第40話 森の課外授業
――ミルロ視点――
ヘルミーナ先生――いえ、学園長と話してから、新しい回復魔法の練習を続けている。
わたしの魔法の形は、弓と矢。
それなら、回復の力も矢に込めて届けられるのではないか。
考え方は間違っていないと思う。
実際、以前よりも形にはなりつつある。けれど、作り出した矢はまだ不安定で、放つ前に崩れてしまったり、命中した瞬間に回復の力が消えてしまったりする。
まだ実戦で使える段階ではない。
だけど、焦る必要はない。
学園長が言っていたように、失敗しながら自分で形を見つけていけばいい。
今日の課外授業でも、何かきっかけを掴めたらいいのだけど。
「来るよ、ミルロ!」
リリスの声で、意識を目の前へ戻した。
森の木々をへし折りながら、大きな猪が突進してくる。
討伐対象である魔物、スタンプブル。
普通の猪よりも二回り以上大きく、額からは太く鋭い角が伸びている。その巨体には風が渦巻き、突進する速度をさらに引き上げていた。
進路上にあった大木が、鈍い音を立てて倒れる。
まともに受ければ、人間の身体など簡単に吹き飛ばされてしまうだろう。
「テラ、お願いします!」
「う、うん!」
テラが大きな盾を構え、わたしたちの前へ出た。
盾の表面に青白い炎が灯る。
ダンとの特訓で身につけた、熱を奪う冷たい炎だ。
「絶対に、止める!」
スタンプブルが盾へ激突した。
轟音とともに土が舞い上がり、テラの大きな身体が後方へ押される。両足が地面を削り、深い二本の線を作った。
「くっ……!」
それでもテラは倒れない。
冷たい炎がスタンプブルの身体から熱を奪い、表面を凍りつかせる。それにより、四肢の動きが少しずつ鈍っていった。
「今だよ!」
リリスが前へ手を突き出した。
「《スパイラル・ストーンシュート》!」
螺旋状の嘴を持つ土の小鳥が、次々と飛び出した。
高速で回転する数羽の小鳥が、スタンプブルの横腹へ突き刺さる。
魔物が苦しそうな声を上げ、その巨体がわずかに傾いた。
氷の弓を作り出し、弦を引く。
狙うのは、前脚の付け根。
リリスの攻撃で体勢を崩し、テラを押し切ろうと力を込めたことで、守りが薄くなっている。
「そこです!」
放った氷の矢が、狙いどおりに突き刺さった。
スタンプブルの脚が凍りつき、巨体が地面へ倒れる。
地響きが森の中に広がった。
スタンプブルは脚を凍らせたまま、起き上がれずにもがいている。
腰につけていたナイフを抜き、慎重に近づいた。
生き物の命を奪うことに、思うところがないわけではない。
だからこそ、無駄に苦しませてはいけない。
首筋へ素早く刃を入れる。
巨体が一度大きく震え、やがて完全に動きを止めた。
「た、倒せた……?」
「うん。わたしたちの勝ちだよ!」
リリスが笑顔を浮かべ、テラの背中を叩く。
テラもようやく盾を下ろし、安心したように息を吐いた。
「二人とも、お疲れさまでした」
「ミルロもね!」
「えへへ……ちゃんと止められてよかった」
三人で顔を見合わせ、笑みを交わす。
午前中の課題は、班ごとにスタンプブルを討伐すること。
しかし、魔物を倒せば終わりではない。
仕留めた魔物を自分たちで解体し、昼食として調理するところまでが課題だ。
「それでは、血抜きから始めましょう」
ナイフを握り直し、解体の準備を始める。
「ミ、ミルロ、本当にできるの?」
「マルチーズ家は騎士の家系ですから。野外での活動も、何度か経験しています」
食べると決めた以上、命を無駄にしてはいけない。
手早く血を抜き、解体を進めていく。
「テラ、そちらを押さえてもらえますか?」
「うん。わたしもお父さんと山へ行ったとき、何度か魔物を捌いたことがあるよ」
大工であるテラのお父さんは、建築に使う木材を求めて山へ入ることがあるらしい。その際に魔物を狩り、持ち帰ることもあったという。
テラは慣れた手つきでスタンプブルの身体を支え、作業を手伝ってくれた。
一方、リリスは少し離れた場所から、嫌そうにこちらを見ている。
「リリスも手伝ってください」
「えー。血がついたら服が汚れるんだけど」
「これも課題ですよ」
「分かってるって。だから、ちゃんと用意してきたよ」
リリスは収納バッグへ手を入れ、三着のエプロンを取り出した。
わたしのものは、青い生地に雪の結晶。
