。できたらね」
「泣いて謝っても遅いからな!」
やっぱり、関わりたくない。
そのとき、ガゼルがこちらを見た。
一瞬だけ目が合ったが、どちらからともなく視線を逸らす。
そのまま、言葉を交わすことはなかった。
その近くでは、ウサギ獣人のラビットさんが、森の方を見ながら鼻をひくひくと動かしていた。
「この森なら、野生のニンジンがあるかもしれない……!」
競技よりも、ニンジンを探すことしか考えていないようだ。
その後ろでは、小柄なリス獣人の女の子が、地面に座り込んでいる亀獣人の男子を見て慌てていた。
「ど、どうしよう! ラファエル、もう魔力がないよ! わたし一人じゃ何もできないよ!」
始まる前から大変そうだった。
「メイ様を追跡した場合、必要となる体力と魔力……つまり、移動費が高すぎます」
眼鏡をかけた少女が、そろばんの珠を動かしていた。
たしか、セシル=クリムさん。
クリム伯爵家の令嬢だったはずだ。
「百点を回収するための費用としては割に合いません。比較的足の遅いミルロを狙う方が、費用対効果に優れています」
狐獣人の男子は何も言わず、セシルさんの隣で頷いた。
一方、もう一人の男子は周囲の話を聞く様子もなく、自分のお腹を押さえている。
「俺は腹が減った。先に食えるものを探すぜ」
「それによって失う時間も、あなたの評価損失として帳簿につけておきます」
「好きにしろよ」
本当に、みんな考えていることがバラバラだ。
再び手元の地図を見る。
メイ様を示す赤い光は、すでに森の北西部へ近づいている。
ミルロの青い光も北東へ進んでいるが、その距離は赤い光の半分ほどだ。
ミルロがいないのは不安だ。
だけど、いつまでも頼ってばかりではいられない。
最後の三十分。
それまでに、わたしにできることを探そう。
「逃走側の先行時間、五分が経過した!」
バルド先生が片手を上げた。
「午後の課題を開始する。全員、森へ入れ!」
その声と同時に、生徒たちが一斉に駆け出した。
「テラ、地図は持ってて」
リリスが班の地図をわたしへ押しつける。
「えっ、リリスはなくても大丈夫なの?」
「だいたいの地形は頭に入れたから平気。メイ様を追うかもしれないテラが持ってた方がいいっしょ」
「わ、分かった」
「じゃあ、またあとでね!」
リリスは手を振り、別の方向へ走っていく。
「う、うん!」
赤い光の位置を確認し、一人で森へ踏み込んだ。
◇
【シリル視点】
森へ入った僕は、ミルロさんを追わなかった。
手元の地図では、青い光が北東へ移動している。
けれど、僕が向かったのは別の方向だった。
少し先を歩く三人組の背中を追いかける。
「あ、あの……ジュリアさん!」
僕の声に、ジュリアさんが足を止めた。
振り向いた彼女は、あからさまに眉をひそめる。
「なんですの?」
やっぱり、怒っている。
ジュリアさんは、メイ様を自分の班へ誘おうとしていたらしい。それを僕が先に誘ったため、今でも根に持っている。
「その……僕と、協力してもらえませんか?」
「あなたから話しかけてくるなんて珍しいですわね」
刺々しい声だったが、すぐに追い払われることはなかった。
「一応、話だけは聞いて差し上げますわ」
「あ、ありがとうございます」
「ですが、先に言っておきます。共闘したところで、水晶を割った班にしか百点は入りません。最後にどちらが割るかで揉めるだけですわ。協力する意味がありません」
「ミルロさんの水晶は、あなた方に譲ります」
ジュリアさんが目を細めた。
「……どういうつもりですの?」
「午前の点数を考えていました」
地図を開き、余白へ数字を書き込んだ。
「ミルロさんの班は、討伐だけではなく、解体も料理も完璧にこなしていました。森での動きも評価対象です。おそらく百点に近い点数を取っています」
ジュリアさんは黙って続きを待っている。
「一方、メイ様の班は、スタンプブルを倒しただけです。解体も料理もできませんでした。よくても五十点前後だと思います」
「それがどうしましたの?」
「メイ様は必ず逃げ切ります。午後の二百点は、僕たちの班に入ります」
これは願望ではない。
入れ替え戦で、僕はメイ様の強さを間近で見た。
あの人を捕まえられる一年生がいるとは思えない。
現に地図を見ても、メイ様を示す赤い光は、ミルロさんの青い光の倍近い速さで森を進んでいる。
「ですが、ミルロさんまで逃げ切れば、あちらにも二百点が入る。午前の点差がそのまま残るので、総合点ではミルロさんの班が上になります」
「だから、ミルロの水晶を割りたいと?」
「はい。午後の得点は、一班につき最大二百点です。僕がミルロさんの水晶を割っても、メイ様が逃げ切れば僕たちの午後点はすでに上限です。だったら、その百点は協力してくれた班へ譲った方がいい」
ジュリアさんの表情から、少しずつ険しさが消えていく。
「あなた方がミルロさんの水晶を割れば百点を得られる。僕はミルロさんを脱落させ、あちらの二百点を消すことができる。双方に利益があります」
「なるほど。ですが、なぜわたくしたちですの? 午前の課題を達成した班は、ほかにもありますわ」
「午後もまともに動けるのは、午前の課題を達成して食事を取った四班と、ミルロさんたちから料理を分けてもらった僕たちくらいだと思っています」
周囲の木々へ目を向けた。
「午前の料理に失敗した生徒たちを、午後になった途端、自由に森へ放つのは不自然です。食べられそうな果実の近くに罠があるか、毒を持つ植物が混ざっているはずです。食料探しを優先した班は、途中で脱落する可能性が高い」
「バルド先生なら、やりそうですわね」
「ミルロさんの班員は、規則上ミルロさんを狙えません。ガゼルたちは粗暴で、約束を守るとは思えない。ゲイルさんの班は強いですが、彼がミルロさんをどう評価しているのか分からず、こちらの提案に乗るかも読めません」
一度息を整え、ジュリアさんを正面から見た。
「でも、あなたは最初からミルロさんを狙うと宣言していました。目的が一致しています。それに、同じ元Aクラスで、貴族でもあるあなたなら、一度交わした約束を守ってくれると信じられます」
「わたくしが、その程度の言葉で動くとでも?」
「あなた方の午前点も高いはずです。ミルロさんの水晶を割れば、総合一位になる可能性も残ります」
ジュリアさんが額の金貨に触れた。
その瞳が、商談を進める大人のように細められる。
「あなたは、それでよろしいの? 自分の班が得られるかもしれない百点を、わたくしたちへ渡すことになりますわよ」
「構いません」
迷わず答えた。
「僕は点数が欲しいわけではありません。意地でも、メイ様をこの課外授業の一位にしたいんです」
短い沈黙が流れた。
ジュリアさんは僕の顔をじっと見つめたあと、右手を差し出した。
「いいでしょう。その提案、受けて差し上げますわ」
「あ、ありがとうございます!」
差し出された手を握った。
これで、僕一人ではない。
ジュリアさんの班と力を合わせ、必ずミルロさんの水晶を割る。
メイ様を一位にするために。