テラのものは、白い生地にチョコレート。
そしてリリスのものは、ピンク色の生地に星とフリルがたっぷりついている。
「じゃーん! こういうときでも、可愛さは忘れちゃ駄目でしょ?」
「いつの間に用意したんですか?」
「昨日の夜。三人で料理するなら、お揃いのエプロンが必要だと思って」
「かわいい……!」
テラが目を輝かせる。
わたしも自分のエプロンを広げ、思わず頬を緩めた。
「ありがとうございます、リリス」
「でしょ? 実用性と可愛さの両立こそ、わたしの芸術だからね」
それから三人で解体を終え、食べられる肉を切り分けた。
森で採取した香草も使う。
細長い針のような香草、香りの強い野生のニンニク、柑橘に似た葉。それらを細かく刻み、岩塩と一緒に肉へ擦り込む。
最後に酸味のある赤い木の実を潰し、その果汁を少しだけ加えた。
「リリス、調理台をお願いできますか?」
「任せて。せっかくだから、かわいい形にするね」
リリスが土魔法を使うと、地面から石が盛り上がった。
表面が滑らかに整えられ、星の装飾が施された調理台へ変わる。さらに人数分の皿と、大きな平たい焼き台まで作り出した。
見た目だけではなく、ぐらつきもない。
こういう準備をさせると、リリスは本当に頼りになる。
「火加減は、わたしが見るね」
テラがハナビを呼び出し、焼き台の下に炎を灯した。
スタンプブルから取れた脂を薄く引き、香草を擦り込んだ肉を載せる。
じゅうっという音とともに、食欲を誘う香りが広がった。
「お、おいしそう……」
テラの視線が肉へ釘づけになる。
「まだですよ。中まで火を通さないと危険ですから」
「分かってるけど、お腹がすいて……」
「もう少し火を弱くして。そのまま、じっくり焼きましょう」
表面へ焼き色がついたところで肉を裏返し、柑橘の葉を載せる。
最後に赤い木の実の果汁を絡めれば、スタンプブルの香草焼きの完成だ。
「いただきます!」
三人で焼きたての肉を口へ運ぶ。
表面は香ばしく、中には肉汁が残っている。少し癖のある魔物の肉を香草が食べやすくし、木の実の酸味が脂っこさを和らげていた。
「おいしい!」
テラの耳が嬉しそうに動く。
「うん、これならお店でも出せそうじゃん!」
リリスも満足そうに頷いた。
「二人が手伝ってくれたおかげです」
無事に午前の課題を終えられた。
そう思っていると、茂みの向こうから二人分の足音が聞こえてきた。
「ミルロー!」
姿を現したのは、メイ様とシリルさんだった。
「メイ様。そちらも課題は終わったのですか?」
「もちろん、スタンプブルは倒したわよ。わたしの一撃でね!」
メイ様は胸を張る。
その後ろで、シリルさんが疲れたように肩を落としていた。
「だから、手加減してくださいと言ったんです……」
「だって、あれくらい耐えると思ったんだもの」
「お肉まで真っ黒になっていました。あれでは食べられません」
どうやらメイ様は雷を込めた一撃で、スタンプブルを倒すと同時に丸焦げにしてしまったらしい。
「というわけで、わたしたちの分もある?」
「最初からそれが目的ですね?」
「だって、お腹すいたんだもん」
「仕方ありませんね。シリルさんもどうぞ」
「い、いいんですか?」
「もちろんです」
メイ様とシリルさんを加え、五人で香草焼きを囲む。
「おいしい! やっぱりミルロの料理は最高ね!」
「これ、わたしらの課題なんだけど?」
リリスが呆れたように言う。
「細かいことは気にしないの。ほら、シリルも食べなさい」
「は、はい……」
結局、用意した肉のほとんどを五人で食べてしまった。
◇
食事を終えたわたしたちは、集合場所となっている森の外の草原へ戻った。
ゆっくり食べていたため、到着したのはわたしたちが最後だった。
すでに大勢の生徒が集まっている。
しかし、その表情は明るくない。
空腹そうにお腹を押さえている人。自分たちの失敗を責め合っている班。地面に座り込み、落ち込んでいる人もいる。
「何があったのでしょう?」
周囲を見回すと、ゲイルさんたちの班を見つけた。
ゲイルさんは元気そうに立ち、ダンとソフィアさんも満足そうな顔をしている。
「ゲイルさん」
「ミルロか。その顔を見る限り、お前たちも成功したようだな」
「まだ何も言っていませんけど」
「それだけ満腹そうな顔をしていれば、誰でも分かる」
言われて、思わず自分のお腹へ手を当てた。
「それで、皆さんはどうしたのですか?」
「午前の課題に失敗したんだ」
ゲイルさんが周囲を見渡した。
「元Aクラスは強力な魔法を使える生徒が多い。スタンプブルを倒すところまでは成功した班も多かった。だが、上級貴族の出身者が多くて、解体も料理もできなかったらしい」
「なるほど……」
「反対に、元Bクラスには下級貴族や平民、ワイマール共和国の出身者が多い。料理や野外活動の経験はあっても、スタンプブルを倒せない班が多かった」
片方だけでは、課題を達成したことにならない。
戦う力だけでも、生活する力だけでも駄目なのだ。
「俺たち以外では、あの二班が成功している」
ゲイルさんが視線を向けた。
一人は、額に金貨を貼りつけた黒髪の少女。
ジュリア=ソフトクリンさん。元Aクラスの班長だ。
もう一人は、コヨーテの耳と尻尾を持つ男子。
ガゼルさん。わたしたちと同じ元Bクラスの生徒だ。
「お前たちが来るまでは三班だった。これで四班目だな」
ゲイルさんがそう言ったあと、わたしの後ろにいるメイ様とシリルさんに気づいた。
「いや、メイ様の班もいるなら五班か」
「わたしたちの班は失敗したわよ」
メイ様があっさりと答えた。
「メイ様の班が失敗?」
ゲイルさんが目を見開く。
「まさか、スタンプブルに負けたと?」
「失礼ね。一撃で倒したわよ」
「討伐と同時に肉まで焼き尽くしたんだ」
近くにいたバルド先生が、呆れた様子で口を挟んだ。
「メイの班は解体も料理もできていない。午前の課題は失敗だ」
「なるほど……」
ゲイルさんは納得したように頷いた。
「メイ様がスタンプブルに負けるとは思えなかったので、驚きました」
「そうでしょう?」
「褒めていないぞ、メイ」
全十班のうち、午前の課題を最後まで達成できたのは四班。
半分以上の班が、何かしらの失敗をしたことになる。
「全員、班長を先頭にして並べ!」
バルド先生の声が草原に響いた。
生徒たちが慌てて移動する。
以前はAクラスとBクラスに分かれていた名残なのか、自然と二つの集団ができていた。その中央に、わたしとメイ様が並ぶ。
「ミルロ、メイ。前へ出ろ」
呼ばれたわたしたちは、バルド先生の前へ進んだ。
先生が取り出したのは、先端に水晶がついた二つの帽子だった。
一つは青。もう一つは赤。
「ミルロは青、メイは赤だ」
バルド先生が、青い帽子をわたしの頭へ被せる。
メイ様にも、赤い帽子が渡された。
「午後の課題は、水晶割りだ」
その言葉に、生徒たちがざわめいた。
「ミルロとメイは、これから五分先に森へ入る。二時間、頭上の水晶を守りながら森の中を逃げ切れ。森の外へ出ることと、帽子を脱ぐことは禁止だ。規則を破れば、水晶を割られたものとして扱う」
「つまり、わたしとミルロが逃げる役ってことね!」
メイ様が楽しそうに笑った。
「そういうことだ。追う側は、二人の水晶を狙え。青か赤、どちらを狙っても構わない。水晶を一つ割った班には百点。二つとも割れば二百点だ」
バルド先生が一度言葉を切る。
「反対に、ミルロかメイが二時間逃げ切った場合、その者が所属する班には二百点を与える」
「二百点?」
周囲から驚きの声が上がった。
「追う側より多くないですか?」
誰かの疑問に、バルド先生が頷く。
「二人は多数の生徒から追われるうえ、攻撃魔法も制限される。それだけ難しい役割だ。ただし、午後の課題で一つの班が獲得できる点数は、最大二百点までとする」
先生の視線が、後ろにいるテラとリリスへ向けられた。
「例えばミルロが逃げ切れば、ミルロ班はそれだけで二百点だ。そのうえでテラかリリスがメイの水晶を割ったとしても、三百点にはならない。午後の得点は二百点のままだ」
「じゃあ、わたしたちがメイ様を狙う意味はないってこと?」
リリスが尋ねる。
「加点だけを考えるならな。だが、メイの水晶を割れば、メイ班が獲得するはずだった二百点を消すことができる。自分たちの得点だけではなく、他班の得点まで考えて動け」
なるほど。
全班が午前と午後を合わせて、最大三百点。
わたしたちだけが有利になるわけではない。
「なお、水晶と森の地図は魔法でつながっている」
バルド先生が一枚の地図を広げた。
地図の上には、青と赤の小さな光が浮かんでいる。わたしが身体を傾けると、青い光もわずかに同じ方向へ動いた。
「追う側には、この地図を一班に一枚ずつ配る。青い印がミルロ、赤い印がメイだ。二人が森のどこにいるかは、常に地図へ表示される」
「ずっと居場所が分かるのですか?」
「ああ。位置を隠して二時間じっとしているだけでは、課題にならないからな。地図を読み、複数の追跡をかわし、地形を利用して逃げ切れ」
これでは、かくれんぼではない。
本当の意味での鬼ごっこだ。
隠れてやり過ごすことはできず、常に移動しながら追ってくる生徒たちを振り切らなければならない。
「確認です。わたしたちは魔法を使ってもいいのですか?」
わたしの質問に、バルド先生が頷いた。
「追う側は攻撃魔法を含め、自由に使用してよい。ただし、殺傷を目的とした攻撃は禁止だ」
「逃げる側は?」
「自分や地形に作用する魔法は許可する。身体強化、壁、足場、囮、進路を塞ぐ魔法などだ。ただし、追う生徒へ直接攻撃することは禁止する」
「《雷装》はいいの?」
メイ様が尋ねた。
「自分を強化する魔法だから認める。ただし、わざと雷を相手に浴びせれば失格だ」
「分かったわ!」
「相手を凍らせるのは?」
「当然、直接攻撃に該当する。禁止だ」
先回りして釘を刺されてしまった。
「氷の壁を作ることや、地面を凍らせて滑りやすくすることは?」
「相手を直接狙わなければ認める。ただし、大怪我をさせるような使い方をすれば減点、もしくは失格だ。判断は監視している教員が行う」
攻撃できないのは厳しい。
弓が得意なわたしにとって、かなり大きな制限だ。
「炎や雷を使う者は、森を燃やさないよう注意しろ。火を出した場合は、使用者の班が責任を持って消火すること。教師が消火へ介入した時点で、その班は全員失格だ」
バルド先生の言葉に、炎属性の生徒たちが顔を引き締めた。
「それから、逃走役と同じ班の者には特別な制限を設ける」
今度はテラ、リリス、シリルさんが呼ばれた。
「テラとリリスが狙えるのはメイだけ。シリルが狙えるのはミルロだけだ。自分たちの班長を守ることや、追跡を妨害することは禁止する。規則を破った場合、その班は失格。守ろうとした班長の水晶も破壊されたものとして扱い、その百点は妨害を受けた班へ与える」
テラとリリスを振り返る。
二人とも不安そうな顔をしている。
わたしも二人と離れて戦うのは心細い。
だけど、これは三人全員に与えられた課題だ。
「他班との共闘は認める。ただし、水晶を割った百点は最後に攻撃を加えた班へ与える。得点の分配はしない。協力するなら、その点まで考えておけ」
場合によっては、複数の班が一斉に襲ってくる。
しかも全員が、地図でわたしたちの位置を把握している。
これは想像以上に厳しい課題になりそうだ。
「午前の課題は百点満点。魔物の討伐、班員の連携、森の中での行動、解体、調理までを総合的に評価する。各班の点数は、すべての課題が終わるまで公表しない」
成功したからといって、必ず百点とは限らないらしい。
「午後は最大二百点。午前と合わせて三百点満点だ。この課外授業の結果は、前期の成績へ加算する」
生徒たちの空気が変わった。
「前期が終われば、一年生は再び成績によってAクラスとBクラスに分けられる。どちらのクラスへ入りたいかは、わざわざ聞くまでもないだろう」
元Aクラスの生徒も、元Bクラスの生徒も、真剣な表情でわたしたちを見つめている。
ここで高得点を取れば、Aクラスへ近づく。
反対に失敗すれば、Bクラスへ落ちる可能性が高くなる。
誰も手加減してくれないだろう。
「ミルロ」
隣に立つメイ様が、楽しそうに笑った。
「どちらが最後まで逃げ切れるか、勝負しましょう!」
「望むところです」
入れ替え戦では、二人同時に降参して引き分けた。
今度こそ、決着をつける。
「それでは逃走側、森へ入れ!」
バルド先生の声が響く。
メイ様の身体が雷に包まれた。
「先に行くわよ、ミルロ!」
赤い水晶の光が線を引き、メイ様は一瞬で森の中へ消えていった。
「速すぎますよ、メイ様!」
わたしも慌てて、その背中を追いかける。
五分後には、地図を持った生徒たちが一斉に追ってくる。
隠れることはできない。
攻撃することもできない。
それでも、二時間逃げ切ってみせる。
青い水晶を輝かせながら、森の中へ駆け込んだ。




